2016/04/30

随筆




一見、静止しているようにみえる独楽は、
その安定状態を保つため、自らを激しく変化させている。




非平衡の現実に安定などない以上、
連続した自己組織化によって会得するしかない。
カフカの「独楽」は、これを表現しているのだろう。




そんな考え方、派生軸は自分だけの経験による、
自分だけの生き方の指針である以上、
たとえそれが周りから「何々主義」だといわれても
自分がそれで幸福になるのであれば、一向に構わないではないか。



表層的に浮かび上がった行動とは
あくまでもやり方、技術的なものとしての問題である以上、
私はこの技術で幸福を目指し、掴む。



単純にそれだけのことであって、
生き方に筋が通るとは、そんなものだろう。




まあ、何事も押し付けないことですね。









「私はマルクス主義ではない」



こう叫んだのが当のマルクス本人であることに
僕は意外性を感じない。



いくら厳密に思想を体系化したとしても、
ある種の「イメージ」は一人歩きしてしまうもの、
7000冊に及ぶ一切経を書きあげた釈迦でさえ
本体から離れて勝手に歪曲されている。



多分に、それは避けれない運命だろう。
伝言ゲームよろしく、本来の意味の方「が」疎外されてしまうのだ。



それに加え、都合よい解釈で祭り上げてしまう
大衆心理もまた同様に、避けられないだろう。



そこに個人の経験からくる確信はない。
あるのは勝手に解釈した「不特定多数の考え」と、
各自めいめいの「無責任さ」だけである。



さらにそれを信仰すれば、権威によって
引き上げられてもらうため、積極的な主体性は消え、



それ以外の権威を引き下げようとする
恣意的な意図が働きだす。




そんな無責任な志向性を小林は嫌い抜いていた。
そりゃあもう、容赦しなかった。








実に無責任ですよね 
今日のインテリってのは 



「韓国のある青年を救え!」 
 君、責任とんの?



とれやしないよ。



責任なんかとらないことばっかり、
人は言うんですよ。わーわーわーわー 



よく見てごらんなさい。 
本当に責任をとってるか? 



自分の言うことに責任ないんです。 
信ずるっていうのは責任をとることです。 



僕は間違って信ずるかもしれませんよ。 
万人の事なんて、考えないんだからね僕は。



僕流に考えてるんですから、
もちろん、僕は間違えます。 


でも責任はとります。 
それが、信ずることなんです。 



信ずるという力を失うと、
人間は責任をとらなくなるんです。 



そうすると、人間は、集団的になるんです。 
会(解)が欲しくなるんです。 



自分でペンを操ることが信じられなくなるから、
ペンクラブが欲しくなるんです。 



ペンクラブは、自分流に信ずることはできないです。
クラブ流に信ずるんです。 んなこたぁないです。 



クラブ流に信ずるから、
イデオロギーってものがあるんじゃないか 



自分流に信じれないから、
イデオロギーってものが幅を利かせるんです。 



だからイデオロギーには匿名ですよ。常に。
責任をとりませんよ。 



そこに恐ろしい力があるじゃないですか。
それが大衆、集団の力です。 



責任を持たない力ってのは、
そりゃあまあ、恐ろしいですねぇ。




集団っていうものは責任を取りませんからね。
どこにでも押しかけますよ。



「自分たちが正しい~」、ってね。



こういうときの人間なんてものは
恐ろしいことになる。



でも、その恐ろしいものは集団的になると現れる
僕らのもっている精神ですよ。悪魔ですよ。




「なぜ徒党を組むのか」より











戦後だろうが平成だろうが、
集団の力ってやつは、変わりゃしない。







「君たち、責任とんの?」




どこかでそんな声が聞こえてきそうだ。






2016/04/27

プロは感覚の世界に生きる






このあいだ東洋経済さんの書かれていた
未来工業さんの記事に、思わず納得してしまいました。



楽園企業は「バカ管理職」にはとことん厳しい

(クリックするとサイトへ飛びます)




多分に、企業の9割9分がこういった管理を
やっているでしょうから、耳が痛いでしょうね(^-^;



現代病にかかっている自覚がない人が
たくさんいるので、つい指示したくなる気持ちは
分かりますけど、



本来の管理職は「調整職」、あいだの役割です。
それによって従業員は主体性を持ち、プロ社員として
勝手に育っていくんですね。






てなわけで、
今日は「プロは感覚の世界に生きる」について。





引用元©www.shirasushinya.jp/works/




当事務所がやってるFC展開において、
一番重要視しているのは流れ(状態)の構築です。



厳密なマニュアルを作り、守らせるのではなく
(ブラッシュアップとは違った)編集をさせることで
加盟店に即興的な知恵を身に付くようにしています。



情報伝達、指導役であるSVも(基本)置きません。
その代わり、対話ができる場を形成していきます。



つまり固定された構造を極力外していくことで、
個々の最適な状態を作り出しているんですね。



端的に言えば「同じ」じゃないようにしていく、と。
脱構築ではなく、「脱情報」ということです。




☞☞☞



そもそもこの「同じ」という言葉は
実に抽象的なもの、同じものなんてひとつもありません。



例えば、昨日の店舗と今日の店舗は
まったく一緒の作りですが「同じ」ではないでしょう。



昨日と比べると、ホコリはついてるでしょうし、
見えない程度でしょうが、劣化もしてる。





屁理屈じゃなくて、実際はそう。
そして、これが感覚の世界の前提なんです。




我々を例にすれば明らかですが、
昨日と同じ気分でいる人なんて、いやしません。



だから昨年と今年は比べようがないし、
A店とB店が同じことをやっても同じにはならない。



だからこそ、日々新たにという創意工夫が生まれるのです。



それとは違い、「情報」とは同じもの。
いくら時間が経とうが、変わることはありません。



「パンタレイ(万物は流転する)」とヘラクレイトスは
言ったけれど、その言葉自体は永久に変わりませんよね。



「パンタレイ」が「パンダねえ」になることはないし、
「諸行無常」は「小業務上」になることはない(笑)



こういった時間の経過に関係なく変化しないものを
我々は「情報」とか「知識」と呼びます。



統計はこの「情報」をベースに作られています。
だから、計測可能なんです。



「同じ」で「変わらない」が前提ですからね。
つまり情報化社会とは「感覚社会」と真逆の世界なんです。




法則、法律、制度にマニュアル。
道徳、システム、カリキュラムは全て情報です。



☞☞☞



我々が変わらないままでいるのは
実は簡単なことなんです。



分析して、定義して「私はこうだ!」って
言葉にしたものを一貫させる、それだけです。



読者の方は勘がいいでしょうから分かるでしょうが、
これが巷で叫ばれてる「自分らしく」ってやつの正体です。



強みや弱みを分析し、天職を設定すれば、
僕という存在は簡単に「情報化」することができるんですね。



しかし、人間は情報ではありません。
昨日の僕と、今日の僕は別人であって
日々、様々な環境の素材によって変化していきます。



一般的にそれを「成長」とか「学び」と言いますね。
人は「わかる」と「かわる」のです。



もちろん、逆に「堕落」してしまうこともある。
だから企業は理念という志向性が必要なんです。




☞☞




コンセプトの一貫性や軸の設定を
「情報化」してしまっても、本来の理念や
個性は感覚の世界にしかありません。
(マニュアルやノウハウだってそうです)



