2016/10/31

棚ぼた的なものなんて、つまんない。





「何故か知らないけどうまくいった」とか
「気づいたら成功してた」とか言う人って、結構いますよね。




それが偶然なのか引き寄せなのかは
分かりませんが、たしかに成功(人生)の本来が
「成り行き」であることは間違いないでしょう。





ただ、僕はそんな棚ぼた式の
幸福ってやつをあまり好まない。




それは嫉妬や皮肉じゃなくて(笑)
自分の幸福は自分で作り上げたいって、
心のどこかで思ってるんですよね(゜-゜)




思えば、それは小さい頃からなんら変わっちゃいません。




よく言ってたみたいなんですよ。
「僕がする、僕が作る~」ってね。



シャボン玉が欲しいわけではない




その「行為自体」が欲しい。
多分にそれは「生み出す」ことの願望でしょう。



僕は「それ」が欲しいんだろうな(゜゜)
純然たる自分の創造ってやつも、
そこにあるんじゃないかな、と思ってます。



ただ、それは計画して作るものだけではなく、
「ナニカ」を熟させることで、実を結ぶものもある。



つまり、我々の内部で何かが熟さなければ
生むことなんてできやしないんでしょう。



てなわけで、次回はちょいと
「それ」について書いてみようと思います(゜-゜)




今日は。。。





今日は無料問い合わせデイ(゜-゜)
先ほど一社終了。午後からは、ほぼ予約で埋まってます。




月末はデスクワークが多いんで
みなさんも時間が取れるんですよね。



けっこう事務所にいることが多いのかな。




てな感じで、unreveではメールを頂いた後に
ヒアリングの時間を調整してます。



興味がある方はこちらから
営業しませんので、お気軽に問い合わせくださいね。




☎☎☎





さてさて、先週は全国各地でハロウィン・イベントが
開催されたようですが、毎年言われているのが「ごみ問題」。




今年はどうなってたんでしょうか(゜-゜)
(つか、今日が本番なんやけどね)







ハロウィンで溢れかえった渋谷 「ゴミだらけ」とネットで話題も去年より改善か


@niftyニュースより





なるほど、捨てないように規制するんじゃなくて、
掃除する人が増えてるんでしょう。




100捨てるなら、150拾えば良いってね。
捨てるコスプレイヤーあれば、拾うコスプレイヤーありだ。





これってなんか、日本っぽいですな。
まるで「1000人殺す」と言ったイザナミに対し、
「それなら1500の産屋を建てる」と言い返したイザナギみたい(゜-゜)





ともあれせっかくのお祭りです、
規制とか入らないようなイベントにしたいですよね🎃




さっ、次の準備でもしよっと。






2016/10/29

ドン・キホーテ





スペインの哲学というものが
あるだろうか? 


あるのだ、それは
ドン・キホーテの哲学である。
概念を生かし勝利させるためには、
かっては風車に突進したり漕刑囚
たちを解放するために費したすべての
大胆さと勇気を傾けるであろう。


そしてわれわれにとっていま
彼が必要なのだ。


なぜならばわれわれをかくまで
卑屈にしているものこそ、臆病な
思考だからである。



それは永遠の問題に
直面しまいとする臆病さであり、
心の中を掘り下げまいとする臆病さであり、
われわれの永遠の魂が有する
内心の不安をかき立てまいとする臆病さである。



~ミゲル・デ・ウナムーノ、
「ドン・キホーテとサンチョの生涯」より~



ミゲル・デ・ウナムーノ・イ・フーゴは、
スペインを代表する哲学者であり詩人・劇作家、
キルケゴールに影響を受け、その影響度から
「南欧のキルケゴール」とまで呼ばれたミゲルは
自己を有神論からくる実存と捉えました。



それは一見、形而上を盲信するかのようですが、
よくよく見てみれば、それは矛盾の統合、
つまり「断言・断定」と「変化・持続」を
併合することで、生命そのものに活気を与えていますね(゜゜)



なるほど、活動と実体の変化である以上、
体系化されることはできない、と。
この物語はそんな根源的なテーゼを
書き現しているのかもしれません。



(余談が長くなりましたが)
今日はドン・キホーテの小噺でも。。。





激安ジャングル





さて、世界一長く、そして認知度が高い
書物は何か?と言えば、ご存じ聖書です。
まさに超・超ロングセラーと言っても過言ではありませんね。




ではその次は?と聞かれると
北岳よろしく、悩む所でしょうが、
実は、この「ドン・キホーテ」なんですな。



著者はミゲル・デ・セルバンテス、
ななんと、400年以上前に書かれたものです。



ドン・キホーテ〈前篇1〉 (岩波文庫)/岩波書店
¥972
Amazon.co.jp

ドン・キホーテ〈前篇2〉 (岩波文庫)/岩波書店
¥972
Amazon.co.jp


ちなみにこれ、ただの時代小説じゃありません。
冒頭でミゲルが書いたように、この本は
スペイン人が持つ気高い精神性を表す哲学書であり、
聖書の様なものなんですね。




なるほど、ドストエフスキーも「天才によって作られた
あらゆる書物の中で、最も偉大で、最ももの悲しい書物だ」
と称してます。僕も何度か読みましたが、確かに
読者に伝染させる力を持っていますね(゜゜)



