2017/12/29

成長を得て、未熟を失う。


今日の夕飯は親子丼。
丼系って、どれも簡単で美味しいですよね(^^♪






今でこそ料理を作るのは好きだけど
昔はそりゃーもう、嫌でした。
子供の頃みたく、食卓に座ったら
ポンと出て来て欲しかった(笑)


それが徐々に興味を持ち出し、
今ではクックパットを見るのが日課という(笑)
人間って、わからないものですね。



***



できることが増えるってことは、
出来なかった時の未熟さが消えてしまうということ。



あーだこーだと試行錯誤し、
(いちおう)完成したときの達成感は
もう二度と、味わうことはないでしょう。
成長とか向上と言う言葉は無条件に
正しく、喜ばしいものとされているけれど、
どこかでその未熟さを懐かしんでいる自分がいます。


**


繰り返される同じような毎日。
だけど実際は同じ日なんて一日もない。



昨日知らなかったことを今日知り、
一昨日できなかったことが明日
できるようになっていく。昔の
知らない・できない自分にはもう戻らない。



ちょっと立ち止まり振り返ると、
その頃の自分を少しだけ羨ましく感じます。不思議ですね。






「後記」


思ったことをすぐ口に出してしまう
人って無意識に敵を作ってしまったり
「もっと考えて話せ」と、周りから
注意されたりしますよね。


「相手のことも考えろ」と。
もちろんそれは当たり前のことだけど、
もしその癖が完全に治ったとしたら
その人の素直な心の声はもう聞こえないような気がします。


純粋無垢で子供のように話す
屈託のない笑顔にも、もう、会えない。


そう考えるとちょっと寂しいかな。
もちろん嫌なのは嫌だけど(笑)




2017/12/27

外はない


年末、徒然なるままに。







日本流について突き詰めていけば
西田哲学(京都学派)に辿り着く。
近代の輸入学問を超克し日本独自の
学問を構築する京都帝国大学はその
存在そのものが壮大なプロジェクトだったようだ。


上記の根幹となった善の研究は
大きく分けて純粋経験・実在・善、
そして宗教との4つからなるが、
端的に言えば矛盾を統合するバイロジック(複論理)、


断絶していながら繋がっているという
禅的な思想であるが福岡氏の動的平衡や
シュナイター、ホワイトヘッドの思想と
西田の生命論である「絶対矛盾的自己同一」
とが非常に類似しているところを見ると
根は一つだろう。それは言語化不能であるが
西田は根底実在(=神)と定義した。


存在の力はすべてそこから派生し、我々は
その「ナニカ」のエージェントなのかもしれない。
無論、言葉にした時点で自我世界である以上
自我の餌食になるのは十分承知なのだが。



閑話休題。
西田は晩年、無限円の概念へと到達した。
(これも言葉では説明できないが)外部が
存在しない内部というクラインの壺の構造。
全てを内部へ包括する無限性の体系であって
弁証法のような同一的統合ではなく、
差異化を繰り返しながら超えていく流れである。


今から今へ個体が自ら動くことによって
新たな今が生まれ、我々はそれに応対し
永遠に解答し続けていく、と。


もし円周率に終わりがあるとすれば、
そこから始まる3ケタの数字は314のような気がする。








さて宇宙は(自己は)クライン壺であるか。
ウロボロスに呑まれた尻尾であるか、それとも頭であるか。


仮にそうであれば「わたし」は周縁の
に所属していることが前提となる。
西田がしばしば意識を鏡と捉えているが
「映す鏡をも映す鏡」である無の場所にいる、と。


ここはもうお手上げの領域なのだが
言えることは客観(俯瞰)ではない。
客観という言葉を使ってしまえば世界と
自己はただ分離するだけ。その意味において
科学的な証明は前提が間違っていると言えるだろう。


無論それが悪いわけではない。科学の
追究において大切なことは「ここは分かる」
だけではなく「ここは分からない」を
明確にすること、いわば限界を知る学問だから。


大事なのは「分からない」を
「分かる」でなく「解る」にすること。
見えない境界線に立つことじゃないかしらん。



unn..



