2016/11/29

フランチャイザーもジーも使えるお金の話




今日は久しぶりに仕事について(゜-゜)
今月から受付を開始した助成金、
小規模事業者持続化補助金のご紹介です。








この助成金は経営計画に基づいて実施する
販路開拓等の取り組みに対して3分の2(66%)の
補助が出るというもの、



対象である小規模事業者とは、卸売小売業、
サービス業では従業員5名以下、その他の業種だと
従業員20名以下の会社、個人事業主さん。



つまり当事務所が支援している
「中小(個人)企業」さんは(ほぼ)助成対象になります。
また、これは本部(ザー)だけでなく加盟店(ジー)も
小規模事業者持続化補助金の対象となりますので
結構使いやすい助成金ではないでしょうか。



広告宣伝や外注委託費、店舗改装費も
該当しますし、うちみたいな専門家への謝礼も
含まれます。ただ汎用性の高い備品購入は
対象ではありませんので、「助成金でパソコン買ったろ!」はNGです(笑)



上限は50万ということで(順番が逆ですが)
75万円分の活動をすれば全額出る計算ですね。
「計画書の提出がメンドクサイ・・」と言う人も
いますが、時給換算したら結構な価格になりますよ~。



ツール販売では代行もやってますので、
気になる方はこちらまでお問い合わせください(^^♪




¥¥¥¥¥



このブログを見られている方の中に
当事務所のDMが届いている方がどれだけ
いるか分かりませんが、


DMの中にはこういったものを始め、
ここには書けないたくさんの「メリット」が
詰まってますので捨てずに開封してくださいね(笑)



賢く低コストに!
使えるものはどんどん使って行きましょう(^^)/




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2016/11/28

玉の輿的なFC加盟は危険なのだよ




よくFC加盟は結婚と例えられますが
実によく似ているもんだなあ、と思う
unreveの坂口です(゜゜)




高収入の男性と結婚するのを「玉の輿」と
言いますが、この考え方が今でも根強く
残っているのは、これが世の女性にとって
一番てっとり早い成功の手段だからでしょう。



身もふたもない言い方ですが男性の持つ
金銭的、社会的なステイタスを共有する、と。
最近は逆玉も増えてますが、まあ内容は同じですな。



もちろん、それでうまくいく方はたくさん
いらっしゃるのですが、FC加盟において
こういった方法は「悪手」の一つだと言えます。



FC加盟において知名度や規模、資本が
弱すぎれば当然失敗の道ではありますが、
逆にそれが「ありすぎる」のも、失敗の原因となるんです。



過ぎたるは猶。。。。。
今日はそんな小噺でも。





有名で規模が大きいから加盟するんだ」とか
それがフランチャイズ加盟の条件でしょ」とか
言ってる方もいるでしょうが、そういった人は
外面的なものだけを見て「内情」というものを知ろうとしません。
前回も話したように「ドンピシャ」ではなく
「スゴイ」で決めてしまいます。




最近だってこういった話が話題に
上がってますよね
大小差はあれ、こういった問題はどこでも一緒、
前提と志向性がすれ違っているのです。




積極的に拡大しているところは
前提として「世界(人生)を思い通りにしたい」願望を
非常に強く持っています。



つまり規模や資本を増やすことは
それだけコントロールできたという成功、達成の証ということ。



だから今ある資源で利益を生み出す
「内部」構築ではなく、さらに飛躍させようと
「外部」投資、つまり拡大を志向するんですね。



前者がより安定した環境を求める反面、
後者はより派手で大きな世界へと目が向くのです。



内(家庭)を放ったらかしにして、外(世界)へ出る。



ね、玉の輿結婚と似てるでしょ。
この志向性の違いは練成講座のテストにでますよ(笑)




☞☞



で、そんな所はうまく行ってる間はいいんですが、
いざこざがあった時はハンドルを握っている方が強いんです。



何かあったら「誰のおかげで飯食ってんだ」となる。
規模が大きい本部も非常に上から目線になり、
加盟店の苦しみの声を聴かなくなっていきます。




加盟店は最初のうちは我慢するでしょう。
儲かってるのは事実だし逆らえない、と。
ただ売り上げが下がって、赤字が続くと
「詐欺だ!訴訟だ!」ってなるんですね。



この時点で本部と対話する気持ちなんて
全くありませんから、ドロドロの「離婚」となる。



本部側も相手の心を理解しようとする
人間的な態度が欠如してますんで
「だったら徹底的にやってやろうじゃねーか」と。



これは相手が悪いのもありますが、
「玉の輿」に乗るリスクを知らなかったわけです。







大手で有名な本部の大半は加盟店のために
熱心に拡大したり知名度を上げたりしているのでは
ありません。ただ自我中心な身勝手さの結果なのです。




加盟する際はこの「志向性の違い」を
知っておきましょう。少しは役に立つと思います。





意外と難しい現状維持





誰が言ったか忘れましたが、
ある程度の年齢になると現状維持のために
毎日トレーニングしないといけないと言ってました。




なるほど、現状をキープしている人は
水面下で様々な負荷をかけているんでしょうな(゜゜)




そういったことは他にもありそう・・・
てなわけで、今日の小噺でも。








10年前に成功したノウハウを今使っている人が
どれくらいいるか知りませんが、商売の世界は
それが通用するほど甘くないし、優しいものではないでしょう。



短期間で高収入を得た人はゴロゴロいるけど
一定の収入を長年キープしている人はごく僅か。
打ち上げ花火のように終わったものはたくさんあります。



反面、長年続いている店や人を見れば
昔のものにしがみついている人はいませんね。
独自で考え、日々トライ&エラーを繰り返しています。
(定番との違いはまた次の機会にでも)



毎回同じことの繰り返しですが、
必要なのはハウツー(形式知)ではなく
「それ自体」を生み出す能力(暗黙知)ということ。



これからのオートメーション化やグローバル化、
それに伴うアウトソーシング化の時代においては
誰かが教えてくれるハウツーではなく、自らが
創造性を発揮することが重要なのは間違いありません。



