2016/05/31

ぼんじゅー!!





ぼんじゅー(`(エ)´)ノ彡








今日の昼食はサンドイッチ!







サーモンとクリームチーズ!








三種類のハムが入ったやつ!








デカいから腹いっぱい!








ぼんじゅー(`(エ)´)ノ彡







☞☞








今日は昼間っから酒飲んでしまった!













このつまみ、最高にワインに合います!








ぼんじゅー(`(エ)´)ノ彡









でもワインはカルフォルニア!







レッドウッド!





メガ盛り!





ヨーロッパ万歳(`(エ)´)ノ彡












・・・・・そこまでして
ブログ更新しなくても良いやんね。。。







2016/05/30

子供たちに、思いっきり遊べる広場を




株式会社ソラリオさんが運営する事業に
児童発達支援・放課後等デイサービス「そらひろ
というものがあります。



あまり聞き覚えがない方が多いと思いますが、
この事業は近年、発達に心配を抱える保護者様を
支援しようということから、その役割が非常に注目されているんですね。







平成24年4月の児童福祉法の改正に伴い
開始された、新しい支援サービスです。




障害をお持ちのお子さんの持つ個性は必ず
社会を明るく元気にする輝きを持っている。



「そらひろ」さんはそんな思いを根にして、
「育つ力」を大切にできる環境作りから始めました。




周りの子供に無理矢理合わせようとせず
子供の特性に合わせて育てていくために
協力体制(環境)から作っていこう、ということです。



どんなお子様にも必ず良い所がある、



そこを「最適な環境」で伸ばして行くという方針なんですね。




発達障害を持つ子供さんが悪いんじゃない。
うまく育てられない親御さんが悪いんじゃない。




そんな「そらひろ」は、虹のいえ、あさひのいえ、
星のいえ、風のいえ、つばさのいえ、空のいえ、
ゆめのいえ(7月開設予定)など、現在7施設あります。



どこまでも続く大きな青い空と、思いっきり遊べる
広場をイメージして名付けたとの事ですが、



文字通り、どんどん広がって行ってますね。
こういった理念が具現化された場所が求められている証拠でしょう。



「北海道と九州熊本をみんなで 繋ごうプロジェクト」も
達成しましたし、これからの展開が楽しみです(´-`).。oO





「追記」



ちなみに児童発達支援・放課後等デイサービスは
児童精神科選びより難しいと言われます。



内容は本当に様々で、中には
学童保育と変わらないようなものまであるんですね。
(介護事業と似てるかもしれません)



そこで選ぶ大きなポイントは以下の3点。



これをクリアしているかどうかが
大きな違いではないかと思ってます。



・病院、または専門家と連携している機関である。


・母体が法人で福祉関連の事業を従来から手がけている。


・同じ事業体に放課後デイサービスもある。




参考になれば幸いです、
ではでは。




2016/05/28

今度はちゃんと。。。。






今日のランチは
自然食ブッフェ姫蛍さんで。




毎回食べ過ぎる。。。









その帰り、ホームセンターで「あるもの」を購入。












それがこちら。






サンセベリア(×2)!!









観葉植物は何度か枯らした経験があったので、
ずっとフェイクを使ってたんですが、





こんなのがいくつか。









今回は。。。。











今回はいけそうな気がする!







ちなみに名前つけました。
「ミチコ」と「セツコ」です。






「おまけ」






前回、クライアントさんとの雑談で
「いや~、花火大会ですか。うちは家族が
別々に行ってますけど、彼女となら楽しいでしょうね~」
と言われたんですが、










僕、一人です。
一人で見て、ひとりで帰りました。









( ꒪⌓꒪)
しばしの間、クライアントさん沈黙。






さすがに一人花火とは思ってなかったようです。








いっ、今は両手に花ですけどね!
正確には観葉植物ですけどね!