☞☞☞



理想と現実の狭間でドン・キホーテが向き合う
ナルシティックな自我はまるでジャック・ラカンの
「鏡」のよう。




彼の目に映る古い旅館は城郭であり、
旅館の女使用人は貴婦人、
そして自分は伝説の騎士なんです。




正気か、それとも狂気か。
聖なるものか、それとも俗物なのか。




普通に考えると狂気的ですが、ここからが面白い。




例えば最初はあざ笑わっていた使用人が
やがてその気になり、まるで貴婦人のような
振る舞いを始めるんですな。



つまり使用人の中(内)にある「貴婦人」を
ドン・キホーテが引きだしたわけだ




「ある」じゃなく「成る」。




それはまるで「混沌の世界」から
小さな局所的「ゆらぎ」を作り、
それがポジティブ・フィードバックとなって
全体の流れが大きく変わるような。。。





って。。。。これ、




イリア・プリゴジンの
「散逸構造」と同じ原理じゃないの( ꒪⌓꒪)ウソーン




☞ ☞





パスカルが「理性の最後の歩みは理性を
超えた事物が限りなくある、ということを認める事だ」
と言ったように、ミゲルもまた信念を持ち、
それに向かう姿勢によって現実は変わる
と伝えているのかもしれません。



下手するとファッショ的になってしまうけど、
ドン・キホーテを見ると、根拠なき自信の
大切さを教えてくれますね。




大事なのは現実を踏み超える事、
概念を現実に呼び出すこと。




それが冒頭の「概念を活かし勝利する」という事なのでしょう。





※この記事は2013年の記事を編集し、再アップしたものです。





所感とか





来週の11月1日、衆議院で
TPPの採決が予定されるみたいですな(゜゜)




TPP承認議案 首相 審議が熟せば採決 説明尽くす



この日は承認案が自然成立する最終期限なんで、
いつもの強行採決を考えてるんでしょう。




まっ、別にいいけどね(゜-゜)
今は昔と違って、正確な情報が
どんどん入ってくる時代ですから。



確かに関税が取っ払われることで、
海外の安価な商品がたくさん入ってくるだろうけど、
中国産の売れ行きを見る限り、今の消費者は
安かろう、悪かろうは買わないでしょう。



日本の農業がダメージ受けると思ってたけど、
よく考えたら「まともなもん」作ってたら良いわけで。



食品添加物や遺伝子組み換え食品、
残留農薬とかを逆手にとりゃいいんです。





三茶ファームさんのHPからお借りしました。




聖域が作れないのであれば、
我々消費者が聖域になればいい。
「半端なもんは日本じゃ売れない」って思うくらい、ね。




特にこの「食」に関しての安全性は
男性よりも女性の方が賢く選択するでしょうから、
様々な形で拡散される(されてる)はず。



場合によっては国内の生産者が
襟を正すこともあるでしょう。
最近は国産も安心できなかったりしますからね。




他に医療保険の自由化や混合診療の
解禁もあるけど、これは自業自得かな、と思ってます(゜゜)




☞☞



それよりも、気になることが一つ。
杞憂で終われば良いのだけれど、
ちょっと不穏な・・・・・感じです。





まあ、僕の直感はよく外れますけどね(笑)






2016/10/27

つぶやき





先日はレストラン&バー
UTAMARO(ウタマロ)さんで打ち合わせ。
KABAちゃんの弟さんがやってるので
芸能人さんがよく来るみたいですね。




根っからの田舎もんな僕は、
こんなお洒落な場所に行くと
いっつも緊張してしまいます(。-_-。)味覚がおかしくなる。






みんなの前で撮影できなかったので。





とまあ、最近は派手やかな世界の人たちと
会う機会を頂いているんですが、
そろそろ無私に戻ろうと思う今日この頃。



きらびやかな世界は性に合わない(゜゜)です。






2016/10/26

~究極の問い~オントロジーはほどほどに。。。



存在論(オントロジー)とは存在自体、
つまり「在る」とはどういうことか?を問う学問のこと。



パルメニデスより始まり、ハイデガーやカント
サルトルにラッセルにヘーゲルにニーチェと、
まあたくさんの哲学者が存在について研究してきたんですな(゜゜)



以前ちらっと書きましたが
これは「究極の問い」とも呼ばれてまして、
「なぜあるのか?」の根拠をずー・・・・と
繰り返した結果、最後の最後に出てくるもの。



存在の謎、逆説的に言えば
「なぜ無ではないのか?」ってことです。



以前、僕も調子に乗ってこの実在領域に足を
踏み入れたんですが、すぐパンクしましたわ(笑)
未熟な知識で存在論的な問いなんてやると
病的な思想になってしまいますね。



