2015/02/08

適当な幸福論2

こんばんわ、坂口です^^



さて、練成講座の開設に伴い、
高知県にある「岡潔思想研究会」との
ご縁を頂きました。



代表の横山氏は、岡家に何度も
足を運び、膨大な未発表の資料を集め、
この会を立ち上げたそうです。



生前の岡潔の側近である松澤氏も
参加され、活きた知恵を知る事ができる、



こういった出会いは
とても人生が豊かになりますね^^





さて、近況はこのくらいにして、
前回の続きでも。








我々はつい、相対的なところから
ものごとを組み立ててしまいます。



与えられた情報や、もっともらしい
ネット等の書き込みに迎合してしまい、
それが本来の世界だと思いがちです。



ただ、誰かの価値観の上に
あぐらをかいてしまえば、
思考は簡単に止まってしまうでしょう。



個人の幸福もしかり。



外部の幸福観というものは
さも万人向けのように仕立て上げますが、



それを手に入れれば、
必ずしも幸せになるものではない。



そもそも、外部派生の欲望は
必然的に飽きてくるものです。



家だって、車だって、嬉しいのは
最初だけだったりしますよね。



資本(マネー)も、万人を永続的に
幸せにすると思われがちですが、



貯金を1億もっていれば、
毎日幸せを感じれるものでもない。




ただ、これもまた絶対ではない(笑)
(車好きは車に飽きないので)




「無性の欲求」なんでしょうね。
それ以上は定義ができませんわ。



☞ ☞



閑話休題、
外部の相対的な幸せだけを
追求すれば、競争し、奪い、
独占する志向性になりがちです。




結果、劣等感や執着などで
苦しむこともあるでしょうし、



争いの原因は、相対的なものを
絶対だと思ってる事が大半です。



私はこう見えて、こう映る。
だから、これは本当だと思う、



私はこう見える、こう映る。
だからあなたは間違いだと思う。






こういった正誤(善悪)判断
そのものが、なくなればいいですね。




最近のテロのニュースを見てて、
得にそう感じます。



☞ ☞



自己中心である無性の幸福。



それはその人だけの
オリジナルな幸せです。



それは何かを作ることかもしれないし、
踊ることかもしれない。



歌うことかもしれないし、
描く事かもしれない。



やりたいから、それをやる。
これだけで十分じゃないでしょうか。



いろんな人の幸福論を聞くことは、
それはそれで良いんだけど、



その意見の多くは、
短期的なものばかり。



「これやってる人は不幸」って
いう、幸せの伝道師さんは多いけど、



「現在」辛いように見えるだけで、
他人に将来までは分かりません。




不幸を体験したからこそ、
将来の幸福を噛みしめられるかもしれませんしね。




それぞれが、それぞれに、
追求すればいいではないか。



僕はそう思ってます。







それがもし、人様のお役に
立てたとすれば、これ幸いです。




それができた人だけを指差し、
世間は成功者だと言ってますが、




僕はオタクの人や売れない作家でも、
立派な成功者だと思ってますわ。






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