よって組織も「流動性」の構築、
自己組織化の道は避けて通れないでしょう。
自己組織化を導入したい方はこちら




☞☞



冒頭でも書いているように我々は
年を重ねるにつれ、考え方が固くなっていきます。



ぶっちゃげ新しい価値観を受け入れ、
自分を変える行為は「疲れる」んですね。
その結果、次第に活力は枯れていくわけです。



なるほど、アインシュタインも゙゙一つのことに
熱中するのは良いが、それはしがみつく
ものではない゙゙みたいなことを言ってますね。



長い間一つのものに集中してもいい。
それが美しいものであったならば当然そうなるだろう。



しかし情熱が「ある対象」にとらわれると
「その中で生きる」ようになってしまう、
だからそれが論理的に否定されたのなら、
その瞬間別のアイデアに挑戦すべきだ、と。




皮肉にもアインシュタイン自身も
自分の生み出した相対性理論の外に
踏み出すことができませんでしたね。
あれほどの天才でも、晩年はそうなったんです。





僕みたいな凡人だったら猶更でしょうな(゜゜;)




「僕が一番日本流に詳しい人間だ」とか
「俺以上に日本流を理解している人はない」など
このブログで言い出したら、もう終わりってことです(笑)







そういった背景から、unreveでは
永遠の問いを持ちましょうと言ってますし、
あらゆる悩みや葛藤は必要な負荷であると思ってます。




日々順調で悩みが一切ないというのは
一見最高のようですが、長い目で見ればよろしくない。




例えば宇宙飛行士の人は無重力空間でも
筋トレをします。なぜ無重力空間で鍛えるかと言うと
宇宙にいると数週間で3割近く筋肉量が減少するからなんですね。 



トレーニングをし続けないと地球に帰ってきた時
歩けなくなる。寝たきりの人もそうですが、
筋力というのは衰えるスピードが非常に速いのです。




脳の神経細胞だって増え続けたあとは
死滅するだけと言われてましたが、
最近では後天的に増やすことができることがわかってます。



その方法は色々あるんですが
「よく噛み」「よく歩く」こと、そして新しい
出会い(交流)や、新しい景色(旅行)なんです。




こういった変化や、負荷が日々あることで
我々は健全な状態を維持することができるのでしょう。








仕事が順調、私生活も順調、
気の合う仲間がいて、楽しく毎日生きてます!
っていうのはもちろん「ステキやん!」ですが、



天邪鬼な僕はそれが続くと
どーも苦痛になってきて、逃げ出してしまう(笑)
酸っぱいブドウじゃなくて、ほんとに酸っぱい。




それよりも頭を悩ませる問題が
一つ二つあったり、訳の分からん奴らと
ある程度縺れ、批判し合いながらの状態が
真っ当なんじゃないかな、と思うんです(゜-゜)な




あと、適度な刺激ね←






2016/11/26

雑記とか。






坂口です。
寒い週末ですが、いかがおすごしでしょうか。




ちなみに僕はほろ酔い気分でこれ書いてます(笑)
いや~、おでんが美味い季節になりましたなぁ。



最後に出汁に柚子胡椒をちょいと入れて
ご飯にかけて食べると震えるほどうまいです(´ `*)








さて、パソコンに向かったものの
何を書こうかいな。





(゜゜)





(゜゜)雑記でも書くか。





☞☞☞





昨今は学力が低下しただの
言われてますが、個人的には
賢い子供が増えてきたように思えますね。



賢いとは勉強ができるという意味ではなく、
直感的に大事なものを見分けられる能力、
今で言えば地頭が優秀な子が増えたってことです。



そんな子供たちは学校(偏差値)から
見ればあまり良くは映らないでしょう、
教えられたことの中で不要なものは
すぐに忘れて(捨てて)しまうんですからね。
そりゃテストは期待できませんわな



ただ、それは彼らが自らの内部意識を
防衛しているのであって、決して無気力では
ないし、能力が低いわけでもない。



逆に「これだ」と思ったものに興味を持てば
とんでもなく難解なものを理解しようと努力します。



なるほど。
おかしな大人の都合に毛ほどの
興味も示さないのも、彼らが知りたいのが
ホンモノであり、オリジナルだからでしょう。




オリジナルやホンモノは教えられない。
だからこそ、自ら掴まないといけないんですが、
傍から見れば、それは言う事を聞かない子に移るんでしょうな。



ちなみにこれ、うちの甥っ子ですわ(笑)
すいませんね、叔父バカで(*´ω`)



写真載せられないんでリラックマで



面白いもんでそんな子ほど
家でも親の言う事を聞きませんね。



宿題しなかったり、
ご飯を食べなかったり。



でもね、それって悪い事なのかしらん。



今は1日3食しっかり食べないとダメだと
知らぬ間に1日3食の大前提で考えてますが
そんな風になったのは、ここ数百年のこと。



読者さんの中に空腹ではなくても
「何か食べなくてはならない」と
脅迫観念にかられ食べてる人、いませんか?



実はこれ、体の本音に反した行為で
逆に体を弱らせているんですね。



本来、空腹時にこそ我々の免疫力は
向上するんです。つまり空腹を感じているときは
免疫力の強い体を作ってるよ~って言うサインなんですね。



免疫活動が活発になると体内の
自浄作用が修復され、病気になりにくくなります。



昔の人はそれが経験則で分かってた。
だから腹八分で医者いらず、腹六分で老いを忘れると
言ってたんじゃないかしらん。



🍚🍚🍚



昔の人の時間の概念は昼がなかったので
1日2食だったようです。これが外食文化が
発展してきた元禄あたりから1日3食になったと言われています。



つまり健康とは全く関係ないんです。



一見、体に良い食事をたくさん食べると
栄養学的な観点から強い体になると思いがちですが、
満腹の常態化は病気の道、良い事ひとつもありません。



ただでさえ添加物や農薬漬けになった毒素を
食べてるんですから猶更ですよね。



体調が悪い時だって「栄養を取るため」と
食欲も無いのに食べよう、食べさせようとしますが
あれ、逆効果なんですわ。







と、話が変わっちゃったんですが、
そういったすり込みを上記の子供たちは
見抜いているような気がしますね(゜-゜)



それは外からの情報や知識ではない。
ただ、内部からの声に従った結果、
今の規則や常識に合ってないだけでしょう。



そんなものに捉われず育っていけば
きっと素晴らしい大人になる気がします。
尾崎さんの歌じゃないけど、呪縛から
解放することができるのは自分だけだと思いますからね。




