2016/06/29

「チェーン店はそこそこ」というイメージから脱却しよう




今日は郊外型・フルサービスのコーヒーチェーン
「コメダ珈琲」を運営するコメダホールディングスの上場日ですね。




「質にこだわり過ぎの」コメダ、他社がパクリまくり?
でもマネできない謎の超高収益経営
(クリックすると元記事に飛びます)



数年前にコメダ珈琲が九州に進出してますが、
こちらでも受け入れられてるようです(゜゜)けっこう増えた。



僕も利用したことがありますが、
一つひとつのメニューに存在感がありますね。



なるほど。馴染む店は、
ハズレ(作りのあまい作品)が少ない。



クライアントさんも
「一番簡単で確実な集客方法ですよ」と言ってますが
なるほどな、と思います。






今までシロノワールを「シノロワール」と思ってた。






「数打ちゃ当る」的なメニュー構成では
本来の完成度は問われない環境となりがちです。




そうなると「そこそこ」が増えてしまい、
期待値は低いものになってしまいます。



そんな状態で「新メニュー発売」とした場合、
あまり興味を引かないんですね。
「どうせこの程度だろ」と。



もちろん「美味しい」という指針は
人によって違いますが、それは
基礎が適当で良い理由にはならないんじゃないかな。



イメージ通りのカットをしないサロンや
なんとなく居心地が悪いカフェ、



満足しないエステや、あまり美味しくない飲食店に
何度も足を運ぶ人は少ないはず、



「モノではなくコトを売る」のは大事ですが
それは大前提のモノがあってこそですね。




「後記」



繰り返しになりますが、それは
一生かけて腕を磨く職人を目指せと
言うものじゃありません。




提供する商品だけに集中してしまうと、
「商品は良いけど儲かっていないお店」になる。
美味しいけど潰れる店はたくさんありますよね。




コメダ社のビジネスモデルが
効率と非効率の組み合わせ」であるように、
明確な指標と感覚的な指標の両方が必要ではないでしょうか。



それは広義の意味で
現場を知ると言うこと。



聞けば社長の臼井興胤氏は入社前に
立場を隠し、各店舗でアルバイトとして働き、
今でも週に一度は朝6時から9時まで店舗で自らコーヒーを提供しているようです。



つまり研究室でコーヒーばかりと向き合っていない。
数字だけで判断していない。



ココイチ社長も現場主義を貫いてますが、
現場には全ての答えがある証拠だと思いますね。






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色彩





春に見た美しい桜は自然の産物であるが、
自らが作り出した美しさを平気で飲み込むのも
自然の産物である。



自然に対する畏怖の念が強くなる昨今、
それは多分に、我々の過ぎた驕りの反映かもしれない。



情緒より合理性を重んじ、
自然ではなく人間を絶対主としている間は
謙虚さというものを会得することはできないだろう。



無論、片側の極端まで達したところで何も偉い事はない。
その両極端に触れ、間を満たすことが本来ではないか。



その極端の「どちらがどちらを内包しているか」を
見極めれば、正しく射貫くのは容易な事。



間違った場所を射貫けば、歪みが起こる。
その歪みを制御しようと射貫けば尚、歪む。



その一歩手前で止めれる知恵が加減であって、
第三の秩序と呼ぶべきものであるのは間違いない。




これができるのは人間だけだろう。
バランスという名の秩序は曖昧な存在である
我々にしか、作れない。



極端な光を善と呼び、極端な影を悪と呼ぶ。
全てを塗りつぶすのが黒であれば、
全てを見えなくさせてしまうのが白だろう。





善悪生死、その両義性を内包するだけで
生が輝くのではない、それはただのモノトーンである。





超克し、明確な自分の色を表現しよう。













2016/06/27

もうすぐ。。。





こんにちわ、坂口です。
先週末から祇園山笠の飾り山が
一般公開されましたね~(´▽`)








新天町にて






新天町は今年が創業70周年のようで、
飾り山を手がけた博多人形師さん曰く
「後継者が育つ新天町の若いパワーを
分けてもらう気持ちで作りました」とのこと。






ステキですね(^^)
博多の夏はもうすぐです。




☞☞




僕がお祭り好きなのは、
老若男女関係なく楽しめるから。



多分に、祭りの場は多様なものを
一体とする力があるんでしょう。
我々はそんな渾然一体の場を
心のどこかで求めている気がします。



混沌とした中に秩序があり、
多様でありながら統一され、矛盾しているけど同一である。


それが世界の真の姿だ。


こうして、心を澄ませて、街の声を聞けば、
すべてが渾然一体となって、朦朧として、一つの音になる。 




素性法師の歌は世界解釈ではあるけれど、
まるで祭事を現わしているかのようですね(゜-゜)




「後記」



それに加え、来月は僕が
一年で一番楽しみにしている「小倉祇園太鼓」も!






