「おもてなし」って言葉が最近流行ってますね。
この「もてなし・しつらえ」の精神は
茶道や禅からのもの、道教や禅も矛盾を
含んだものを同一させる非対称の秩序です。
なるほど、だからこそ日本の「茶道」なのでしょう。
てなわけで今日はお・も・て・な・しの小話でも(笑)
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近代日本の思想家である岡倉天心は
茶道芸術の神髄であり、東洋の美学と言える
「茶の本」をニューヨークで出版しました。
それは「間」としての空間や広がり、間隔、余白空所、場、ゆとり、
そして遊びとしての隙間など、日本流ならではのものです。
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茶器や茶室を見れば分かるのですが、
全てが不均等であり、釣り合いが取れていません。
逆にそれこそが茶道の赴きであり面白みであり、「味わい」なのです。
味とは妙味の出て来るもの、不完全なものに対する美の感覚。
茶道の開祖である千利休は黒楽茶碗を
特に好みましたがそれは黒(陰)が
始まりであり、終わりでもあるから。
漆黒は色相環でも全てを網羅しています。
よって茶の色が一層引き立つのです。
表面にはゆがんだ凹凸があり、いびつともいえる茶器、
これが中国茶器のように、完璧に均衡が取れたものは
茶道には向きません。真面目すぎたそのフォルムからは
遊びやゆとりがないので「味」が湧いてこないんですね。
ありのままで飾り毛のない簡素なものこそ難しいのでしょう。
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決して閉め切られることはなく遠く深い
永遠へ導く開口が存在するかのよう、
茶道の空間は、茶室だけでなく、外の露地と
呼ばれる庭と一体に仕組まれている。
露地は茶室の中から眺めるための庭ではなく、
茶室へ通る道であり、露地に入った時にはもう茶の湯は始まっていると言います。
成就そのものが目的ではない。
完成を意図的に排除し、想像の働きによって
完成させる状態を保つ、これが茶道の「未完成の美」です。
たかが茶一杯、されど茶一杯。
数奇の成せる業ですね~。