はい。
ではみなさま、よい週末を(・∀・)ダメダコリャ







2016/05/27

葉隠②



前回に続き、二回目。




人を切る必要がなくなった泰平の世、
武士は生き方・存在意義を明確にしなくてはいけませんでした。



普通に考えれば武士はもう「必要としない」。
しかし政治を司る役割でもある以上、そうはいかない、と。



そこで当時の学者たちは武士たちに
理論化、体系化された答えを与えます。



それが山鹿素行の思想を代表とした
武道から士道への転換、「武士道」なんですね。



山鹿素行






葉隠の著者山本は本居宣長同様、そんな
理論理屈や体系化された学問(漢意)を批判したのです。



魂の抜けた理屈だけの理論では私情に溺れ、
やがて道を忘れてしまうのだ、と。




若侍どもの出会ひの咄に、金銀の噂、
損得の考え、内証事の咄、衣装の吟味、
色慾の雑談ばかりにて、この事なければ一座しまぬ様に
相聞え候。是非なき風俗になり行き候。


(略)


今どきの若者、女風に成りたがるなり
結構者、人愛の有る人、物を破らぬ人、柔なる人と
云ふ様なるを、よき人と取はやす時代に成りたる故、
矛手延びず、突っ切れたる事とならぬなり。




面白い事に、現代人とさほど変わってませんね。
なるほど、精神というものは放っておけば
そういう風になってしまうものかもしれません。




故にそんな自意識(自我)を捨てよ、と。
勝手な解釈ですが無私の精神性こそ
「死ぬことと見つけたり」の本来ではないでしょうか。




命を粗末にしろという意味ではない。
「生存へと向かう自意識」ではなく
「存在へ向かう自己であれ」という事でしょう。



☞☞



とは言え、一度起きた風潮は変わらないもの。
明治では新渡戸がその思想を引き受けました。
後は説明するまでもないでしょう。



トインビーに従うならば繁栄は没落の開始、
ゴールとは終わりの合図です。



ローマしかり、大唐帝国しかり、
頂点へ辿り着いた後は、崩壊へと向かいます。
(豊臣もゼロサムになりましたね)



故に日本では「繁栄・成長」という名の「腐敗化」
抵抗していたのではないでしょうか。



まあ、ネガティブと言えば
それまでですけどね(゜゜)




「後記」



「予言、予感することは容易だが
それに対処する行動を起こすことは困難だ」



三島はそう述べていたと言います。
そんな早すぎた行動が死へと前進させたのでしょう。



林房雄は三度に渡り、三島に
「他の道はある迂回せよ」と説得したようですが、



「迂回」とは「行動するな」に等しかった。
自分は老いたる引き留め役に過ぎなかった、と。



「憂国の心情」から危機だと叫べば、
変人扱いされ笑いものとなるのは、世の常ですね。




2016/05/26

葉隠①



「武士道とは死ぬこととみつけたり」で有名な
葉隠は今からちょうど300年くらい前に書かれたもの、



佐賀鍋島藩士である山本常朝が
語ったと言われる談話を、後輩である
田代陣基が書き残し、編集したと言われます。



惰性で倫理観が欠如した江戸中期。
平和な時代の武士とは一体なんぞや?



著者は当時の武士の「在り方」を説いたのです。






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そんな葉隠はちょっと過激な物言いで
説教臭いところもあります。



結果、武士の「マニュアル本」みたいな
ものだと思われているんですがそうじゃない。
(そうでなければ三島が愛読するわけがない)



多分に、葉隠は当時の武士社会を
批判したアンチテーゼなのでしょう。



当時の武士道の根幹にあるのは儒教。
そんな儒教的武士道を批判したのではないか。



忠義を説きながら忠義を拒絶する。
そんな矛盾した理由がここにある気がします。




てなわけで、次回に続きます(゜゜)




2016/05/23

お祭り日記②










お祭り日記パートⅡーーーー!!










を書こうと思いきや、問題発生。













ネタ(写真)がありませんでした。
もっと撮ったと思ったんだけどなあ(;・∀・)あははは













ただ、動画をいくつか撮ってたので、
それをアップします!







🎇🎇🎇






まずは「至近距離で見た花火」。
めっちゃ近いのが分かると思います。










そして「水辺に移る花火」。





;




最後は一番お気に入りの
「月を取り囲むように上がる花火」



 





の3本です!