あら、ちらっと書くつもりが
結構な長さになりましたな(笑)
では皆さん、良い週末を。






2016/11/25

高級な暴力













何をしていいかわらかない状態で、
何かをしなければいけない。



現代はそんな無言の圧力がある。
ペルソナ(仮面)を取って素顔を見せろ、
裸になってみろ、と。



そんなことを夢中で叫んでこそいるが、
本来の自分ってやつは大声で訴えないと
分からないものではないだろう。



なるほど、それだけ今の社会は
そうしないといけない、一種の焦りがある。
「幸せにならなければいけない」という
自己脅迫からくる不幸さと似たようなものだ。



おずおずと叫んでいるのがだんだん
興が乗りだし、しまいには傍若無人に叫び出す。
自意識を制御できないとそうなってしまう。
鞍上人なく鞍下馬なしである。



彼らは間違えやすいから間違うのではない。
多分に、間違えたいから間違うのだ。



そんな高級な暴力は青い鳥ならぬ
青いコミュニティに引き籠りその小さな
真実性を守ろうとするが、そんなもの
常に閉じられた自閉的な自由であるのは言うまでもない。




その自由には棲みつく家がなく取りつく島もない。
さらにその自由の観念を保証してくれるものは
自由の観念しかない、という自覚からの不安によって、
その閉じられたコミュニティが懐疑・批判主義の
温床になるのは、ある意味当然である。








何をしていいか、わらかない状態で、
何かをしなければいけない。




分からなければ、何もしなくていい。
こっちの方が、よほど健全だ。





※今回は2014年の記事を編集し、再アップしたものです。




2016/11/24

「スゴイ」ではなく「ドンピシャ」~身の丈に合わせたFC構築のすゝめ~




フランチャイズを構築する際、自社に
分相応なシステムや精密なカリキュラムを
組み込もうと考える方が非常に多いのですが、
自社に最適かどうか答え合わせをしないと
必ず同じ間違えを繰り返します。




権威がある、有名である、規模が大きいと
いう理由から依頼する人が多いのですが
だいたい失敗していますね。



もちろん、そういったところが
間違っているというのではなく、
自社とのマッチングが大事ということ。




簡単に言えば
望んでいることと合っているか?
それに尽きます。




食事で例えるなら、
サラリーマンがランチに行く場合、
銀座の高級寿司屋に行く人はあまりいませんよね。



周辺には高級レストランから
ファーストフードまでたくさんの
飲食店がありますが、時と場合によって
当然、求めるものが変わってきます。



お昼休みが1時間しかなくて、
財布の中に2千円しかない人が
3千円の高級ランチを食べることはないでしょう。



逆に「当店は時間をかけたサービスを
心がける高級レストランです!」とアピールしても
メリットにはならないのです。



悪いんじゃなくて「望んでない」




しかし、冒頭の発想の人はそういったことを
ついやってしまうんですね。
そのベース(前提)となるのが投資回収という
「思い込み」です。




(これも間違いではないけれど)
数年前の投下資本利益(ROI)と違い、
今は先が見えないどころの時代ではありません。
ある大手コンビニは首都圏だけで月100回以上
説明会をやってますが、全く集まってないと聞きます。



資本がある大手でもそんな感じなのに
アーリーステージの段階でその真似をしたら
あっという間にパンクしてしまいます。
(必ずそうではありませんが)




つまり自社の「現状」を無理なく
満たすのが「最適」ということ。
「スゴイ」ではなく、「ドンピシャ」です。





頭痛の人が正露丸飲んで
この薬は全く効かないと言っちゃダメ。
飲むのはバファリンですよ。







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意思あたま





「デカンショ節」で有名なショーペンハウエルの
代表作に「意志と表象としての世界」があります。
(デカンショはデカルト・カント・ショーペンハウエルね)



端的に言えば、世界は自己の表象であって、
どんな客観性であっても、主観による制約を
受けているということ



そしてこの世界を動かしているのは
まさにその「意志」あると、結論しているんですな(゜゜)



時間の流れや宇宙の原理もそうで、
男が女を求め、僕が祭りを求めるのもそう(笑)



つまり自分の利害、所属する組織の利害、
国の利害・・・・という、カテゴライズされた
個体意思の原因とは実は世界の意思に包括されている、と



ちょっとメンドイ書き方ですね。
まあ、興味がある方は見てみてはいかがでしょうか←逃げた



てなわけで、今日は「意思」についての小噺でも。。






さて、西洋はその民族的本質において
「意志の思想」を持っていると岡潔は言います。



それは単純に言えば力の思想です。
以前のチェコに対するソビエトの姿勢しかり、
今なら北朝鮮、中国もそうでしょう。



孔子や老子といった歴史上最高の偉人が
昇華させた叡智(文化)を簡単に捨て去り、
共産主義と資本主義という、西洋の
場当たり的な物質主義を取り入れてしまったわけです。




だからあんなお粗末な国になった、と。
まあ、この国も人の事言えませんがね。




☞☞☞



西洋の技術や文明は一見高度な
感じに見えますが、それは単に
「力の思想」を虚飾して誤魔化してるだけのこと。



実際は「損か徳か」「敵か味方か」という
白黒主義、つまり機械的判断に過ぎないんですね。



当然そうなれば意味や内容を深く
掘り下げるのではなく、とにかく処理速度を
追求しようという効率的な考えが強く働きます。



結果(僕の嫌いな)衝動的判断になってしまい
さらにその衝動を「正当化」させようとします。



例えばあちらさんは動物愛護団体が多いけど
それはヒューマニズム(人間至上主義)から
派生したものです。



長年の肉食文化ですから食うための肉
(牛豚鳥など)は愛護してませんよね。
でもそれ以外の動物だと「殺したらいかん」ってなる。



つまり「動物は殺すな」と言ってるけど
自分の中にある「肉食」の大前提を外したくない。




彼らはそんな前提を棚に上げて、
得て勝手なことばっかりやってるんです。




そもそもこの命題は現状、人知では解けません。
そんなに簡単に言い切れるもんじゃないんです。



今は止むを得ず殺生して頂いているとしか言えない。
だからこの国は慈悲を以って感謝して頂き、供養してたわけでしょう。









旧約聖書にはこうあります
「海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と。



ここでも「支配せよ」です。
西洋の意思(力)の思想は数千年前から
教義として、大げさに言えばDNAとして継承されています。



ノアの洪水だって、ソドムとゴモラだってそう。
一部の人間以外を抹殺したのは悪魔ではなく神のほうです。



まさに正義の名によって恐怖と暴力で
人類を支配しようとしていると言えます。
そういった親が増えていると聞きますが、
大半がこういった「力の思想」に染まってるんです。







