人間の努力は、いつの場合でも
最良の結果を生むとは限らない。
なぜかといえば努力それ自体は、
まったく意志を持たない一つのモーションなのである。
たとえば、いくらモーションがよくても、
必ずしもストライクだとは限らないのである。
投手のコントロールの良さがあって
モーションも生きるのである。
これは本田宗一郎の言葉、
ちょっとしたセリフの端々に、
氏が天才技術者と呼ばれた所以を見て取れる。
この時代は一生懸命が美徳だと尊ばれたが、
宗一郎はただの一生懸命には何も価値がないと、
時代の価値観に迎合しなかった。
それらが価値を持つためには、
正しい理論に基づくことが前提条件だ、と。
今日はそんな天才技術者の小話。
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高等小学校卒業後、
自動車修理工場のアート商会に
丁稚奉公として入った宗一郎。
6年後、「暖簾分け」を受け、故郷である浜松で独立。
暖簾分けができたのは、宗一郎ただ1人だけだった。
宗一郎は大衆はデザインを自分で考案しないが、
優れたものを理解し選び出す力を持っていると考えた。
故に技術より思想を先行させ、思想によって技術を研磨していったのである。
金をいくら注ぎ込んでも変わらないもの、それが宗一郎の言う思想である。
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もちろん、それだけでは
ただの孤独な芸術思想になってしまう。
宗一郎はデザインには模倣性と
独創性の二つがあって、その模倣性を
利用したデザインによって流行が生まれると考えた。
個性的なことだけを最優先するデザインでは、
コロコロとデザインを変えるだけのものであって、
それはただの独断だというのだ。
これには全く異論がない。
思想は尖っていいがクリエイティブだけのビジネスは成り立たない。
つまり冒頭でいう「モーションが良くてもストライクにはならない」
ということだ。
そんな宗一郎は創業者の一番大事な仕事は
何かと聞かれた際、
「次の世代に経営の基本をきちんと残す事」とした。
基本というのは在り方、つまり「精神の型」である。
その「型」をきちんと残すとは「マニュアルの構築」ではない。
以前書いた文楽のように、「なぜ」、「何の為に」を
徹底的に浸透させることである。
それが有名な「ワイガヤ」の原型なのだろう。
好きなことをやっていけたら、これが一番幸せな人生なんだろうな。
俺は若いころから好きなこととなると無我夢中になった。
だって、嫌いなことを無理してやったって仕方がないだろう。
人間「得手に帆あげて」生きるのが一番良いからね。
ただし、俺が好きなことばかりやってこれたのも、
会社でも家庭でもいいパートナーがいたからなんだ。
芸術でも技術でも、いい仕事をするには、
女のことが分かってないとダメなんじゃないかな。