じゃあ、来週もまた見てくださいね!じゃんけん・・・ウフフフフ.








ふふふふふ・・・・ふう。








えっ?
これで、終わりですよ。








2016/05/22

お祭り日記①






どーもー









どーもー




























どーん
















祭り男だ





















どーん









んばばばばばん










えー、
遊びモードと普段のギャップが激しいと
よく言われる、unreve(兼祭り男)の坂口です。







てなわけで先日、
「日田川開き観光祭」に行ってきましたよ( ̄▽ ̄)





初夏の訪れを告げるこのお祭り、
九州では一番早い花火大会です。







☞☞




高速で走ること30分、開催場所に到着です。
(17時くらいに着くと、渋滞を避けられますよ)





大分は川が綺麗です。







日田は太っ腹で、祭りの日には
無料の駐車場をたくさん用意してます。




あっという間に埋め尽くされますけどね。






ずらー。







祭り初心者(笑)はちょっと歩いてでも、
一番奥(出口付近)に止めた方がいいです。





☞☞






テクテク歩いていくと
打ち上げ場所が見えてきました。




橋には仕掛け花火が。








屋形船も出てますね。
ここから花火を見たら、一生忘れませんよ(笑)








さて、開始まで一時間くらいあるので、
それまで市内を回りますか(´-`).。oO




かなり長い、屋台ロード。








まずは定番の・・・・






冷やしパナポ








うきー(≧▽≦)ぶれない美味しさ








からの








生絞りジュース!




はじめて見た。




グルグル回して、ジュースにしてます。





屋台のお姉ちゃん曰く、
「これ、めっちゃ腕疲れるんですよ~」と。




でもワタガシと一緒で、ビジュアルが良い。




屋台のアイデアとしてはナイスです。




美味かった。









さーて。他にもなんか
珍しい屋台は出てないかな~









珍しい屋台、珍しい屋台。。。















珍s








あんな大きなズワイが400円・・・・・・( ꒪⌓꒪)?









・・・・・・・・なるほど。










2秒考え、買わないことにしました。










次回に続きます。




近況とか。お知らせとか。




どうも、坂口です。
最近暑いですな(゜゜)