た。。。。楽しみ過ぎる(笑)







今年は福岡のブラックジャックこと
ケンちゃんと一緒に行こうと思います(´-`).。oO





知ってる中で一番おっとりしたお医者さん







来月が待ち遠しいです(^^)/




2016/06/26

最後の晩餐、最初の晩餐





こんばんわ、坂口です(゜゜)




先日、おかげさまでにぎやかな
誕生日をしてもらったんですが
新聞もずいぶん賑やかでしたね。




「ハッピバースデー!!」って言ってるように見える。←おい






(゜゜)ふむ





僕はこの件はあまり詳しくないので
あーだこーだ言えませんが、



リーマンしかり、どれだけ国家が策を練ろうとも
世界は成るように成って行くんでしょうな。




どこぞのワクワク団体のように
空想的な楽観ではなく、歴史の宿命として
受け止めようと思ってます。






とまあ、時事ネタはこれくらいにして
個人的な小さい時事ネタに行きますか(笑)




☞☞





24日の夜、
「30代最後の晩餐は何を食べようかなー」と考えてました。





肉かな、懐石かな、フレンチかな。
それとも、イタリアーんにするかな、と。





ただこの日はどれも違う。
お腹が求めてない(゜゜)あれ?







無理して食べても仕方ないなと思い、
今一番食べたいものを体に聞いてみたところ。。。











この日の僕が求めていたのは









































粉もんでした。









高校時代からお世話になってる
お好み焼きの「ふきや」さん。







すごくないですか。
これで600円なんですよ(´艸`*)


大盛、特盛が無料!(写真は大盛)





これに自家製のマヨネーズとソースを
これでもかっ!と入れると。。。。。











小宇宙誕生
(汚いだけとか言うな)








んは~美味かった~(´▽`)







☞☞☞






んで、40代の最初の晩餐は
久しぶりの金田家さん。






ロンドン店は一番行列ができる店になってるようです。









一瞬、頭の中で
「イケてる店で優雅に食べる自分」を
想像したんですが、







やっぱり僕には似合わないですね。
こっちが落ち着きます(゜-゜)










2016/06/23

どないやねん




右だけ見ると偏屈に、
左だけだと無責任に。



下だけ見れば気が沈み、
上だけ見ると足すくわれる。



正面だけじゃあ反省ない、
後ろだけなら未来が見えない。



だから僕は見渡しながら歩いてく。
ゆっくりと、きょろきょろと。



面白いもの見つけちゃ立ち止まり、
走りたくなれば駆け、出してく。



マイペース、マイペース。
いやいや合わせたっていいじゃない。




雨にも負けず?風にも負けず?
勝ち負けなんてないでしょう、
勝とうと思うな、思えば負けよ。





YO~、だれだ~
音付けて歌ってるやつはYO~









って、俺だ(゚Д゚;)










最近、そんな感じです。
(どないやねん)






2016/06/22

拒絶する世間はある意味、正しい。




何か新しいことをやろうとしている方は
世間や業界から厳しい目を向けられる。
これは世の常ですね。



例えばライト兄弟が飛行機を飛ばした時だって、
その場にいた新聞記者たちは一切報道せず、
あれは何かのトリックだと言っていたそうですよ(゜゜)



どんなものでもいきなり拍手喝采で
迎え入れられることはなく、拒絶されながら
徐々に受け入れられるんですね。



世間(常識)はまるで免疫システムみたい。
今日はそんな所から。。。。



ブロック


免疫構造は「守り」と「攻め」の
両義の性質を持っているようです。




例えば、一度、麻疹(はしか)などの伝染病などにかかると、
二度と同じ伝染病にはかかりません。
肉体を守る(防御)ことで抗体(攻撃)が生まれ、
次回からはそれがやっつけてくれるのです。



つまり自己として受け入れた後、
非自己として拒絶する構造を作るということ。
天然痘を始め、あらゆる伝染病がそういった
免疫システム(内部と外部)によって根絶することができたんですね。



ただ不思議なことに、免疫は時に
「守り」から「受け入れ」という行為もまた、やっています。



輸血や臓器移植なんてそうでしょう。
本来自分のものではないけれど、一部になっている。



花粉症を始め、アレルギーの場合もそう、
自己の中に少量の「異質」を取り込んでますよね。




実に不思議なもんです。
そもそも「自己」とは一体何なんでしょうか?




