2016/09/20

反抗期の思想





時代と共に価値観の大転換は起こるもの。
多分に常識や秩序はいずれ壊されるよう
脆弱な部分を内包しているのでしょう。


しかし、全部が全部壊れているかと言えば
そうではない。壊れているのは「知識(枝葉)」の部分です。



例えば、マルクスやエンゲルスが掲げた
社会主義というものはすでに終わったかに見えるけど、
実際は「知識としての社会主義思想」が終わっただけのこと。



つまり「知識」が新しい時代にそぐわない、
分析するには不十分な材料であると
言っているだけに過ぎない。



本来の「それ」は存在論による葛藤の経緯から
出来上がった思想体系であり、決してマル経のような
亜流とは違うものです。


プラトニズムしかり、
やがて新たな主義として復活するのです。





逆にその力がないものはいずれ終わりを迎え、
二度と復活することはない。



なぜならそれら思想は右往左往したわけでもなく、
混沌と虚無の海から何かを拾い上げたものではないから。


既存の影響下から生まれた、対抗自意識(思想)に過ぎないのです。



「アンチ」保守や、「アンチ」資本主義。
そんなもの、ただの「逆張り」でしょう。







身近なところで言えば自己抑圧に対する
自己表現や、不自由に対する「アンチ自由、解放」。



現在、そんなプチ・イデオロギーが溢れ、
「旧時代の常識なんてもう通用しない」と言ってますが、
そんな反抗期みたいな思想に力が宿ることはない。



本来の「それ」は外部からの抵抗ではないもの。
半ば強迫観念ように、自分を追い込まないもの。



端的に言えば「自然なもの」、個人的にそう思ってます。




0 件のコメント:

コメントを投稿