2014/12/16

場の空気

「場の空気」が読めることを心理学では
社会的知能(ソーシャル・インテリジェンス)
と呼びます。なるほど、言い得て妙ですね。


ちなみに山本七平や丸山眞男はこういった
「場の空気」について考えました。日本人が
集団で何かを決定するとき、その決定に強く
関与するのは、提案の論理性でも、基礎づけの明証性でもなく、その場の「空気」である、と定義したのです。



~言うまでもないが、元来、何かを追求するといった根気のいる持続的・分析的な作業は、空気の醸成で推進・持続・完成できず、空気に支配されず、それから独立し得てはじめて可能なはずである。従って、本当に持続的・分析的追求を行なおうとすれば、空気に拘束されたり、空気の決定に左右されたりすることは障害になるだけである。持続的・分析的追求は、その対象が何であれ、それを自己の通常性に組み込み、追求自体を自己の通常性に化することによって、はじめて拘束を脱して自由発想の確保・持続が可能になる。空気で拘束しておいて追求せよと言うこと、いわば「拘束・追求」を一体化できると考えること自体が一つの矛盾である。これを矛盾と感じない間は、何事に対しても自由な発想に基づく追求は不可能である~

「空気の研究」より





「その場の空気」とか「あの時代の空気では」と、
空気を一種の不可抗力、言い訳のように使って
しまいがちですが、それを免罪符にしちゃダメですよね。



雅なる場と俗なる場

先月から今月にかけて、
あっという間に時間が過ぎてしまった。



約一か月であちこちお邪魔させて
頂いたからだろう、


広島、富山、新潟、愛知、京都、神奈川、
そして大阪である。


ふと思えば日本全国、
行っていない場所は片手に収まるようになった。



元来、放浪癖があるため
色んな場所に行くことは楽しみなのだが、



それは自分の居場所があってこそ、
外へ向かうのは内の世界が安定しているからこそ、



生活の臭いがある自分の部屋に帰ってくると、
高級なホテルより、やっぱりホッとするものだ。




今日はそんな所から。


☞☞☞




いくら高層ビルを無数に作ったとしても
それだけでは、全く面白みに欠ける。
大阪でも、名古屋でも、東京でも、
シンボリックな建造物があるのだが、
一度見れば飽きてしまうものだ、



我々がそこへ向かいたいと思う動機、
それは「俗的」なものであり、有機的な状態である。



それによって都会の先進的なものがさらに
「活気」を持つ、このコントラストに惹かれるのだろう。



例えば大阪あたりの路地裏を
ちょっと歩けば、途端にリアルな生活が見える。
自由で何も計画されていない、
そんな自然派生的な場所は淫靡な魅力があるのだ。



本能的な俗的魅惑と、理性への憧れ。



それらが混然一体としながら、街は作られている。












チェーン店や設計された施設などは雅、
言わば「計画的に設計された景色」。
雅は俗の対立概念として俗を拒絶する。



その結果「独自の個性」を奪ってしまう。
生活の匂いを消してしまう。




僕はそんな同質的な街は嫌だ。
故にガウディは、それに対抗するのではなく、



なるほど、雅と俗がせめぎ合いながら
同居することで、有機的な「聖なる対象」は生み出される。




そんな内部の統合は誰もが持っている、
僕はそう思う。





2014/12/12

【初公開】弥栄モデル

こんばんわ、坂口です、
今月もあっという間に半分が
過ぎようとしてますね。







クライアントさんの多くは来年に向けた
計画の骨子を完成し、晴れやかな気持ちで
今年を終えれそうです。









ん?僕ですか?
そうですね・・・・









・・・・f^_^;









☞ ☞ ☞







さて、unreveのFC構築の
根幹となるリゾーム派生、







このブログでは、抽象概念ばかりの
説明でしたので、具体的にイメージ
できない人もいたかと思います。







そこで、今回はこのリゾーム派生を
支える構造理論「弥栄モデル」を
実際に図で説明してみます。









それがこちら↓











上図の「赤と黄色」とは、対立二項。
言わばコインの「裏表」です。







それは「ニコイチ」である以上、
比率の変化こそあれど、一極にはなりません。







コインの表だけ、光だけ、朝だけ、
幸せだけ、女性だけ・・・・には、ならないんですね。







つまり、それが何を意味するか?