困ったもんで、この「感覚」や「感性」でさえも
情報化して、分かったようなつもりで説明する人がいますが、



本来は、その情報世界自体から
抜け出さないといけない。




自ら行動することによって、我を忘れる。


言い代えれば、自分になりきることによって我を忘れる、
という正常な生き方から、現代はいよいよ遠ざかって行く。



つまり、そういうことでしょう



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2016/04/26

自らを疑えない専門家は専門家と呼べるだろうか。




図書館で荻生徂徠の本を探していたら
傷はぜったい消毒するな」という本が目に留まったので
一緒に借りてきました。



基本、生態学なんて見ないんですけどね(゜゜)
ネーミングの胡散臭さが勝利です。





クリックすると、Amazonのページに飛びます。





現場で傷口の消毒させてる
医者からすれば怪しいトンデモ本
なんですが、



パラパラと読み進めていると
著者の意図はどうも違うところにあるように感じます。



「最新治療といえど、期限付きの正しさ」


「正しい治療だから皆がしていたのではなく、
皆がしているから正しい治療だと思った」




なるほど。
多分に、これは傷の治療法を切り口とした
業界や制度に対する批判本なんでしょう。



悲しいかな、医療の世界だけでなく
どこもこういった体質になってしまいますね。







専門家と呼ばれる人たちの大半は
なかなか業界の常識を手放すことができません。



結果、間違った方法をいつまでも修正しなかったり
新しい方法を否定するようになります。




もちろん、彼らの研究や論理的根拠を
すべて否定するわけではないのですが、
「科学的根拠」によって断言したものが
常に想定外の事実によって覆されているのを忘れてはいけない。



科学的根拠というのは洋服で言えば
LだMだといった規格でしかありません。



当然、想定外は想定サイズには合わない。
そもそも測るモノサシ自体が違う場合もあるでしょう。



しかし彼らは洋服のサイズに合わせ、体の余分な
贅肉を削り取るという愚行をやってしまう時がありますね。



原発の安全神話などまさにそうでしょうし、今回の地震もそう。


遡れば太平洋戦争の上部がとった作戦だって既成概念を盲信してます。




「起きて困る問題は、実は起こらないのではないか」




その考えが次第に「起きないに違いないだろう」となり、
運よく免れたことを持ち出し「やっぱりそうだ」となる。




そして最終的には「絶対に起きない」と、
何の根拠もなしに確信してしまったわけです。



☞☞



もちろん自分の専門知識を否定することは
人を指導する立場にある人にとって死活問題なのは
重々、承知してます。



「スイマセン、間違ってました」では、今まで築き上げた
信頼が一気に崩れるということも分かります。



そんなことすればメシが食えなくなる、
だから引き下がれなくなってるんでしょう。



ただ、それは諸君らが自ら取るべき責任じゃないか。
それがその道で生きる覚悟ってやつだろう。




・・・・・と、小林秀雄なら言うでしょうね笑




結局、専門家の何がいけないかって、
何でもかんでも「絶対」って断言するところではないでしょうか。





天動説から地動説へのシフトでは、
少数の先鋭的研究者が新論を打ち立て、
ついで一般大衆にまず知識が広まったはずだと書いたが、
その根拠はここにある。 



素人はそもそも先入観もなければ
その分野についてのことについての知識もない。


太陽が真ん中でも地球が真ん中でも
どちらでも大した違いはないと思っている。
だからこそ、地球が真ん中でなく太陽が
真ん中だと言われても動揺することなく新しい考えを受け入れられる。 



つまり、専門家にとっては天地を揺るがすような
大事件なのに、素人にとってはちょっと新しいアイデア程度でしかないのだ。



専門家にとっては驚天動地のパラダイムシフトでも、
素人にとってはそうではないのだ。 


新しいパラダイムを素人は受け入れやすく、
専門家は専門家としての自分の地位を守るために
懸命になって拒否するわけだ。


このため、パラダイムシフトの真っ只中では、
素人が専門家より知識の面で先を行って
最新の情報を享受し、


専門家は古い知識(旧パラダイム)にしがみつくことになる。


本書より一部引用~




人の体も心も全てわかってない段階で
一部の不届きものが、早計な答えをすぐに出したがる。



今の制度は論文を書けば専門家になれますからね。
焦って組み上げ、得々と発表し、正当化するために腐心するんです。



そんな人たちは本当の専門家を知らないでしょうが、
本当の専門家たちは、常に不思議に驚いてます。
それを言葉に尽くそうとすれば、膨大な時間と
思索が必要であることを観念しています。



例えばベルグソンの書著には薄い本もありますが、
それを書き出すまでに非常に長い年月が必要でした。



小林はそのベルグソンを書き出そうとしたけれど
途中で挫折し、断念しています。




書きましたが、失敗しました。力尽きて、やめてしまった。
無学を乗りきることが出来なかったからです。


大体の見当はついたのですが、
見当がついただけでは物は書けません。




正確に知ってるからこそ、書けないという逆説的行為、
これが本当の専門家ってやつじゃないですかね。








諸外国と比べ、日本流の声はとても小さい。
けれど素晴らしい専門家達がたくさんいます。



その囁きに真摯に耳を傾けることができれば、
我々は大切なことを思い出すことができるでしょう。



先代の先輩方が紡いだ精神の糸を
大事にしたいですね。


「後記」



とは言え医療(人体)というものは不思議です。
「絶対」という言葉にはある種の強さを持ってます。



多分に、安心感という拠り所を形成することが、
自己治癒力の素材になっている時があるのでしょう。



癌患者が医者の「大丈夫ですよ」という
言葉の安心感によって、好転するケースがある。
笑うことで、癌細胞が消えることもある。



それってまさに精神の働きでしょう。
まさに切る、切らないという物質的な治療と
違った場所に要因がある証左です。



まるで、魔法かなにかのよう。
言霊とはそのようなものかもしれません。




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2016/04/25

健康について




個人的なことなんですが、
先月、人間ドックとやらに行ってきました(゜゜)




基本病院は嫌いなんですがね、
ちょっとした縁あって、診てもらったんです。





色々調べてもらいました。




結果はお蔭さまですべて「A」判定。
どうやら無事、40を迎えられそうです(笑)




体は最大の資本ですからね。
財布に100万入ってるよりも、
元気に歩ける方が幸せなのは間違いありません。



ちなみに僕はお酒は飲むしタバコは吸うし、
生活リズムは不規則です。



でも風邪はめったに引かないし、
入院したことないし、持病もないし
今のところ加齢臭もないです(笑)




これは別にタバコやお酒を
勧めているわけじゃなくて、



僕は健康の秘訣って、実は
バランスじゃないのかな~、と思ってるんです。



「めちゃくちゃバランス悪いだろ」とツッコミが
入りそうですが、「最適なバランス」って
案外そんなもんじゃないかな、と。



例えば「酒を止めればもっと健康になるのに」
という意見は、一般的に正しい意見でしょうが、



もしかすると、酒という「毒」を取り入れることで
バランスを保つときもあるんじゃなかろーか。



腸内細菌だって、悪い奴が
一定数いて「正常」になってますからね。









あくまでも個人的な意見なんですが、
僕は人間の決めた「正しい」ことをやっていれば
健康になる、という考えにはちょっと疑問があるんです。



だったら綺麗な水や新鮮な食事を
採っていた昔の人は長生きしなくてはいけないけど、



当時は「人生50年」とか言われてたわけでしょ。



もしかすると均衡はもっと複雑に入り組んでて、
人間には分からないんじゃないかしらん。



そんなわけで、今のところサプリとか
マッサージとかの癒し系は一切せず、
自分の身体に直接聞いています。




あくまでも個人的な意見です(二回目)




2016/04/22

飾りの理念にならないために





三菱自動車の燃費試験データ不正問題。



激化する燃費向上競争の「焦り」もそうですが、
それよりも隠蔽体質の根の深さが、今回の件で分かります。




燃費データ不正 株価が急落、終値15%安

(毎日新聞さんの記事より引用)




