なぜ、多くの企業が「大企業病」を起こすのだろうか。
なぜ組織が硬直化し、進化が進まないのであろうか。
それは権威による管理主義を超えられないからである。
それは所属する従業員の不活性やフロンティア精神欠如、
イノベーターの不在(流出)を意味する。
以前、セコムは組織が肥大化するにつれ、
それまでは活気ある風土がどんどん消失していくのを感じた。
そこで企業の中にいくつもの「みなし企業」を作る事により、
それを取り戻そうと試みたのである。
拘束からの解放(脱管理)が必要だというのは毎回書いている。
そしてこの「脱管理」とは「管理棄却」ではない、
それは「メンタル・モデルの構築」なのである。
我々の中にある「メンタル・モデル」と「現実の状況」が
食い違いを起こし、実行へ進めないか、もしくは誤った行動をとらせるのである。
つまり大企業病とは管理下における「慢性的な消化不良」なのだ。
人間と言う道具を使う以上、メンタルモデルはバラバラである、
それが相互作用として働き、結果イノベーションとなるのだ。
ドラッガー曰く、
「資本主義社会の後にくる知識社会では、知識は単に伝統的生産要素としての
労働、資本、土地と並ぶもう一つの資源というよりも、ただ一つ意味のある資源」
と定義している。
情報は、無から生まれるわけではない。
それは、コミュニケーションの中にしか存在しえないので、
必ず、複数の人間の存在(コミュニティ)が前提となる。
また、相乗的なコラボレーションにより価値が創造される、
つまり「1+1+1」の結果が「-,0,+」になるのだ。
これは同一作業の協同である足し算ではない、
下手すれば0(無価値)、最悪マイナスにもなるのだ。
情報というものが社会の中心価値に変化するのに伴い、
既存組織からアンバンドルされ、リコネクト化している。
つまり、中央集権型情報処理から自律・分散・協調型情報編集という
シンクタンクのネットワーク型(シンクネット)への移行である。
この二分法では捉えきれない、「どちらでもあり、どちらでもない」
といった矛盾した構造システムがリゾームの一側面である。
経営者であり、従業員、外部であり内部。
それは階層を持たず、自由な環境ともいえる。
それは時代の要請ではないだろうか、
さらにそれは形式知ではない、暗黙知としての要請なのだ。
ここが一番難解な部分である、
つまり「内在する感覚」だけが頼りなのだ。
つまり知識社会において、
経営一般論は意味を失い、すべてが個別論となる。
☞ ☞ ☞
これまでの構造とこれからの構造のシフトは以下のような具合だ。
【既存構造】
・メカニズム
・物質生活の向上
・所有権・
・持続的成長のための資源配分
・開発・再分配
・武力・経済力
・軍隊・政府・企業
・服従・選択
・戦場・議場・市場・制裁・報酬
・法律遵守、合意・契約締結・履行
・収奪・交換
【移行構造】
・オーガニズム
・コミュニケーション生活の充実
・文化的な
・智力(情動力)
・コミュニティ、教育機関、NPO
・参画・理解・評価・熟議・統合・納得・自発・協働
・智場(ネットワーク・コミュニティ)
・注目、共感、信頼、尊敬、好意
・自発的宣言・貢献・共鳴
・交流・協働・創造
あくまでも予想であるが、
水面下での流れを見れば、概ね正しいようだ。
我々はその複雑系のシステム自体は知らなくても良い、
知るべきはそれに対してどう動くのか?だろう。
余談だが子供たちの「ごっこ遊び」は創造的だ。
その時により、子供たちは医者にもなれば、サルにもなるのだから。
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