なぜ自分に対して、抗体を作らないだろうか?


なぜ自分自身を「免疫」で攻撃しないのか?



お風呂場で抜けた髪の毛は自己?非自己?



口に入れ、胃袋の中にあるハンバーガーは?
出てきた排泄物は?




これは伝染病とは違った定義(自己と非自己)、
それらを「分ける境界線」は非常にフワフワしていて、
なぜか「一定の比率」によって行われています。




自己はそんな出所が分からないものよって
変容、変態しているんですね。







研究では自己と非自己を選別する場所が
「胸腺」にあり、そこで行われる反応のプログラムを
「T細胞」と定義しているようですが、
変化する内外部環境に対し、可塑的に適応できる
「境界線」を画一的には説明できない。



臓器移植で「拒絶反応」が起こる時があるし、
アレルギーが治らない時もあるのです。



多分に、それはファジーといったものではなく
個別性と同一性がひとつになったもの。



そんな「部分的全体」としての拒絶や抵抗は
種の持つ自己保存機能(ロバスト)という意味では
必要な行為ではないでしょうか。



どんなものでも全て受け入れてしまえば、
変化しないといけない時に拒絶することができない。
一定のアンチは必要なんです。



正直、拒絶されたら嫌ですけどね(笑)








体内では日々、そんな生産と消費、
受容と排除が繰り返されているように、
あなたの新しい考えも自己内には存在しない
「必要な異質」だと、肯定的に考えてみてはいがかでしょうか。




たとえ、周りから変人だと思われても
自分の中でロジックがきちんと確立され、
裏切らないコアの技術があるのであれば、
臆することなく、異質性を出していきましょう。





「後記」


長年連れ添った夫婦の顔が似てくると言いますが、
これもまた、似たようなものかもしれませんね。



(徐々にですが)
自然派生的に、世界は統合へ
向かっているのかもしれません。





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2016/06/20

かのように、かのやうに



東洋に従えば保守になり過ぎ、
西洋に従えば、急激になる。


葛藤や衝突はこの二要素が争っている。



これは森鴎外の随筆に書かれたもの。
統合への道は昔から永遠のテーマなんでしょう(゜゜)




男女から組織から国家まで。



統合(棲み分け)されないまま、
統一(主導権争い)を目指していますね。






白は正義、黒は悪。
白星は勝ち、黒星は負け。



存在論から見れば、白も黒も灰色も
ただの色であって関係ないんですが、
我々は「とりあえず」何かをシンボルにしないと
何一つ、前に進めないのかもしれません。



なるほど。鴎外がハンス・ファイヒンガーの
「かのやうにの哲学」に出会い、それを
解決の糸口としたのもそうでしょう。



本当は自由や倫理や義務は存在しないし、
霊魂不滅や輪廻転生だって証明出来ないけど、



我々はその存在しないもの(フィクション)を
あたかも存在するかのように(ノンフィクション)
考えなくては秩序が作れない、と。



故にあらゆる価値は「意識した嘘」によって
理想である「かのように」成立している。
これがファイヒンガーの「かのように」の哲学です。



アドラー心理学だってそうですね、
絶対的に正しい価値を人間は知りえない以上、
「便宜的な価値基準」として、共同体感覚を提唱したのです。




価値であるかのように、
意味であるかのように。




☞☞☞




ただ、これだけでは魂無き折衷案
キマイラ(合成獣)や両性具有のように
異なる存在を無理矢理統一している気がします。




幾何学も同じであると言うのは理由にならない
成立するの「が」幾何学だと言えば、それまででしょう。



本来、エチカの直観知や鈴木大拙の言った
「日本的霊性」というものを我々は持っているはず。



しかしその姿を見ることはできない、
釈迦の「歩くために歩く」とは、そのようなものかもしれません。







マネジメント(秩序)を追求すればするほど、
違う場所ではエントロピーが増大している。



もちろん、散逸構造で考えれば必ず
そうなるとは限りませんが、
やがて選民か排除(主義)に陥ってしまいますね。






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顔は正直






よく「疲れているとき、別人w」
って言われます(゜゜)




