2015/07/29
対話編 ~回帰~
「このブログもそろそろ本題に入ってきたね」
「ん。神道を書いたからな」
「西洋の哲学や宗教からの仏教、そして禅宗。
それを網羅しないと堂々と書けなかったんでしょ」
「じゃないと、宗教と誤解されるから」
「君なりの殺仏殺祖なわけだ」
「弥栄モデルは便利だよ。振り出しに戻ってるように
見えても、世界観が全く違うことが図で分かる」
「汎用性はあるの?」
「じゃあ今日は別のやつを回帰してみっか」
「前回、50点だったものを覚えてるか?」
「えっと・・・精神から見ると
人種も性別も違いがないってやつ?」
「そう。全ては一つなどのワンネス主義は
高次元なセリフに見えるが、片手落ちなのだ」
「平等主義は間違ってるってこと?」
「平等の反対は何だ」
「差別。君は区別って呼んでるみたいだけど」
「何かを分けることは一見間違いのようだが
それは優劣としての「差」をつけた場合だ。
実相としての観点から見れば分別は正しく、平等も正しい」
「ん。どゆこと?」
「一即多、多即一。つまり
差別、即、平等ってこと」
「?」
「例えば山は山、海は海として見る。
これが区別だろ」
「うん」
「これが平等、高い次元から見てると「思ってる人」は
山も川も海も、全てが一つの在り様だと説く」
「あー、宇宙視点」
「これは万物一如、梵我一如といって
自他を一体化した人が到達した境地のことだ」
「それが悟り、お釈迦さんの空だね」
「すると当然、現世は幻であって、
本当の世界は一つなんだ~、ってオチになるわな」
「それが間違いだってこと?バチ当るよ」
「それを理屈で説明されても
何でもかんでも平等だと「心から」思えないだろ。
仮にそれが科学的に証明されたとしても」
「確かに、ほとんどの人は
その境地を経験してないからね」
「さらに言えば、その超マクロ視点の境地は
極から極へシフトしただけに過ぎない。
弥栄モデルで言えば、それは志向性じゃない」
「だから片手落ちだって言ったの?
ワンネスや無我の境地がゴールじゃないんだ」
「僕はそう思うね。根幹ベースとしては
正しいと思うけど、根だけの木なんて存在しない」
「そういや、悟ったって言ってる人ほど
差別や区別、物質世界である「枝葉」を否定するもんね」
「この否定が曲者なのだ。全否定するとどうなる?」
「あーね、浮世から離れちゃう」
「スピリチュアル、いや「ホリスティック」な側面に
傾倒しすぎると、今度は逆に現実逃避してしまうのだ。
というか、現実の方が逃避するというべきか」
「物質世界を正しく見れなくなる、ってことね。
確かに、お金はエネルギーだって言われてもわからないもの」
「素朴な感覚だよ。我々が肉体である五感覚を
持っている以上、金は紙か金属にしか見えない」
「六感だけで生活してるわけじゃないしね」
「確かに精神世界は真理であるかもしれない。
しかし我々はこうやって多様な状態の中、
物質世界で生きてるわけだろ。」
「うん、しかも全員が全然違う環境で生まれてる。」
「つまりその現実もまた、真理の一側面なのだ。
この相反する矛盾が同一して存在している世界に
我々はいるんじゃないかな」
「現実的なものを全部捨ててしまったら、
現実的な対応なんて、できっこないもんね」
「山奥で一人暮らすなら話は別だけど。
ただ、守護霊やなんとか星人が老後の面倒を
ぜんぶ見てくれるとは思わないね」
「コインの表だけ、悟った精神だけじゃ
飯は食えない、ってことだ」
「だから神道は目に見える自然派生の法則を
信仰し、生活に活かしているんだろうね」
☞☞☞
「君がジェンダー論を否定してるのも似たようなもの?」
「そう。確かに人間として見れば男も女も同じだよ。
人種だってそう、違いなんてない。」
「でも現実を見れば違いは明らかだよね」
「そう、この絶対的な構造の違いを
無視して、何でもかんでもごちゃまぜにするとおかしくなる。
動物は動物、植物は植物として観ないと」
「でも、理想と現実の差がありすぎるから