組織風土を変えたい、改善したいと
思っている経営者はたくさんいるでしょうが、
なかなか思い通りにならないのが、この風土。



実態がない以上、社内規則を変えたり
コンプライアンスを徹底させたとしても、
全ての行動を網羅することは不可能です。




組織には真面目で誠実な人が
たくさんいるのに・・・・なぜでしょうか。






一度ついた企業の「負のイメージ」は
購買の不安を引き起こします。
インターネットによって、
その感染力は一気に加速するでしょう。



(いつもマクドナルドを例に出すのも何ですが)
消費者はたとえ「もう大丈夫です」とアナウンスしても
全てが胡散臭く見えてしまう人が多いのではないでしょうか。



「暴力振るうけど、実は優しい人なんです」と
似たようなもの。



「燃費は嘘ですが、他の性能は安心です」と言って、
誰が信じるのか、と。




☞☞☞



こういった「不信感」を与えてしまうことのないよう。
まずは組織の「土」を耕す必要があるのではないでしょうか。



個々の姿勢であり、行動であり、生き様の総体が
組織の姿勢であり、行動であり、生き様である以上、
風土とは個々の「在り方」から派生します。



ここでよく、組織内に漂う「空気感」が
社員の行動を導くので「空気が原因だ」と言いますが、



「では、その空気はどうして生まれるのか?」
と聞いても、答えられないのではないでしょうか。



空気なら、入れ替えればいい話でしょう。
ボスを人事異動すれば解決するはずです。



しかしそれは根幹ではない。
だから「トップ交代後も、体質は変わらず」となるのです。




☞☞



個人的に、その根幹を
「理念不在の志向性」と見ます。



理念なき志向性が「売り上げアップ(回復)」であれば
マクドナルドのような手段になり、「競争で勝つ」であれば
今回の件となる。



しかし両社のそれは目的ではありません。
言い方が悪いのですが、手段ですらないでしょう。



それはあくまでも「結果」です。
結果論を目的化すれば、どこの組織も歪みが起こります。



例えばリンゴの種を机の上に置いたまま
「早く実になれ、早く実になれ」といくら念じても
実はなりません。



一度失った信頼や消費者の不安を回復させるのは、
リンゴを育てるように時間がかかるのです。



そこで待ち切れず「獲物を捕まえるしかない」と、
狩りに出てしまうのですが、
一時的な回復こそすれど、同じ過ちを繰り返してしまいます。



ちなみにこれは優秀な社員を抱えている
大企業が陥りやすい罠。



その優秀さによって、劣悪な風土を
さらに強固にしている場合があるのです。








本来の理念は企業を支える大黒柱です。
永続的な志向性を生み出す精神的な指針です。




最適な組織の体質を作りたい、
組織の体質を改善したいという方は
コンプライアンスを強化する前に、
自社の理念を確認してみてはいかがでしょうか。








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2016/04/21

流れに従わないという選択





キリマンジャロは高さ1万9710フィートの雪におおわれた山で、アフリカの最高峰と称される。西側の頂上はマサイ語で「ガエ・ガイ――神の館」と呼ばれている。その西側の頂上近くに、ひからびて凍りついた1頭の豹の死体がある。そんな高いところまで豹が何を求めてやってきたのか、だれも説明したものはいない



ヘミングウェイ「キリマンジャロの雪」より~




ヒョウは山を降りようとして、死んでいったのだろうか。
それとも、さらに高みへと登ろうとしていたのだろうか。



孤独でも妥協することなく真実を目指すことが
この小説のテーマである。








晩年、7割の高齢者が
「もっとチャレンジしておけばよかった」と
後悔しているようだ。



そのデータの信憑性云々は抜きにするとして、
後悔というタチの悪い病気にかかってしまえば
一生それと付き合わないといけないだろう。



なるほど、昔の人はよく言ったものだ。
「後悔先に立たず」。




発見はいつも、手遅れになったときである。






とは言え、「チャレンジ」という言葉は実に抽象的である。
抽象的だからこそ、人を惑わせるのだろう。



「何かしなくては」と人を焦らせ、駆り立たせる。
ネットではそんなおかしな観念に捉われた人ばかりだ。



後悔とはそんな無鉄砲な経験の是非に
くっついているものではなく、もっと別の場所にある。



それが時代の流れというものだろう。
知らず知らずのうちに、その流れに従属しているのだ。



それは一部の無知と野心を持った人たちの
無意識的な団結ではない。



そうであれば、そいつらさえいなければ、その流れが
起こらないだろうという、都合のよい歴史観となるが、
そんな単純なものではない。



誰が言い出したか特定できないからこそ、
時代に翻弄された人間は誰を責めていいか分からないのだ。



そんな「のっぺらぼう」に自分の精神や人生を
明け渡してしまったことを、晩年悔いるのではないか。



自分で判断して、自分の理想に燃えることの
出来ない人はスローガンとしての理想が要るが、


自分でものを見て明確な判断を下せる人には
スローガンとしての理想などは要らない。


若しも理想がスローガンに過ぎないのならば、
理想なんか全然持たない方がいい。



~小林秀雄「歴史の魂」~



いつの時代であっても、真の確信というものを
掴えることができたのはごく一部、無私を得た人だけだろう。



若い頃に掴めた人など一人もいやしない。
小林が「青年などの手に合う仕事ではない」と言ったのも
多分に、そういうことだ。



故に「精神の不安は青年の特権である」
という逆説が成立する。



途中経過で、不安になるのは当たり前だろう、と。




☞☞



問題はその不安とどこまで格闘するか。
キリマンジャロの豹よろしく、それは決断の有無である。



自意識は、中途半端な確信に客観性を持たせ、
おかしな場所を頂上だと言うが、そんなもの嘘だ。



理性の海を泳いでいる間は、
自分が泳いでいるということがわからない。
歴史を持ち出さなくとも、自己の経験を
少し振り返れば容易に分かることだ。



便利に解釈した思想のその便利さが
新たな追及を麻痺させ、



やがて硬直した思想が極まることで、
思想そのものが形骸化する。



止めれば腐るか石になる。
今まで、その過程を免れた思想などはない。







巷ではつまらん流れが蔓延しているようだが、
僕はそんな「流れ」なんてものに従う気はない。




むしろ疑い、抗い、抵抗する。
大人しく従うほど、人間はできちゃいない。



その意味では利口で賢い人ほど、適応能力が高い。
しかし、そんな人には人間味や素っ気がない。



まるで味や素っ気をなくす為に賢くなっているようだ。
僕は後悔したくないから、そんな小利口な人間になりたくないな。






とある縁で、ものづくり・商業・サービス新展開支援
補助金を受けた、京都にある企業さんのモニターをやってます(゜゜)



補助事業なので試作段階での営業活動や営利活動は
できないんですが、楽しんでやってますよ笑




ちなみに支援内容・支援規模は以下の通りです。


1.革新的サービス・ものづくり開発支援(補助率 2/3)
(1)一般型 補助上限額:1,000万円


中小企業が行うサービス開発・試作品開発・生産プロセスの改善に必要な設備投資等を支援。 ※複数社による共同事業は、企業数に応じて補助上限額を引上。 (共同事業の補助上限額:個社の補助上限額×5社)


(2)小規模型 補助上限額:500万円
小規模な額で行う革新的なサービス開発・試作品開発・生産プロセスの改善を支援。



2.サービス・ものづくり高度生産性向上支援(補助率 2/3) 補助上限額:3,000万円 IoT等の技術を用いて生産性向上を図る設備投資等を支援。




この補助金は製造業だけでなく、itサービスや飲食、
研修企業なんかも補助実績があります。



先週で受け付けは終了したんですが、
すんばらしいアイデアをお持ちの方は
(多分来年もあるでしょうから)お試しあれ。



前回お伝えしたこちらの案件は受付終了となりました。





2016/04/19

加盟金はいくらが適正か?



unreveの坂口です。
今日は加盟金についてご案内したいと思います。



フランチャイズとは有形と無形、
その両方の資産を暖簾として提供するビジネスモデルです。



有形の資産はそれこそ数多くありますが、
無形の資産は特許権・借地権・商標権・実用新案権
意匠権・鉱業権などの法的権利と、


企業の超過収益力である営業権の2種があります。
営業権は経営立地条件や過去の宣伝効果、
良質な得意先や優秀な従業員(経営者も!)が含まれるんですね。



これらを統合したものが営業権(暖簾)。
会計計上できる、無形の固定資産ということです。
(余談ですが、オリンパスの不正の原因でもありますな)



