2016/09/05

こころ、つかむ。




遅ればせながら、芥川賞を受賞した
コンビニ人間を読み終えました(゜゜)



実に読みどころある本でしたね、
現代社会の抱える精神を実にリアルに描いています。






著者である村田さんは今でもコンビニで働いているとか。




不安定な結婚よりシステマティックに
管理されたコンビニを選ぶヒロイン。
以前紹介したカラマーゾフに出てくる
大審問官の理想世界と妙にリンクしますな(゜゜)



それは幻想でも良いから
安定が欲しいという人間の根源的な性か。



それとも損得勘定だけで見てしまう
現代の病理か。


まあ書きだすと長くなりそうなので
これくらいにしますが、久々な良書でしたね(゜-゜)




さて、余談はこれくらいにして
今日のテーマに入りますか。






心の病に関しての研究に脳内生科学物質を調べ、
病の原因となる遺伝子を特定しようという分野があります。
端的に言えば「脳と心の関係性」を解明しよう、と。



なるほど、目に見えない心の問題を
目に見える遺伝子で掴もうとしているのでしょう。



しかし(当然というべきか)仮にひとつの原因を
発見したとしても、すぐさまそれを否定する
報告結果が出てくるようです。



サイエンス誌はそれを見て、
「ジェットコースターのようだ」と批判していますが、
確かにおかしなことをやってますね(゜゜)



研究者は対象の複数の表現形式、
つまり眼に映る「異常な形質だけ」を選んでいる。
そこで表現できる形式の系統を発見した途端
ツリー状に作り上げ、照合し、連鎖の確率を算出し・・・と、
「心を科学」しているわけだ。



しかし要因の数とその連鎖の複雑さだけでも
特定できないのに、相互作用という関係性がある以上、
さらに手の届かない場所へ向かってしまうでしょう。



それはもう、科学ですらありません。
強みと一緒、大略で進んでいる概念論ですわ。




科学的な根拠とはある差異が別の対象の差異に
関係することの発見(ああすれば、こうなる)とは言え、
そんな共通点、法則性は部分的「差異」が無数に存在するもの。



この差異を「たった一つ特定した」だけで
主要因を特定したと報告している時点で間違ってます。
そもそも多様とは、この「差異」の共存に他ならないのです。



☞☞


ちなみにドゥルーズは多様な生のスタイルを
そのままで肯定します。



そのままということは、苦しみや悲しみに
見舞われるスタイルをも、肯定するのです。




我々は何かの問題に対し解決策を求める限り、
「解決できない自分」が悪い事のように感じますが
そうじゃない。




「クヨクヨするな」ではなく「クヨクヨしてもいい」。
そうじゃないですか。




「ありのままの自分でなくてはいけない」ではなく
ありのままの自分を出せない自分でもいい」。




不自由であっても、成功できなくても。
やりたいことを我慢している自分であっても
全部自分事として引き受ける。




清濁併せ呑んだ先にある「肯定」。
この志向性が、絶対的な幸福なんじゃないかな(゜-゜)と。






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