2016/11/13

伝統と惰性の違い





今日は継承知について(゜-゜)




さて、この国だけに限らず長い歴史を
持った共同体には必ず伝統文化が
形成されますが、同時におかしな慣習も生まれます。



例えば切腹とか、姥捨てとか。
マニアックなもので言えばおじろくとか。



高校野球の坊主もそうですね、
バカでも長男という考えは今もあります(笑)



それは伝統などではなく 惰性であり
弊害を生み出す元である「因習」なんですが、
玉石混交が玉石混交のままになる場合が非常に多いのです。






昔の中国にあった纏足文化。




大小差はあれ、こういった悪弊は
時代と共に無くす(もしくは変える)必要が
あるのですが、そんな昔からの惰性を
さも継承する文化のように捉えている人が
たくさんいるものです。



昔から続いている仕事だから」とか
とりあえずやることになっている」 とか。



明確な理由がないのにそれを
「変えてはいけないもの」と
思い込んでしまっているんですね。




ともすれば「守らないといけない」という
強い意識を持ってしまう人もいる、と。
そう言った人が上に立つと疑問を持つ人を
「無礼だ、非常識だ」として、阻止しようとします。



しかし不要なものは不要です。
必要ない仕事はどれだけ上達しても意味がない。




そんな時代と共に変わる「要・不要」の
是非を対話していないから、全部残すか
180度変えようとするのですが
それは単なる思考放棄にすぎません。



折衷案である「見極め」をやってないだけ。
保守も革新もこの見極めが必要でしょう。


☞☞



伝統継承には必ず意味(価値)があります。
制度も同様、それを伴ってるから我々は守るのです。



それが理念である幸福に集約されます。
伝統も我々が幸せになるために作られるもの。
制度も「全員が」安心し快適になるためのもの。



そんな単純な幸福主義はあらゆる思想を
打ち負かす力を持っています。我々の先人たちは
そんな「常識」を目指したんじゃないかしらん。




常に変わって行く(無常)の中に
幸福という(常)を認識しよう、と。
これが民主主義の原点だと思ってます。






「後記」




戦後、この国がモデルとし、習慣にまで
なりつつあった西洋諸国の現状を見れば
どうも残念な結果にしかなってない気がしますね。
(幸せなら、選挙であんな結果にはなってない)



しかしこの国はまだそれを目指そうとしている。
僕にはそれが「因習」のように見えます。






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