聞けば、昔のCMにあった
イマイチ君くらい変わるみたいですね(ひどい)









とは言え、正直な顔には違いねー。





疲れてると重力に負けて
ジバニャンになるし、




痩せると顔が貧相になるし、




緊張すると眉間にしわ寄るし




眠いときはシラタキみたいな目になる。






( ꒪⌓꒪)分かりやす







リンカーン
「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」









・・・・・・・・・( ꒪Д꒪)あい









2016/06/18

unreve ちゃんねる






日本流フランチャイズの寺子屋
「想像力から、存在を疑う」について(゜゜)








「在るから、見える」のか。
それとも「見えるから、在る」のか。




人間は物事を区別する際には、
必ずなんらかのくくり(共通項)を元にして判断します。



それが正しいと認識されるからこそ
差異(違い)を同一ラインに置けるんですね。



逆にそれがないと人間は何も判断が出来ません。
「フランチャイズ展開したいけど、グッさんと
チンパンジーのどっちに頼もうかな?」
なんて言われたらショックで死んでしまいますから(笑)




つまり「私はAよりもB派だな~」と思っているのは
その人の中ではAにもBにも前提としての正しさを認めていて、



そこから「BはAより優れている、好みである」という、
自分なりの意味付けがあるということです(゜゜)




反面、当事務所のFCは
存在論(的な考え)から、FCを構築しています。






グッと来た~





イチロー選手が日米4257安打を達成し、
大リーグ史上最多記録を更新しましたね(≧▽≦)すごい!



<速報>イチロー、2安打でローズの歴代最多安打記録を抜く!
(yahooニュースより)





インタビューで
「僕は子供のころから人に笑われてきたことを
常に達成しているという自負がある」 と涙声で答えてました(;_;)




あれだけの選手でも色々と批判されてたんでしょう。
しかしそのプレッシャーと戦って、見事に勝ち抜いた、と。




僕はそれを見て、グッと来てしまいました。






少しずつ前に進んでいるという感覚は、人間としてすごく大事
(イチロー選手の名言)







何か違うことをやったりすると、
周りからたくさんの誹謗中傷や誤解に晒されるけど、
結果を出すことで道は開けてくるんですね。





すごい勇気出た(´艸`*)僕もがんばろっと。




2016/06/17

不都合な真実




こんにちわ、坂口です(゜゜)マイド
今日は前回お伝えしたテーマでも。





あっ、その前に一言。











重めーぞー。まちがっても
お昼に読むもんじゃねーぞー









はい。
では、アムロ行きまーす。









さて、ドストエフスキーと言えば罪と罰が有名ですが、
それに白痴、悪霊、未成年、カラマーゾフの兄弟を
加えたものを「後記5大作品」と言いまして、
そのどれもが人間の精神性を見事に書き現しています。



中でも「カラマーゾフ~」は最たるものでしょう。
その核心部分は無神論者である次男(イワン)が三男の
アリョーシャに劇のシナリオを語るシーンにあります。








教会が権力を持ち、異端審問によって
民衆支配が安定していた時代、



突然キリストが現れ、説教を始め出す。
民衆たちはすぐにキリストだと気づき、集まってきます。



すると教会の最高権力者である大審問官が
やってきて、驚くことにキリストを牢屋に入れてしまうのです。



深夜、牢に入れられたキリストの元へ
大審問官がやってきて、無言の彼に向かってこう言います。




お前は我々が作った戒律(制度)から
民衆を解放し、自由にしようと信仰を説いているつもりだが、
そんなものが一体、何になるというのだ? 



自由になったところで、あいつらは
どうしていいか分からない。



愚かで勇気のない民衆からすれば、
お前の言う自由ほど厄介なものはなく、
重荷にしか感じないのだ。



だから我々が権力によって自由を取り上げ、
その代わりにパンの保証をしているのだ。


見ろ、彼らは嬉々として我々に従っているだろう。
これで世の中は見事に治まるではないか。


それなのになぜ、我々の邪魔をしに来た? 
なぜ、民衆にまた重荷を与えようとするのだ?



