2015/02/08

朝の唄

最近、我ながら、成長したと思える事があった。




それは人に話したら笑われてしまう程度の

小さなものに過ぎない。




しかし、最近の出来事が、

まるで子供の頃のように思える程だ。





我ながら、我ながら。

ただ、この僕もまた、笑う時が来るのだろう。





こうやって書いている自分もまた、

いつかは矛盾するだろう。




そして、それについて書いたことも、

またそのいつの日か、矛盾しているだろう。




それで良い、それで良い。

それを僕であったと認識できるのだから。




☞ ☞



時間とともに、容姿も考え方も違っていく。

しかし、身体中の細胞が全部入れ変わっても、僕は僕以外にはならない。




時間とともに変わる、不連続性を持っている僕。

動的であり、毎秒ごとに変化する。




そんな「変わっていく僕」を、

間違えず、きちんと時系列に並べている「変わらない僕」がいる。




それは時間の概念なく、連続性を持っている。

静的であり、不動である。




つまり流れる時と流れない時という、矛盾した

二つの相を統一することによって「僕は僕である」と認識している。



「一即多、多即一」。

そんな無意識の朝の唄。





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