そっち側を求めるんでしょ。ある意味、仕方ないよ」
「理想と現実の両方を捨てず、葛藤した経験が
多い人を、僕は人格者だと思ってる」
「そうなると教祖は逆だね。「全ては一つだ」って
片方ばかり説いてるから」
「どっちか一つを語るのは誰だってできるよ。
金だけを求める経営者なんて、ごまんといる。」
「そんな人にはなりたくないね。
実はね、悟ったっていう人に限って
変に飾り立ててるから嫌いなんだ」
「本当に両方の世界を生きている人は
逆に普通の生活に溶け込んでいるんじゃないかな」
「十牛図の最後の絵の意味だね」
「まさに究極の一般ピープル。
できればここを目指したいもんだね」
☞☞
「あー、葛藤とか悩みなんて早く卒業したい」
「ふむ。
そういや、グッさんという珍しい奴がいてな」
「・・・・・・」
「例えばドラクエとかあるだろ?
敵を倒して、レベル上げるやつ」
「・・・・・・・」
「普通、ちょっとレベルが上がったら
どんどん先にいくのだけれど、こいつの場合は
かなりレベルが上がるまで先に進まないのだ」
「・・・・・・・で?」
「その理由が、毎回敵と苦戦しながら
ゲームしたくないんだと」
「・・・・・・」
「それより立ち止まってどんどんレベル上げて
楽勝のまま、サクサク進みたいようだ」
「・・・・・・いいじゃん」
「ただ、こいつの場合はゲームだけに限らず
人生においても、そうしたいらしい」
「・・・・・・・・」
「年とってつまらんことで悩みたくないから
若いときに酸いも甘いも全部味わってしまおうと思ってる。
どうも、理性と距離を置きたいみたいだな」
「・・・・・・」
「な、変な奴もいるだろ。怠け者だからこそ
怠ける土台を必死に作ってるのだ」
「・・・・・これ、カットやで」
2015/07/28
お祭り日記 後編
昨日に引き続き、後編です(´▽`)
暗くなるにつれ、どんどん人が集まってきました。
千灯明は20時から、あと少しです。
浴衣コンテストがあってたからか、
浴衣の女性がたくさんいましたね。
風情があります(^-^)
☞☞
さて、20時になりました。
いきなり辺りの照明がすべて消えます。
あまりにも突然なので、初めての人は驚いてます(゜゜)ソラソーダ
すると、遠くから少しずつ明りが。。。。
来た来た~
この祭りの面白いところは
一般の人も参加できること、
ロウソクを自分たちで
付けることができるんですよ~
そんなわけで、あっという間に橋全体が光り出します。
写真じゃうまく伝わらないんですが、
池に明りが映り、幻想的な世界になります。
これは9月のやつですね
広場でやってる盆踊りも、雰囲気を
壊さないためか明りが「ブルー」です。
こんな光景、なかなか見れません(笑)
お勧めの夏祭りです、みなさんも一度
来てみてはいかがでしょうか(^-^)
ではでは~
2015/07/27
お祭り日記 前編
こんばんわ。
祭り男です。
ちなみに撮影時刻18時過ぎです。
明るいですね(゜゜)
先週末に、太宰府の千灯明(せんとうみょう)に
行ってきましたぜ(´▽`)
千灯明は9月にもあるんですが、
今月の千灯明は夏祭りと一緒に
開催されているんですよ~。
開催場所である太鼓橋にはすでにロウソクが。
とりあえず、日が暮れるまで時間つぶしです。
☞☞
まずはお参り。
本堂には氷像が飾ってありました。
からの、梅が枝餅食べ歩き。
25日はよもぎになります。
ちなみに、この祭りでは一般的な出店がありません。
商工会の青年部が中心となって色んなブースを作ってます。
だからでしょうか、ノスタルジックな祭りを味わえます。
こういうの、好き(・ω・)ソボク
屋台でホルモンとネギ塩タンを購入。
さすが、酒のつまみが分かってらっしゃる(笑)
あと、太宰府名物「揚子江」の肉まん。
デカ~
車で来たのでノンアルで我慢です(´・ω・`)
前日飲み過ぎたからね
そうこうしている間に、日が暮れてきました。
えっと・・・
次回も・・・・この流れでいいですか|д゚)?
