6月です、今年の折り返しとなりましたね^^
今月は僕と、unreveの誕生日です。
片やアラフォー38歳、片やよちよち歩きの満4歳。
なんだか子供みたいですなぁ。
親子2人っきりで祝おうと思います(ヤバイヤバイ)
思えば、自己中心理論である「リーフ論」を書き出したのが
ブログを書き始めた4年前でした、
しかし、その生き方を選択したのは20代半ば。
ずいぶん長い自己中ですわ(笑)
面白いもので、以前は自己中心と書けば
それだけで非難の対象となっていたのですが、
今ではちょっと違うような気がします。
若者が(良い意味で)社会のリミッターを切ってくれそうです。
よかった、よかったε=(。・д・。)
これから僕も、のびのび書けそうです笑
ただ、「自我」と「自己」をまだ同一視している人も
いるような気がしないこともない。
そんなわけで今日は、
久々の登場「リーフ理論」について。
長いので、お暇な方だけどうぞ。
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さて、この自己中心理論、
心理学でいう自我心理学派と自己心理学派の
違いじゃ~ありません。
フロイトとかピアジェとかヴィゴツキーとか
長くなるので隣に置いておきます(笑)
僕が定義する自己は以前書きました 。
それは「自分視点の自分定義」と「他者視点での自分定義」でもあります。先日、免疫系の曖昧な境界線について書いたのですが、
「A且つB」という、主体と客体とは全体観(メタ)の事です。
部分観と全体観、内部と外部。
これが自我中心との大きな違いです。
自我中心は言わば、援助交際を咎められた際に、
「自分の体なんだから好きに使っていいじゃない」というような
一種の「個別化」です。
個別化と個性は似てて異なります。
個別化とは承認不要の無人島でのみ、適応されるような野放図です。
(多様性のような、合わせ重ねができない)
言わばサッカーで手と足を使ってやるようなもの、
ルールを守ってこそ、自由が定義できるんですね。
(詳しくは「枠と加減の定義を参照)」
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さて、僕らは物心がつきだすと、自我が芽生え
「自分は何者であり、何をなすべきか」なんて考えたりします。
これがいわゆる厨二病です笑
それは自己と他者を区別するプロセスであり、
イメージとリアルな自分を同一にしていくものでもあるんですな。
当然、イメージと同一できるわけもなく、
葛藤や妥協を繰り返しながら、成長するわけですが、
大人になってもこの同一化をやってしまい、
とっても苦しんでいる人がいたりします。
その同一化する前提を疑う事がないんですね、
これは純粋な意志とは異なった「外部」からの影響です。
その点、小さい頃は何にでも憧れることができますし、
それになりたいという純粋な「内部」の意志があります。
「大人になったら怪獣になる」と真剣に言えちゃうんですが、
それで良いんです(笑)
ようは、そこで綺麗に着地ができるかが大事です。
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その着地点を小さい頃にできた人が、
才能がある、と言われます、イチローが良い例ですね。
自己の「自」とは、「みずから」という意味、
これが自(おのず)から、では他者視点です。
「自(みずか)ら」を知り、決定し、同一化する。
これが自己中心理論、リーフの骨子です。
例えば、僕はすごい気弱な人間なんですが、
周囲の人から「すごい頼りになるわ~」と言われたとします。
(言われないでしょうけど、仮にねw)
自己からすれば、「自分は気弱だ」と思っていても、
周囲から見た自分は「頼りになるヤツ」なのです。
「頼りになる」と評価された場合、
「僕は周囲から頼りになると言われるけど実はすんごい弱いんだよね~」と
「自己」を正確に理解し、「己を自ら」
コントロールしなくてもいい状態、これが「自己中心」です。
逆に自分は気弱なのに、「頼りになるヤツだ」と
思い込んでしまった場合、これがちょっと厄介なんです。
それは外部によって「おのずから」そうなっていく。
心からそう思わず、思考でコントロールして作り上げる自分、
これが自我中心です。
当然それでは、性格が分裂してしまいます。
経営者やリーダーなど、責任のある立場の人に多い。
(母親とかもそうですね)
そんなことを続けていると「無意識の抑圧」が生まれ、
「無意識の葛藤」が始まります。
そんな他者からのイメージを演じているんだから
当然、まあ、すごい(無意識的に)疲れるわけです。
だって本当の自分じゃないんですもん。
でもそれを今さら出せないから隠してる。
社会的な立場があるため、結構根が深いんです。
また、特徴はすぐに分かります。
まず人より上位に立とうとします、教えたがります、
救いたがります、役に立とうと必死になります。
抑圧からの自我中心とは欠如感ですから、
他者を巻き込むことで、それを埋めようとするんです。
これ、全部「他人に映った自分というイメージ」を
同一化しようとする行為なんですね。
それをやってる限り、自己(本来の自分)は
ずー・・・・・・っと抑圧された(隠された)まんまです。
抑圧とは風船と同じですから、やがて破裂します。
否定批判に弱く、他者からの指摘を極度に嫌う傾向もあります
だって、うまくいっている時の自分じゃないと
自分の事を認められないし、好きになれないのです。
これがナルシシスト(ナルシシズム)の原理です、
自分に陶酔したいんですね。
言い換えれば、他者の目を鏡として、
それを通して見る自分自身の姿だけが好きなのです。
三島はナルシシズムの強さから、肉体を改造した。
自分の軸を持て、と言ってるのは
自分の存在自体をひっくるめて認め、愛することです。
すなわち、本来の自分を理解できた状態です、
長所だけでなく、欠点なども含めた自分が肯定できる。
そんな軸がある人は、正確な自己評価ができますので、
自信と安定感があります。
「何それできるから、これそれの自信がある」といった、
「外部」に拠り所を求めないんですね。
こういった他者視点の自分定義が人を悩ませ、
自分にとって不要な目標や強迫観念的な成長志向の原動力です。
そんなものは暖炉にくべてしまいましょう、
楽になれますよ^^
「後記」
実はリーフ理論にはまだ続き(裏)があるんですな。
それがブラフマン・アートマンから
梵我一如(ウパニシャッド哲学)を批判した
釈迦からの自己中心なんですが、
流石にこれはマニアックすぎるので止めときますわ(笑)