コンサルにせよ、講師にせよ、コーチにせよ、
情報の売買が蔓延し、汎用化されるのに伴ってか、
知識を
共有するのではなく
所有することに
固執している人たちがいます。
あれも、それも、これも・・・ぜーんぶ「知っている」と。
まるで
コモンズの悲劇のようです。
そんな奪い合ってメッキ張りした知識人から
パクられるのがとにかく嫌で、
ブログを書くの止めようとまで思ったんですが、
似たようなことやってるな、と。
バカらしいので止めました(゜゜)モウ、ミナイ
ただ癪には触るので一言。
いや、二言、みこと(笑)
てなわけで、今回は超個人的な
懲らしめ記事ですので、ご了承のほど。。。。
みんなのものを独り占めすな
そもそも論で言えば、たとえどんなに知識を
持ってたとしても、一貫した信念がある人には敵いません。
言い換えれば
ひとつの経験に向き合い
それを大事にしている人ってこと。
その「育む姿勢」こそ、能力であり「強さ」でしょう。
一見、他人からすれば「つまらないこと」、
「意味がないこと」も真摯に向き合うことができる、
そんな人の人生に無駄なものなんてひとつもありません。
たとえそれが遠回りでも、不器用でも、
不格好だったとしても、全く問題じゃない。
それを雑に扱って大事にできない人間が
あーだこーだ、言うんじゃないよ、と。
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見渡せばそういった知識人は男性に多く、
個別的な経験であっても雄弁に語りますね。
例えば恋愛について様々な知識を持ってると言い、
それを分析的、専門的に詳しく説明する人がいますが、
そんな人を「わかってる人」だと言えますか?
人間的な深みなんて、全くないでしょう。
それよりも僕は、たった一人の恋愛経験だとしても
その人を心から愛し、信頼している人の方が100倍
恋愛を理解してると思ってます。
他人がどう評価しようと、そういう人は恋愛について
「
それが何であるか」を知ってるはず。
人に話せるほどの知識はないかもしれないけど、
知識なんて人と心底向き合っていれば、逆にいらないもの。
故に、だからこそ、
自分の人生を賭けることができるんじゃないですか。
これは恋愛だけの話ではなく、
あらゆる物事に対しても言える事。
仮に一冊であっても夢中になって
読んだ経験がある人は、機械的に
100冊読んでる人よりも大事なことを掴んでます。
心理学なんて知らなくても、長年の人生で
様々な経験をきちんと受け止めてきた人の方が
人間のことをよく分かってるはずです。
それってまさに直接的な経験の立場と
客観的な立場にいる人の違いでしょう。
知識人はこの肝心な部分が分からないんです。
分からない場所にいるから、永遠に知識を追いかけるんです。
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現在、本当に自分らしく生きるために
色々なものを「知らないといけない」と
思いがちでしょうが、そうじゃない。
「知る・知らない」という相対的(無限ループの)
価値観から抜け出し、そこから確かな根を
張ることができたなら、仮に教えられなくとも
何が必要であるか自ずと明らかになってくる。
小林の言葉を借りるならば、
主観的にそんな気がするというものではなく、
そう気付いた、そう考えたわけでもない。
ただ、そのことが直接的に「はっきりと解る」。
そこには膨大な知識は無力です。