まとまらないので終わります(笑)



「後記」


世界の出来事を眺めていると
他人事のような感覚に陥ってしまうことが
よくあります。僕だけかもしれませんが
「人に優しく」という言葉を聞くと
まるで「人」の部分に「わたし」が含まれていないかのよう、


地球を救うとか、環境に優しくって
言葉はもしかしたら「外側」から見た考え方かもしれませんね。


2017/12/26

自炊のすゝめ②




カルビのピリ辛炒めと小籠包、
そして口直しの冷ややっこで晩酌。




ちょっと肉の油がきつすぎた。。。。(笑)



2017/12/22

師走に帰郷




毎日震え上がる寒さですが
皆さまいかがお過ごしでしょうか。
今年も10日を切りましたね。



そんな気ぜわしく落ち着かない師走の中、
ちょっと頭をリセットしようってことで
生まれ故郷の湯布院に行ってきました。



由布岳の山頂には雪が



平日だったけどたくさんの観光客、
やっぱ寒い日は温泉ですよね♨

ちなみに歩いて行ける金鱗湖は冬がおススメ。
湖底に温泉が湧いているらしく、湖面からは湯気が立ち上ります。


湯気、見えますかね。




しばらく散策して体が冷えてきたので
温泉宿、「牧場(まきば)の家」へ。




茅葺屋根の外観は情緒があって良いですね、
とーっても雰囲気があります。



かなり広いです。


由布岳を眺めながら温泉、
身体の芯までポカポカになりました(#^^#)








「追記」


この日は竹やぶさんを皮切りに
よく食べました(笑)


ちなみに国道添いにある竹やぶさんと
春日さんは鉄板の美味さです♪














2017/12/21

スタイル


年の瀬のつぶやき。


ブログはなんだかんだ言って7年ほど
書いてる反面、ソーシャルは食指が動かず。
経営者の方はFacebookやってる人が多いので
先に「イイね用で登録してます!」と伝えてます。


ここまで来るとソーシャル不適合者ですね(笑)
まあ正直なところを言えば人生における
ストレスの大半が人間関係なのに
なぜそのストレスの原因を増やしたがるのかが分からないんです。


(snsやってる人には角が立つかもですが)
あの場は似非共感というかオーディエンスを
つい求めちゃうでしょう。例えば自分と違う
意見を面識のない友達(?)から言われたら
「こんな事言ってくる奴がいた!」と
書き込み、それを見た他の友達(?)が
「あんなのほっとけよ気にするなよ」
みたいに便乗して、さらにそのコメント見た
別の友達(??)が「そうだそうだ!」とまた乗っかってくる。


それ見て「ありがとう、スッキリしました!」
とか本人書いちゃってたりするわけだけど
リアルじゃ絶対言わないよねって思うんです。
「FBやってたら馬鹿が一人いて色々と
言ってきてムカついた」とか。


そんな普段の自分じゃない自分・・
というか衝動的な自分が出やすいんじゃないかな、と。






ちなみにこのブログは日記みたいな
意味もあれば(かっこつけて書くと)
作業や思考のログを残す忘備録的な役割、
対外的な評価を目的にはしていません。


もちろんブログだって要求してくる
パブリック度は決して弱くはなく
不特定多数の方から見られている以上
その側面は十分あって、醜態をさらす
こともあるでしょう。ソーシャルと違い
見てる人の反応なんてわからず書いてるので
自然と言葉が強くなったり不必要な説明を重ねたりしますからね。


ただ公と私が混同したSNSより修正可能かなと。
これはあくまでも個人的な意見なんですが
snsは飲み屋でしか成立しないプライベートな
愚痴がパブリックとして成立しそうなのですよ。


**


ちなみに以前の表現者と呼ばれる人たちは
私的な思想をそのまま伝えるのではなく
公的な手段の中に「いかに違和感なく重ねるか」を苦心してたように感じます。



上質な表現には必ずその技術がありますね。
多分にその工夫を先人たちは「スタイル」と呼んでたのでしょう。



僕流のスタイルを身に付けたいですね。
どれだけ自由に書いても矩を超えないような。




自炊のすゝめ①



この日はてごねハンバーグ。
ジャポネソースで頂きます ^^) _旦~~



安定のおいしさです☆



2017/12/18

久しぶりの。。。



プライベート、イン天神。
仕事目的ばかりだったので新鮮でしたね。





地下街や百貨店をウロウロぶらぶら。
なんでしょう、この無駄が楽しい(笑)