2015/07/23
対話編 ~絶対矛盾~
「・・・・・・・ふむ」
「ん、どうしたの?トトロみたいな顔して」
「いやね、物事とは一方向だけでは
わからないものだな、と」
「あー。最近、色々あってるからね」
「しかも本質を飛び越えた情報が
広がっている感もあるから、よけいタチが悪い」
「それで判断すると誤解するね」
「個人から商品から思想まで、あらゆるものが情報化された。
そう考えると、今はレッテルを貼りやすい時代だな」
「食べログもイイネもそうだね、
他人にとってはグッドかもしんないけど
自分からすればバッドかもしれないもん」
「グッドの場合は良いよ。問題は
バッドの評価がずっと残るってことだ。
これはね、とても怖いことだと思うよ」
「意図的に悪く書く人もいるみたいだね」
「小林秀雄は批判には愛が必要だと言ってるが、
今の批判は排他的なものばかりだから」
「一時期、君はすごかったね。
昔のブログとか、記事が殺気立ってる笑」
「陰で批判されたり、間接的に言われると
こっちは何もできないからな」
「いいんじゃないの、離れたわけだし」
☞☞
「あの時代は実際に会って批判してたから、
リスペクトに近い感覚もあっただろうね」
「そう、今のアンチテーゼは一方通行なのだ。
正論っぽく見えたとしても、肝心の相手への関心がない」
「多分、感情抜きで白黒ハッキリさせたいし、
逆に見る側もハッキリしてもらいたいんじゃない?」
「そりゃ単なる情報の奴隷だ。
損得勘定と弁だけが達者になる」
「奴隷はちょっと言い過ぎだよ」
「飲食に限らず、まともな人は他人の付けた
レッテルや評価は気にしない。まず自分の目で確かめる」
レッテルや評価は気にしない。まず自分の目で確かめる」
「そうじゃない人は?」
「それをそのまま鵜呑みにする。
これがいわゆる大衆心理、というものだ」
これがいわゆる大衆心理、というものだ」
「なるほどね」
「ちなみに、職場環境が悪い会社は
こういったレッテルの貼り合いばっかりやってる」
「あーね、確かにおばちゃん化している(笑)」
「ネットで流れてる情報もそうだけど、
他人の評価で分かった気になるなんて、大間違いだよ」
☞☞
「これはね、意外に深い問題なのだ」
「自分がそう思ってるだけじゃない?」
「いーや。なぜなら、我々は何かを頼りにし、
あてにしなければ生きていくことができないからだ」
「何かを信じないと生きれない、ってこと?」
「名誉も、地位も、金もそうだろ。
仮にそれを信じてない人だって、
この自分の体が自分だってことは信じてるはずだ」
「さすがに、その前提がないとヤバイね」
「もし、その前提が崩れたらどうなる?」
「そりゃ、困る」
「そう、まさに苦しみや悩みとは、こういった
信じていたものに裏切られた時に起こるのだ」
「ん、どゆこと?」
「たとえば、病気になるということは
健康だと信じていたのに、そうじゃなくなるってことだ」
「うん」
「人間関係で苦しむのも、正しいと
信じていた価値観が他人によって壊されるからだ」
「アイデンティティを否定する人いるからね」
「裏切られることで信じる対象が分からなくなる、
中には、自分で決定できなくなる人も出てくるだろう」
「まあ、内容によりけりだけどね」
「これが外部に絶対性を求める根幹なのだ」
「裏切らないものを求める心か・・・
でも、誰だってそうじゃないの?」
「そう、しかし世界は矛盾だらけ。
この相反する実在によって、苦しみは消えないのだ」
「確かに、世界だけじゃなくて
僕の内面も矛盾だらけだしね」
「正しいと思って発言していると、ある人から
それを否定される、逆もまたしかり」
「そう考えると、矛盾がない方がおかしいね」
「90点、十人十色、時代や場所によって