※本文を勝手に解釈してます



☞☞



かいつまんで書いたので分かりにくいでしょうが、
大審問官は単なる「権力に固執した人間」ではありません。



もちろん、キリスト(真実)が出てくれば、
教会の体制が崩壊してしまう以上
「不都合な真実」ではあるのですが、
大審問官はキリストを「真実」だと思っているのです。



ただ、その真実を「か弱い民衆の立場」から
否定しているんですね。



天のパン(自由)ではなく、服従してでも
地上のパンを選ぶ民衆の立場から、ということです。






神を信じる有神論者であり、神を否定する
無神論者でもある大審問官(イワン)、



彼は民衆が少しでも幸福であると
「錯覚するように」、パンや唯物原理を与え、
「体制批判をしないこと」をその条件としました。



ファシストの原理も似たようなものですね。
理想と現実を徹底的にすれば、
必ずこの根幹に辿り着いてしまうという事でしょう。




理想を手にする事ができるのがごく
一部の強き者であるならば、
残った大半の弱き者は救われることはない。



しかし、弱き者は悪だろうか?
むしろそれが人間たる証拠ではないか?




そして、それを否定するのならば、
なぜ神は排除されるような存在を作り出したのか?




複雑ですね、軽蔑と愛情が入り混じってます。
しかし、真面目な人ほどそうなってしまいがちです。




故に大審問官は弱き者を救う側の神になった。
たとえそれが真実から離れたとしても、
それで幸福なら良いではないかと。



まさにこの「自由意志」こそ、
もう一つの真実が生まれる瞬間なんですね。




つまり、それは自由からの逃避と言う名の自由なのです。




このテーマは科学が発達した現代であっても
失うことはない。むしろ今だからこそ、でしょう。




一は現実世界では必ず分岐(多)され、
そのどちらかが排除する側に向かってしまう。



故に分岐されるギリギリの間、
揺らぎのある境界線を認識するしかない。



二元の超克とは、そんな加減でしか
得られないのではないかと思ってます。







閑話休題。
書きだすとキリないんでこれくらいにします。
続きに興味がある方は、読んでみてはいかがでしょうか。





というか、なんで前回の動画で
この本が頭に思い浮かんだんだろ。。。(゜゜)ま、いっか




最後に、
もし読者さんの中で違う考察をされた方がいれば、
対談したいです(=゚ω゚)ノしましょ、しましょ






2016/06/15

興味深い。





この間、
サイコパス(精神病質)に見られる20の特徴
って動画を見たんですが、これがまあ、興味深い(゜゜)






いくつ当てはまりますか?





こちらのサイトによれば
「なりやすい職業ベスト3」は
経営者、弁護士、メディア関係者だとか。




僕は統計が嫌いだし、こういった性質だって
誰もが多少は持っている「とは」思うんですが、
ちょっと納得してしまったかも・・・・(゜゜)確かにいるわ





ちなみにアメリカは4%、日本(東洋)では
その10分の1(0.4%)の割合でいるようですが、
この統計はちょっと疑問かな。





上記の診断方法でいくなら、
政治家はほぼ全員、サイコになってしまいますからね(笑)





「後記」



これ見て最初に頭に浮かんだのが
ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」。



(ちょっと重たいけど)
次回はこれをテーマにしてみます。












2016/06/12

お別れの時期





外部と内部がイコールになったものって、
なかなか忘れられるもんじゃありませんね。



例えば、小林秀雄の思想を構成するものの半分は
ベルグソンで、残りは宣長やランボオですが、



誰だって一度は自分が叩きのめされるような
衝撃を受けた経験があるのではないでしょうか。



それは映画かもしれないし、一枚の絵かもしれない。
人との出会いかもしれないし、恋愛かもしれない。




それがあるからこそ、今の私があるというもの。
忘れたら私ではなくなってしまうと言っても過言ではないもの。







僕にもそういったものがいつくかあるんですが、
最近、寄り添ってしまうことに抵抗を感じてきています。



端的に言えば、答え合わせになってたんですね。
精神的な落ち着きを得る道具になってしまった、と。



もちろん、それは継承の否定ではなく
本来に戻ったという、触発的回帰の意味もあるんですが、
ヤクザ映画を見た後、肩を切って歩くかのような
振る舞いになってしまった時点でアウトでしょう。




