2015/02/04

適当な幸福論

こんばんわ、坂口です
二月に入りましたね^^



如月の名の通り、
重ね着してこれ書いてますφ(.. )









さて、今年の僕の抱負は
動く年だとブログでも書いたんですが、



だからといって、バタバタやってる
わけではなく、いい加減で適当にやってます(笑)



「いい加減、適当」=「相応しさ」




現在、この言葉はネガティブな
イメージを持たれてますが、




僕は「いい加減」が大好きです( ̄▽+ ̄*)ニパッ




色々と動くのは大事ですけど、
考える事を辞めていいわけじゃない。




もし、直感だけを頼りに動けば、
それはそれで、気楽かもしれないけれど、
振り返ると虚しい時間にもなります。




下手すれば、流されるだけに
なってしまうでしょう。
��会社員時代の僕のように)




同時にやってこそ、充実する。




僕らは考える葦、
思考する生き物でもありますからね^^




☞ ☞


現在、「ひとり考える」ことが
とても難しくなっているように感じます。



ネットによって他人と
いつでもどこでも繋がれる
環境の中、我々は生活していますので、



外部との「境界線」が非常に
曖昧になっているのではないでしょうか。



それは、一人の時間というものが
どんどん失われていく、ということ。




故に、だからこそ
自己の向き合い方や内部対話が
より必要となってくる気がします。




それができる人は、
容易に道を間違ることはないでしょう。



もとい、間違えたとしても、
自分で修正ができる。



その修正とは、「自分の世界認識」。
自分だけが幸せになる世界ではないか、と。



これはちょっと、とんでも話なんですけど、



もしかすると、自分と他人の世界は
まったく別物なんじゃないかな、と
思っているんです。




我々は、同じものを見ていて、
同じ様に感じているのでしょうか。



ちょっと怪しくなってきましたな(笑)
まあ、最後まで書かせて下さい。


☞ ☞



例えば、自分だけの概念って
ありますよね。



10人中9人が「白だ」というのに、
どうしても「黒にしかみえない」。




おかしいな、なんでだろう。
僕はおかしいのかな、なんて。




そうやって世間の意見に
迎合してしまう人が大半です。
��もしくは二項に分かれるか)



でも、それってホントは正しくて、
その独自性を世の中に現すことが、
大事なんじゃないかなって思うんです。




だいぶ前に書いたように、
世界は真っ白なキャンバスなんで、
好きなように書いていくものだと思ってます。




それは言ってみれば
��自分だけの世界を可視化すること」。




それによって、まだ知らない
もしくはなんとなくの感覚を
目に見える形にできるかもしれない。




それってすごく大事だと思うんです。







世間はみんなに見えるものだけを
大事にしなさいとか言うけど、




皆には見えないけど
自分だけが見えるものって必ずあって、




ここに幸せはくっついてるんじゃ
ないかな、と思ってるんですね。




ん。長くなりました。
次回に続きます。

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