2016/06/12

お別れの時期





外部と内部がイコールになったものって、
なかなか忘れられるもんじゃありませんね。



例えば、小林秀雄の思想を構成するものの半分は
ベルグソンで、残りは宣長やランボオですが、



誰だって一度は自分が叩きのめされるような
衝撃を受けた経験があるのではないでしょうか。



それは映画かもしれないし、一枚の絵かもしれない。
人との出会いかもしれないし、恋愛かもしれない。




それがあるからこそ、今の私があるというもの。
忘れたら私ではなくなってしまうと言っても過言ではないもの。







僕にもそういったものがいつくかあるんですが、
最近、寄り添ってしまうことに抵抗を感じてきています。



端的に言えば、答え合わせになってたんですね。
精神的な落ち着きを得る道具になってしまった、と。



もちろん、それは継承の否定ではなく
本来に戻ったという、触発的回帰の意味もあるんですが、
ヤクザ映画を見た後、肩を切って歩くかのような
振る舞いになってしまった時点でアウトでしょう。




それは自信ではなくただの傲慢ですからね。
不満のタネになるのは避けられません。




そんなところから、ちょっと離れる時期かもしれないな、
と思ってる、今日この頃です(゜゜)加減って難しいね。








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