それは自信ではなくただの傲慢ですからね。
不満のタネになるのは避けられません。




そんなところから、ちょっと離れる時期かもしれないな、
と思ってる、今日この頃です(゜゜)加減って難しいね。








2016/06/11

「素っ裸の哲学批判」~なぜ化粧をし、衣服をまとうのか~





最近ようやく自意識による「ありのまま病」が
落ち着きを見せているようだが、以前はとにかく喧しかった。



ありのままの自分を「他人に(社会に)」見てもらいたい、
そんな自分を「他人に(社会に)」受け止めてほしい、と。



ただそれは自分と他人との間に動物性を
持ち出すものであるのは言うまでもない、



終息したのも、多分にこのことが分かってきたのだろう。
本来、ありのままの自己を示すためには抑制と構成が必要なのだ。




それによって初めて、猿と人間の違いが現れる。
そうじゃないか。









60年代後半のヒッピーもここを間違えた。



「国など滅びても関係ない。
いっそのこと早く滅びれば良い。
私は自由な人間であり、地球市民なのだ」



そんな駄々っ子の哲学によって、
フリーセックスとドラッグに溺れたのがその証拠だろう。
その思想は都合のいい言葉に過ぎなかったのである。




なるほど、抑圧からの揺り戻しは常に
加減を超え、極端を歓迎するものだが、



それが主流になることはない。
絶対に、ない。




☞☞




なぜ我々は服を着るのか。
なぜ、女性は化粧をするのか。




ここに理屈など必要ないだろう。
むしろ、言ってる方がバカである。



現代の「ありのまま」とは心をすっ裸にすることだ。
化粧をせず、髪を整えないことだ。




世間では汚い、恥ずかしい事であっても
その感情が本当のあなただから
思ったことを全て、吐き出しなさい」と、
愚かなセラピストや教祖たちは言うだろうが、




裸の王様よろしく、そのコミュニティ内では
「裸だ」と言わないだけに過ぎない
それが通用するのは禁断の実を喰う前のアダムとイブだけである。







本音や裸の付き合いというものは
思ったことをそのまま伝える行為ではなく、
襲ってくる激しい情動を一旦抑え、適切に整えること。




必要ない仮面や鎧は取れば良いが、
それは身にまとったものを全て脱ぎ捨てることではない。






2016/06/09

備えあれば。。。






熊本方面の国道にあるお店でランチ。







バイキング、恵みの駅




毎回、気になってはいたんですが、
いつもお腹が減ってないんで
行かなかったんですよね(゜゜)





てか「食べ放題600円」て(笑)
なんて財布に優しいお店なんでしょう。




今までで最安値。




これに牛丼かカレーが付いてて、
白ご飯は食べ放題みたいです。
(単品で頼む人、いるのかいな)





あとは好き勝手にどうぞ、と。
おばちゃん5人くらいでキッチンを回してて、
なんだか大衆食堂のバイキング版みたいでしたね。



結構色々ありました。





唐揚げが予想以上に美味しい。
お味噌汁を始め、手作りが多い。





個人的にこれはヒットですね。
なんか、おばあちゃんの家で食べるような感じです。




みなさんも熊本に行く際、
立ち寄ってみてはいかがでしょうか(´ー`)




☞☞☞



さて、熊本に訪問すると着実に
復興してはいるんですが、


クライアントさんたち曰く、
廃業しているところがちょっとづつ増えているようです。



大半が内部留保なんてしてませんからね。
キャッシュは血液、止まったらそうなってしまう。
(こういった時、国の態度は遅いし冷たいようですね)



これは被災地だけに限ったことではなく、
どこでもそうなってしまう可能性はあります。



例えば少子化だってそうでしょう。
目に見えて分かった時に初めても、
手遅れになる可能性が高いのです。



そういったことから、みなさんも一度、
新しい柱は何なのか考えてみませんか。



それが将来、救いになる可能性もありますし、
大きな実をつけ、コア事業になる場合だってあります。



「タネ(理念)は一つ、実(事業)はたくさん」
が理想です。





熊本と言えば、スイカ





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2016/06/08

雑記とか。





最近、お酒を飲みながら「真夏の通り雨」を
ずーーーーー・・・・・っと聞いてます(゜゜)