信じる対象が異なるということは、矛盾が実相だと言える」
「その矛盾律の中から主体的に
選ぶ自己がないと、死に至る病にかかってしまうんだね」
「主体的実存、キルケゴールか」
「結局自分が「どうするか」が大事だってことでしょ」
「いや、そこから先がある」
「何?」
「それが長くなるし、まとまらないんだな・・・」
「じゃあ、いつもの感じで」
「いや、このテーマは次回じゃなくて、
またいつか」
タイタニック現実主義
タイタニック号は1912年、イギリスから
ニューヨークに向かう途中、濃霧で見えなかった
大氷山に衝突し、沈没した豪華客船として有名ですね。
今でこそ、我々はこの事故の原因を知ることが
できますが、当時の乗客や船員は誰も気づきませんでした。
航海中、船旅を楽しんでいる乗客は
ダンスホールで踊り、豪華な食事を楽しみ、
機関室でメンテナンスを行っている機関士にとっては、
何事もなく順調な船旅です。料理長は明日のメニューを考えていたでしょう。
船に乗り合わせているそれぞれの人が
それぞれの現実を生きていたのですが、
船から離れて見た場合、その現実観は全く違っていたのです。
目前には氷山が待ち構えているけれど、
濃霧で先は全く見えません。
このまま行けば衝突。
これが「本来の現実」だったんですね。
政治哲学者であるダグラス・ラミス氏は
目前の現実しか見ようとしない態度を
「タイタニック現実主義」と名付けていますが、
この「現実離れした現実主義」に
陥ってしまう可能性は誰にでもあるような気がします。
今「どこにいて」、
「どの現実」を見ているか。
中にいるか、それとも上空から眺めているのか。
自分で判断するのは難しいですね。
☞☞
最近、世間が騒がしい。
情報化社会である以上、嫌でも入ってくるのですが、
その現実とはまた別の現実を感じてしまう、今日この頃です。
2015/07/21
お祭り日記 後編
昨日に引き続き、後編です(´▽`)
小倉祇園太鼓は
夜になると街中に出るところと、
一つの場所で打ち続けるところがありまして、
街中が太鼓の音に包まれます。
出ない組(?)は対バンみたいに競い合います。
これがまた楽しい♪
中には神輿に乗り上がるところもあったり。
やりたい放題のちょい手前な感じが好きです(笑)
☞☞
お腹も空いてきたので夕飯へ~
小倉に来た時によく行く店「天穂」さん。
希少な雌牛の小倉牛が頂けまして、
一人でも気軽に行ける、数少ない焼き肉店です。
まずは名物の焼きシャブ~
さっと炙った後、卵につけて頂きます。
口に入れた途端、すぐいなくなっちゃいます。
からの定番メニュー。
こちらのタンとイチボは特にお勧め
ご馳走様でした(-∧-)
☞☞
店を出たら、すぐ近くの路地裏で行列が。
調べたら、小倉の有名ラーメン店
「まるいち」さんに並んでるようです。
・・・・・・まだ入る(; ・`д・´)
ということで、ハシゴ決定。
これも一人だからできることですね(笑)
定番の「まるいちラーメン」を注文。
麺が太麺と細麺から選べるって、珍し。
以前食べた「ラーメン工房 龍」さんも
美味しかったんですけど、こっちが僕好みです。
よ、余は満腹じゃ(;・∀・)ゲフッ
あー楽しかった。
てなわけで、
また来年お会いしましょう
see you♪
おまけ
「今年のベストショット」の一部をご紹介
※写真については、話ができる時には撮影とブログへの掲載の了解をいただくように務めましたが、それができていない場合もあります。 もし写っている方で、ご都合の悪い方はメッセージをお願いいたします。すぐに対処させていただきます。
2015/07/20
お祭り日記 前編
先日は小倉に行ってきましたぜ(´▽`)
行くとき、小雨が降ってたけど、
着いたらごらんのように
晴れま!