だから隠居してからの楽しみ(?)に取ってます。



多分に、どれだけ科学が進もうとも
この問いは50年先も変わらないでしょうからね。


関係ないけど、キセルで吸うのがマイブーム。





考える暇がある時ほど、自分ってやつを
どんどん追求したくなるものですが、
大体が「じぶん(存在)」の前提を間違えてますね。
だから宗教(形而上)に答えを求めるんです。



結果、最初は純粋な好奇心だったものが
どんどんおかしな方向に向かってしまう、と。
宇宙だの天使だのと客観的なもので
自己証明している時点でアウトでしょう。



仮にセーフにしたいのであれば
「なぜそれらが存在するのか」を証明せな。



できないのであれば、宇宙もイワシの頭も一緒ですよ。



☞☞☞



そんなわけで、身近に自分探しする旅に出たり
高い金出して自己啓発に参加している
「知りたがり屋さん」がいて困っているのなら、
「存在論」から質問してみてはいかがでしょうか。




その問いは簡単。
じゃあ、その自分を探してる奴は
一体、どこの誰なんだよ」と聞けば良い。




つまり私を私だと認識する「ナニカ」を
まず証明してみなさいよ、ってこと。
ちょっと意地悪な方法ですが、青い鳥探しを
辞めさせるにはこれが一番てっとり早いかもですね。




「おまけ」



「偽りならぬ実在」なぞと言うものは本当に
この世に在つてよいものだろうか。


おぞましくもそれは「不在」の別な姿にすぎないかもしれぬ。
不在は天使だ、また実在は天から堕ちて翼を失った天使であろう。


何事にもまして哀しいのはそれが翼をもたないことだ。



~苧菟と瑪耶より~




西行が晩年に至った
「無常は無常、命は命の想い」の精神と
三島の不在の天使は同義でしょう(゜-゜)ね。




これでいいのだ、バカボンボンと。






2016/10/25

無私の領域観




今日は「あいだ」の哲学論考(゜゜)だよ








あんまり好きじゃない方の「あいだ」





さて、カナダの評論家である
ノースロップ・フライは教育の目的を
「平凡な社会に適応しない人間をつくる事だ」と言います。



なるほど、何かを学ぶということと独自に
何かを身に付けることは同義なのでしょう。
非凡性の習得が平均、平衡からの
乖離であるならば、本来は平均からどんどん
離れて行かなければいけませんよね。



もちろん、それは「自分勝手」の
免罪符ではなく、「独自の問いを持ちなさいよ」ってこと。



社会性を持った我々は共存の枠から
逃れることはできない以上、多様な社会には
「共有地」もまた必要不可欠ですからね。



そこで僕は部分と全体を内包した
「あいだ」の空間概念を取り入れています。



境界線、あいだ、揺らぎの場、遊びの場。
まあ、呼び方なんて何でもいいですね(笑)
例えるなら、垣根のようなもの、庭のようなものです。



以前「学びの庭」と言われていましたが、
それは何かを行う為の神聖な場所であるという
意味が込められていたのではないでしょうか。




☞☞



外部と内部を繋ぐ、境界線の「庭(は)」。
その境界線に「自然」を取り入れているのは
空間の概念が非自己にあるからでしょう。



これが堀や塀といった人工的な境界線では
異質を排除する城壁となってしまいますからね。












庭先(場)で起こる事象は異質である以上、
攻撃するときもある。



そんな時、この自然領域は
防壁のような役割を持ち、逆に内部を
豊かにする異質である場合は間口を開き、
受け入れる、と。



それはまるで人体の持つ免疫のような「非」の構造。



非はアンチ(反)ではありません。
変動する現実に対応するため、
境界線は常に揺らいでいるんですよね。




しかし、それによって対象は動的平衡となります。
つまり有機的なものとなるのです。




「後記」



社会的に一つの成果を挙げた実行家は
自分を強く押し通し、主張するイメージがありますが、
僕が会った方々を見れば一種の無私があるように見えますね。



理想の空想は一人でもできるけれど、
その実行は常に社会的なものである以上必ず行為を伴います。



故に、有能な理想家とは自己の表現や主張ではなく
現実の動きの方を眺めているものではないでしょうか。



独自性というものを持ちながらも、現実(社会)に
新しい動きが起こったならば、身に付けた解釈や
知識を容易に捨てることができる「刷新」の状態、



つまり領域に起こる動きに順じる、と。
宣長や小林の説く「日に新たに」の精神は
そんなものかもしれませんね(゜-゜)






2016/10/24

ステ…キ…



新宿にあるルモンドさんで
ランチタイム٩( 'ω' )و
安くて腹いっぱいになる
ステーキの行列店ですね。



外で待ってるとメニュー表を
渡されましたが、安いですね〜




そうこうしてる内にご案内が。
意外と早く入れました(^-^)