法律上の権利ではないんですが、
企業の長年にわたる伝統と社会的な信用は
立派な資産になる、ということです。






ちなみにお問い合わせで
「加盟金の設定はいくらが適正か?」
という質問をよく受けるのですが、



unreveが目安にしているのは
この無形資産(営業権=のれん)の部分です。



一般的には加盟金は本部設立にかかった
費用や、今後の展開予想から逆算するのですが、


unreveは本部構築やランニングコストを
非常に抑えた展開手法をとってますので、
そういった計算方法は(使う時もありますが)
基本、やってません。



本部構築がいくらかかったかなんて、
加盟店さんには関係ないですもんね。



☞☞


その点、営業権は非常に分かりやすい指針です。


例えば、「優秀な経営者や従業員」とは
経営理念だけでなく、社長の思いや教育が
しっかりとしたバックボーンとしてあるのか、ないのか。



また過去の宣伝効果は、食べログや検索結果、
リアルではマスコミに取り上げられたかどうか、などです。



よく、開業してすぐマスコミに取り上げられたお店が
その流れで「フランチャイズします!」と依頼されるのですが、



それだけではちょっと難しいので
理念を始め、少しずつ土台を作っていきます。
(理念の定義は資産作りでもあるんですよ~)



そういや、先週にお会いしたクライアントさんは
毎年増収増益で3期目を迎えましたので、
そろそろ本格的に動く時期ですね^^



ということで、今回は加盟金の設定についてでした。
FC化したいと思ってる方は、無形の資産が
どれくらいあるのか、調べてみてはいかがでしょうか(´-`).。oO





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2016/04/17

真の独自性とは創造の螺旋を作ること










真の独自性とは蛇の脱皮ではなく、
サナギから蝶になるように、自らを創造していく。



また、サナギから蝶になるだけでなく
蝶からまた新しいサナギになるかのように、
創造したものをすぐに手放すことで
次の創造が新たに呼び込まれるのでしょう。



幸福が幸福を産み、不幸が不幸を産むように、
創造はこの円環螺旋の繰り返している。




それを直観すれば「大いなる循環」もまた
自らが創造していく過程となっていく
という不可思議さがありますね。



言葉ではうまく説明できないのですが、
創造が創造を産むという仕組み自体が
新しい創造の一部になっているかのよう。



それはもう原理的に説明不可能ですね。
放送禁止用語である「神さま」を持ち出さないと
説明できない(笑)




端的に言うならば、創造の原理というものは
一連の流れの中にあるものであって、
それを途中で止めて「説明」することは
できないのでしょうね。



ということで、今日は創造について。
あくまでも個人的な意見です(゜゜)



☞☞☞



以前強迫観念的な変化を否定した記事
書きましたが、その変化は蛇の脱皮のようなものです。



理想を求め、様々な経験に飛び込むけれど、
すぐに「これじゃない」と、別のものを探し回ってしまう。



しかし、目の前にあるものに満足しないのは
「変わらない蛇のまま」ということではないでしょうか。



観点を固定してるからこそ、理想の青い鳥を探してしまう。
僕はそのように思います。




もちろんそれも必要ではあるでしょうが、
その螺旋は、かけたハシゴは、いつか降りなくてはいけない。








本来の変化は創造的です。


そして創造とは産みの力である以上、
その過程には必ず苦しみが伴います。



出産の苦しみは女性にしか分からないけど、
そこには女性にしか分からない歓びがありますよね。



画家もそう、作家もそう、経営者もそう。
立ち上がろうとする幼児だってそう。



産んだ本人だけが、苦しみを対価として
「これだけは間違いない」という確かな歓びを
会得するのでしょう。




それが「受苦」の本来ではないか、と。
我々が引き受けていい苦しみはそれくらいです。




つまり苦しみこそが力の源泉である、



よく「苦しみをバネにして」と言われますが、
そうではなく「苦しみ自体がバネ」なのでしょう。



それによって、辛い困難を乗り越えたり、
今まで見て見ぬふりをしていたものに
意味を見出すことができるのであって、



そこで苦を排除しようとするから
「排除する力」が創造され、
余計な苦労を呼び込むのではないでしょうか。





「人は生まれ、苦しんで死ぬ。 
人生の要点はそれで尽きている
と言う正宗白鳥の言葉が、ここでようやく生きて来る。




四苦八苦とは四楽八楽という彼岸への入口である、と。










もしかしたら、あなたは創造の途中で
苦しい思いをしているのかもしれません。



そこで「くだらんことでいちいち悩むな」という
的外れなアドバイスは流していいんです。



「そのアドバイス自体がくだらん」、ってね(笑)
unreveはそんな素敵な(笑)経営者を応援します!






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誰も誘わず、誰にも言わず
一人で米と水を持って震災支援に行く友人、



ネットで「やってます」感を出さず、
淡々と支援するクライアントさん。



特別なことじゃなく、当たり前のようにしている
君たちと縁があることが正直、嬉しい。




丸一日寝てないからちょっと寝ますzzzz







2016/04/16

ステキなブログのご紹介






ブログはsnsと違って制約がない分、
その人のパーソナリティっていうか
心の深い部分に根ざしているものが「ふと」出てきますね。




多分に、人は「そこ」に惹かれたり
反発したりするんでしょう。




ちなみに僕は今回、
この記事を見て惹かれてしまいました笑




前回もご紹介したんですが、
ママブロガーLICOさんの「子供の命は誰のもの?」からの引用です。




~引用ここから~




facebookでやたらニュースフィードに
流れてくるお話会や高額なセミナーの案内。



そして、とある方々からいただいた

メッセージや情報をキッカケに  
この界隈の人たちの観察をしてきました。



基本的に他人様の生き方に
異を唱えることはしない主義なのですが
(人の生き方に異も何もそこには存在しないので。)



どうしてもこれだけは言わずにいられなかったので言わせて下さい。




自分の好きなことに正直に生きることは、
大切なことです。


自分を愛して生きることは、大切なことです。


それらは私がブログで書いてきたように
日々小さな子どもたちに伝えていることでもあります。


でも、自分の好きなように生きることと、
他者の命を軽視していいことはイコールにはなりません。


子どもには子どもの人格があります。
子どもには子どもの人生があります。


子どもは親の所有物でも従属物でもなく
アクセサリーや親の肩書きに箔をつけるものでもなく


子どもの命は、子どものものです。



妊娠中の喫煙を推奨するようなメッセージ。
妊娠中の過剰飲酒を推奨するようなメッセージ。



妊娠と出産は得意だけど、
子育ては苦手だから産んだら捨てればいいという発言。


障害のある自分の子どもへ
面と向かって「死ね」と吐き捨てること。


具合が悪くて嘔吐した子どもに怒って
嘔吐物を食べさせる行為。


これらはとあるグループの人たちが
「自分の欲望に正直に」してきたことでありますが


全て  子どもの尊厳、命を冒涜するものです。



「喫煙・好きなだけ飲酒しても私が好きなことに従ったから子どもも無事に生まれた」




それは単なる結果論でしかありません。


もしそれで子どもに障害が残ったら?
子どもが生きにくい人生になったら?


そのやり方を真似した人が出たら?
そのお子さんの人生は誰が責任を取るのですか?