まとめれば、それは以下の3つの働きだと
個人的に思ってます。



①自分以外は入っていない自意識中心の「理性」


②深く掘り下げず白黒はっきりさせる
機械的な損得判断である「合理性」、



③正義だ悪だと言い合う「正当性」





今回の新しい大統領が
そんな思想の典型例でないことを期待します。




「後記」



ちなみに以前(今もか)流行った
「ありのまま」や「嫌われる勇気」は
この思想を強化させてしまう可能性があるので
みなさんもお気を付けくださいね。







2016/11/22

逃げるは恥だが役に立つ





お金が紙じゃなくて実は鎖でできているように、
空気ってやつも人を縛るわけだ。



特に日本人はその場の雰囲気に
左右されやすいですね。





うん、
なんと言っていいかわからないけれど






仕事なんてものは単なる道具にすぎない。
かかっているものは、たかだかいち食いぶち。
個人の命に比べればたいして価値のあるものじゃない。



多分に、そのことさえ忘れなければ
正気でいられる気がします。




2016/11/21

卵は壁へぶつかりながら。。。。






作家の村上春樹氏がエルサレム賞の
授賞式で話した有名なスピーチ「壁と卵」、




自分でもよく分からないのですが、
突然ふっと出てきたので、紹介します(゜-゜)











私は今日小説家として、ここエルサレムの
地に来ています。小説家とは、“嘘”を糸に
紡いで作品にしていく人間です。 


もちろん嘘をつくのは小説家だけでは
ありません。知っての通り、政治家だって
嘘をつきます。外交官だろうと、軍人であっても、
あるいは車の販売員や大工であろうと、
それぞれの場に応じた嘘をつくものです。


しかし、小説家の嘘は他の職業と決定的に
異なる点があります。小説家の嘘が道義に
欠けるといって批判する人は誰もいません。
むしろ小説家は、紡ぎだす嘘がより大きく
巧妙であればあるほど、評論家や世間から
賞賛されるものなのです。


なぜでしょうか。 私の答えはこうです。
小説家が巧妙な嘘をつく、言いかえると、
小説家が真実を新たな場所に移しかえ、
別の光をあて、フィクションを創り出すことに
よってこそ、真実はその姿を現すのではないかと。


ほとんどの場合、真実を正確に原型のまま
把握することは実質的に不可能です。


そう考えるからこそ、私は真実を一度
フィクションの世界へと置き換え、その後
フィクションの世界から翻訳してくることによって、
隠された場所に潜む真実をおびき寄せ、
その尻尾を掴み取ろうとしているのです。


そのためには、まずはじめに私たちの中にある
真実がどこにあるのかを明らかにしなければなりません。
これは良い嘘をつくためにはとても重要なことです。 


しかしながら、今日は、私は嘘をつこうとは
思っていないのです。



私はできるだけ正直であろうと思っています。
私が嘘をつかない日は一年のうちほんの
数日しかないのですけれども。しかし、
今日はそのうちの一日です。 



そういうわけで、“本当のこと”をお話します。
このエルサレム賞は受け取らないほうが
良いのではないか、この地に来ないほうが
良いのではないか、そう助言してくる人が少なからずいました。



もしここに来れば私の本の不買運動を展開すると
警告してくる人さえいました。 もちろんその理由は、
ガザ地区で激しい戦闘があったからです。
国連のレポートによると、1,000人以上の人々が
封鎖されたガザの中で命を落としました。
その多くは、子供や老人も含む非武装市民です。


授賞式の案内が届いてからずっと、私は
自らに問いかけてきました。このタイミングで
イスラエルの地を訪れ文学賞を受賞することが
はたして適切だろうか、このような衝突下にあって、
わたしが片方を支援するという印象を
つくり出してしまうのではないか。


圧倒的な軍事力を浴びせることを選択した
国家政策を支持することになるのではないか、と。
もちろん私はそのようなことを望んでいません。
私はいかなる戦争も支持しませんし、
いかなる国の支援もおこないません。
付け加えれば、私の本が不買運動を
おこされるのを見たいとも思いませんしね。 



悩みぬいた末、しかしながら最終的に私は
この地に来ることにしたのです。決断した
理由の一つは、あまりに多くの人がこの地に
こないほうが良いと私に言ってきたからです。
他の多くの小説家と同様、私は自分に
言われることと全く反対のことをする傾向があります。


「そこに行かないほうがいい」、
「そんなことはしないほうがいい」と言われると、
ましてや警告なんてされようものなら、私は
「そこに行きたくなる」し、「それをしたくなる」のです。


これはいうなれば小説家としての私の特性です。
小説家というのは特殊な人種です。小説家は、
自分の眼で見たり、あるいは手で触れたりした
感覚無しには、何も信じることができないのです。  


これが、私がここにきた理由です。私は
欠席するよりもこの場所に来ることを選びました。
何も見ないよりも自分の眼で見ることを選びました。
そして沈黙でいるよりも話すことを選んだのです。


これは、私が政治的メッセージをこの場に
持ってきた、ということではありません。もちろん
善と悪を判断することは小説家には最も大事な
役割の一つではあります。 しかし、その判断を
どのような形で他に伝えるかということについては、
それぞれの書き手に委ねられているのです。


私自身は、それを現実を超えた物語に
変換することを好みます。今日皆さんの前に
立って政治的メッセージをお話するつもりが
ないというのは、そういう理由からです。


そのかわり、この場で極めて個人的なメッセージを
お話しすることをお許しください。これは私が
フィクションを書く間、ずっと心に留めていることです。
紙に書いて壁に貼るとか、そういったことではなく、
私の心の奥に刻み付けていることがあるのです。


それはこういうことです。 「高くて硬い壁と、
壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、
私は常に卵の側に立つ」 



そう、壁がどんな正しかろうとも、その卵が
どんな間違っていようとも、私の立ち位置は
常に卵の側にあります。何が正しくて
何が間違っているか、何かがそれを
決めなければならないとしても、それはおそらく
時間とか歴史とかいった類のものです。


どんな理由があるにせよ、もし壁の側に立って
書く作家がいたとしたら、その仕事にどんな価値が
あるというのでしょう。 この比喩の意味するところは
何でしょうか。あるケースにおいては、それはあまりにも単純明快です。



爆弾・戦車・ミサイル・白リン弾は高くて
硬い壁である。卵はこれらに撃たれ、
焼かれ、つぶされた、非戦闘市民である。
これがこの比喩の意味するところの一つです。
しかしこれが全てではありません。もっと深い意味もあるのです。



このように考えてみませんか。私たちは
皆それぞれ、多かれ少なかれ、一つの卵であると。
皆、薄くてもろい殻に覆われた、たった一つの
かけがえのない魂(たましい)である、と。