この日は
サーロインとヒレのダブルを。







これで2000ちょっと。
なんてステ…キな場所なんでしょ。









僕もようやく、おやぢギャグを
躊躇いなく言えるようになりました
(・ω・)いーだろ





2016/10/23

自我中心=場所中心≒自己中心




今日は前回からの派生記事。
派生元はこちら



さて、最近は量子力学が身近な学問となり
成功哲学とくっついておかしな理論が生まれてますが、
ノーベル物理学賞のリチャード・ファインマン氏は
「量子力学を完全に理解出来る人間は
間違いなく誰もいないだろう」と語ってますね。




科学の場所では間違いだけど、哲学あるいは
文学の場所なら正しいというものはいくらでもあります。



要は立ち位置(前提)の違いってこと。
自分の場所が正しいわけじゃない、と。


だから「日本流」は特定の思想ではなく
逆にそれらを自分で疑い、考え、信じることを勧めているんですね。



また、それだけでは断絶した個人主義に陥る
可能性もあることから、異なる場所を中心とする
対話もまた、大事ですよとお伝えしています。




「あなたの場所でも、私の場所でも正しい」。




それはどちらも内包した「あいだ」、
どっちも排除していない共有地の認識、



多様な植物が生息する土を見るように・・・
たくさんの魚たちが泳ぐ海を見るように・・・




前置きが長くなりましたが
unreve流、組織対話法について(゜゜)です








是を是とし非を非とする。
これを知といい、
是を非とし非を是とする。これを愚という



中国の思想家である荀子
著書修身でこう書いてます。


修身は儒教派生ですから一見
「善悪二元論」に見えるんですが、
良い悪いを決めなさいというよりも
「人間は価値観の好みや自分の人生観から
物事を区別しているんだから、そこから
何が正しく(是)、何が間違ってる(非)かを
常に考えなさいよ」と言ってるように見えるんですね。



それが出来る人が「知」を持った人で、
他人に強要したり、人が救われると
感違いしてる人が愚な人だ、と。



それはこの国の大和心に通じるもの。
昔の女性も学問ばかりする男は
どうしてこうも馬鹿になるのかと嘆いていたんです



最近は「愚」のセラピストや思想家たちが
「自分らしく」というものを絶対的な是として
動物みたいなウマシカな生き方を勧めていますが
それって考えを放棄した状態でしょう、



正解を言葉や理屈で固めるんじゃないよ。



☞☞




閑話休題。
ちなみに今でもこの「是非」は使われてて、
法律用語としてよく用いられています。
(民法891項、是非弁別能力)



事理弁識能力と同じ概念ですが、
良い事は良い、悪い事は悪いと分かる能力ってこと。
世の中、人の心を含めた全てのものは
永遠に変わらぬものなんて無いからこそ、
判断できる能力を身に付けないといけないんです。



逆を言えば、社会的に正しいとされてても
それで心を理不尽に抑え込む必要もない、と。



どうしても無理なら離婚しても良いし
上司と喧嘩しても良いし、職場から逃げ出しても良い。




そんな言うべきことを、言うべきときに伝え、
場合によっては対立、孤立する覚悟(心構え)が
何故か「社会性の欠如」と言われてますが
バカおっしゃい、欠如しているのはそんな
閉塞・迎合した社会の方でしょう。



ただしい「べき・すべし」はある。
それは常に、内部から起こる絶対命法(ありのまま)です。



☞☞



日本の悪い癖はそんな正しい正しくないを
関係なしにする「是非とも」の精神(結構もそう)、
だから加減を超えたものに流されることのない
是々非々の精神が必要ではないか、と思ってます。



例えるなら優柔不断(是非とも・結構)の
部分を持ちながらも、芯の強さを持った在り方。



僕は日本の歴史からその精神性を感じます。
「自分のため」と「世のため、人のため」は
同じ輪の中、向きが変わっているだけのこと、
一時的な手段であって、目的ではない。




自我中心=場所中心≒自己中心、
二アリーイコール・・・・近くても同じじゃないなって。




それは「しなやかさ」と「強さ」を兼ね備えた
自然っていう、最適なシステムかも(゜-゜)ね。





自己中心は言葉のイメージがついてるから
これから「自他中心」にしようかしらん。



遂にインターネットが。。。。





「新聞通信調査会」の全国世論調査によると
インターネットでニュースを見る人の割合は69.6%、




新聞と答えた人(70.4%)と
ほぼ変わらなくなったようですな(゜゜)



「ネットでニュース」7割 「朝刊派」との差なくなる
(NewsPicksより)





大きな理由は利便性や情報コストの差が
あるのでしょうが、僕はここに新聞社の恣意性による
不信離れもあるんじゃないかと思ってます。



公平性が原則であるにも関わらず、
社説を見ると新聞社の恣意的な記事ばかり。
(●売・朝●は特に酷い)



