2015/05/27

男子力・女子力




こんばんわ、坂口です(゜゜)



今度、知人が「女子力アップ」という名目で
韓国に行くようです。



確かに、あっちはエステとかコスメとか
色々賑やかですからね。



そんな「女子力アップ」は分かりやすいけれど、
「男子力アップ」と言うものは何があるんでしょうな。



最近、男性用化粧品やらエステやらが
流行っているようですが、それは単に
女子力アップの男性版なわけで。



そう考えると、男子(男性)力アップで
考えられるのは仕事とか、コミュニケーション能力とか
教養とかになるんでしょうが、



これもまた、「男性ならでは」というわけではない。
(男性諸君、分かりますか?)




まあ、そもそも平等っていう概念は
明確な区分けがなくすことでもありますからね。




今日はそんな所から。。。。







さて、ジェンダーと言う言葉が日本で市民権を得て
しばらく経ちます。



本来のジェンダー論とは
性別や肉体的な差異のこと。



「好きで男に生まれたわけじゃない」。
「好きで女に生まれたわけじゃない」。



なるほどね、自分以外の
決定論が気に食わない、と。



もちろん、育児や料理ごとなどの役割分担は
自由で良いじゃないの、とは思うのですが、



これが、あらゆる面で公私の区別をなくそうと
言われると、ちょっと首をかしげてしまいますな。


まるで、どこもかしこもフラットに
整地しているかのよう。



例えば、ジェンダーフリーの立場の人は
性教育はもっとオープンにした方が良いとか言います。
「私的に隠さず、公的にせよ」と。



そりゃ極端だろと思うんです。
じゃあ、あんたら路上でエッチできんの?と。



できないでしょう。
シド・ヴィシャスじゃないんだから。


第一、そんなもんはいちいち教えなくても
正常な男なら、勝手に覚えていきますわ。



逆に全くやり方を知らないまま
大人になる方がおかしい。



☞ ☞



私的領域(プライバシー)は
閉じられているからこそ、私的たらしめているわけで、



前提を間違えれば、その先全部が
間違ってしまう。統合と統一は全然意味が違います。




例えば、本当の自分を出せと言っても、
公共(境界)の場ではちゃんとルール守りますよね。
これは我々が持つ真っ当な精神なんです。



なぜ真っ当か。
それはこの世界が二項の統合によって成立しているから。




小林秀雄はそれを「鍔」として表現しました。



血で血を洗う戦国乱世の時代において、
武器は人を殺す為の道具であった。



しかし、応仁の乱以降、戦で使われている
刀の鍔(つば)や鎧兜には、芸術的な装飾(意匠)が施されている。



多分に、残虐な行為を繰り返す時代であっても、
人間は文化的な志向性を求めずにはいられなかったのであって、



それが刀の鍔に現れている、と。





wikiより拝借




我々はそんな明暗のコントラスト「そのもの」を
引き受ける動的平衡の存在なんですが、



平等の精神論者は必ずどちらか一方、
つまり「自分の恣意的な意図」で塗りつぶさないと気が済まない。




善一色、人間一色、神一色。
ワンネス、ワンマン、オンリーワンです。




これが目指すべきものだと言う人の
人生は、さぞ生きにくいでしょうね。





多分、差異ある肉体を持った
差異なき精神こそ自分だと思わないんでしょう。





僕はO型の大ざっぱな性格ですが、
そんな非寛容な思想だけは、拒絶してしまいますね。






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