これは私にとっての“本当のこと”であり、
皆さんにとっての“本当のこと”でもあります。
そして私たちは、程度の多少はあるにせよ、
皆高くて硬い壁に直面しているのです。



この壁には名前があります。それは
システム”というのです。



“システム”は私たちを守ってくれるものですが、
しかし時にそれ自身が意思を持ち、私たちを殺し始め、
また他者を殺さしめるのです。



冷たく、効率的に、システマティックに。


私が小説を書く理由は、
たった一つしかありません。それは個が持つ
魂の尊厳を表に引き上げ、そこに光を当てることです。
小説における物語の目的は警鐘を鳴らすことにあります。


糸が私たちの魂を絡めとり、おとしめることを
防ぐために、“システム”に対しては常に光が
あたるようにしつづけなくてはならないのです。
小説家の仕事は、物語を書くことによって、
一人ひとりがそれぞれに持つ魂の特性を
明らかにしようとすることに他ならないと、私は信じています。



そのために、生と死の物語、愛の物語、
あるいは多くの人が泣いたり、恐れおののいたり、
笑い転げたりする物語を紡いできたのです。
これが私が、来る日も来る日も、徹底的な深刻さで
大真面目にフィクションを紡いでいる理由なのです。 



私の父は昨年90歳で亡くなりました。
父は教師を引退し、たまにパートタイムの
お坊さんとして働いていました。父は学生だった時に、
陸軍に招集され中国の戦場に送られました。
戦後生まれの私は、毎朝朝食の前に、我が家の
仏壇の前で父が長く深い祈りをささげているのを
見ていました。あるとき私は父に、なぜそんなことを
するのかと尋ねました。父は私に、あの戦争で
亡くなった人のためにお祈りをしているのだと教えてくれました。 



父は、敵も味方も関係ない、亡くなった全ての
人のために祈っているのだ、と言いました。
仏壇の前で正座している父の背中をじっと
見つめるうちに、私は父の周りを漂っている
“死の影”を感じた気がしたのです。 
父が亡くなると同時に、私が決して伺い知ることの
できなかった父の記憶も失われてしまいました。
しかし、私の記憶の中にある、父の陰に潜む
“死の存在”は、今なおそこにあるのです。



これは、私が父から引き継いだ、ほんの小さな、
しかし最も重要なことの一つです。私が今日、
皆さんに伝えたいと思っていることは、
たった一つだけです。私たちは皆、国家や民族や
宗教を越えた、独立した人間という存在なのです。
私たちは、“システム”と呼ばれる、高くて硬い壁に
直面している壊れやすい卵です。



誰がどう見ても、私たちが勝てる希望はありません。
壁はあまりに高くあまりに強く、そしてあまりにも冷たい。
しかしもし私たちが少しでも勝てる希望があるとすれば、
それは皆が(自分も他人もが)持つ魂が、
かけがえのない、とり替えることができないもので
あると信じ、そしてその魂を一つにあわせたときの
暖かさによってもたらされるものであると信じています。 


少し考えてみましょう。私たちは皆それぞれが、
生きた魂を実体として持っているのです。
“システム”はそれをこれっぽっちも持ってはいません。
だから、“システム”が私たちを利用することを
決して許してはならない、


“システム”に意思を委ねてはならないのです。



“システム”が私たちを創ったのではない、
私たちが“システム”を創り出したのですから。 



~転記ここまで~





今まで「デタッチメント(関わらないこと)」が
村上氏の小説の根幹であり、それは
「あいだ」の位置だと思ってたんですが、
このスピーチでは弱き者の立場に寄り添い語ってますね。



ただ、彼は弱き者が正しいとは思ってない。
思ってないけど味方になるということはすなわち
人間の本質的な「弱さ」を守る、ということでしょう。




強い人間なんてどこにも居やしない。
あらゆる人間はみな、弱い。



強がる人間がいるだけなのだ。





遅ればせながら。。。。





今年のボジョレーを頂きました(゜-゜)








アテはいろんなホルモンを炒めたやつと
ベタな生ハムとチーズ、そして酒盗(カツオの塩辛)。







ワインは初めてドンキで買ってきました(笑)
結構、美味しかったですよ~。













つまらん自己愛(プライド)




自己嫌悪とは自分の一種の甘え方だ。
もっとも逆説的な自己陶酔の形式だ。 
(人生の鍛錬より)




自己嫌悪なんてものは自分ってやつを
高く見積もり過ぎているだけでしょう。



自分のことが好きすぎるけど
現実は成果が伴っていない、
故に拠り所となる自信がどこにもない。




そんなものプライドの裏返しじゃないかと
小林は言ってるんですね。









自分に厳しいって言ってるひとも大半が
自己評価が低いんじゃなくて、「高すぎる」人。




だからちょっとしたミスや間違いを
いつまでもずー・・・・と覚えているわけだ。
実際は自分に甘ちゃんなナルシストです。




もちろん、ことあるたびに
「こんなわたしはもう嫌!」と自己嫌悪してるうちは、
矛盾に満ちた現実を見なくて済むでしょう。




ただ、現実はそんなに甘くない。
僕はそう思いますね。








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坂口




2016/11/20

意見なんてない。





内容がちっとも入ってこなかった本を
しばらくして開くと、ふっと腑に落ちることがあります(゜-゜)




以前は読むのが苦痛でつい飛ばしてしまった。
しかし読み直せばなんとその部分こそ一番肝要な部分だったんだ、と。



なるほど、作者が心血を注いで書いたものほど
読むべきタイミングがあるんでしょう。



そのあいだ、文句も言わずひたすら彼らは待っている。



そんな奥ゆかしい本との出会いは
最近とても少なくなってる気がしますね。






これは分かりにくいものや複雑なものが
良いと言うわけではなく、真の独創に触れると
一種の「混乱」や「拒絶」があるということ。



なるほど、彼の(彼女の)思想は既存の
枠組みから打ち立てられたものではなく、
誰かに押し付けようという意図もない、



さらに言えば正しいという自負さえない、
つまり彼らは意見はなく、確信だけがあったわけだ。




最近、独自や個性を「先に」打ち出そうと
言う人が増えましたが、独創や個性というのは
努力して掴めるものなのかと言えば、僕は疑問です。



多分にどれだけ非難されても自己に
忠実であった結果、そういった仕事をしただけではないか。




覚えた知識が複雑な世界でまったく
通用しないことを痛感し、直接世界に
ぶつかっていくことを彼らは決めたのです。
そこで得た独力独創だからこそ、
真似できないものになっているのでしょう。