このあいだ、関東に行ってたんですが
むこうもやたら暑かったなあ。





来月は恵みの梅雨、




それが終われば夏、ですね。







そういや先日Comfort Life社
河村代表とお話ししてた際、



「これからは別業態(新規事業)を
10個くらいやらないと時代の変化に
耐えられない」と、ある著名な人が言ってたとか。



僕は気楽な個人事務所なんで
FC構築一本でも食っていけるんですが、



企業母体が大きい所はそういった方法でしか
ロバスト性を上げれないのかもしれませんね。




ナチュラル雑貨のNCLさん。
セレオ八王子や横浜みなとみらいさんにも出店してるので
知ってる人も多いでしょうね。




小売業は飲食業と比較して、
人件費や設備、イニシャルコストが低く、
季節、流行を追うアパレルと比べ、在庫リスクが低い。



さらに言えば「味」や「質」といった
提供商品のハード面で差が生じないことから
異業種から参加しようとする人が多いのですが、
簡単ではありませんよ。




SCへの出店が集客を肩代わりする反面、
撤退時のリスクが高いということも忘れないように。。




2016/05/21

医者兼患者




レトリックとは大衆の無知と弱点に媚び、
それをおべっかで欺くことで大先生だと思い込ませる雄弁術だ



そんなプラトンの言葉を思い出す今日この頃。
あーあ、夜中ってなんでこういうものを書きたくなるんだろう。




まっ、いっか(゜゜)最悪消せばいいし




☞☞☞




今ほどレトリックが、救う側と救われる側が
別れている時代はないような気がしますね。



それらは結局、無知と弱点に乗じたもの。
医者の立場から患者を診てるだけじゃないのかしらん。



医者が使命に捉われれば改良・革新家になります。
患者との争いがない以上、当然の結果でしょう。



ただ、そんな医者のカルテに患者が捉われば、
サナトリウムに入るしかない。



僕はそれについて疑問ですね、
本当にそれで良いのか、と。



そういった人は味方の顔をして、
実は最悪な敵なんじゃないか。



まるで境界線にいるピエロが
いつも悲しい顔を作って、笑ってるように








そういった意味で太宰の作品は
いっこうに好きになれませんね。




自己憐憫によって人の弱さを積極的に肯定した
動物的な自意識、




「生まれて、すみません」




それで良いんですよ、それで良い。
それが人間だもの、それがヒューマニズムってもんです。




ほら見ろ、と。
やっぱり青臭い弱点に乗っかってるじゃないか。




そんなん見ると、うぎーってなっちゃう(笑)




もちろん、人間自体は弱いもの。
「僕は弱くない」と言ってる奴が嘘つきなのは間違いない。



ただ、それは弱点と慣れ合っていいという
理由にはならないでしょう。




不思議なもので、強がっていれば
額面通り「あの人は強がりだ」と思われるけど、



反面弱っていると「あの人は弱がり」だと
思われないという、妙な心理(空気?)がありますね。




まるで、「より真実の自分に近い」と
言わんばかりだけれど、




大事なのは弱さを認めた上での挑戦でしょ。
僕はそう思ってます。




☞☞



本当に力のある思想は、そんな弱者の立場や
教義的な場所にずっと居座ってはいません。



彼らは医者の立場ではなく、医者と患者を兼ねている。
いわば最先端の医者であると同時に、最先端の患者の立場にいます。



だからこそ、実証できないけど存在するものに
献身する。ここが信仰の領域なのは言うまでもない。



宣長の言う「いみじく、すぐれたるもの」。
彼らの神とは「上」でしょう。




あっ、話しが飛んできた(笑)
見れば5時になりそうなんで、そろそろ寝ます。





2016/05/20

結局、一貫した信念がある人には敵わない




コンサルにせよ、講師にせよ、コーチにせよ、
情報の売買が蔓延し、汎用化されるのに伴ってか、
知識を共有するのではなく所有することに
固執している人たちがいます。



あれも、それも、これも・・・ぜーんぶ「知っている」と。
まるでコモンズの悲劇のようです。



そんな奪い合ってメッキ張りした知識人から
パクられるのがとにかく嫌で、
ブログを書くの止めようとまで思ったんですが、



似たようなことやってるな、と。
バカらしいので止めました(゜゜)モウ、ミナイ




ただ癪には触るので一言。
いや、二言、みこと(笑)