「絶対的な一つの表象」は
存在しない(認識できない)ということです。







これが西洋宗教の大きな間違い。
一神教とは、こういった「表だけ」を是とします。







しかし、幸せだけの人生、
強さだけで作られた人間なんて、
(現実では)ありえないわけです。





形而上では存在するかもしれない、
しかし、言語(言挙げ)した時点で
「対象A」には、必ず「NOT A」が生まれます。







故に、「これが絶対正しいんだ!」
という、思想は外部に出すもんじゃない。







証明不可能なものを、いかに
内部に持ち、それを「信じれるか」。
これに尽きます。






故に、「情熱」という、
「あなただけの羅針盤」が必要なんですね。





☞ ☞





現実はこういった内外の二項が交わり、
対立することで、「創造」されると思ってます。







以前、「三十字の理」で説明したように
男性と女性によって、「子」が生まれる、と。







言わば二項の「葛藤」ですから
創造には苦しみがセットなんですね。







釈迦は苦しみから逃れるため、
「中庸・中道」を説いたのですが、







それはこの世界になにも創造
しない、という訳ではない。







これはゲシュタルト、「眺める」ための
メタであり、面思考であり、縁起思想、







そこから「確実性」を作る決断こそ、
「自由(自らに由る)」ではないでしょうか。







☞ ☞







そこで「志向性」の登場です。
unreveはこれを「理念」とか「道」とか言ってます。







それらは目指すべき「月」であり、
容易に手が届く場所にはありません、
そもそも手に触れることはないでしょう。







よって、究めれば、究めるほど、
言葉はシンプルになっていきますが、







その背後には膨大な、膨大な
「葛藤と選択」がらせん状に起きているのです。







ここに目を向けたのが「回帰論」です。
上の図で言えばちょうど
左右対称の「円(まる)」になっていますよね。







これが続けば「8」の整数になり、
コロッと寝かせば「無限大(∞)」になる。







それをさらに繋げればどうなるか?





我々人間を人間たらしめる
DNAの螺旋構造が出てきます。





ちなみにこちら、医療のシンボルである
アスクレピオスの杖。










まるで二匹の蛇が対極の位置を保ち、
一つの「志向性」に向かい、「蛇行」しているようにも見えます。




この中央を突き抜ける「一つの志向性」とは何か?





そういや蛇って不思議なもので、
聖書には度々登場していますね。




こちらの動画を見ても面白いかもしれません(゜゜)









相似律と向かうべき志向性は
世の理かもしれない、と






当時、オタク真っ盛りの僕は
思ってたんですが、







今はちょっとだけ現実的・論理的に
話せますな(笑)




☞ ☞





閑話休題、
我々はこの「志向性」を通常、
意識することができません。







しかし、過去を振り返ってみた時、
絶妙なタイミングに驚く事があるでしょう。





それこそ掴むことのできない
「志向性の袖」ではないでしょうか。







ここを明確にするなんてナンセンス、
形式化なんて、できるもんじゃない。





まるで、その対象を描くのではなく、
輪郭や風景から描き始めるかのようです。







すると驚く事に、自分の目指すべき
志向性がうっすらと見えてくる。
もしかして、これが「中庸」かもしれません。




金や名誉を目的化している時は
まず、見える事はないでしょうが、







日本流の精神は(多分)

この「志向性(道)」を目指した。





これを継承する為に、(たまたま)
僕はFCを構築しています^^





最後はまた抽象的になりましたが、
皆さん、くるっと回帰できましたでしょうか?