故に心理学や倫理道徳で説明もできないし、
何かを分かったような空想的な気分では
決して作られるようなものではない、



なぜならそれは雪の様に重なり
積もることでしか得られないものだから。




逆を言えばその直接的な経験がない人に
確信が生まれることはありません。




☞☞



人はそんな確信によって動きます。
誰かを説得しよう、分からせようと常に
思考を巡らせているだけの人のいう事など、誰も聞いちゃくれません。




逆にそんなものをアタマの片隅にも置かず
ひたすら自己に忠実になることで現れる
「わたし」に、人は心動かさせるのです。




自分を表そうと思って表れるものは偽物です。
だから主張するものが傷つけられると狂ったように
人を傷つけるでしょう。



それは自然な力である淘汰作用に任せれば
自然と消滅する運命であるはず、ここだけは
僕は確信していますね。







反省と後悔、迎合と調和は似てて異なるもの、
自虐的になる必要は少しもありません。



あなたを本当にわかってくれるときは、
あなたが自己に忠実に生きているときです。



あなたが無私の自己を中心に生きているそのとき、
あなたは現れるんです。




魚楽しければ、人又楽し。人楽しければ、魚又楽し





坂口です、週末ですがみなさん
いかがお過ごしでしょうか。




思えば今月も半分が過ぎましたね。
秋も深まりきり、そろそろ冬の到来です(゜-゜)




  





さて今回、田川にある魚楽園が紅葉の
ライトアップをするということで、行ってきました。



こちらはかの雪舟が戦乱から逃れてきた際、
平和の願いを込めて築庭したものなんですよ~。




ライトアップ期間は一週間なのでお見逃しなく




中国で学んだ山水の技術を生かして
作ったという景観は、まるで一枚の絵のよう・・・



個人的にイルミネーションよりも
こういった場所に惹かれてしまいますね(゜-゜)







中に入るとライトアップされた紅葉たちが。



いや~、非常に美しいことで(´▽`*)








水面に綺麗に映ってますね、
これ見るといつも京都を思い出します。










聞けば、このライトアップは照明デザイナーの
松下美紀氏が監修しているとか(゜゜)





だからでしょうか、人が歩く場所は真っ暗。



主役はあくまで紅葉・・・・プロって感じですね。






照明の中に入ってみた(笑)





てなわけで、一番の絶景箇所のある
奥の屋敷の方へ。







中ではちょうど演奏が行われてました。




そしてさらに奥にあるのが・・・・



絶景ポイント!




スマホでは全体が映らないのですが、
こんな感じです。






こんなところに住んだら、
毎日どんな気分になるんでしょうね。。。。。











まさに侘び寂、情緒。
見飽きないというのは不思議なもんです。





運よく一番前に座れたので
抹茶を頼んでみました(笑)




この写真、なんか気に入った(笑)



二口で。。。








いやー、素晴らしかったです(´艸`*)
燃えるような一面紅葉の東福寺や
コントラストの綺麗な九年庵も良いですけど
魚楽園のような静かで力強い場所はなかなかありませんね。




蛍のように短い紅葉の時期ですが、
今年はゆっくり楽しめました。








「お・ま・け」







ちなみに帰りにふらっと立ち寄った
定食屋が。。。。












ものすごく美味かったす(´艸`*)






小鉢で煮物出す定食屋は間違いないという
僕の「煮物の法則」は正しいんじゃないかしらん。







2016/11/19

考えるべき時代が来ている






この間放送されたNHKの番組が
業界で注目を集めているようですね(゜゜)



クローズアップ現代、
「好調」コンビニに“異変”あり」です。




 





なるほど、見れば実にリアルな話をしてますね。
今回は一部(コンビニとか教室系)だけだったんですが、
他にも放送できないようなことをやってる本部は無数にあります。




「有名だから」、「儲かると書いてるから」
という理由で安易に加盟する人が非常に多い。
今後、既存チェーンの実態がもっと広まることを期待していますね。




もちろん全てのチェーンを批判しているのではなく、
「煽り」はやめて土台を作りましょう、ということ。
西洋式の前提を見直す時期なのです。




100店舗作りたい。いや、1000店舗作りたい。
上場したい、売り上げ○○にしたい・・・など
本部の自己都合的な目標を達成するため「だけ」に
加盟店が必要だなんて、バカげた話です。




それは直営でやるもんです。
他人のふんどしでやっていれば、
いつか必ず、しっぺ返しがきます。





☞☞




ロイヤルホスト、24時間営業廃止へ 定休日も導入検討



ファミリーレストラン「ロイヤルホスト」を
運営するロイヤルホールディングス(HD、福岡市)は、
来年1月までに24時間営業をやめることを決めた。


早朝や深夜の営業短縮も進めており、
定休日も「考えるべき時代が来ている」
(黒須康宏社長)として導入を検討していく方針。



定休日は百貨店業界で復活が相次いでいるが、外食業界ではめずらしい。


~朝日新聞より~




現在の外食業界は人手不足により
深夜営業を減らしているところが増えてます。
多分に、ライフスタイルの変化もあるでしょう。
深夜運営しても売上高とコストが見合わなくなってきている、と。




ただ、それはあくまでも「損得」です。
黒須氏の言う「考え」が「真っ当な考え」であってほしいですね。




てなわけで今回は時事的な話題からでした。
これからチェーン店を目指している方は
FCの在り方から問い、派生させてみてはいかがでしょうか。





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2016/11/18

自然派生、自己中心の「真心」について②





前回に続き、二回目(゜-゜)
引き続き、見えない世界に触れて見ましょう。





「見えるか」 「見えません」
「見えるか」 「見えません」
「見え・・・」  「・・・ませ・・」






てなわけで宣長さんは今の現実は
ただの結果であって、その背景や根拠は
知ることができないと断言しました。




垂加神道や因果応報を批判したのも
朱子学や仏教の宗教批判じゃなくて
そんな人の智恵(↑)で世界を意味づけたり
秩序立てたり、説明したりすること自体を批判しているんですな。