それも「こんな私を選んできた子どもが選んだ人生」だとでも言うのでしょうか。



「子どもの命を信じているから大丈夫」

一体何が大丈夫なのでしょうか。



自分の軽はずみな行動の責任を
「運命」や「宇宙の采配」などと抽象的な言葉を用いて
何の責任もない子どもへ都合良く転換するのはいかがなものかと思います。


もちろん適度な飲酒はストレス解消に
役立つこともあるかもしれませんが、
何しろメッセージが極端過ぎます。



色んな家族形態があっていいと思うし
未婚で産むこと
父親の分からない子を産むこと
そこに子どもへの愛が確かにあるのなら、
そのこと自体には何の問題もないと私は思っています。


型にはまる必要もないでしょう。


母親だけが子育てを抱え込む必要もないし
社会みんなで子育てを分かち合い楽しめばいいのです。



そして豊かさはお金であるという考えや
貧乏人は死ねブスは死ね  などという考え方や言葉の選び方
名誉や名声が欲しいという
その価値観を否定したりはしません。



自分の人生なのだから
好きな考えや言葉を選び、好きに生きたらいいと思います。



人それぞれに幸せのカタチは違うのですから。




でも。


子どもの尊厳を  踏みにじるな。


命をバカにするな。



自分の目の前にある小さな命を
大切に出来ない人に他の誰かを
自分に依存させることはできても


本当の意味で誰かを助け、
本当の意味で幸せにすることなど出来るはずありません。


他者の命や存在を尊重し、慈しめない人は
自分のことも本当の意味で心から大切に出来ていない人ではないかと思います。


自分の欲望の赴くままに生きる
というのは、私から見れば1歳、3歳、5歳の子どもたちの欲求と同じです。


つまり、「子ども」でいていい時期…
自分をこころの内側から作り上げていく
時期を「子ども」で過ごすことが出来ずに、
外側から作られた人格を破れず、
ずっと苦しんで大人になってしまった人たちでもあると思っています。



(略)


結局今も教祖と言われる人たちに
気に入られることに必死になり高額のセミナーに参加し、



いつも誰かの目を気にして
周りの評価にしがみ付く生き方は
あなたがずっと苦しくてやめたかった
生き方と何も変わっていないのではないですか。



あなたの幸せは誰が決めるのですか?


今が苦しくて悩んでいるのなら、
全てを投げ出す前に向き合ってあげて下さい。


自分はなんで弱音を吐けないのか、
なんで人前で完璧でいようとするのか。
その自分の心の弱さはどこから来ているのかを。



それは自分がそうしていないと愛されないと
信じ込んでずっと誰かの顔色伺って生きてきたからではないですか?



その自分の気持ちの寂しさとか甘えとかに
自分が気付いてあげて、助けを求めていいんだ、
甘えていいんだと自分を許し、


そんな自分を許してくれている周りに感謝をし、
信じ合い、許し合い、補い合って私たちは
生きていることを知らなければ
愛や優しさは巡って来ないのではないでしょうか。



自分の欲望にどんな時も正直に生きることを否定はしません。


でもそれは
『自分の命で責任をおえる範囲内』でやるべきです。



周りに迷惑をかけることを推奨することも
そんな自分でも愛されているということを
実感するために必要な段階であることも一定量理解は出来ます。


でも、子どもの命や子どもの人格を
あなたの自己愛のために利用しないで下さい。




引用ここまで~



ホント、この人の文章には
強さと優しさが感じられますね(´-`).。oO



僕は心に芯がある人が大好きです。
これからも、影ながら応援してます。









今回震災に見舞われた方々には大変お悔やみ申し上げます。
そして一日も早い復興をお祈りしております。




妊婦の方、入院されている方、年配の方は
特に大変な状況でしょうが、皆さまどうかお気をつけて!

2016/04/14

日本流の継承とはオマージュ




ニセモノやパロディが出れば
有名になった証拠と言いますが、
良くも悪くも影響を与えた結果と言えますね。




ちなみに「模倣」には二種類あります。
unreveのいう「hommage」と「copy」の違いです。



オマージュとは良く書けばリスペクトからの模倣、
「コピー」とは異なり、自分流の「創作」なんですね。



これが完全な模倣になってしまえば、
我々は価値を感じることはないでしょう。



コピーバンドではメジャーにはなれないし、
モノマネの歌手が完璧に歌ったとしても
オリジナルを超えることはありません。



互いに影響を受け、創造を連鎖していく。
そこに我々は価値を見出すのです。



てなわけで、今日のテーマは
オマージュについて。



影に響くと書いて「影響」




さて、日本流フランチャイズとはビジネス・オマージュです。
(英語とフランス語が混ざってるのはサラッと流して下さい)



事業の継承もまた、オマージュから始まる。
僕はそう思ってます。



反面、既存のフランチャイズはコピーです。
だから同じような結果を同じように出す再現性が求められます。



結果、良くも悪くも「均質化」していたのですが、
最近は「個店」に注目してますよね。



それが和魂洋才。
編集し、最適な状態にするのが「和魂」の役割なのです。



よくこの国は諸外国から泥棒猫のような
批判を受けますが、それはちょっと違います。



輸入されたものを、そのまま真似してはいません。
海外だけでなく国内だってそう、
家元や三道はそうやって続いているのです。
(三道とは、茶道・華道・香道の総称)



ただ悲しいかな、戦後から近代自我が輸入され
一時期は「コピー」を歓迎していました。



思考を放棄し、正解だけを求めるようになった。
要するに「依存体質」になってしまったんですね。



「便利中毒」とはよく言ったもので、
一度「楽」を経験したら、なかなか元には戻れないもの。



気をつけましょう、
世の中、便利が溢れていますから。



☞☞☞



閑話休題
群集分析で有名な社会学者
ガブリエル・タルドは著書「模倣の法則」において、
模倣とは社会的な反復作業であり、
生殖行為と同じくらい重要だと書いています。