夕食はサンパチキッチンさんへ。
今泉店に行くのは初めてですが、
こっちも平日にもかかわらず大盛況でした。




新メニュー(?)のポテサラ。
インスタ投稿を狙ったようなビジュアルだこと。




以前と比べ、涙のシリーズから
フォアグラがなくなってたり
「超涙メニュー」が増えたりと
色々変わってましたが、どれも結構なお味でした。




 トリュフのオムレツは健在。



相方さんは初めてだったので
片っ端から頼んでましたよ(笑)




そろそろ年明けのカウントダウン、
きっと、あっという間に大晦日なんだろうな(´-`).。oO


2017/12/17

イデー、イデア、イデオロギー







ドラクエの呪文みたいなテーマですが(笑)
今日は観念について。


さて思い込みの動物である私たち人間は
一面的な部分を見ただけでものごとを
決めつけてしまいますよね。俗に言う
「固定観念」というやつです。


これは誰もが必ず持っています。
他人の固定観念を批判する自分の中には
また別の固定観念がある。例えるなら
全員が色眼鏡をかけて世界(他者)を見てるんですね。


群盲像をやんとやら
青色であれば「世界は青だ」と信じ、
赤色であれば「赤だ」と疑わない。
私を含め、多くがその観念(色眼鏡)を
通して見ていることに気付きません。
(反面、先入観は気付く)


そんな自分のことすら分かってない
状態で他人をジャッジしているんですが
自分のことさえ知らないのに他人が
分かるわけありません。これが人類となれば尚更そうでしょう。


故に大事なのはその観念をいかに正確に
認識する(疑う)ことだと思ってます。
母親から固定されたしつけ然り、社会通念
道徳然り。それらが全て正しいわけじゃありませんから。


この疑う(問う)ことはポンと正解が
出てくる現代では一番難しいですね。


***


「疑う」とは「とことん自分で考えること」、
それは最終的に信じる(認める)ためにある。


例えばブログでは小林をはじめ影響を
受けた人を紹介していますが、例え人生の
師と言えるような人が言ったことであっても、
また、完璧な理論(のように見えるもの)でも
違和感を感じたのなら単純に信じたりしません。



なぜなら論理の前には感情があるから。
いくら尊く崇高なものでも腑に落ちなければ意味がない。


たしかに理性から派生した論理には
一貫性がありますよ。客観的だと言われれば
誰もが思わず納得してしまうでしょう。


しかし私はその「客観」こそ疑います。
最初から最後まで一貫してブレない
考えのほうがむしろ不自然ではないか、と。


そんな理由から疑うことと信じることは
ものであるように思うのですよ、個人的にね。



「後記」



「夢を叶えるための100の習慣」

「愛される人になるための100の法則」

「幸せでハッピーに生きれる100の言葉」

「感謝の言葉、成功者の名言」


本屋に行けばそういった本が
ズラリと並んでますが、そういうの
もう窮屈でうんざりしてしまいます(笑)


古来の学問とは自分の人生における
経験的事実、つまり実生活を
離れないもの(腑に落ちたもの)だけを
思索しそれを深化させるため場数を踏みました。
分裂を知らず観点を設けない全的な認識です。


反面近代自我の申し子であるインテリたちは
自分たちの経験から離れたものでも理屈で
固めれば真実であると勘違いしてしまったんですね。



今も机上の空論者、たくさんいます。
全てに感謝、地球を救おう、全てはひとつ。みんな仲間だ。


そんな言葉を口にしたり発信するのは
メチャクチャ簡単で楽だけど、実際に
それを日常生活で実践している人はごく僅かですからね。




2017/12/15

飽き性ではないね。



特別何もない日に手巻き寿司パーティ。
まいては食べて、まいては食べてで
あっという間に完食、パーティ終了です(笑)


楽しいし、美味しいですよね、手巻き。


具材が写真に入りきらない




内輪の話で恐縮ですが
うちの相方さんはけっこう飽き性で
続けることが苦手っぽい人です。


ただ料理や掃除洗濯は好きらしく
作ったことないメニューを調べては
「こんどこれ作ってみよっ」と言ってます。


それ見て最近気が付きましたよ。


相方さんが苦手なのは同じことを
繰り返し続けることであって、
「新しいことを始め続けること」は好きなんだろうな、と(゜゜)



ホットサンド




ツナタマゴとオニオンベーコンのホットサンド。
(そしてポテチw)


