2015/05/01

対話編 ~深夜にて~






「独自の価値を出しましょうって
この間、セミナーの講師さんが言ってたけど、
よく考えたら難しいことだよなぁ」。




「価値を一緒くたで教えるからだ」




「またいつもの独断が始まった(笑)」




「独断結構じゃないか」。



「じゃあ、その独断の価値を分かりやすく教えて」。




「まず一つ目に、価値には二種類ある。
一つは相対価値、もうひとつは絶対価値だ」




「最近よく絶対って言葉でるね」




「なぜ僕が絶対的価値を重視するか。
それは価値が変わらないものを支援するだからだ」



「ん、どゆこと?」




「例えば、スタバのカフェモカのグランデは
どこに行っても同じ値段だよね」




「今のとこはね」



「そう、福岡で飲んでも東京で飲んでも
値段は同じ、つまり商品価値は同じだってことだ」




「どこでもそうじゃないの」




「いーや、地方のディスカウントで買う缶コーヒーと、
コンビニで買う缶コーヒーは同じじゃないだろ」。




「確かに、コンビニは高いよね」




「高いんじゃない、相対でそう感じてるだけだ」




「安売り店ありき、ってことね」




「相対的に商品を流通すると、
それ自体の価値がとても曖昧になる」。




「あーね、缶コーヒー自体の価値なんて
そういや考えたことないかも」




「そう。コモディティは何でもそうだろ。
高いか安いかだけが基準になってる
まさに学歴はこれと同じ原理だ」。




「それをFCは防止している、って言いたいの」。




「それが可能だってこと、もちろん
価格競争のFCだってたくさんあるけどね
本来、ブランドってものは価値を唯一無二にするってことだろ」。




「偏差値50のどこそこ大学卒の私じゃなくて、
「この私」ってことか」。




「まさに希望小売価格ならぬ
絶対商品価格の多店舗展開だ」。




「でも海外だとそうはいえないよ」



「海外なんて知らないよ。
ただ、僕は「価格競争から脱却」といってる割には
商品自体を比較前提に作ってる気がする」。




「チェーン店のPB(プライベート・ブランド)とか」。




「うん、流通が閉鎖的にも関わらず、
メーカと比較して、ちょっと安くしてるのが多い」。




「ポテチとかビールとかそうだね」




「だろ、当然消費者は比較しかしない
まさにお得か、そうじゃないかだけ」。



「でも、セブンのコーヒーは美味しいよ」




「あそこは多店と差別化なんて考えてない。
徹底的なユーザー目線を自社の絶対価値基準から作ってる」





「へえ~、珍しくコンビニほめてるね」





「商品哲学だけはね」




「なんか偉そうだ」




「媚が売れないだけだ」




☞ ☞



「これだけ色んなもん消費してたら
良いものって無意識的に分かってくるよね。
てことは、無意識的な価値基準が上がってるってこと?」




「そう、本来はそれ自体に価値を感じないと買わない。
物珍しさで最初は買うかもしれないけど」




「ちょっと高くしてプレミアって言っても
全然イケてないものあるもんね」




「最近、プレミアって言葉が安っぽくなってるね。
そもそも、心の贅沢はそんなもんじゃない」。




「観客の必要な見栄張ってもね(笑)
やっぱり、自分がどう感じるか、ってことになるよね」




「そりゃそうだよ、商品に価値を感じるってことは
その「モノとコト」に惹かれる、「ココロ」があるかないか、ってことだから」



「まーね」。



「だから何かを売ろうと思うなら、
まず自分の信じる価値を出すしかない。
こりゃある意味、覚悟の問題だね」。




「でも自分の為に作った商品なんて売れるの?」




「職人とか芸術家は対象を通じて自己を見てた。
つまり商品は物質であって精神の映し絵でもあったんだ」。




「だから何」




「それは生活より先に来てた、
だから売れる、売れないはあまり頭になかったはずだ」。




「そりゃ困る、生活ができない」



「だから覚悟の問題だろ」



「覚悟で空腹は満たされないよ」



「だったら売ることを追求することだ」



「言われなくったって、全員そうしてるでしょ」




「消費を結果にするのか、
結果、消費されたかは大きく違う。
売るのを目的に書かれた本なんてあるか?」




「でも、話題になってると
内容知らなくてもつい買っちゃう」。



「ふん、つまりそれが売れる原因は
売れているってことだ」。



「なんだそれ、めちゃくちゃだ」



「それと価値は全く関係ない。
売れてこそ、選ばれてこそ価値などと言う人は
僕は信用しないね」




「そうかな・・・僕はそう思うけど。。。」




「じゃあ、100万枚売れた一発屋のCDは
あまり売れていない古典音楽よりも価値があるってことだな」




「あっ・・・・」




「そうなると、ゴッホの絵画も宮沢賢治の本も
生きてる時と死んだあとでは価値が変わったということだな」




「・・・・・・・・」




「問題は感動の内在的な意味なのだ。
マンネリを打破した斬新さでもなければ、
時間をかければ価値が上がるもんでもない」




「価値の捉え方は二種類なのだ。
一つがわたしはそれに価値を感じない
もう一つがわたしはその価値を理解することができない」。




「・・・・・・・」





「多くが価値を見出すということは
この「私はその価値を感じる」という敷居が低い場合がある。
だから簡単に消費される。まさに流行はこの原理だ」。



「ビジネス書はすぐに絶版になって、
ドラッガーは生き残ってるようなもの?」。




「その本については僕は分からないけど、
売る目的だけで書かれた本は生き残ってない」。




「生き残る基準とかあるの?」




「そんなもの分からない。ただその商品を作り手が
「良し」と感じるかどうかが先決だ。
残るかどうか、売れるかどうかは最終的には
神のみぞ知るってやつだ」。




「自分が納得するか、ってことか。
だから陶芸家って作った作品投げちゃうのかな(笑)」。




「彼らが見てるのは、自分自身だ。
売れた量的側面ではなく、質的だから壊すのも無理ない」。




「うわー、自己満足やなぁ、オタクだ」。




「良いじゃない、誰にも迷惑かけないなら。
それに僕の人生だ」。




「たぶん結婚できないよ、君」



☞ ☞



「つまり絶対価値は非言語ってこと?」



「僕はそう思う」



「だからセミナーに行って人に聞いても
作れない、と」



「僕はそう思う」



「その答えは自分だけが知ってる、と」




「僕はそう思う」




「これだけ引っ張っといて、
明確な答えがないって・・・読者は怒るよ」




「いや、逆に解放したと思うよ。
答えがないってことは、「自分で価値を決める」ってことだから」。




「それを広げるのはまた別の問題ってことだね」




「そう、後はそっちのプロに任せるよ。
売るためには消費者の納得が必要だからね」





「説得じゃなくて納得か。
まさに、お互い欠けたピースってことだね」



「いいね、80点やろう」




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