生殖は遺伝子情報の伝達であって、
模倣とは記憶された社会情報の伝達だ、と。



さらに彼はこう言います。
文明化されればされるほど、
模倣的になればなるほど、
自分が模倣していることを我々は忘れる



タルドが「教義的な眠り」と言うように、
我々はレディメイドの織りなす「催眠作用」に
なかなか気が付きません。



「ある原型」がコピペ・コピペ・コピペ・・・を繰り返し、
その連鎖が、架空の人物だろうがおかまいなしに広がって行く。



そこで我々はそのプロセスの一部を
時代に合わせ、変化させているということ。
完全なオリジナルは存在せず、無意識下の
原型を忘れているだけなんです。



例えばフランチャイズシステムだって
シンガー社のミシンやケンタッキーが
FCの始まりと言いますが、


調べればもっと古くから、その「方法」はあるんです。





カーネルはFinger lickin good(指をしゃぶるほどおいしい)と言われた
「イレブン・スパイス」を企業秘密とし、それらノウハウを売っていた。



これはヨーロッパの移民が持っていた「方法論」。
遡ればギルドに、さらに遡れば「宗教」へと辿り着きます。



(ここは非常にデリケートな部分なのですが)
西洋宗教は世界最古のフランチャイズシステムでしょう。



(ずいぶん前に図書館で見たので)
正確な文献が手元になく断言するのは控えますが、



ある原理、ある方法は表層の形を変え、
様々な分野へと広がっていっているように感じます。







社会へ伝達していくものを眺めれば、
そこには共通された「原型」があります。



それが自然の「骨子」、
我々はそれをベースとして創造していくのです。



というわけで、次回は
「創造」についてお伝えしようと思います。



「後記」


僕がオマージュしているジル・ドゥルースは
このタルドから大きな影響を受けています。



ベルグソンやニーチェもタルドを師と仰ぎました。
彼らの著書を見れば、タルドを見出すでしょう。



タルドの「模倣」は、ドゥルーズの「反復」へ、
つまり「類似から差異」へと伝達されたオマージュです。



面白いですね、「同一性」と「特異性」という
矛盾したものを抱え、リレーしているようです。





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2016/04/13

至福のじかん





オフの日に遠くに出かけたくないときは









昼頃まで寝て















ゆっくりお風呂に入って












肉食べて











3時間くらい漫画を読みあさって










また肉食べて









お酒飲んで












いい気分で、寝る。














ああ。。。。なんて無駄で贅沢なんでしょ。








月一くらいやってる、至福の時間の過ごし方でした。




君子、ソフィストに近寄らず。





5世紀のアテネにはソフィストと言われる人たちがいました。
ソフィストとは「知恵のあるもの」と言う意味です。



彼らは有権者の子弟達の家庭教師を生業とし、
権力者には観点をずらす「弁論術」を教えていたと言います。



当時は言論に優れたものでなくては
政治家にはなれなかったんですね。
それは今で言うディベートの習得を意味します。



ディベートとは弁論によって、白を「黒だ」と
言いくるめる技術、



やった人ならご存じでしょうが、あのゲームには
自分の価値観・感情は全く必要ありませんよね。



自分がどう考えるかよりも賛成のコーナーについたら
とことん賛成になる為の論理を構築するといったもの。



ある意味「言葉を使った科学」。
論理武装のコツさえつかめば賛成論も
反対論もどっちも構築することができます。



ただ、オウム教幹部がディベートの達人だったように、
これを日常で使ってる人は、非常に危険ですね。



「どっちも正しくなる」という感覚が広がれば
「自分がやってることは正しい」と錯覚してしまう。



それは「理屈としての解」に過ぎません。
つまりソフィストは「知恵のある人」ではなく
「知識のある人」だったのではないでしょうか。



☞☞☞



愛を育めない人が愛を語り、



戦争を仕掛けてばかりの国が平和を語り、



自分を誤魔化す人が真実を語る。




これ全て「語り」ではなく「騙り」です。




5世紀のアテネだろうが2016年の日本だろうが
人は同じ事を形を変え、繰り返しているように感じます。




「理想の恋愛とはね・・・・」  
「・・・・・・・・・それ、あんたが言う?」




悪も人によって善にすり替えられるなら、
権力者には都合が良く、被支配層からすれば生命の危機です。



だからソクラテスは対話することの
重要性を説いたのでしょう。



相手を信じ、お互いが心を開き語り合うところに
はじめて生きた知恵というものは生まれるのだ、と。



ソクラテスは生涯一行も文字を書き残してません。
プラトンが書いたのはそんな彼との「対話」です。



対話はソフィストとはできない。
王様は裸でない、と彼らは言い張るのです。



そこでソクラテスは話し相手は
本当に語るべき人だけに語り、
黙するべき人は口を閉ざした。



これは彼のとった処世術です。
孔子も黙するべき人を「危うき人」とし、近寄りませんでした。
話し相手(友)が「遠方より来たる」を待たなくてはいけなかった。



僕は彼らが実に誠実な人だなと思います。
流石にそこまでは徹底はできませんが。







対話とは在り方から派生します。



難しい専門知識は必要なく、
ただ「相手を信頼し、心を開く」だけです。



皆さんも飲み会の場以外で
対話を取り入れてみませんか。



それだけで組織のわだかまりが
一気に「解ける」かもしれませんよ。




日本流フランチャイズ展開支援 office unreve 




2016/04/12

暗黙知を継承するために



おはようございます、
unreveの坂口です。




今回はちょっとタイムリーな話題の
「後継」について。




後継者問題を漠然と考えている創業者の方は
結構いらっしゃるんですが、大変難しいものです。



例えばダイエーの創業者の中内功氏は
日本でも屈指の凄腕経営者でしたが、
後継の失敗により、屋号まで失う結果となりました。



また、経営の神様と言われた松下幸之助氏でさえ、
世襲に拘った結果、後継者を作れなかったといいます。



経営において継承というものは
真剣に考えなくてはいけないのですが、


今では
「何が継承か」が分からなくなってきているのではないでしょうか。



結果、今の後継者選びは、世襲だけでなく
現社長による派閥や個人的な「好き嫌い」で
決まってしまう。



端的に言えば先代の「扱いやすい人物」が選ばれる、と。
これでは「次世代にバトンを渡している」とは言い難いですね。






中小企業の事業承継は
大手とは違った悩みがたくさんあります。



例えば、事業継承する際は相続税や
経営支配権の獲得のために莫大な
資金調達が必要になります。



上場企業と違い中小の株券は換金性がありません。
つまり紙切れになってしまう可能性があるものに、
莫大な資金を用意しなくてはいけないのです。



また、仮に継いだとしてもその時は
経営が傾いていない状態が大半ですから
二代目は理念なくとも経営できると「錯覚」しがちです。



しかし、経営が悪化してしまった時初めて、
継承したのは創業者の作った「ハコ」だけだったと、
気付くのです。



厳しい言い方ですが第二創業ができない
経営者が多いのは、創業者の作り上げた
会社にただ乗っかった状態なんですね。



もちろん、それは後継者に能力が
ないという意味ではなく、「継承(継ぐ)」という行為が
形式的なもので終わってしまっているからです。



世阿弥は後継のために風姿花伝という「型」を書いてますが、
あれは理論だけでなく、人生論、精神論を書いています。



事業承継もまた同じであると思います。事業システムや
管理マニュアルの引き継ぎは一側面にすぎません。



本来は経営理念や顧客からの信頼、情熱といった、
目に見えないものを含めて引き継ぐのではないでしょうか。
詳しくは動画「寺子屋」にて)





☞☞


そんな「心の継承」が出来なくなった為、
M&Aなどを選ぶ企業がこれほど増えたのですが、
実はM&Aだって、簡単にはいきません。



例えば売り手の企業はFC同様、
競業禁止契約がありますので、同一事業で第二創業できません。
同業他社への転職だって不可能です。



一時的にはキャッシュは入ってくるものの、
そこから先の行動には規制がかかってしまう。
売却後の人生は非常に選択肢が狭いんですね。



最終的にどちらを選ぶかは自由ですが、
継承の仕組みを作っておくのは早いに超したことはないでしょう。




御社の「理念」を、あなたの「生き様」を
100年後の後世に伝えませんか。





「後記」




ちなみにフランチャイズ加盟店の場合なら、
(経営状態が良好であれば)他のオーナーや
本部が直営として引き取ってくれたりします。



FC化すれば、後継者がいない場合でも選択肢が
あるんですね。老舗のFCは現在、こういった感じで
継承を進めているようです。



unreveは本部や加盟店さんの将来も考えてますので、
継承の仕組みも取り入れたい方はお問い合わせください。




日本流フランチャイズ展開支援 office unreve 






2016/04/11

制度憎んで人を憎まず




「人が悪いんじゃない。
制度が時流に合ってないだけだ」




これは僕が強く思っていること。
人によっては「身勝手な発言だ」と思われそうですけどね。




でも、ちょっと今の現状を見てみてください。
おかしいと思いませんか?




毎年3万人以上、自分で命を絶ってますし、
鬱病など、精神の病気になっている人は
約100万人いると言われます。



さらに不登校は、小中校合わせて約10万人。
そのうちほんの一部の子供たちだけが、
フリースクールなどに通っているのです。



これってまさに、今の制度に我々の精神が
拒絶反応を起こしているのではないでしょうか。




子供たちは精神が敏感だからこそ、
それが大人たちよりも分かっているのではないでしょうか。




感性は必ず先にやって来る、
それは羅針盤であり、志向性なのです。






見れば、現在は制度を変えようとせず
人間の方を変えようとします。




自分らしく生きていいんだよ」、
「出来ない人たちを認めよう」とカウンセラーは説いたり、



メンタルだよ、ブロックだよ、
乗り越える強さの発見だよ」とコンサルは言いますが、
そうなると「出来る人」と「出来ない人」に分かれてしまう。



これは人との関係性や社会への適応が
「出来る」か「出来ないか」の違いではなく、
「従ってる」か「従ってないか」の違いではないでしょうか。



だから上記のような人たちが言うような
「適応すること」を正しいと認めないのでしょう。




無理矢理に訓練し、できたとしても
それは「よくできたロボット」のようではないか、と。




☞☞



もちろん、社会に適応、通用できる力は必要です。



しかし硬直化し、疲弊した制度に疑問を持たず
いつまでも適応しなくてはいけないのか?
といえば、疑問ですよね。




さて、前提はどっちでしょうか。
人の方でしょうか?制度の方でしょうか?