ちと焦げたけど美味し(´-`).。oO


2017/12/14

パトス、エトス、ロゴス







マックスウェーバーと並び称される
社会学者であるゲオルク・ジンメルは
著者「繋がりの哲学」において今の
ソーシャルメディア(ネットワーク社会)の到来を予言しました。


社会とは単体で存在しているのではなく
我々が日々過ごしている関係性のプロセス
そのものである、と。コミュニケーション
自体が社会だと100年以上も前から言ってたんですね。


まさに有機的、流れ(拍子)こそ実在であると。
ちなみにジンメルは「女性の偉大な功績は
家庭を作ったことだ」と言います。


これ、今言うとジェンダーレスの方から
色々突っ込まれそうですが偉大なことですよ。
男性は他者と共に暮らす空間を作るのが
すこぶるヘタくそですから(笑)


男性読者諸君、そうじゃないですか?


***


一歩でも家を出れば街には刺激が溢れてます。
炊事洗濯掃除と言った面倒な雑務は存在せず、
仮にやるとしても報酬が支払われるでしょう。


ピンときた、これがやりたい、
これは好き、これは嫌い。


向上心、自己実現、達成感。
新規で新奇な経験、経験、経験の世界。



競争社会に慣れ親しんだ現代人からすれば
家なんかにいても退屈で仕方ないしょうが、
その凡庸さが安定たらしめているんです。
個人的に家事全般、そして育児を日々続けるには
非常に安定した精神、と言うか土台が必要だと思うのですよ。


まあ、そろそろ気が付くでしょうけどね。
毎日ワクワクしている人は逆に不気味だって。



**


ちなみにアリストテレスは瞬間刹那で頼りない
感性をパトス、長期的に持続する安定した
感性をエトスと呼びました。エトスは慣習や
伝統を支える精神(保守)でもありますね。


上記はどちらも大切ではあるけれど
冒頭に書いたように家庭の活力の源は
ありきたりな日常の繰り返しである
「プロセスそのもの」。またそれを
引き受ける人は自らがエネルギーの源です。


世の母親はそのことにもっと自信を持って良いんじゃないかな。





「後記」

身内の話で恐縮ですがその退屈な反復運動を
引き受けていた母はやはり強いですね。


幼少期の情操は特別なものではなく
ごくありきたりな日常の繰り返しによって
育まれてきたのだろうと思うと、母親には改めて感謝してしまいます。



2017/12/13

ちゃおず





自家製の餃子で一盃。
納豆餃子と、ひき肉とキャベツ(シソ入り)です。




良い感じに焼けましたぞえ(´-`).。oO



2017/12/12

作り過ぎ。。





おでんを作ろうと買い物したら
具材を買い過ぎて鍋が大変なことに( ꒪⌓꒪)


出汁がちと甘い。
みりんと砂糖を入れすぎたかしらん。



キッチンで煮込みながらつまみながら
お酒を飲んでました(笑)





2017/12/11

晩酌。




この日は酢豚と山芋鉄板焼き、
そしてスーパーで買ったタン塩で晩酌🍶




満腹のまま新しく買った
毛布に包まれ、就寝。


そんな自堕落な年末(笑)





2017/12/10

深夜に。。。


お腹が空いたのでいつもの
資さんうどんでお夜食、


たまには別のも食べようと
エビかき揚げそば、そしておでんに牛丼を。




寒い夜のおそば、間違いないです(笑)




2017/12/07

スープカレー



この日は地元で有名なスープカレー屋
ジャングルカレー」さんへ。






セットを頼むと、なんと
ご飯やルー、サラダがお代わりできます。
男性にもお勧めですよ~🍛





お腹が空いていたのでカツカレーを注文。
十分辛いんですが、物足りない人のために
ハバネロの粉が置いてあります。


ちなみにハバネロ入れすぎて
汗かきながら食べました(笑)



メニュー構成や価格設定が巧い。
どこかで勉強したのかしらん。


2017/12/06

大和心と漢意



「漢意とは漢国のふりを好み、
かの国をたふとぶのみをいふにあらず
大かた世の人の、万の事の善悪是非を論ひ
物の理をさだめいふたぐひ、すべてみな漢籍の趣なるをいふ也」