てなわけで、今回は超個人的な
懲らしめ記事ですので、ご了承のほど。。。。



みんなのものを独り占めすな




そもそも論で言えば、たとえどんなに知識を
持ってたとしても、一貫した信念がある人には敵いません。



言い換えればひとつの経験に向き合い
それを大事にしている人ってこと。



その「育む姿勢」こそ、能力であり「強さ」でしょう。



一見、他人からすれば「つまらないこと」、
「意味がないこと」も真摯に向き合うことができる、
そんな人の人生に無駄なものなんてひとつもありません。




たとえそれが遠回りでも、不器用でも、
不格好だったとしても、全く問題じゃない。




それを雑に扱って大事にできない人間が
あーだこーだ、言うんじゃないよ、と。




☞☞☞



見渡せばそういった知識人は男性に多く、
個別的な経験であっても雄弁に語りますね。



例えば恋愛について様々な知識を持ってると言い、
それを分析的、専門的に詳しく説明する人がいますが、



そんな人を「わかってる人」だと言えますか?
人間的な深みなんて、全くないでしょう。



それよりも僕は、たった一人の恋愛経験だとしても
その人を心から愛し、信頼している人の方が100倍
恋愛を理解してると思ってます。



他人がどう評価しようと、そういう人は恋愛について
それが何であるか」を知ってるはず。



人に話せるほどの知識はないかもしれないけど、
知識なんて人と心底向き合っていれば、逆にいらないもの。



故に、だからこそ、
自分の人生を賭けることができるんじゃないですか








これは恋愛だけの話ではなく、
あらゆる物事に対しても言える事。



仮に一冊であっても夢中になって
読んだ経験がある人は、機械的に
100冊読んでる人よりも大事なことを掴んでます。



心理学なんて知らなくても、長年の人生で
様々な経験をきちんと受け止めてきた人の方が
人間のことをよく分かってるはずです。



それってまさに直接的な経験の立場と
客観的な立場にいる人の違いでしょう。




知識人はこの肝心な部分が分からないんです。
分からない場所にいるから、永遠に知識を追いかけるんです。



☞☞



現在、本当に自分らしく生きるために
色々なものを「知らないといけない」と
思いがちでしょうが、そうじゃない。



「知る・知らない」という相対的(無限ループの)
価値観から抜け出し、そこから確かな根を
張ることができたなら、仮に教えられなくとも
何が必要であるか自ずと明らかになってくる。