平田篤胤はここを間違ったから、神仏習合を
断ち切って排他的な国粋主義(国家神道)になり
宗教弾圧が起きたわけです。




じゃあ、なぜそんなことを
やってしまうかっていうのが
何度も出てくる「漢意(かなごころ)」です。



我々は自意識がある限り、過去と未来と
現在を生きますから、必然的に
「お先真っ暗」の状態を恐れます。




つまり永遠のif、
「もし○○になったらどうしよう」です。
だから理性(漢意)で構造化、予測することで
結果を前もって獲得しようとするんですね。



科学の数式、宗教で言う厳しい修行、
コンサルのノウハウや自己啓発団体の
「自己イメージを変えましょう」もそうでしょう。



もちろん、心を無視して正しさの方に
無理矢理合わせれば、エレガントな「構造」にはなります。



そりゃそうです、矛盾がありませんからね。
人はそのスッキリした「明確さ」に惹かれるんです。



しかしそれは広大な経験世界から
合理的ないち結果だけを選んでるだけに過ぎない。



世界に詳しくなっているのではなく、
世界に細かくなってるんです。



さらに言えば、それを知ることで
「他人より優位」に立ちたいと言う
心性もあるでしょう。



人に教えを説いたり説教したい人が
これだけ溢れてるのも、それが自意識にとって
非常に快感がある。だからやみつきになっているんですね。



その根底にあるのが自意識の大好物である
支配欲や権力欲と言った優越感。
故に、それをやればやるほど、漢意に染まっていきます。




昔は愚かな男の条件だったんですが、
今は女性も増えましたね(゜゜)←敵作った



☞☞




宣長は古事記を解読することで、
神々の心の在り方はすでに与えられていると確信しました。



「人はみな産巣日神の御霊によりて生まれつるまにまに
身にあるべきかぎりの行はおのづから知りてよく為る物」。




それが生まれつき与えられた大和心「真心」、
僕はここに答え(らしきもの)があると思ってます。



ありのままの真心とは神の模倣、
故に修正不要であって、その素地の純粋性さえ保てば
あとは勝手に成熟していくってことです。



☞☞☞



ただ、それは今の時代では
めっちゃ難しいんですね。
僕を含め、やってる人を見たことがない。


人目が気になるし、
直感が来ても合理損得で動いてしまう。



「これやるとみっともないよな。。。。」と。
世間体を気にするから、乱れる心をつい
抑制し、勝手に納得させてしまいます。



逆もまた然り、「素直な欲望」と思ってたら
実は「世間に刷り込まされたもの」だったり。



常識を疑わないと、そうなっちゃいます。
それは即ち、自分を疑う事でもあるんです。




実はそんなに好きじゃない、
実はそんなに嫌いじゃない、
実は努力したり、我慢したい。
実は特に夢もなく、何も欲しくない。




そんな「実は」ってやつが実体じゃないですかね。




「後記」




「真心」はそうした我々の本性を
素直に反応し、動くさま。故に
「無私」と繋がると個人的にそう思ってます。



とは言え(笑)「真心」を断言できるほど、
僕は信じることが出来ないのもありますね。
まだふわふわしている。だから「答えらしきもの」です。



例えば宣長の言う理性の秩序の否定も
見方を変えれば「より精密な秩序が存在している」
ということの信仰かもしれませんよね。



無私ってやつの「無」の定義もそう。
ないかもしれないけど、あるかもしれない。
それは分からないけど、分かるという可能性を
否定する気はありません。



まあ、これも僕の理性ですけどね(笑)
やっぱ、ここは難しいな~。






2016/11/17

自然派生、自己中心の「真心」について①




今日は古事記について。
さっきまで神勅について書いてたから
宣長モードになっちゃいましたんでね(笑)





まあ、お暇な方だけごらんください(゜゜)














さて、儒教から派生した垂加神道では、
形而上的な力である「理」を神としてます。



それが陰と陽の二気に分かれることで
世界は作られてる、と。ご存じ陰陽二元論ですね。




日本書紀の神である国常立尊も
彼らからすれば「理」であって、それ以外は
陰陽五行によって生まれていると言うんですが、
宣長さんはそれを否定しているんですな(゜゜)






「いや、それお前らの都合だから」





人間には存在論的な意味や
根拠を知ることはできない。




これが宣長さんの出発点である
奇異(くすあやし)き、神の御所為(みしわざ)ってやつです。
ファイマンさんも同じことを言ってますね。




これを「ありのままに受け入れる道を選ぶ」のが
古来の惟神(かむながら)の道です。



主体的に」神に任せ、
「受動的」な状態で「真心」に生きる。



この矛盾を統合した在り方が
「自ら」と「自ずから」である自己中心、
それは七つの習慣のような科学の側に
無意識に立っている自分を再認識し、
世界が限りなく不可思議な世界であると諦め(明らめ)ることです。





  過去動画「自己と主体」




てなわけで、
宣長さんは僕ら人間が知ることができるのは
具体的な事実、そして実物(結果)だけであって、
その背後の意味や根拠は神の領域だとしたんですね。




「なぜ」かは分からない、解るわけがない。
分からないけど、幸福を志向しているのは
間違いないと、確信したのでしょう。






長くなったので、続きます(゜゜)






アイハブあ・・・






アイハブ ア ペーン








アイハブ アン アポー











んっ(^^♪











。。。。(;´・ω・)ん?









んん・・・・
















(# ゚Д゚) ん゛っ













おーう



















Apple Pay






7を買おうか、考え中(´-`).。oO



2016/11/16

とある…




とある場所で



とあるものを食し





とある場所で一服し





とある場所に戻り
とある近くの寿司屋で







文章がおかしいのを気にもせず





寿司食う。








大衆は「アメ」と「テキ」で間違える




一般大衆はパンを求めるのだが、
そのやり方を見ると、なんとパン屋を破壊しているのである。



このオルテガの言葉を出すまでもなく、
ドストエフスキーやハンナ・アーレント、
ニーチェが同じようなことを言っているのは
昔から大衆心理というものが変わらない証拠でしょうね(゜゜)



扇動家のプロパガンダに対し、大衆は
赤子の手をひねられるように欺かれてしまう。
仮に嘘を見破ったとしても、逆にその人が
大衆から排除されてしまうんですな。



なぜならその意見は「少数」だから。
端的に言えば、そういう事でしょう。



そんな「数が多い方が正しい」という先入観は
幼い頃から刷り込まれている民主主義の原理。
生まれたときから存在してる、いわば常識です。



しかし、この常識ってやつは
自己喪失による思考停止じゃないかしらん。



今日はそんなところから。





さて、アメリカでは米大統領選で当選した
トランプ氏の抗議デモがあちこちで起きているようです。



ただ、この「反トランプ暴動」ってやつは
どうも裏があるみたいですね(゜゜)