本居宣長は「玉勝間(たまかつま)」
においてこう説きました。漢意によって
我々の持つ本来の心(古意)が見えなくなる、と。


それは巷で叫ばれているような
近代自我の「わたし」ではなく
もっと深い場所にあるようですね。


てなわけで、今日は前回の続きでも






宣長が嫌う理性(漢意)とは狭窄した
視野で物事に意味を持たせその結論を
大声で主張するといった身勝手な理性(自我)のこと、


例えばそれは絶対神思想をはじめ、
独裁制やグローバルスタンダードといった
原理原則の思想です。宣長はこうした態度は
古意からはもっとも遠いものだとし、批判しました。


遡れば儒教から来ているかもしれませんね。
あれは陰陽・太極など「モノ」や「コト」を
限定させることにより実体化する認識論、
これにより倫理は道徳となるのです。


しかし(当たり前ですが)原理原則で
人の行動が制限できるわけありません。
例えば最近聞く反社会性人格障害、いわゆる
サイコパスと言われる人たちは良心の制約から
完全に解き放たれているため、罪悪感なしに
なんでもやりたい放題やってのけますよね。


彼らは善悪の区別がつかないのではありません。
区別ができても行動が制御できないのです。





確かに我々には欲があり汚い部分がある。
そりゃそうです、だって動物ですからね。


美味い物を食べたいとか、金が欲しいとか。
自分のやりたいようにやりたいとか。

あいつが憎い、こいつを殴ってやりたい。
良い女とやりたい(失礼)、嫌なものから逃げたいetc・・・



宣長はその感情を(仏教のように)否定しません。
むしろ「誰もが持っている当たり前の
感情や欲望だよね」と肯定しています。
それは真心であってむしろ抑圧、否定する
理性の方が「漢意」であると。確かに
聖人君主で生きる方が無理あります。



ただ巷のセミナーはここで止めてるんです。 
「それが自分らしく生きることです!」ってね。


当然ですが、んなわけありません。 
そういうことをいつまでもやってるのも「漢意」なんですよ。 


自分の本音を誰かれ構わずストレートに
表現することは卑しいこと。下世話な話
ばかりしたり下衆なことに明け暮れることは恥。


それって人間のもつごく自然な感覚でしょう、
この自然(じねん)が宣長や小林の言う大和心なんですね。


その具合や度合いといった「加減」は
本来自然に備わっていると言います。
メビウスの輪よろしくこれ以上やると
ひっくり返ってしまう(度が過ぎる)と察知できると。


それを無視して自分を出している人は
ありのままの自分などではなく裸の感性を
漢意によって騙してるだけ、それは「獣化」と言います。 


もし裸の感性のままなら楽だと言う
理由で手で飯を喰らい、裸で街を歩き、
犬猫のようにどこでも誰とでも腰ふってますわ。


**

しまった、とんでもない間違いを
してしまった、という悶え。


しまった、ついやり過ぎてしまったという自覚。


これが真の理性である、と。
200年以上前の人の言葉ですが
今でも通用するんじゃないでしょうか。
キケロ―よろしく僕はこの言葉を武器にして
絶賛増殖中の「ありのままゾンビ」と戦ってますよ。


「おまけ」

余談ですが以下の6つのうち、3つ以上
当てはまる人は「サイコパス」の傾向が強いとのこと。

・社会的規範に順応できない
・他人を騙す、操作する
・喧嘩腰で攻撃的な態度
・自分や他人の身の安全を全く考えない 
・一貫した無責任さとルーズさ
・他人を傷つけたりモノを盗んでも良心の呵責を感じない


ま、これも原理原則の漢意ですけど(笑)

2017/12/03

ここ数日。。。




色々と忙しくやっとりまして、
久しぶりに足が筋肉痛です。





東京から来たオーナーから
一番高い肉おごってもろた。





元気出た。
さて、もうひとふんばりしまふか。



2017/12/02

カモネギ



「絶対に儲かる」とか「理想の相手が見つかる」
といった甘い言葉で誘ってくる輩は後を絶ちませんが、
逆を言えばそれに騙される人も後を絶たないということでしょう。


何も努力せず楽に簡単にお金が降ってくると
いう言葉に飛びつく人は自分の怠惰や依存心や
知識不足を「ありのままの自分」だと正当化
していますんで、騙す人からすればこれほど
チョロい相手はいません。