分からなくなりますよね。
適応することを疑うと、そうなるんです。
それが本来の「常識を疑う力」です。




僕は思うんです。
そういった制度は簡単には変えれないから
みんなが「それに合わせること」を無意識に
選択しているのではないか、と。



制度を変えようとすると、必ず今の制度で
既得権益を得ている人たちから反発が起こります。



また、そういった集団の力は強力なので
少数が抗っても、どうにかなるものではありません。




でも、諦めなくて良いじゃないですか。




反発ではなく、新しい制度を作ればいい。
今までの教科書を破り捨て、自分で描けばいい。




それが合わせられない人の特権です。
既得権益を持たない、その集団に属さない人だけが、
新しい制度を作ることができるんです




なるほど。
まるで神さまがあえて「持たざる者」を
作り出しているようですが、



これを書くと形而上になるので
ここでは控えます(笑)








フランチャイズはここ数年で大きく変わりました。
今や大手でも地域対応店を作ってます。




他にもいろんな業態で
画一化から脱却した声が聞こえます。




それは時代の「産声」のよう、
これからどんどん変わっていくでしょう。



みなさんも恐れることなく、
新しい制度を作ってみませんか(^^)





日本流フランチャイズ展開支援 office unreve 


2016/04/09

【FC展開を予定している方必見!】今月から開始しましたよ~



今日はちょっと仕事の話でも(゜゜)



今月に入って、創業・第二創業促進補助金の
公募が開始されました。 




創業促進補助金は新たなニーズを生み出す
創業プランを応援するための補助金ですが、
第二創業促進補助金は事業承継後の
新事業や新分野への展開を支援する補助金です。



FCはこの第二創業促進補助金が
使えるんですね(審査・対象外あります)
第二創業とはいえ、継承していない人の新規事業でもOKです。



ちなみに補助内容は、 弁護士、弁理士などの専門家との
顧問契約費用や外部への委託費用(うちはここに含まれます)



さらに広告費等、販路開拓に必要な経費。
例えば営業に係る費用も該当します。



補助率は今までと変わらず2/3。
金額も変わらず100~200万円です。



簡単に言えば300万使って最大200万補助が出る、と。
事業計画書の作成はこちらでもアドバイスしますよ(^^)



公募期間は4月28日17時必着。
当事務所での新規の方の作成支援は
来週くらいまで受け付けてますよ~。




☞☞



他にも、中小企業・小規模事業者が
海外展開する際に利用できる補助金など
FC化で利用できるものはいくつかあるので、
社労士さん、税理士さんに一度聞いてみてはいかがでしょうか。



こういったものはどんどん利用していきましょう♪





2016/04/08

無駄になって、よかった。







知り合いの○○ちゃんが
へんな団体に入ろうとしてるのよ~




そんな相談を受けた先週のはじめ。
最近多いんだよな、その手の話(゜゜)




きっかけはSNSのイベントに
参加してからとのこと。




不審に思った友人が聞いたところ、
それからずっとハマってるらしい。



こういった相談は知人から、たまに受ける。
今までは僕と近いかちょっと下くらいだったが、
今回はなんと、20代半ばだ。



おいおい・・・・もっと他にやることあんだろ。
どんだけ貴重な20代を無駄にしてるんだ(笑)




本人がトリップしてるんで、
どう説得すればいいかとのこと。



飽きるか、痛い目に合うまで
好きにやらせればいいんじゃないのと
言いたいところだが、



今回は結構な金が絡んでいるようなので、
どうにかして止めさせよう、と。



(まあ、それもホストに貢ぐのと変わんないんだけどね)



☞☞☞




で、その「とある団体」さんを聞いてみたら、
有名な心理カウンセラーさんがやってるやつみたい。



なるほどね。テレビでも見たことある。
本屋でも見たこともある。
(内容知らんけど)




普通の人気カウンセラーじゃないんだ。
彼女が「へんな団体」って言ってるんだから
間違いないだろうけど。




さて、どんなことを言ってるのかしらと、
その人のブログを見ることに。




。。。。。。。なるほどね。
こりゃ、大金取られて幻覚みて終わるやつだわ。



スマホそっくりの銃とか子供用の銃を
平気で売ってる会社と同じやつだから、何言っても無駄。



支配欲が強そうだなぁ~。
文章でわかるわ。







しかもこれ、自分で考えて作ってないな。
多分にどっかからの借り物だ。



借りるのはいいけど疑ってない。
そもそも疑うってことの意味がわかってない。




これも心理カウンセリングになるんだ。
「とにかく俺の考えに染まれ教」かと思った。




そんな感じで、見ててムカムカっとしまして、
ここ数日間、論破記事を書いてしまったとさ(笑)




浅薄でもいいし、間違ったっていい。
誰だってその繰り返しです。




ただ、その思想を他人に売るなら、
ちゃんとその責任を取りなさいよ。




それが嫌ならこんな感じで一人で書くことです。
少なくとも僕は人に語るほどの自信はありません。




☞☞




でも、人の平和っていう大義があるみたいだな。




内心、本人が一番シンドイのかもしんない。
理性派生の軸を守ろうと、無理矢理に正当化してるのかも。




・・・・・まっ、そこまで入り込まなくてもいっか。
今回はあえて「観察者」で終わろう。





そんな感じで
「よし、いっちょおじさんが話してみっか」と、
その日の相談は終わりました。










そして先日の夜。




~ラインにて~





この間の件、大丈夫です<m(__)m>」






「えっ、説得できたんだ!?」





「そうじゃないって~」





「どした?」






彼氏出来たから、お金がもったいないと思ったって!」








(゚△゚;・・・!! (゚△゚;・・・!! (゚△゚;・・・!!









からのスタンプ。











えー・・・・・・っと。












この数日のイライラが無駄になって、よかったデス。






Mさん。
面白かったから、ブログのネタにしましたよ(笑)









三国志みたいだね。





セブン&アイ・ホールディングスの
鈴木敏文会長兼CEOが、退任する意向を固めましたね。




セブン−イレブン・ジャパン 社長退任案否決 
鈴木会長の求心力低下 取締役会

毎日新聞より引用




主要メディアの記事を一通りみたんですが、
紙媒体メディアの最大の販売元と言えばセブン。



どこも右にならえな記事になってますね。
まあ、これは仕方ない。



そういった媒体から情報が回ってこない反面、
ネットではちゃんとした情報がありますからね。



まあ、それをブログであーだこーだと
言う気はありません。



やることはとにかく、小さいところから
FCのイメージを作り変えることです。





☞☞




鈴木会長が去ったセブンと
澤田さんが新任した新生ファミリーマート、



そしてダイエー傘下から
三菱商事が人事を握ったローソン。




なんかフランチャイズの三国志みたい。




実際の三国(魏呉蜀)は
どこも天下統一できず、歴史から消えちゃったけど、
こちらはどうなるでしょうね。




言えることは、ひとつ。



経営効率を追求しないといけない背景が
ある以上、カリスマが去ろうが独裁者が去ろうが
企業の志向性は変わんないでしょうね。




2016/04/07

お久しぶりです。




一昨日、満開になった山桜を見に行きました(^^)




この日は晴天でしたが明日から雨とのこと。
つまり今日の逃したら次はない(笑)