「反トランプ暴動」 の仕掛け人は?
(※リンクフリー)




「トランプへの抗議デモ参加のアルバイト募集!」
という求人広告をネット社会で堂々と出すところが
ストレートというか、ウマシカというか。。。。



トランプが良いと言うわけではないし、
中には本当に抗議している人もいると思うけど、



こうやって「大金を使ってまで」
操作しようとしている人がいるわけだ。




ちなみに時給15ドルだって




これはどこでもそうですね。
日本、中国を始め大手メディアの伝える
「真実の情報(報道)」なんてものは
それ自体、なんの意味のないものになってます。



ピタゴラス教団よろしく、単に無理数を
悪としているだけ。一番分かりやすいのが政治報道でしょう。



全てを意図的にでっち上げ視聴者を
騙そうとするものもあれば、記事自体は
嘘ではないけど見る人々を誤った方向に
導く意図を持ってるものばかり。



特定の人には良い部分だけ共有し、
敵対する相手には悪い部分を報じる
熱狂的(狂乱的)なものが大半を占めてます。


こういった事実と嘘がハイブリッドになった
情報を見ている限り、我々は正しい判断など
できるわけがないのは言うまでもありません。



極端な話、何も信じない方が害もなく
逆に安全だったりします。



例えば、何かの情報やサイトを見て
「ああ、これであの団体の嘘がわかった」と、
真実に目覚めたような感覚になる人がいますが、



実はその味方である情報がその団体の
嘘を暴露しながら、別のものへ誘導している場合もあるんですな。



大衆を扇動しようとする人が仕掛ける罠は
端的に言えば「巧妙に信じさせること」。



「この人が騙すはずがない」と思わせるからこそ、
罠として、機能するわけです。
(分かりやすい罠は罠じゃない)



でもね、意外と見抜くのは簡単なんですよ。
特に騙そうとしている人ほど、ワンパターンです。



政治を始め、売り出そうとしている思想を
ごらんなさいな。美辞麗句によって人の欲望や野心、
不平などの「弱み」に火をつけ、扇動してるじゃないですか。




大衆扇動には「アメ」と「テキ」が必要ですからね。
後はそれを「より甘く」、「より憎く」させてるだけでしょう。




読者の皆さんは鵜呑みにしないでしょうが、
勢いが付いているものほど、気を付けましょうね。





「後記」



度々書いてますが、僕は人目を気にした
関係性やつながりというものが大嫌い。
(だから基本、snsはしない)




それが本来持っている判断力を鈍らせ、
間違った方向に向かわせてしまうような
恐れを持っています。




だからだでしょうか、僕の友人は
ちょっと変わった人が多いんですが、
その変人さが逆に安心させるんです。




少なくとも彼らは数の多さで
物事を押し付けたりはしませんからね。
やるのは食べログで店を決めるくらいです(笑)




2016/11/15

三大神勅という原点





この間行った日田なんですが、
古事記ミュージアム」というものがオープンしてました。




店員さんに聞けば、
遠方から来る人も多いのだとか(゜゜)
観光地にあるからこそ良いんでしょうね。
興味がある方は、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。




てなわけで、今回は古事記の中にある
三大神勅について書いてみることにします。








さて、教義(~しなさい)というものが存在しない
神道ですが、唯一あるのがこの「神勅」。



神道は寛容的とは言え、何でもオッケー、
他人が何しても大丈夫と無秩序を
勧めているものではないんですね。
(ここを勘違いしてゲスになる人が非常に多い)



そこには原点(理念)がきちんとある。
人の道であり、神の道。
「神道即人道」である神勅です。



天照大神の孫である
ニニギノミコトは高天原から降臨した際、
天照大神からこの神勅を受けたのです。



それが天壤無窮、宝鏡奉斎、斎庭の稲穂。
これと一緒に貰ったのが有名な三種の神器なんですね。




wikiより




最初の神勅である天壤無窮の「天壌」とは
天と地、そして「無窮」は極まりがないこと。
つまり永遠を意味します。



「神の道をこの国に実現する為、
あなたは神の子としてすばらしい
国にしなさいね」と言ってるんですね。



そのために次の宝鏡奉斎の神勅があります。
天照は神器の八咫鏡(やたのかがみ)を渡し
「この鏡を私の魂だと思いなさい」と告げたのです。



時には私欲で民を困らせることきもある、
だから完全完璧である天照大神を
鏡で映すことで、自省しなさい、と。
鏡から「が(我)」を取れば神となるということです。



そして天で育った稲穂を地上に植え、
この国を実り豊かに安定した国にすること(斎庭の稲穂)。




稲作文化である日本ですが、
そのルーツは神話にまで遡って行くんですな。




宮中祭祀の中で、最も大切にされている大嘗祭、新嘗祭



このように八百万の神が統治している
考えが神道ですが、そこにはこの絶対的な
土台(神勅)があるんですね。
一即多、多即一。組織で言う理念です。



ここが一番間違えやすいんですが、
歴代の天皇はこの神勅をそのまま受け取っているのです。



自分の気持ちや価値観や知恵で
考えたり決めたりなんかしてません。
つまりそこには私心(漢意)がないのです。



故に、民衆もそのまま受け入れてます。
昔の日本は全部神様から借りてる、
預かってると言う意識なんですな。



それがウシハクとは違う
シラス国である所以ではないかと思ってます。
(気になる人は調べてね)



☞☞



ごく稀に「綺麗事言っても
それだって異論を排除してるから一緒だ」
と言ってる「自分らしく君」がいますが
これ異論(自論)じゃなくて、前提ですよ。



誰かが言った正義じゃないし、
誰もジャッジしていないんです。
「その前提から」たくさんの未熟な
神様が力を合わせて自然界を守っていると
言うのが、この国の根幹です。



だから古来の人々も自分たちが
唯一絶対ではなく完全ではないと知ってました。
他人と比較して優劣を争わなかったんです。



それよりも共通点を見つけ、
足りない部分を補って来た。



その謙虚な精神が人の道であって、
そのまま(即)神の道に繋がるのです。




とまあ、ざっくりですが
三大神勅について書いてみました(゜-゜)
ちなみに「五大神勅」もあるんですが、
これはまたの機会にでも。





「後記」



三島由紀夫は神勅と神器が
どんなものよりも大事だと言い切りました。


なるほど、多分に当時は戦後、
文化破壊の真っ最中ですから
自意識で否定しようとした人が
多かったのかもしれませんね。