小林の言葉を借りるならば、
主観的にそんな気がするというものではなく、
そう気付いた、そう考えたわけでもない。



ただ、そのことが直接的に「はっきりと解る」。
そこには膨大な知識は無力です。





2016/05/13

対話篇











「マスター、もう一杯」




「今日は飲むね」




「久しぶりに一人だからね」




「いつものおチビちゃんは?」





「沖縄。おかげで好きなだけ飲める」





「たまにだから良いんだよ。
ずっといないと、寂しくなる」





「そんなもんかね」










「スマホ解約してガラケーにでもするか」




「どしたの。いきなり」




「いっそのこと、ブログも辞めるか。
営業はHPとアナログで十分だし」



「たったの6年でもうネット嫌いになったか(笑)」



「概念をパクるのは勝手だか、それをさも
自分の考えだと言ってる奴、そして間違って
解釈して語ってる奴・・・見てて耐えられんよ」



「結構いるね、漢意で大和心を語る人」




「これじゃ平田篤胤と何も変わらん。
大声で叫んで、人を間違った道へ導く」




「パクるなら正確にパクれ、ってことだ(笑)」




「本当に日本の流れを知ったら
眼からウロコが落ちる、間違いなく落ちる」




「頭で解釈した人の言ってるやつは逆だね。
目にウロコをつけちゃう」



「いつの時代も、男は愚かで、アホだ」




「で?これ以上書かないの?」




「後追い君が何を語るか見てみようと思う。
どうせすぐボロが出るから」




「厳しいね」




「いくら過去の記事を改ざんして
本人が変わってない」




「言行不一致か






「往生際の悪い奴ばかりだ」




「もしかするとネットって、
醜いところを映す鏡なのかもしれないね」





「そうかもしれないな。
現実の付き合いが大人しくなる反面、
文字を書くと途端に激しくなる。」




「王様の耳は~・・・・か(笑)
まっ、目の前に穴がありゃ誰だって叫びたくなるか」




☞☞☞





「流れってのは、一度できたら止まらんね」




「そうだね。僕は気にしないけど」




「多分、何かが足りないから・・が原因じゃないな。
むしろ逆、あり過ぎるんだ」




「そうかもしれないね。今は豊かだ」




「そこからさらに「不幸」を避けようとするから
「不安」が増しているんだ」




「その不安を解決しようとすると
おかしな思想にコロっといってしまうんだろうね」




「それが大衆心理の入口ってやつだ。
ヤスパースは大衆と民族には
決定的な違いがあると言っているよ」 



「あはは。民族は様々な秩序に成員化され、
生活方式、思惟様式、伝承において自覚的である・・・でしょ」



「共通した雰囲気を持ちながら、個性を持っている。
反面、大衆にはそれがない」



「無地盤と空虚はセットだからね、そんな人が
宣伝と暗示の対象となるのは仕方ないよ」



「ニーチェはすごいな。それを早くから
予感して、俗衆社会だと抵抗してた」




「でも結局、世界はそっちに向かってるわけでしょ」




「・・・・・・・」




「良いじゃない、それも時代の流れってやつだよ」




「分かってても気に入らないな。
外的必然性を信じるってことは
自分を一個のメカニズムだって信じることだぜ?」




「今の世界は法則ばかりだね。
それに従えば、お金とか健康が手に入ると思ってる」




「機械的になってまで欲しいのかね。
ずいぶんと幅の狭い人生だ」




☞☞




「でも揺り戻しが来るでしょ、
君もよく言ってるじゃない」




「そうならないかもしれないね」




「揺り戻しは起こらない、と?」




「同じところをグルグル回ってる気がする。
そんな日本回帰なんて、ナショナリズムにすぎないよ」



「なるほど、単なる交替の繰り返しってことだ」



「全体主義の次にデモクラシー。そして独裁。
それがまた全体にとってかわられる・・・・。
志向性がなきゃ、ただの役割交替だ」



「歴史は必ず進歩するという考えは
その場合、ちょっと違うね」



「そんな中、大衆化だけがどんどん進歩している。
これが最近どうにもならないって思ってきた」



「まあ、この国は自由主義国家ですから。。。」



「人をどこぞの独裁者みたいに言うな(笑)」




「距離を置けばいいんじゃないの?
地盤なんて、言われて作るようなもんじゃないし」




「大衆化とは特定個人の変質じゃない。
大衆的な扱いが常識になるってことだ」



「?」




「書斎で魂削ってる批評作家と、ネット掲示板に
悪口を書いている人を同じ扱いにしてしまう空気だ」




「一般的な「孤立」っていうカテゴリーに
まぎれ込んでしまうってことだ」




「自分から求めて孤独になっている人と
嫌いな人を拒絶しまくって、孤独になった人を
一緒にするなんて、まともじゃないよ。








「でも、中国とか北朝鮮のような国だと
抵抗したり孤立することすらできないわけだから、
ある意味平和で良いんじゃないの?」




「確かに。あっちだと粛清~ってやられるな(笑)」




「もっと良い部分を見れば?」




「アメリカみたいなポップな大衆化、
北のような従属化、戦時中の日本みたいな
国粋主義、どれも御免だね」




「だからヤスパースを持ち出したわけだ」




「あいだ、彼の言う「公衆」の立場にいたい」




「ソクラテスに対するプラトンだね。
キリストに対する12使徒、孔子の弟子の位置・・・か」




「僕は天才でも聖人でもないからね。
真っ当な人の真っ当な考えや作品を後世に伝えたい」




「じゃあ、なんで辞めるって言ってんの?」




「・・・・・・」




「・・・・・・」





「どうやって量を作るんだろうな」




「?」





「質だけではダメだから量で行こうと
思ったんだけど失敗した。そっちは危険な思想だった」




「量の定義が違ってたってことだ」




「そう、たくさん書くとか、マスコミに流すとか
ファンを増やすとか、雑誌に連載を書くことが量だと思ってた」




「それってまさに、横軸的な量だもんね」。




「そこに精神を提供すると、おかしくなった。
多分に、本来の量は「力」なんだろうな」




「質の回帰ではなくて、質量を超えたもんか」




「三島、小林、本居、ゴッホ・・・
時代を超えて現代に蘇ってる人は皆、力を持っている」




「バタイユ、さっきのニーチェもそうだね」




「だから困ってる。仮にそれができても
現実に負けてしまうよ」




「そりゃそうだよ。それは利潤を追求する経済とか
権力闘争の政治の世界では失敗する考えだもん」




「タックスヘイブンを正当化する経済なんてクソだ」




「まあまあ(笑)」




「そうなるともう、社会が権欲と物欲を超越するか
喪失するか以外、道がない気がしてね」




「・・・・・・一回、ローラーがダーッと
地面を荒らすまで待つってこと?」




「その後でゆっくり木でも植えりゃいい。
ローラーは経済人か政治家が勝手に引くだろ」




「それも良いかもしれないね。
君、基本的に遊び人だし。すぐ離れられるよ(笑)」





「かもね」





「しばらくの間、ゆっくりしたら?
例の件も片付いたし、丁度良いじゃない」





「・・・・・・・もう少し考えたい」





「執着を手放したら、
新しいものが入ってくるって」





「その法則が嫌いなんだって。
知ってて言ってるだろ(笑)」






2016/05/10

こころ、奪われるもの




この間、大分で秘宝を発見したので
それを飲みながら書いてます。





さすが秘宝。
さっぱりして、スイスイいけますな(。-∀-)んまー







そういやみなさん、綺麗なものを見たり、
美味しいものを食べたりした時って、
感動のあまり我を忘れたりしませんか?