やれやれ、
七夕の二人のような引き合わせ方をしますね。






☞☞☞



ついた頃にはすっかり日も暮れて
ライトアップされていました。











やーどーも。お久しぶりですね。
お元気そうでなによりです。






























子供からお年寄りまでいるじゃないか。
相変わらず人気者だねえ。










この山桜は、昭和初期の落雷で
幹が6本に裂けてしまったにもかかわらず
毎年見事な桜の花を咲かせています。



10年ほど前の台風によって
主幹がさらに折れ、今のような形になっていますが、
それでも強い生命の力を感じますね。




僕は今のような形になる前から見ています。
半円の形をした、それはもう美しい桜でした。




あれから15、6年ほど経ちますが、
はじめて見たときは、強い衝撃を覚えましたね。




それからすっかり、心を奪われてしまったんです。











今でこそ柵が作られ、中には入れないのですが
昔は中心にまで行くことができたんですよ。
桜の中心から空を見上げると、まるで桜の中にいるような
不思議な感覚でした。




それができないのがちょっと残念だけど、
君はもう400歳超えちゃったからね、しょうがないか。







昔と違って、今は触るのも抵抗があるなあ。







少しずつ桜の花びらが落ちてる。



行くまでに見た桜は
ほとんど葉桜になってたのにね。












我々が汚した酸性雨に打たれ、
汚染した大気にも吹かれたけど、
実に見事に咲いたもんだ。






うん、今年も綺麗だった。





☞☞






じゃあまた、来年会いましょう。
その時に相方がいたら、一緒に連れてきますわ。




欲をいえば、子供や孫にも見せたいから
お互いあと30年ほど、頑張りましょうね。






では、さようなら。









答えではなく「応え」





なぜバラバラのものを区別して
そのままに認めるのではなく、
統合、超克する必要があるのか。




まあ、傍からすれば実に面倒なことを
やっているように見えるのかもしれませんが、




ほっといて(笑)





てな突っ込み(?)は置いといて(/ ・)/ヨット




多分に、僕は解りたいんでしょう。
言葉遊びのような感じですが、
分別した理解だけじゃなくて、解り合いたい。




僕はまだできないんですが、
それが普通にできる人が。。。。




臭いセリフになるんですが
「愛のある人」じゃないですかね(。-∀-)ハズカシ




あいしてるぜ、ブラザー。





愛情がないと他人を頭でしか理解できません。
頭で分ければ一応は安心するけれど、
分別である以上、そこには「悩み」が出てきます。






例えば「あんな人だと思っとけばいいよ」と
アドバイスされても、無理な人っていますよね(笑)
というか、ほとんどそうじゃないかしらん。




関心のない人ならまだしも、多少なりとも
その人と交わってしまえば「あんな人」だと
割り切れないのは当然のこと。




(これも言葉遊びのようになるんですが)
「分かる」状態で「解ろうとする」とそうなっちゃう。



ちゃんときちんと分別したのに、
それをまた一緒くたにすることができないでしょ。
逆もまた、できないでしょ。




だから「誰もわかってくれない」、
「理屈は分かるけど解りたくない」
と拒むんじゃないですかね。




いくら言葉を紡いでも心が許さないのは、
心はそんな「答え」なんて求めていない証拠です。






その鍵、違うで




我々が本当に欲しいのは、
理論や言語的正解ではなく「応え」のほうです。




小林が「解答ではなく応答」を求めたのは
そういうことでしょう。




「世界はあったかいな~」と思ったり
「人って優しいな~」と思うのは
そんな言葉を超えた愛情と交わった瞬間です。




その経験は明確な答えは出ないけど
確かな「応え」があります。



手応えを感じるって言うでしょう。
それは見るものじゃなく、感じるものです。




我々は経験を学ぶのではなく、
経験することで、学ぶんです。




☞☞



思春期になるにつれ、子供には
自意識が芽生え、自他の区別をつけだします。



だから今回のような話は
子供に言っても無理・無駄・無視(笑)
「うっせーな」で終わりです。




これは子供なら当たり前の反応です。
ここで親が押さえつけたり抑圧すると、いつか爆発します。



大事なのは自他の区別を付けた後。
旅に出て、住処(すみか)に戻るという回帰です。



極端を知るから中庸が、加減がわかる。
孔子を始め、聖人たちは一回りして戻ってきています。



それをしないままで心の問題を解決しようとすると、
区別したままで「自分らしく」を求めてしまう。



「人は人。俺は俺。
僕は軸があるから関係ねえ」ってね。
社会に合わせる真面目な人ほどそうなります。



そして、それが自意識の目指すゴールです。
多様な個性ではなく、細かい個別化です。




もちろん、それも大事な事なんですが、
それだけで人が「わかる」と思っちゃいけねー。




人間関係が人間観察になった時点で
相手は心を開くことはありません。
少なくとも、僕は開きませんね。



なぜなら「分かること」で自他の境目が
消滅するのではなく、



自他の区別が消え去った時、
はじめて「わかる」という感覚が起こるのですから。






そんな円転回帰、超克の
組織を「解りたい」人はこちらから↓








今回も説明くさかったな~。


2016/04/06

対立は対話に変えれるのか?





理性の働きはいつも「正解・不正解」を求め、
感性の働きはいつも「そんなものはない」と答える。



理性はそれを剣にして、相手と戦うのだけど、
戦うことでは解決しないよ、と感性は包む。



しかし感性は包みこそ、すれど
加減を超えたものでも包もうとしてしまう。



結果、直接的に相手には言わず、
やがて井戸端で間接的にものを言いだすだろう。



それが理性には我慢できない
「ほらみろ、間違いはあるだろう」と。



そしてまた理性は武器を手に取り、
感性はそれを見て「だから理性ってやつは」と嘆く。



そのどちらにも答えはないということを知らず。
バランスという、見えない場所を知らず。




それを見た神様は言うでしょう。
「良い加減にせい」、と(笑)




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最近は知識や理性や科学を批判してるんで、
「排除してるじゃないか」と思われる人もいるでしょうね。



そんな人のために(笑)
今日は誤解を避けるための補足記事です。




説明文になった時点で野暮になるのは当然ですが、
まあ仕方ありません。



見たい方だけどうぞ(゜゜)









そもそも論として、科学や理性は利用するもの。
全てを託し、決定するものではない。



例えば科学は進歩するでしょう。
つまり進歩しているという事実が
自らを不完全だと証明しています。



もちろん、その不完全性は間違いじゃない。
実際の理性は感情と対立せず、
感性と対話し、補う役割を果たすのです。



ただ、今はどうも手段(理性)が
目的として居座っている。



どうやったら幸せになれるのか?」ばかり考え、
何が幸せなのか?」を考えようとしないので、



「いかに社会に適応するか、成功するか?」に
人生のすべてを託しています。



問う場所を間違うと、誰だってそうなってしまいますね。
理性で問えば、正解だと錯覚してしまうのです。



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感性は常に先に派生されます。
自己というものは頭ではなく腑の奥から来るものです。



その場所は決して変わらない。
それが僕のリゾーム派生、感性派生です。
(詳しくは動画寺子屋にて




例えば、ある出来事に遭遇したとき、
まず一番に反応するのは狭い理性ではなく
感性であるのは、ごく自然なこと。



今までの経験を振り返ってみてください。
きっと、みなさんそうなってます。



前例がないものをいくら考えても答えはでない。
その事実もまた、理性の限界を証明しているのです。




そこで「逆もまた真なり」になることはない。
分析したものを直観することはできないのは
言うまでもありません。




そんな見える「派生元」と見えない「間」。
個人的ですが、僕はそれを実態だと認識しています。




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単色一つを握りしめるのではなく、
間にある多層的な重なりが必要です。



そのグラデーションを持っていれば、
白も、黒も、灰色も選べるけれど、
彼らはそのどれもを、正解にはしません。
出す正解は常に揺らいでます。



そして、その揺らぎを持っているかどうかは
対話をすればすぐ分かるんですね。



例えば人を「この人はこうだ」と断言したり、
「これについては、こうだ」と簡単に決定できる人は
一見頼もしくは見えるけれど、



頭の中「だけ」でおしゃべりをしている人は
対話ができない。それはレトリックでしょう。



大事なのは現実との折り合いですよね。