なるほど。騙す側からすれば確かに
楽に簡単にお金が降ってきますね。
端的に言えば「バカは良いカモ」なんです。



甘い話にはくれぐれもご注意を。
今日はそんな小噺。





さてこうやって個人で仕事をしていると
良くも悪くも色々な儲け話を聞きます。
やれ仮想通貨がどうだ、先物がどうだ。
今なら親になれる、100万でどうだ、と(笑)


そういった話は一切耳を貸しませんが
騙された人は何人も見てきました。
驚くことにその手口は巧妙などではなく
実に陳腐、それでも引っかかったわけです。


独立精神と自分で調べるという能力
(そもそも能力か?)が少しでもあるならば
ネットワークビジネスやら詐欺まがいの
セミナーやら投資話、そして怪しい
フランチャイズ本部の勧誘なんて引っかかりません。


君子危うきになんとやら、耳障りの良い
言葉ほど疑ってかかるのが普通でしょう。
多分に彼らは物事を考えてるように見えて
ただ都合よく捉えているんじゃないかしらん。



(ちょっと深く突っ込めば)
我々は日常をあるがままに受け入れられません。
快楽や楽しさは抵抗なく受け入れる反面、
不快感や苦痛となるとものすごく抵抗します。
何故こんなに苦しまないといけないの?と言う
問いに対しては必死に考え悶え、理由を
探すけど、どうしてこんなに楽なの?や
どうしてこうも幸せになるの?については考えないのです。


不思議ですよね。不安で悩んでる人ほど
思考がピタッと止まっちゃうんですよ。


彼らはただ悩んでいるだけであって
考えていなかった、と。つまりそういう事でしょう。


***


ちなみにそんな「怪しげで甘い言葉」に
頼る御利益(拝金)主義者たちは他人からすると
「なんとなくの違和感」を持たれます。


うっすらと、しかし確実に。
こうした態度が後々自分の信用を
傷つけ、本来持っている運を落としている気がします。


もちろんたまには良いけれど
パワースポットばっかり巡ってる人に
エネルギーがあるとは思いませんからね。



真の理性はそれを見抜く力、
てなわけで次回は理性をテーマにしますか。






意外と広い、日本。



学校の教科書をはじめ、我々が知っている
地図はメルカトル図法によって作られてますが
あれって球体である地球を無理矢理平面の
地図にしてるので、北極や南極に向かうほど大きくなってます。


日本とか地図を見るとスゴイ
小さく見えるけど、実際は違うんですよ。
ちなみにこの「The True Size Of ...」を使えば
実際の大きさで各国を比較することができちゃいます。



例えば日本をヨーロッパの方に移動させて見ると。。



実はイギリスより大きいのです。




2017/12/01

食の傾向って。




緊張と楽しさのあいだを
揺らぐようなランチタイム、inゆず庵。


色んな意味で一杯でした(笑)





味にこだわる人、素材を味わう人、
好き嫌いがハッキリしている人、何でもいいと思う人。


ちょっとした味の変化に気付く人、
調味料つかって自分の好きな味に変える人。


同じものばかり食べる人、飽きやすい人。
ゆっくり味わって食べる人、胃袋に入れるだけの人。


個人的に食の傾向って
その人の性格が出るような気がします。



12月突入



今日から12月、いよいよ師走に
入りましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。


寒さも本格的になってきましたので
温かくしてお過ごしくださいね。




さて今年は日産自動車や神戸製鋼所を
はじめ、企業の不祥事が相次ぎました。
大企業の不正体質が表面化され企業統治や
コンプラと言った「在り方」が問われたのです。


やはり大事なのは根っこですね。
専門家は法令順守ができてないとか
体制が甘いとかシステムが整備されていないと
指摘してますが、個人的にその「やり方」は疑問です。


例えば企業倒産の共通点はずさんな経営
だったり販売不振であると言いますが
あくまでそれは結果であって枝葉、
そこから「なぜ」を繰り返せば必然的に
人へと辿り着くでしょう。


経営を改革するとか改善するとか
革新するぞと大規模なことを考える
経営者は多いのですが、土台、というか
基本に立ち返ることは一見遠回りに見えて
一番効果が高いのではないかと思ってます。


育成と言っても大げさなカリキュラムを
作ることじゃない。例えばそれは
挨拶だったり対話できる場だったり。


ホント、小さなことの積み重ねなんですよね。