最近、我ながら、成長したと思える事があった。
それは人に話したら笑われてしまう程度の
小さなものに過ぎない。
しかし、最近の出来事が、
まるで子供の頃のように思える程だ。
我ながら、我ながら。
ただ、この僕もまた、笑う時が来るのだろう。
こうやって書いている自分もまた、
いつかは矛盾するだろう。
そして、それについて書いたことも、
またそのいつの日か、矛盾しているだろう。
それで良い、それで良い。
それを僕であったと認識できるのだから。
☞ ☞
時間とともに、容姿も考え方も違っていく。
しかし、身体中の細胞が全部入れ変わっても、僕は僕以外にはならない。
時間とともに変わる、不連続性を持っている僕。
動的であり、毎秒ごとに変化する。
そんな「変わっていく僕」を、
間違えず、きちんと時系列に並べている「変わらない僕」がいる。
それは時間の概念なく、連続性を持っている。
静的であり、不動である。
つまり流れる時と流れない時という、矛盾した
二つの相を統一することによって「僕は僕である」と認識している。
「一即多、多即一」。
そんな無意識の朝の唄。
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