2014/02/10

いのちの賑い




典型的な概念を持っている人が
大半であれば、その典型的な脳で作った
社会が常識の定義となりますが、




類似性が増せば、当然ながら独自性は減少します。
よって我々は逸脱しなくてはならない。



変わってる奴って言われると
ちょっと凹んでしまいますけど、



そんな生命(いのち)のにぎわいによって、
我々はロバスト性を持つのは間違いありません。









そもそも進化と言うものは
後になってしか知ることができない
「予測不可能な過去の検証結果」です。




そんな予知できない未来に対し、
種の将来を保障するには多様なケースを作らないといけません。



故に進化は多様化が絶対条件であり、
その多様化とは簡単に言えば「異質との共存」なんですね。




種の多様性が高く、生態系機能の
幅が大きければ大きいほど、



大きな環境変化が起こっても、
それに対処するだけの選択肢を持つことができるのです。




☞ ☞



例えば人間の遺伝子は全員が違っています、
ほんの僅かな違いですが、同じ遺伝子、同じ体質の人は存在しません。




その為、どんな恐ろしい病気が広がったとしても
人類そのものがそれによって滅亡することはありません。




その病気にかからない人が必ずいる、
そこからワクチンを精製し、克服できる。



これが画一的な遺伝子であれば
人間は一つの病気が原因で、
滅びてしまう可能性だってありますよね。



☞ ☞



個体の生存率や繁殖率を左右するような変異遺伝子は、
「自然選択」により増減すると言われます。




一方で、生存・繁殖率とは無関係な変異遺伝子の割合は、
偶然によっても変動し、これを「浮動」と呼びます。



つまり遺伝的多様性や独自性は、
このような偶然と必然の結果が複雑に影響しながら




長い時間をかけて形成されている、と。
決して「変化に対応できたもの」ではないんですね。





異質をもっと認めてもよろしいのでは、と。