2016/06/22

拒絶する世間はある意味、正しい。




何か新しいことをやろうとしている方は
世間や業界から厳しい目を向けられる。
これは世の常ですね。



例えばライト兄弟が飛行機を飛ばした時だって、
その場にいた新聞記者たちは一切報道せず、
あれは何かのトリックだと言っていたそうですよ(゜゜)



どんなものでもいきなり拍手喝采で
迎え入れられることはなく、拒絶されながら
徐々に受け入れられるんですね。



世間(常識)はまるで免疫システムみたい。
今日はそんな所から。。。。



ブロック


免疫構造は「守り」と「攻め」の
両義の性質を持っているようです。




例えば、一度、麻疹(はしか)などの伝染病などにかかると、
二度と同じ伝染病にはかかりません。
肉体を守る(防御)ことで抗体(攻撃)が生まれ、
次回からはそれがやっつけてくれるのです。



つまり自己として受け入れた後、
非自己として拒絶する構造を作るということ。
天然痘を始め、あらゆる伝染病がそういった
免疫システム(内部と外部)によって根絶することができたんですね。



ただ不思議なことに、免疫は時に
「守り」から「受け入れ」という行為もまた、やっています。



輸血や臓器移植なんてそうでしょう。
本来自分のものではないけれど、一部になっている。



花粉症を始め、アレルギーの場合もそう、
自己の中に少量の「異質」を取り込んでますよね。




実に不思議なもんです。
そもそも「自己」とは一体何なんでしょうか?




なぜ自分に対して、抗体を作らないだろうか?


なぜ自分自身を「免疫」で攻撃しないのか?



お風呂場で抜けた髪の毛は自己?非自己?



口に入れ、胃袋の中にあるハンバーガーは?
出てきた排泄物は?




これは伝染病とは違った定義(自己と非自己)、
それらを「分ける境界線」は非常にフワフワしていて、
なぜか「一定の比率」によって行われています。




自己はそんな出所が分からないものよって
変容、変態しているんですね。







研究では自己と非自己を選別する場所が
「胸腺」にあり、そこで行われる反応のプログラムを
「T細胞」と定義しているようですが、
変化する内外部環境に対し、可塑的に適応できる
「境界線」を画一的には説明できない。



臓器移植で「拒絶反応」が起こる時があるし、
アレルギーが治らない時もあるのです。



多分に、それはファジーといったものではなく
個別性と同一性がひとつになったもの。



そんな「部分的全体」としての拒絶や抵抗は
種の持つ自己保存機能(ロバスト)という意味では
必要な行為ではないでしょうか。



どんなものでも全て受け入れてしまえば、
変化しないといけない時に拒絶することができない。
一定のアンチは必要なんです。



正直、拒絶されたら嫌ですけどね(笑)








体内では日々、そんな生産と消費、
受容と排除が繰り返されているように、
あなたの新しい考えも自己内には存在しない
「必要な異質」だと、肯定的に考えてみてはいがかでしょうか。




たとえ、周りから変人だと思われても
自分の中でロジックがきちんと確立され、
裏切らないコアの技術があるのであれば、
臆することなく、異質性を出していきましょう。





「後記」


長年連れ添った夫婦の顔が似てくると言いますが、
これもまた、似たようなものかもしれませんね。



(徐々にですが)
自然派生的に、世界は統合へ
向かっているのかもしれません。





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