ホントに、ずーーーーーー・・・・と聞いてる。
そして、たまに泣く(笑)




こうやって書いてる今も聞いてます。






そういや、色んな人がyoutubeで
カバーしてるみたいですけど
個人的にはこの人が一番だと思ふ。






オリジナルとはまた、違った良さがありますな~。







その後に山口百恵さんの
「さよならの向こう側」とか聞くともうダメ、
スイッチ入ってしまう(お前いくつだよ)






歌姫ってよく言ったもんですね。
超・偏見ですけど、歌で癒すことができるのは
女性だけのような気がしますね。






そんなほろ酔い、なう。
みなさん今日もお疲れさまでした~(´-`).。oO









2016/06/07

美意識と執着




創造性に必要なのは、美意識と執着心という
相反する性質である・・・・・と何かの本に書いてました。



なるほど(゜゜)
偉大な発明をした人たちの伝記を見れば、
そのようなものだと納得してしまいますね。




執着と言えば、あまり良い響きはしないのですが、
美しいものを創ろうと欲するがあまり、
それがこだわりや執着になってしまうのでしょう。




てなわけで、
今日は美意識の小噺でも。








さて、美意識と書くとなにやら特別な行為だと
思われそうですが、多分にそうではないと思ってます。



洋服で例えるなら、安い服でも気にしないけど
「泥で汚れた服」だけは着たくないという、
抵抗心から来る場合もあるのではないでしょうか。



だからと言って、綺麗でカッコいいものを
求めるのではなく、自分が「グッとくるもの」を求めている、と。




まさに感性派生ですね。
理性(客観性)では「グッとくる」ものを説明できませんが、
それは共感という形で伝えることができるのです。



☞☞☞


それが時代を超えるような創造(価値)であれば
必然的に広がっていく、僕はそう思っています。



例えば映画だって、最初の頃は
ただ写真が動くだけといった
スライドショー的な見世物でしたが、
物語の構成や俳優の演技、音楽などが
組み合わさることで新しい産業となり、
今では芸術の分野にまでなってますよね。




「市場の中にすでにあるもの」は、
その時代の嗜好や人の価値観によって
左右されますが、社会的なインフラに
なるべきものは時代の価値観など関係ないのです。



スマホ然り、コンビニ然り、インターネット然り。
角を取ったオセロのように、今ある市場をひっくり返していく。




最初に激しい抵抗を受けるのはその為でしょう。
既得権益からすれば、それは大きな脅威なのです。







彼らは既に市場にある
商品やサービスで満足することができなかった。
妥協することができなかった。



逆を言えば、満足した試しがないからこそ
探し続けられたと言えます。そんないい意味での
飢餓感は美意識からの要請であるのは間違いないでしょう。




それが世界を日々、新たにする。
量的拡大ではなく、質的向上という意味の創造です。





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2016/06/05

スランプ






最近、バタバタとブログを書いているためか、
ボツネタばかりになっている今日この頃(゜゜)





「1時間ありゃ書けるだろ」と、
調子乗って書いた時ほど、自爆するという。






まるで、栽培マンと戦ったヤムチャ状態です。
圧勝かと思いきや即戦死、みたいな。











最近、書きたいことと
書いてることがイコールにならないですね。




なんていうか・・・・距離感?
大泉洋と北海道みたいな。






まあ、6年も書いてたら
こんな時もありますわな。






2016/06/03

加減の正義




今日は水戸黄門(水戸黄門漫遊記)で
有名な徳川光圀の小噺(笑)



あのお方、テレビでは助さん格さんたちと
あちこち行ってドンパチやってますが、
実際は徳川綱吉のご意見番に徹し、
江戸城と水戸藩江戸藩邸を往復するのに
人生の大半を費やしたといいます。


隠居した時はすでに64歳、
あんなにあちこち行ける年じゃなかったんですね(゜゜)



