2017/08/02

緩くも固い、組織論。








さて、なぜ僕が何年も「マニュアル(指示)」
に対し抵抗しているかと言えば、経験上それが
「停止」を意味することが分かったから。


確かにマニュアルがしっかりしていれば
ある仕事(作業)は誰でも初日からきちんと
こなせることができます。マクドナルドや
ケンタッキーなど西洋式FCはそんなマニュアル
偏重によって成功しましたよね。しかしマニュアル
によって業務を遂行するという前提で育った社員や
アルバイトの大半は一年勤めても五年勤めても、
新しい仕事を自分から作り出すことができません。


マニュアル(指示)の最大の弊害はこれですね。
何年やっても能力が更新されず、自主性が
停止した状態、すなわち「問いを持たず答えを待つ」ようになるのです。


元来、この国の教育は主体性と創意工夫を
いかに本人が引き出すかに注目していました。
外国のように法則性を導き出し、メソッド化
させるような「答え」を先に出すやり方では
新しい課題や状況に対応する力が失われると知っていたのです。


(厳しい言い方ですが)出る杭を打ち、
マニュアル人間を量産させている公務員や
銀行などは組織としては完全に停止しています。
前例がない、リスクがある、とマニュアル
判断で事なきを得るようになってしまった所ほど
論理的判断をやっているようですが、実際は
ただ逆境に弱くなっているだけでしょう。


反面、成長した企業はもれなく答えの無い道を
それぞれが創意工夫で乗り越え、独自の方法を
生み出し続けてます。セミナーや勉強会に通った
おかげで成功しました、という所なんて聞いたことがない。


つまり「正解はそもそもない」が前提にある、と。
(禅問答みたいですが)故に自分たちにとっての
正解は自分たちの中にしかないと言う理論が成立するのです。


他人から間違ってるとか、おかしいとか
否定されたとしても、そもそも間違いという
概念自体が存在しないんですね。





言うまでもなくこの組織論も「僕が」
素晴らしいと信じている価値にすぎません。
そうじゃない組織を否定してますがそれは
僕にとっての「違い」であって、従えば
御社の抱える問題が解決されるというわけではない。


結局、自分がいかに信じれるか。
逆を言えばいかに不信を克服するか、ですね。



「後記」


余談ですが最近の「自己表現したい!」って
人も実に不思議なことをやってますね。
自己表現なのに「自分らしく表現するためには
どうしたらいいか?」と聞いてくる。


「こうしなさい」と言われた事をやったとして、
その制度(指示)に従順に従った表現のどこが
自分らしい表現なんでしょうか。
(まあ、教える人も教える人ですけどね)



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