特定のイデオロギー、つまり単なる価値観に
過ぎないものを正しい理想だと理屈で飾り立て、
知的操作し、自己納得しているように見えますね。



その腹心が今の消費者から
見透かされているのではないでしょうか。



☞☞☞



もちろん、ネットも同じで発信のすべてが
正しいというわけではありません。
単に新聞をネットで見てる人もいるでしょう。



どんな媒体でもそうですが、
どこの誰が発信したニュースかが重要であって、
それを見極めるために自分の目を養う必要があります。



玉石混淆、情報カオスの中、
誰かの「フィルタリング」した情報も正しいわけじゃないですからね。









君の名は。新海監督「価値観訴える映画、作りたくない」


例えば私の作品に父性主義、
父権主義はないと思います。
そんな意味で、女性作家の小説の方が
好きなものが多いのかもしれません。


父が権威を大事にする人で、男はこうあるべき、
人生はこうあるべき、と「あるべき」を言う親で、
良い影響も、良くない影響も受けているかと思いますが、
それに対する反発もずっとあり、説教されるのが嫌いです。


ですから批評家に映画はこうあるべき、
と言われるのが大変腹立たしい(笑)。


ある種の映画は強い主張で作られて、
そういった作品もあるべきですが、


「少年少女はこう育つべき、こんな環境が
人間にいい」といった誰かに価値観を強く言う
映画は作りたくありません


どんな選択肢があるか、選択肢で迷うような存在は描きたいと思います。




(毎日新聞より引用)





「日本流も押しつけだろ」
と思う人がいるかもしれませんので
次回はそれをテーマにしてみます(゜-゜)




2016/10/21

検索エンジンがいつの間にか変わってたようで。。。





先月、googleさんのアルゴリズムの
アップデートがあったようで(゜゜)シラナンダ。










10月初旬ごろまで大きな順位変動が
発生する可能性があるって聞いて、
暫くHPを見てたんですが、



お蔭さまで昨年と変わらずトップページに
留まってくれてるようです。
(※10月18日の時点ね)




ただ、検索ワードによっては一位から
二位に落ちたりしたものも。。。。





うわーん゜゜(´□`。)°゜
今はハミングバードの時みたいな時間ないっつーの~




💻💻💻




多分にコンテンツSEOをやる所が増えたからでしょう
最近はWebサイト全体での評価からサイトの一部と、
より細かく評価されてるみたいですね。




今後はさらにハードルが高くなるとか。
つまり中身が薄い記事をたくさん量産しても、
検索に引っかからなくなる、ってことだ。




オールド・ドメイン(古くからあるサイト)より、
コンテンツを充実させることが重要だ
って、googleのお偉いさんも言ってますからね。






僕が起業した5年前、「ブログは軽く、簡潔な記事じゃないとダメ」って言ってたブログコンサル・・・・出てこい!






話はそれましたが約2年ぶりとなる
今回のペンギンアップデート、



その最大の特徴と言えば
「同じドメインがトップページに1ページしか表示されない」




ですね☆・・・・・・って
これ、ブログ集客の方にとっては死活問題Σ(゚Д゚)





だって無料ブログはどれも
「http://●●●」+「僕らの作ったアカウント名」だけど、
それが全部同一ドメイン(●●●)になっちゃうってことですよね。




例えばアメブロで「集客」ってキーワードを入れた
記事を書いたとしても「ameba.jp」がいちドメインなので
同じキーワードを書いた中の「一つだけ」しかアメブロでは選ばれない、と。




仮にそうなると無料ブログで集客しようとした場合、
検索で調べた人が来る可能性はかなり低くなり、
同じブログをやってる人だけに限定されるわけだ。




(。-`ω-)むー




ブログコミュニティ作ってて、
そこで完結する人はいいだろけど、
上位表示を考えてるなら独自ドメインを取ったほうがいいかもね。



💻💻



ちなみにこのブログは今のところオマケ的・・・・
と言いたいところなんですが、最近ちょこっと
人気が出てきてる「日本流フランチャイズのすゝめ」(笑)




ワードプレスにしてHPにぶち込む(乱暴)な
方法は最終手段として、とっておいてるんですが
独自ドメインにするかどうか、迷ってます(゜゜)




それか、コンテンツ(フランチャイズ関連記事)を
さらに充実させるか。。。小手先はまず通用しませんわな。





やっ、ただここはgoogleさんのブログ
「blogger」なんでね、言うたらおひざ元なんでね、





そこまで、急にしなくても・・・・・・ね、ねっ!!










2016/10/20

明日!





いよいよ明日、ムーンウォーク福岡店オープン!