初代が好き




ちなみにこの隠居の理由は
「町民の面倒を見る時間を作る」ためでした。




以前、徳川家は領国である常陸
(現在の千葉)を代わりに治めていた
佐竹義宣を関ヶ原の合戦の際、秋田に飛ばしています。




町民たちは善政で治めてた佐竹氏を慕ってたので
新しく治める徳川家を嫌悪してたんですね。
「あんなに良い人を追い出すなんて!」と。



そこで隠居場所を佐竹氏の拠点である
常陸に移し、自分の両親の墓もそこに置いたのです。



領国にいなかったけど、住民の事を
考えてないわけではないと伝えたかったのでしょう。



まさに骨を埋める覚悟があると、態度で示したのです。



☞☞☞



さて、そんな光圀は儒学を基軸とする
誠実な人だったようで、特に弱者救済に
力を入れていました。



隠居場所である西山荘の使用人には
老人や身体障害者を採用し、
領内に積極的に出ては高齢者や障害者、
子供たちとの会話していたようです。



住民を騙すような話を聞けば次々と取り締まった。
こういった事実が形を変え、テレビ水戸黄門の
原型となったのでしょうね。







とは言え光圀は厳格な善悪二元論者ではなく
加減を知る知恵のある人でした。



例えば光圀がある漁港に立ち寄った際、
なんだか場所に活気が無いことを感じます。



話しを聞けば、自分が取り締まった政令の為
遊ぶ場所まで無くなった、とのこと。
昔の遊び場とは歓楽施設、 歌舞伎や
見世物小屋を始めとした遊楽場の事です。



もちろんあっち系も。
ちょっと、独身男にはキツイですわな(笑)
そこで光圀は考えた末、歓楽施設を復活させたのです。



新しい歓楽施設は「洗濯場」と名付けました。
表向きは漁から帰った漁師の衣服を洗濯する
女性を置く、という名目にしたのです。




☞☞




儒教の精神からすれば風俗関係は
タブーです。 しかしそんなガチガチの
理屈で国民を治めるというのは
いかがなものかと思ったんでしょうね。
(光圀自身、相当な道楽者でしたから)





多分に、光圀は大和心を持っていたのかもしれません。





2016/06/01

自然により添って※2013年記事、再アップ




科学の道を少し進むと神から離れるが、
さらに究めればこれに回帰する



これはルイ・パストゥールの言葉、
なるほど、世界を調べれば調べるほど、
科学者たちは神の仕業を目にしてしまうのかもしれませんね。



例えば科学の発達によって、我々を含めた世界は
あり得ない確率によって存在していることが分かってます。



ベンローズによれば、ビッグバンが生じる確率は
10の60乗分の1、



あえて書くとこんな数↓
1000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000




そんな気が遠くなる確率から誕生した宇宙で
我々が人間として生まれる確率はどれくらいかと言うと、





4の30乗分の1。





(0が入らないので書きませんが)
これは、宝くじの一等が100万回連続で当たるのと同じ確率のようです



頭で考えても到底、理解できませんね(゜゜)
前もって全て(全知)が分かっていたとしか、思えない。



だからお釈迦さんは人間に生まれたことは
「ありがたい(在り難い)ことだ」と言っているんでしょう。



奇跡は日常で起こってる



そんな自然の織りなす奇跡に
我々はつい、理性によって余計な手を加えてしまいますが、



世界は秩序そのものであって、
我々が秩序を与える側ではない。
僕はそう思ってます。




アレグザンダーの言うように、
「体系」や「手順」とともに作業をしないと
環境が混沌に陥ると思い込んでいる人は多いけど、
自然の秩序と調和する側は人間の方でしょう。



僕がやってる組織論は、そんな(自然)感性への回帰です。



6月突入~



おはようございます、坂口です(゜゜)
6月に入りましたね、水無月です。








6月と言えばもうすぐ梅雨ですね。
四季の中にある「境界線」でもあります。



夏でもなく冬でもない、
春ではないし、秋でもない。



けれど毎年必ず巡ってくる、と。
そんな梅雨があるからこそ、
我々は生きていくことができます。



これは大げさな話とかじゃなくて、
仮に2~3年でも梅雨が来なかったとしたら、
今のような生活はできないんですね。



我々はつい災害に繋がてしまうんですが、
梅雨(北海道なら冬の雪)や秋の台風は、
自然の循環による「恵み」なんです。









そう考えると、当たり前に来る台風や梅雨に
感謝の気持ちが起こってきます。




自然には無駄なものが一つもない。
僕らがやってることだって全てに意味があるんでしょう。




そんな気持ちで、今月もやっていきましょうね(´-`).。oO