この間、誕生日をみんなで
祝ってもらいまして、次の日
声がガラガラになるまで笑い、歌い、語りました。
あれほどはしゃいだのは久しぶりですね。
とても楽しかった、ありがとうございます^^
メッセージも色々と送って頂きました。
近況を見ればオーストラリアとか
アメリカに行ってる人もいるようで。
一年でずいぶんと変わるもんですね(゜゜)
みんな、目指すべき道へと進んでいるんでしょうな。
そんな場所があるからこそ、一人の思想に潜れる
余計な考えさえしなければ、我々は
自然に、自らなるところに落ち着くのでしょう。
それは先ほどのような表面的な
ライフスタイルではなく、内なる心の在り様です。
なるほど。
僕はなろうと思えば絵描きにもなれたし、
音楽家にもなれた。
必死に勉強すれば公務員でも
税理士にでも、なる道はあったと思います。
工場で何かを作る仕事にも就けた。
華やかな職業にも就くことができた。
成果や結果はどうあれ、選択はできた。
それは今だってそうです。
しかし、その選択を行う自分というものだけは
永遠に自分以外にはなることができなかった。
今の僕はたまたまこういった
仕事を自覚的に選んでいるのですが、
僕は僕にしかなっていない。
この不思議さに驚く人は少ないようです。
☞☞
我々は社会で生きていくうえで、
様々な役回りを演じ、その都度仮面を付けるけれど、
それはあくまでも仮面であって、
その役回りをただやっているという自覚を
常に持たなくてはいけません。
でないと、その役自体を
自分だと思ってしまいます。
そうなると、人はどうなるか。
似たような役回りの人との比較でしか、
自分の価値を判断できないようになってしまうのです。
当然、それでは不足ばかりが目についてしまう。
いつもアクセクして、心は安まる暇がありません。
ともすれば、雨風をしのげる家があり、
ちゃんとご飯が食べれるという
当たり前の暮らしにも満足ができなくなる。
自分の欲や、世間の価値観に
振り回されているという「今の状態」が分からないのです。
内的な幸福を無視して外的な勝ちを求める。
それは仮面をつけた条件下での「勝利」でしょう。
では、それを取った自分が求めているのは何?
どうも僕は、それを知りたがる癖があるようです。
多くは答えられないのですが。
☞☞
もちろん人の人生はそれぞれ、
各自めいめいにやれば良いでしょうし、
そもそも、歩きたくない人を歩かせることはできない。
これはいつの時代においても変わらないものですね。
何かについて語るのは、やはり難しいものです。
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