先日バイトさんたちの研修が
あるってことで、お邪魔してきました(゜-゜)よ






うん、いい感じ~。





10月ってことで、店内は
ハロウィン仕様になってます(゜-゜)







しばらくして社長も店舗へ。




キャリーケースゴロゴロ、ゴロゴロ(笑)




今月は福岡だけじゃなくて、大阪や東京池袋と
出店(準備)ラッシュだったもんなあ~(^^;お疲れ様です





「どすか?これ終わったら居酒屋にでも~・・・」
と話していると、横では研修が始まりました(笑)




まずは体で覚えるロールプレイ(守)ですね。






カリキュラムとシステムをしっかりと
作ってるので、初心者でも安心。
うちがマニュアル作ってるので、さらに安心(どや)




また(開発中ですが)今後は
スマホからカクテルやフードが注文できるようになるんですよ♪



システム化「していい部分」を見極めたら
とことん改善していく、それがunreve流です。




☞☞



気軽に立ち寄れて安く飲めて
遅くまでやっているバーだと話題になり、
大阪では「終電を逃した時の朝までスポット」となってる
ムーンウォーク、






35:00~紹介されてます。





福岡の読者の方がいらっしゃれば、
ぜひ週末に遊びにきてくださいね(´▽`*)





イケメンと美女のスタッフが、皆様をお待ちしております♪








福岡放送関係者様の取材もお待ちしております(笑)



2016/10/19

秋深き、隣はなにをする人ぞ。。。




秋深き、隣はなにをする人ぞ
(秋深きこの時期に欠席しまいましたが、
みなさんは何をやってますか?)



病気のため俳句会を欠席した芭蕉は
参加した人たちに向け、この句を送ったと言います。



実に人間的ぬくもりが感じられる句ですね(゜-゜)



てなわけで、今日は
秋にちなんだ小噺でも。。。








さて、秋の植物と言えばご存じ「ススキ」。
この国に古くから存在しているイネ科の植物です。



麻と同様、非常に優れた植物で、漢方薬や
家畜の食用として使われていましたし、
かやぶき屋根の材料としても使われていました。



そんな馴染みある植物がススキだったんですが、
戦後アメリカからの外来種である
セイタカアワダチソウによって、絶滅寸前にまで
陥ってしまったことがあるようです。



その名の通り、ものすごく伸びて
黄色の花を咲かせるこの雑草君、



みなさんも一度は見たことありますよね。
僕の地域の河川敷はセイタカだらけです(笑)





この植物はアメリカの厳しい大地で育っているので
非常に生命力が強いんですってね。
現在、日本で一番繁殖しているとのこと。




ただ、それは強さと言うよりも排他的なものらしく、
調べれば、その根から他の植物が寄ってこないように
土に毒性を撒き、自分だけが繁殖できるようにしているようです。




だからあれだけ群生しているにも関わらず、
他の植物が生えてないでしょ。



あれは土が毒で汚染されているからなんです。




☞☞



そんなわけで戦後日本を占拠(笑)した
セイタカアワダチソウによって、在来植物だけでなく
モグラやミミズなどもいなくなってしまったといいます。



その結果、食物連鎖が起こらない
痩せた土壌となってしまった、と。
西洋って植物もやること一緒ですな(笑)
自分が良ければ他は知らない、自分さえ良けりゃいいってね。




しかし、ここから先が面白い。
まるで漫画のような展開なんですが、
最近、セイタカアワダチソウ自身が
自分の根から出す毒素によって自滅しはじめたのです。




そして一時期絶滅の危機に瀕していたススキが
毒に汚染された土を取り込み分解している、と。




なんと、今後はススキの方が繁殖し始めているんですね。



しかもセイタカ(略)は拡大を抑え、
共生に向かっているという不思議な現象まで起こっている、と。




まさにナウシカ。
リアル腐海な展開じゃ~ないですか。




共生の原理って、
多分に植物も動物も変わらないんですよ。




腐海の木々は大地の毒を体に取り込んで
綺麗な結晶にしてから死んで砂になっていくんですな






なぜ、中秋の名月である十五夜にススキを飾るのか?
その答えがここにあるのかもしれませんね。





秋深き、隣はなにをする人ぞ。




てなわけでみなさん、
今日も一日頑張っていきましょう(゜-゜)ね





「後記」




古来、この国には様々な文化が入り込み、
時には侵略しようとしていましたが、全て失敗していますね。



今もまたGHQの思惑通りに行かず、自滅しようとしている。
不思議ですね、多分にこの国はそういうものなんでしょう。





2016/10/18

今日のお昼は…



ソラリアにある
スイートバジルにて(°_°)



メインを選んだ後、ブュッフェや
ドリンクをプラスするシステムです。





さすがバジルさん、手抜きなし。




メインは昼間っから贅沢に
フォアグラパスタを。




のーこーだなぁ。




2016/10/17

独創価値、伝承と伝統の違いとは。




戦後、僕らの先輩方たちは
何もない焼け野原からスタートして、
これほどの豊かな国を作ってくれました。



たくさん働いて、たくさんの物を作って発明して。



時には家庭を顧みず、自らが犠牲となり
後世が便利で快適な暮らしができるような
基礎を築いてくれました。




それを想像すると、ほんとーーに
この国に生まれてよかったな、と思います(゜-゜)