晴れ男、花見の汚名献上(´;ω;`)ブワ
☞☞
夕方までは小倉城あたりでやってるんですが、
楽しいのはそれからなのだ。
それまで、あちこちウロウロ。
基本、屋台で食事を済ませない僕が
唯一、もとい二つだけ食べるのがあります。
それがこちら。
冷やしパナポ!
うんめえええ(*´Д`)
それとトウモコロシ!
歯の隙間にグイグイ入ってくるけどね!
とかやってたら、日も暮れてきました。
えっと・・・
次回も・・・・この流れでいいですか|д゚)?
雑記
芸能人に興味のなかった僕が
唯一ファンになってしまい、かれこれ10年(゜゜)
昔はずーっと聞いてましたね。
さすがf分の1、揺らぎの歌声。
ちなみにこれは今でもよく聞きます。
(特に作業中)
これ出してから人間活動に入りましたね
考えすぎたり ヤケ起こしちゃいけない
子供だましさ 浮世なんざ
人は一人になった時に 愛の意味に気付くんだ
「Goodbye Happiness」より
歌の神様に愛された人、
芸術の神様に愛された人、
スポーツの神様に愛された人、
そういった人の人生って、
ある意味、普通が選べないのかもしれませんね。
好きなことやって、それが認められて
ものすごいお金が入ってきて、
誰もが知ってるくらい有名になったとしても、
その人だけが抱えている悩みがあるみたい。
不思議なもんですね、人生って(笑)
そういや今月、一児の母になったようで。
(´▽`)オメデトー
2015/07/18
雑記とか、ご紹介とか
こんにちわ、坂口です(゜゜)
世間は今日から3連休ですね~
ちなみに僕は明日だけ休みを取って、
小倉に行ってきます(^-^)
そう、僕の(近場で)一番好きな祭り。
「小倉祇園太鼓」の
最終日なのです( ー`дー´)キリっ
男性顔負けの腕前です。
飛び跳ねながら打ってみたり、
ドラムみたいにバチをくるくる回したりと。
TAOが洗練された技術に対して、
こっちの方は場を楽しんでるのが伝わりますね(^-^)
ぬふふ。楽しみ、楽しみ♪
☞☞
あと、最近読んだメルマガが素敵だったので、
皆さんにもシェアしますね。
宅配とんかつ専門のフランチャイズ
「かさねや」を運営する株式会社SBIC代表、
鬼頭社長のメルマガです。
ここから一部引用~
さて、積極的に行動を起こすと、
いろんな人がいろんなことを言い出します。
陰でいろんなことを言われるが、
褒めらることは滅多になく、あることないことを言われるものだ。
おれなんか今だに居酒屋売却の
イメージが強いらしく
「事業ひろげたら直ぐに売っちゃう人」
とか言われてる。
世間的には「カネ!カネ!!カネ!!!」
の人間だと思われてるっぽい。
「ふ~ん」って感じよね。 自分のビジョンや
自分の目指す世界は、自分しか知らないわけだから、
知らない人に理解されるはずもないし、
理解を求める努力も必要もない。
なんつーかよ、批判とか誤解とか
知らないところで反感を買うこともあるけど、
全部引きずって前に進むことよ。想い強く進むことよ。
他人の意見で自分の生き方を変える必要はない。
より深くより強くビジョンを描くことで、
はじめて自分だけの人生を歩めるのではないか。
自分自身との対話を重ね続けることで、
少しずつ為すべきこと、在り方、ビジョンは見えてくる。
挑み続け、勝ちも負けも積み重ねるたびに
少しずつ自信がついてくる。
そうやって他人の言葉に揺さぶられない
強い自分を作り上げていくことが大切だと思う。
人の意見に振り回されないということは、
方法論に振り回されないことにつながる。
