2011/09/06

蝶と蛹




神道によると、世界は「八百万の神」と言われます。
生物だけに限らず、形あるものはすべて神の面影がある、と。



神は花であり、鳥であり、風であり月。



今日は超個人的な小話。
正直、思いつき・思いこみの部分があるので
ご了承のほど(笑)



☞☞



さて、神道には様々なものがあります。
吉田(卜部)新道である唯一神道や
密教と結びついた両部神道、神仏習合である
山王一実神道に伊勢神道、本居宣長の説く復古神道まで様々です。



しかし、古来庶民に広がった神道は、
もっと素朴な感覚だったのではないか。
個人的にそう思ってます。



対象を暴こうとするのではなく、
おてんと様や、雷様という具合に
畏れ、敬うものとして共有するという
素朴な精神、神自体の存在の定義よりも
こころの拠り所としての、概念の共有化が大切なんじゃないかしらん。







神社の鳥居は自然(外部)と
人工(内部)を調和させた作りになっています。



我々は自然に生かされている、
その道を知ることが、神道(神ながらの道)だ、と。




「後記」


八百万の神である自然の偉大さ、
美しさは「雅(みやび)」と呼ばれ、
やがて様々な文化へ飛び火しました。



それが香道であり、書道であり、茶道であり、
侘びであり、粋。ちなみに雅は「宮ぶ」に由来し、
「宮」とは「御家」のことです。
つまり最終的に、それら文化的な模倣は、
必然的に神道的な雅を真似ぶこととなるんですね。