しかし、そんな豊かな社会しか知らない僕らは
あまりにも色んなものに目を奪われてしまい、
いつの間にか本当に大事なものに向かうことが
できなくなっているのかもしれません。




「ニーズ」って、何なんだろう。
本当に欲しいものって、何なんだろう。




とまあ、最近考えることがありまして、
ちょっと忘備録的に書こうかなと思います。




(毎回ですが)読み手は自分です(゜゜)よ







さて、僕はマーケッターのように
市場の声というものが聞こえないので
社会が何を求めているかは断言できませんが、
多分に我々は選択肢が欲しいのではなく、
ただ自分の欲しいものが欲しいのだろうな、と思ってます。



問題はその欲しいもの(価値)がぼやけてる、と。



否、その人にとっての価値だけでなく、
商品自体の価値もまた、曖昧になってきているのかもしれません。



そもそも価値の「価」とは表面的な値であり、
「値」とは実質的な値打ちのこと、



つまり実質(本質)的なもの(値)に
適正な値段をつけたもの(価)が本来の商品価値なんです。



以前も少し触れましたが、この「値(あたい)」こそ
「独創」であり、無形の財産ではないでしょうか。
以前「質」と「値打ち」が同義であったように、
売れるから価値があるのではないと思ってます。



それは別に職人の伝統工芸のようなものじゃなくて、
端的に言えば具体的な形式こそないけれど、
何か「独自のもの」が込められてる、ってこと。



例えば僕は昔の本はよく読むけれど
最近の本はほとんど読みません。
話題になってても本屋で立ち読みするくらい。
場合によっては目次だけで終わることもあります。



最近は模倣ばかり。専門家の出す本ですら
過去の偉人の「独創」にあれこれと解釈したり
分かりやすくしているだけだったりします。
(もちろん、違うのもありますけどね)



誤解を恐れずに言えば、それって
学校の先生が教科書の内容をそのまま
黒板に書くようなもの。



下手すればその黒板の内容をさらに
そのままノートにまとめた「三番煎じ」のような
ものだってあります。



僕はそれが編集だとは思いません。
編集がオマージュであるのに対し、
上記のそれはレプリカでありコピーでしょう。



レプリカに熱量や、独創やこだわりはない。
実体験や実感がありませんからね、当然のことです。



それが今までのPB(プライベートブランド)でした。
ご存知の通り、セブンがその既成概念を
ぶっ壊したんですけどね。



つまりこの「ぶっ壊す」こと自体が独創なんですが、
他社はそれに気が付かないのか、何なのか、
セブンが「ぶっ壊して作った道」をまた模倣しているわけだ。



一度出来た道を歩くのは容易いんです。
広がってきた新しい価値観に
「私も前からそう思ってた!」と乗っかるのもそう、




大変なのは、誰の賛同もない状態から作ることです。








日本流のFCは独創でありオマージュです。
西洋のように画一化し、レプリカを増やすものではありません。



故に、だからこそ価値が生まれると思ってます(゜-゜)





「後記」



とは言え、この国にはオリジナルを
オリジナルのままにしているものだってあります。



例えば歴史的遺産や技術はそのままのスタイルで
後世へと継承しますよね。



それを我々は模倣ではなく「伝承」と呼びます。



反面、技術を継承しつつも時代によって
新しく変化させる行為は「伝統」なんです。



我々は伝統によって価値あるナニカを取り込み
新たな価値を生み出すことが出来る。



自己中心からの「共創」です。



2016/10/16

週末にて。






福岡で一番有名なバー、
「Bar Oscar」にて。







憑りつかれたみたいに語って、語って、語って。
飲んで、飲んで、飲んで。






原因のない不安とか淋しさを紛らそうと
意味もなくはじける時って、あるよね(゜゜)






そんな時、いつもこの曲を聞いてしまふ。









只今、午前4時。



ブログ書けるってことは元気ってことだ(笑)





2016/10/14

近況とか。





美味い寿司を食おう、ってことで
やま中」さんへ(゜゜)





パッと見、すし屋に見えません。




オータニ店は予約で満席だったけど
珍しく本店が空いてました。











日本酒が飲みたかったけど
あいにく今日は運転手。。。






というか、これから仕事なので我慢です。






我慢ガマンがまーーー・・・(ーー゛)ん゛







☞☞





てなわけで博多駅に移動。




クライアントさんからお土産に
PABLO」のチーズケーキ頂きました。




美味しかったです、ありがとうございます。






聞けば焼き加減が選べる
チーズタルト専門店とのこと。





調べたら沖縄や岡山にはあるけど、
福岡には出店してないみたいですね(゜゜)











もしかして。。。。。
















・・・・・じらし作戦ですか?