方法論を求め、方法論に振り回されているうちは
成功を手にすることは難しいが、
自分のビジョン・信念に突き動かされている限り、
必ず突破口は見つかるもの。
引用ここまで~
経験上、FCを展開し、規模が大きくなると
それに比例して経営者の器が求められます。
こちらに書かれているように、
方法論ではなく、もっと深い部分が必要ですね。
こちらはこの他にも、数多くのFCを立ち上げてまして、
加盟店の売上を上げる意気込みはとても強いものがあります。
とても頼りになる本部さんですよ。
興味がある方はこちらをチェックしてね。
「私の事業も全国に継承させたい!」と思う方はこちらまで~
では、みなさん良い週末を(。・ω・)ノ゙
2015/07/17
対話編 ~強要された理想~
「はァ・・・・・・ふぅ・・・・」
「どうした、夏バテの先取りか?」
「ねえ・・・・エゴって、捨てれるの?」
「捨てようと思って、捨てれるもんじゃないだろ。」
「君、よく自我を批判してるじゃない。
あれって、捨てなさいってことだよね」
「僕は自我を捨てろなんて一言も言ってない、
中心軸にするなとは言ってるけど」
「じゃあ、この間のセミナーとは違うのか・・・」
「おい・・・・・・また行ってきたのか」
「そこで言われたんだ。
謙虚に生きるにはエゴを捨てなさい、って」
「お前、出家して仏にでもなるつもりか。
それくらい極端なことを言ってるぞ」
「今になって、そう思ってきた」
「で、そのセミナーの参加費、いくらしたんだ」
「1万5千円」
「あはは、そいつ自身がエゴの塊じゃないか」
☞☞☞
「あとね、色々手放せとか言われた」
「手放せないなら手放さなくていいよ」
「だって、それは執着だって言うんだもん。
握った手を離さないと、新しいものが手に入らない、って」
「それは新しいものを手に入れたい、という
別の執着だと分からないのか?」
「あ・・・・・」
「そもそも離したくない、ってことは
それだけ信念を大事にしてる証拠だろ。
他人から見れば、どうとでも映るよ」
「でも、参加した人たちは
みんな真剣に聞き入ってたよ」
「多分、純粋に世界を救おうと思ってるんだろう」
「話したけど、すごく優しい人たちばかりだった」
「極端に真面目だったり頭が良いと
その純粋性や完璧性を整合させようとするからね。
それが逆に隙間を作ってしまうんだ」
「そういや君は真面目でもないし、頭も良くないよね。
それくらいの余白があってちょうど良い、ってことだw」
「・・・・・なぐるぞ」
☞☞
「どれ、パンフレット見せてみろ。
ふん。。なるほど、その道ではカリスマのようだな」
「この日も、すごい集まってた」
「世界を救う、か。
さて、どうやって救うんだろうか」
「そりゃ、その理想を普及することでしょ」
「それは誰にとっての理想だ?」
「全世界の人類」
「つまり、全世界の人間には共通した
理想の形がある、と言ってるのだろう」
「君だって、幸福は普遍の真理だって言ってるじゃないか」
「そりゃそうだ、好んで不幸になりたい
奴なんか一人もいない。一見不幸そうでもね」
「それと同じじゃないの?」
「んなわけないだろ。
その幸せの形は、全員バラバラなんだから」
「幸せの形を一緒にしてる、ってこと?」
「謙虚に生きろ、エゴを捨てろ、手放せ。
それが条件だ、って言ってるんだろ。
そんな世界、窮屈だよ」
「うん、それができないと苦しいね」
「つまり、幸せのテンプレートは
全員同じであるべきだ、というエゴだ」
「それを否定するのもまた、エゴじゃない?」
「そう。命令禁止という命令(笑)」