もちろん、これだって「絶対」では
なく、「いちモデル」にすぎませんので、あしからず~パー


2014/12/02

馬車馬の理論

こんばんわ、坂口です^^



日本流事業継承、
練成講座の開設に伴い、


今日は、その基礎編の
一部を書いてみようと思います。








僕はFC構築をするだけに限らず、
個別対応、その人にあった方法こそ
一番大事なことだと思っています。



子育てをはじめ、教育と呼ばれるものは、
全てそうなんじゃないでしょうか。



人によっては、スパルタな方法が
最初は必要だ
、と言う人もいるでしょう、


それとは逆に、
いーや、自分が好きなように
やらせるのが一番だ
、という人もいます。



つまり、そのどちらもに「正しさ」が
ある、ということは、



本質はどちらでもあり、
どちらでもない「間」にある。




そこで、相手の相性や適性を
尊重しながら進めていくこととは、
両義的な意味を内包するということでしょう。




以前(本来の日本)では、寺子屋が
この「在り方」で教えてたんですね。









相性とか適性が大事だというと、
多くの人は「甘やかしではないか」と、
思うかもしれません。




なるほど、未熟な相手に合わせる、
ということは、単なる我儘の助長である、と。



もちろん、それも正しい。
故に、だからこそです。



見るべき部分は自我中心でも、
場所(他者)中心でもなく、根っこの部分




つまり、大前提(根幹)に主体的な
「成長意思」があってこそ、
上記のような「相性・適正」が活かせるのであって、




その人の根幹に自分軸が無ければ、
当然、単なる「甘やかし」に陥るでしょう。



青年期は、この自分軸を形成する
段階の人が多いので、内部派生するまで
待たなくてはいけない。



若いころは生きるのに忙しくて、
「意味」を考えるヒマなんてありません。



もちろん、イチロー選手のように
若い時から「意味」に取り着く人もいますが、



そのような人は特別であって、
大半はまず、順番があるのだと思います。



この部分は一般論にするには
ちょっとデリケートな部分なので、




詳しくは講座で・・ということで(笑)




☞ ☞



成長したいという自分軸が
あるならば、それは甘やかしではなく
「最適な支援」となります。



点思考(甘い・厳しい)では
二項対立にしかならず、
正解は決して生まれないのであって、



そこにもう一つの視点を取り入れ、
「面思考」にすることが大事です。



これが内部派生、リゾームであり、
円環超克理論の骨子なんですね。




よく陥りがちな考えとして、
「我慢してやる」とか、
「気にならない心を作る」などがありますが、




これは経験上、無理。
それができりゃ、苦労しません。



無理を自己強制するということは、
「無理強い(むりじい)」ということです。



ガマンとか頑張るという心は、
本人が望んでやる積極的態度であって、
内部派生ではなければ、継続なんてできません。



近代、この国ではこの「無理強い」を
積極的に取り入れてきたんですが、



これは西洋式の合理的な方法であり、
実は、一番楽で簡単で、「間違えやすい」
方法なんですね。




つまり北風と太陽よろしく
外部派生にしようという恣意的な
思惑、これは「自我中心」です。




男性原理の固定理論ですから、
コンサルの多くはこっち側です。



恣意的である以上、理論によって
強固にし、普遍性を持たせようとしますが、



それが万人に通用すると
決め付けた時点でアウト、



それは単なる疑似科学です。



疑似科学である以上、かならず
その枠からはみ出る人が出てきます、
それは本来、正常なことなのです。



故に外部は、まず疑ってかかった方が良い。




もちろん、ここで書いているのも
もれなくそうです(笑)




☞ ☞



さて、上記の方法でやるには、
その人が欲しがる「ご褒美の洗脳」が
必要となります。




お金・恋愛・病気、人間関係など、
あらゆる悩みが解決できる、という



その人が欲しくて欲しくて
たまらない、「ゴール(欲望)」の設定です。



金持ちお父さんしかり、
天国言葉しかり、
自己啓発しかり、宗教しかり。




つまり、その「無理強い」は
「欲しいもの」に繋がる、という
理屈によって、動かされているのです。




だから、頑張っても頑張っても
欲しいものが手に入らない人は、




「もっと頑張らなきゃ」って
思っちゃう。




その結果、「新しい外部」をまた、
キョロキョロと、探し出すのです。




これは、僕の提唱する
自己中心理論とは真逆の性質であって、




単なる「馬車馬の理論」、
ニンジンを追っかけてるだけです。




外部の強制なんて、
結局そんなもんだと思えば、
ずいぶんと楽になりませんか^^?




☞ ☞





現代はストレス社会だと言われますが、
実はその「根幹」には、こういった
「無理強い」が定着しているからなんですね。




外部強制は、あらゆる
歪みを生み出します。


なぜなら、自己の志向性が働かず、
閉じているからです。




真面目な人、成長意欲が高い人ほど、
特にこのバイアスがかかりやすくなりますが、




本来、下地である基軸さえあれば、
相性の配慮によって、柔軟さが生まれるのです。




人を見て、その根を見て、
そこから環境を変える、




円環超克理論的に書けば、
「内の内」は「外」なんです。
��小冊子を見た人は分かりますよね)






故にunreveは「加減」を構築に
取り入れています。