2016/10/13

人生のあらゆる成功を決める究極の能力とは




なんだか煽り記事みたいなテーマですが(笑)
海外書の「GRIT(グリット)」が人気のようですね(゜゜)



端的に言えば特別な才能やIQよりも
情熱と粘り強さ(やり抜く力)が大事だという自己啓発本です。



なるほど。やり抜く力が米教育省で
「最重要課題」となってるのを見ると
あちらさんにも「継続は力なり」が論理的に正しいと
分かったのかもしれませんね。









※クリックするとAmazonに飛びます




とは言え、これが「知識」として広がったら
理性の悪い癖が出てくる気がします。




つまり「やり抜くのが正しい!」と
0・100で叫ぶ人が出てくる、と。
誰かの手のひらの上で踊ってしまうわけだ。



そうなると忍耐と抑圧が一緒くたになり、
「また」同じところをグルグル回ってしまう、
これが一番怖いですね。



思考停止した集団の力ほど
無責任なものはない。
自分を鑑みることができない人ほど
怖いものはない。



だから半分くらい正しいと思って
読むのが丁度良いかと。



☞☞☞



本来のマイペースは急ぐときには急ぎ、
休めるときには休むことができる人。



急がないといけない時に休む人は怠惰であり、
休めるときに休めない人は余裕を失った人です。




勇気は過ぎれば蛮勇に、
信仰も過ぎれば盲信になります。




大事なのは言葉に捉われず
その瞬間の「機」を逃さない人ではないでしょうか。




冒頭の「やり抜く」という精神だってそう、
どんなものでも続ければ良いというわけではない。




誰だって、たくさん諦めて、投げ出すもの。



むしろそれが普通ですよね(゜゜)





「おまけ」




ちなみに「機」って、いったい何でしょうかね。



人生のあらゆる成功を決める究極の能力なんて
僕にはわかりませんが、



何となくこの「機」にあるんじゃないかと思ってます。
それは揺らぎ遊ぶ暗黙知、「拍子」です。






2016/10/11

青色は藍色から生まれたけれど。。










「青は藍より出でて藍より青し」




藍草の葉から精製された青の染料は
原料である藍草よりもさらに青々しい色となります。



同じように氷も水より冷たくなりますよね。
氷は水これを為して水よりも寒し、です。



端的に言えば派生元(オリジナル)より
異なった美しさが生まれるということ。



師を超える弟子が現れるのもまた道理。
出藍の誉れ、荀子・勧学編からの派生です。




☞☞



たとえ先生から学んだからと言って、
死ぬまで劣っているわけではない、
才能や可能性は人によって器が違うものです。




フランチャイズもそう。加盟店だから
本部よりアイデアが乏しいと思っちゃいけません。





もちろん「不肖の弟子」と言う様に、
逆の場合もあるけどね(゜゜)
少なくとも、先生を到達点にするもんじゃないです。







2016/10/10

お祭り日記「長崎くんち」②






お祭り日記第二弾(゜-゜)。





日も暮れ出してきたので
中華街~繁華街である浜町アーケードへ。


夜はもう・・・・寒いです






アーケードの中心はこのように踊り場となり、
各町の神輿を見ることができるんですよ。












観客に囲まれた小さなスペースでこの迫力。
思わず、子供キョンシーに手を振っちゃいました!(笑)










しばらく見た後、長崎駅へ。




今回我々は駅まで車で移動したんですが、
ものすごい大渋滞なので、路面電車がお勧めです!
(徒歩でもいけるけど、ちょっと遠いです)





駅に行くとタイミングよく
一番好きな「蛇踊」が始まろうとしています!



志村、後ろー










最終演舞とあって、会場は大盛り上がり!
駅周辺が埋め尽くされてます(´▽`*)






きたーーーー!!







3頭が同時に競演する「巴踊(ともえおどり)」
これ、滅多に見れないんですよ!









\(゜ロ\)(/ロ゜)/ よいよー

ヾ(`・∀・´)ノ もてこー







いやー、今年も大満足でした!





☞☞




最後は運転手になってくれた
友人のリクエストで焼肉に。



空腹でお腹が宇宙らしいので、
黒毛和牛の食べ放題「炭火焼肉 ショウ」さんへ。








サシが強すぎて燃え上がったので、
店員が持ってきた氷を入れながら焼くと言う(笑)




お味はなるほど、な感じでした。







最後は40のおっさん二人、
夜景を見て帰りましたとさ。




なんだ、これ。








「後記」




余談ですが、この長崎くんちは
抑圧されたエネルギーの発散から
自然派生した祭りとはちょっと違うようですね。



遊女が神社に演芸を奉納したのが
始まりだと言われてますが、
実は隠れキリシタンの摘発だったり
豪商へ富を還元させるための政治的な
意味もあったみたいです。



なるほど(゜゜)
歴史って、綺麗なだけじゃないですな。



ただ、子から孫へ伝統を継承する心や
歴史を大事に作り上げる努力は大切なことです。



歴史(過去)を大事にするってことは、
未来も大事にするってことに繋がりますからね。