僕はちょいちょい、経験があります。
そういう時って話す(説明する)のが
野暮ったく感じるんですよね。



多分に、優れた価値、美しいものには
我を忘れさせてくれる作用があるんでしょう。



てなわけで、今日は「価値」について。
あくまでも個人的な意見です(゜゜)








さて、一般的な価値と言えば相対的なものですが、
僕が思う「本当の価値」は相対的な何かではありません。



多分に絶対なものと「どこか」で
結びついているんじゃないかと思ってます。



理念が絶対的な幸福を照らし返すように、
比較するところにそれはない。



もし仮にそれで定義され、止まるような価値であれば、
それは単なる相対値に過ぎないでしょう。



例えば「おふくろの味」って
「不味い」に対する「美味い」ではないですよね。



味うんぬんじゃない。
もっと別の、(大げさにいえば)歴史的なものを
思い出させてくれる、唯一無二の食事なんです。



☞☞☞




また、絶対的な価値が発揮されているものは
見ている側に「自分もやってみよう」と思わせますね。



「私ってスゴイでしょ!」って言う
自意識ではなく「もっと知りたい」という
精神状態(無私)になる。



それも絶対的価値(最高の個性)の持つ魅力ですね。
一流の人はもれなく、そういった個性を持っています。




だからよくパクられる(笑)
これはある種の宿命ですよ。








情報化社会においてホンモノの定義が
「売れているから、選ばれてるから本物だ」という、
優勢劣敗、相対的価値になってしまっているけれど、




個人的には
「いかにそこから抜け出すか」ではないかと。



遠回りのようですが、多分にそれが最短です。




「後記」



全身全霊で「交わる」と、「私」は簡単に消えてしまい、
そこから再び我に返ることで、その体験は内部に吸収されます。



これは真剣に何かに取り組んだ時を思い出せば、
容易に分かることですよね。
そうやって人は成長していくのだと思います。



そんな「忘我」は理性を前面に出している限り
得ることはありません。



なぜなら自意識はそれを「恐ろしい」と感じるのです。
「わたし(我)を投げ出しても大丈夫だ」という
直接的な経験を持っていないと「迎える」ことは難しいでしょう。



「投げ出し」と「受け止め」を
少しずつ身につけてみてはいかがでしょうか。




・・・・・秘宝が回ってきたので今日はこのへんで((( ̄▽ ̄)))





2016/05/09

生まれ故郷へ②






夕方過ぎに湯布院へ到着。
この間、地震があったせいか人が少ないですね。








そこで「一人食べて応援」を決意(笑)




まずはご当地バーガー「ゆふいんバーガー」。






めちゃくちゃ美味そうでしょ~
しかも見てください、このサイズ!




いつものタバコ比




これでレギュラーサイズですからね。
ボリューム満点です(´艸`*)



夢中で食べる僕









(;・∀・)ゲフッ








さっきの地鶏、食べ過ぎた。。。。





☞☞





お腹いっぱいになりつつ、
メインストリート「湯の坪街道」へ。




温泉街は全国あちこち言ってますが、
湯布院はかなり洗練されてるんじゃないかしらん。













フクロウとかもいます。





ここには色々なスイーツ屋さんが並んでいるんですが、
お勧めは「由布院ミルヒ」さんのケーゼクーヘン!




新感覚のチーズケーキなんですが、
これが感動の美味しさなんですよ(´▽`*)




この下は







こうなってます。








ホットとアイスが選べますが、
どちらも美味し~♪






☞☞





温泉もあるし、水は綺麗だし、ご飯も美味しい。




よかとこ、よかとこ、湯布院ドライブ日記でした。










自然はなくしちゃダメですね。