2013/11/25

美意識と葉隠

今日は11月25日、
そういやあの事件はこの日に起こった。


今から43年前の1970年、知る人ぞ知る楯の会事件。
三島由紀夫は当時45歳であった。


もし生きていたとするなら現在88歳、
この豊かで貧しい時代を見て、三島は何を思うだろう。



今日はそんな小話。



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三島の文学の根幹は葉隠の思想。
日本、及び日本人の衰退に向けられた警告でもある。


武士道といふは死ぬ事と見付けたり。
二つ二つの場にて早く死ぬほうに片付くばかりなり。


三島はそこに人間(日本人)の気高い精神性を見た。


哲学は死への予行練習と言われるが
葉隠には存在理由と、その証明があるというのだ。



僕は未だにそれが人間の理想なのかどうか
分からない。



氏の言う
「本物の美は人々を沈黙させる」というのは理解できるけれど。


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戦後、アメリカに諂い、西洋思想へ向かう日本が、
三島の観念の中に存在する美しく強い日本と大きくかけ離れていく。



それが耐えがたいものだったのだろう。
そんな国粋思想はあの「金閣寺」以降、さらに加速していく。


矛盾、それがとにかく耐えきれなかったのかもしれない。



感性が鋭い人ほど、その鬱憤を何かに昇華させていた。
偉人の伝記を見れば、大抵感性の蛇口が壊れているのが分かる。


三島由紀夫にも同じ事が言える。
個人的な意見だが、文学による昇華だけをやってほしかった。



理由や思想はどうあれど、形而上を持ち出し
死んでしまうという結果自体、どうやっても覆らないからだ。


ただ、生前のあの異常な量の作品からすれば
三島には、それが不可能だったということも分かる。



内部を昇華する為には、ロゴスだけでは足りなかったのだろう。




三島が予想した無機質で空虚な経済大国論は
もしかしたら三島自身、それを否定していたのかもしれない。






こんな私にだれがしたとでもいいましょうか。
何者かがこうさせてしまったのです。私もこんなにはなりたくなかった。



2013/11/21

情理を兼ね、情理を尽くす。

こんばんわ、坂口です^^



今月も気付けば21日。
あっという間に終わりそうですね。




老い易く、成り難し。
昔の人は、実に上手く言ったもんだ。



とまあ、オッサンの呟きはこれくらにして(笑)
今日は練成講座の一部を
資料を元に、ご案内しようかなと思います。




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さて、unreveでは理念を重視していますが、
それを支える根幹は感性であり情緒です。



エモーショナルと言うよりも真心、
そんな経営をうちの方では「情の型」と呼んでまして、



逆に理念なんていらないよ、
経営はシステムであり方程式だよ。
って言う人を「理の型」と定義しています。




理の型の傾向が強い人は、
「やりたい・やりたくない」ではなく、



「売れる・売れない」という手段(結果)が目的なんですね。




必要なものを事前にリサーチし、
「市場」から、「短期的」に、「獲物」を、
「効率よく見つける」ことが最大の目的ですので、
「売りたいもの」よりも「売れるもの」を優先する、と。



もちろん、独立一本で食べていくには、
早いキャッシュフローが必要なので、
その理論を選択するのは正しいのですが、
今のように「集める」という概念が
非常に難しくなっている時代では
博打のようなものになる可能性があるんですね。




なぜならそこには感性、「動機」がない。
「これを広げていきたい」という原動力が
「売れないと」継続的に起こらないのです。



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反面、情の型は耕す場所を決めるまでに
けっこうな時間がかかる場合がありますが、
いったん「ここだ!」と決まったら黙々と
未開拓地を耕し、地道に育てて行くことができます。



つまり短期的な成功と言うよりも
「着実に実をつける」ことを目指しているということです。



そんな情の型のやってることは
理の型から見ると、あまり好きになれません。
(逆もまた然り)



個人の感情に左右されるし、
キャッシュに直結しない「無駄」がある、



それじゃボランティアじゃないか、
慈善活動じゃないか、自己満足じゃないか、と(笑)



それより市場を見よ、効率を上げよ、
システム化せよ、と合理的に進めたがるのです。



繰り返しになるんですが、これはある意味正しい。
というか、かなり正しい(笑)



正しいけど、持続可能な事業の根幹は
「情」からの派生ですから避けて通れないんですね。
仮に避けて成功したとしても、途中で必ず
「やりたいという気持ち」が必要になってきます。



これは経験しなくても分かりますよね。
やりたくないことをやってる社長なんて、
「雇われ」となんら変わりませんから。





不自由な成功者





コンサルとクライアントのミスマッチの多くも
こういった「情の型」に「理の型」が教えてしまうことが原因です。



心のフラストレーションを抱えてても、
未消化の問題であっても「手段」を優先させる、
これが後々大きな問題になってしまうのです。



もちろん、情の型のコンサルが
すべて正しいわけじゃない。




だからこそ、テーマの様に「情理を尽くす」ことが必要なんですね。




個人の「らしさ」を最大限に活かし、
想いを大事にしながらも、その想いが
「居着く」ことのないよう、情と理をバランス良く、兼ね備える、と。




この「情理を尽くすこと」こそ、
まさに二項の統合であり、加減です。





2013/11/05

キプロスと国家と器



キプロスの経常収支対GDP比の推移を
見るとずっと赤字、破綻する典型的な例ですね。
企業が赤字で倒産するように、結局は
国家の存続も金次第ということです。


デフォルトで国家の概念が消える・・
では、この共同体である「国家」とは一体なんでしょう?


国家の代表と言えば都市国家の走りであるアテネ、
すなわち現在のギリシャであり、イタリアであり、イギリスであり、アメリカです。


しかし国家の代表であるこれら全ての国が
どういう訳か、もれなく破綻状態にあるわけです。


破綻したらどうなるのでしょう?
見ればソビエトは破綻し消滅しましたが
ロシアとして今なお存続していますよね。


つまり破綻したのはあくまでも
「概念としての国家」という器であって、
そこに住む人や町(中身)が消えると言うことではないのです。


例えコップが割れたとしても中身
「水そのもの」が消えないように、
国家が消えることで実在的な存在が現れる、と。
つまり実態経済が現れてきます。


なるほど、ギリシャは完全に破綻状態にありながら、
高級車であるポルシェを一番多く保有する国でもあり、
裏経済(地下経済)は表経済を遥かに上回ってますね。


マネーロンダリング、資金洗浄、表に出てこない資金。


それをスイスを抜いて世界一の金融センターである、
シンガポールに逃避させている最大の国の一つが
実はギリシャなのです。



イタリアしかり、ロンドンしかり。
ニューヨークのウォール街しかり。
ぜー・・・んぶ、シンガポールを拠点にしてます。
裏経済は国家とは裏腹に健在(?)なんですね。


つまり概念としての器はすでに崩壊寸前だけれど、
実在経済はそうじゃない。なぜなら共同体(器)ではないから。


故に表社会(国家)が消滅する時代においては、
このマネーロンダリングが実在経済となるので、
今の格差社会とは比べ物にならない、
「超格差社会」が到来するということです。


「銀行は不倒だ」と言われた神話は崩壊しました。
銀行とは国家の心臓部、それが今や停止する時代です。


これを他人事だと思うでしょうか。
しかしこの「超格差社会」はやがて日本にも向かうでしょう。


景気は悪いけど物価が高い。
まさにスタグフレーション。



そしてアベノミクスとは、スタグフレーションのトリガーです。