「複雑だけど。。。つまり「そうあるべき」を
「やめるべきだ」ってことだよね」
「簡単に言えば押し付けない、だね。
達観した人はそれにも「囚われない」とかいうけど」
「それって、ホントなの?って疑ってるんだ」
「そ。自我というものは
そこまで最小化ができるのか疑問だね」
☞☞
「さっきの人もその思想に自信があるなら、
積極的にやればいい。ただし個人としてね」
「その人らしく生きてるだけだもんね」
「そう、別に立派に生きるなら生きていい。
淡々と生きようが、楽に生きようが、
創造的に生きようが、それは自由だ」
「ただ、その責任は取りなさいよ、か。
この記事にも書いてるね」
「僕はどうしても無責任な集団とは
一定の距離を置いてしまうんだ」
「どこにでも正しい、って押しかけるからね」
「まさにその正しさから生まれたものが
さっきのような統一の目的を作ってしまう」
「完全の裏には不完全さの拒絶がある、と」
「自分の愚かさや不完全さを知らない人ほど、
偽善的になりがちだからね。
自分自身と折り合いがついてないのに
他人と折り合うわけない」
「それを自覚してない人を、君は批判してるんだ」
「そう。そういうお前は何様だ、と
不完全な人が他人に完全を説くなんて、ナンセンスだよ」
「近江商人が三方良しを説いたのは
こういった背景があるからかもね」
「商売と思想は重なる部分があるからね」
☞☞
「あー、なんだか完全って言葉が
分からなくなってきた」
「完璧な花なんて言葉、ないからな。
それと同じことだ」
「美しい花がある。花の美しさというものはない・・か」
「その小林秀雄の言葉は、世阿弥の言葉でもある。
まっ、形式として外に出せる性質じゃないんだよ」
「なんかスッキリしたら、お腹空いてきた」
「よし、その欲求には従うとするか」
2015/07/14
雑記と祓いの儀式
この日は仕事で天神入りでした。
(地元はあまり需要がないんですよね)
約3時間、お疲れさまでした(^-^)
意義ある雑談でしたね(笑)
帰り道、天神にある水鏡天満宮へ。
学問の神さま、菅原道真を祀ってます。
ここは凛とした空気を感じるので、
大宰府より行ってます。
人も少ないのです。
笑顔の牛さん。なんか癒されます。
ちょうどこの日は追い山ならし。
※予行練習のようなものです
天気が悪かったのですが、
たくさんの観光客でにぎわってました。
今年は雨っぽいですね
この日は一件で終了なので、
もう少し見ていようかと思いきや、小雨がパラパラと。
よし、デパ地下に潜るか。
☞☞
晩酌のアテを買おうと思ったら、
僕の好きな柿安のホタテクリームコロッケが売り切れ(゜゜)ガーン
隣の奥さんも同じものを買おうとしてたみたい。
「もう売り切れちゃったの~」と残念顔。
「あれ、美味しいわよね~」と話かけられ、
二人で談話。主婦か(笑)
しかなたく、チーズコロッケを購入。
奥さんは肉じゃがコロッケを。
チーズコロッケも美味かったです。
安いのに高くおりてぃー☆
カット野菜はイオンで。
あと鰻巻き。
ちょっと物足りなかったけど、いっか。
☞☞
食後、なんか書きたくなったので
ビール飲みながらお絵かき。
書いたら筆を握りたくなったので
クロッキー帳にえいや、と(笑)
なんか、スッキリしました。
色々と溜まってたんでしょうね。
アルコールに身を委ね、思うがままを出す。
僕流の祓いの儀式です。
酔ってるので作品はご愛嬌で、と(笑)
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