2017/02/14

本当の個性とは



下の甥っ子が好きなポケモンには
能力値として「こせい(個性)」があるそうな(゜゜)


「このポケモンの個性は?」って聞くと
「こいつ、のんびするのが好き」だって(笑)



てなわけで、今日のテーマは
ポケ・・・個性についてです。





さて、このブログでは個性について
「自分の色を出すことだ」と言ってますが、
「凸も凹も個性です」とはちょっと違います。


「青と赤も個性だろ」と言われそうですが
自分で作ったかどうかということ。


つまり個性とは主体的に獲得しようとする
精神態度(意思)そのものなんですね。


僕が説明すると長くなるんで
いつもの小林さんに登場してもらいますか(笑)
長い引用ですけど、彼は個性についてこう語ってます。



普通に我々が個性なんて言ってるものは、
個性なんかじゃないんです。あんなものは
ただ人と変わってる、って言うんです。


だから芸術家のいう個性というのは
我々がいう個性とは違うんです。
少なくともゴッホにとってはそうじゃなかった。  


私の鼻が尖がってるってなんて何ですか。
しょうがないじゃないですかこんなもの。


だから人間ていうのはそういった意味の
個性はその人のオリジナリティではないんです。
それはむしろスペシャリティ、特殊性です。


こんなものは誰にだってあるんです。
だれにだって個性なんてあるんです。
どんなバカにだって個性くらいあるんです。
みんな人の顔に個性的なものがあるように。  


ただそれは強制されたもんです。
だからそれは克服しなきゃならんのです。


芸術家の個性ってもんは必ず努力の結果、
強制された個性を克服したもんなんです。


こういう風なものを乗り越える精神が本物の個性です。  


だから優れた芸術家っていうのは
こんなとんがった鼻を自慢したやつなんていないんです。


俺はこんなとんがった鼻で
生まれてきたにも関わらず、
こんな普遍的なことが言えるぞっていうのが芸術家でしょう。


~小林秀雄の講演より~


彼は全然自分が関与していない
ものは個性ではないと言ってます。
そんなもの「私の個性はO型蟹座、
次男です」と言ってるに過ぎない、と。


そして本当の個性とはそういった
自分が生まれた時に強制的に
与えられたものではなく、
それを乗り越え、獲得したときに
現れるものだと言ってるんですね(゜-゜)



ベートーベンは耳硬化症を乗り越え、
ゴッホは人格障害を乗り越えることで
あのような作品を作り出した、と。


乗り越えるとは受け入れること、
昇華したと言ってもいい。


強制的に与えられた家庭環境やら
気質やら強み弱みを引き受けながら
「ナニカ」に進む行為です。
以前書いた北斎もまた、そうでしょう。


それは外因的偶然性に理由を見つけず、
自然に志向する必然的な意思に従うこと。


環境なんてクソくらえです(笑)
みなさんも環境を超えていきましょうぜ( ・∀・)=b



「後記」


自分の個性を引き受けられず、
親や時代を原因にし過ぎているのが現代かもしれません。
(もちろん環境も影響されるけど)


行き過ぎた人は星のせい、過去世のせい、
カルマのせいだと分析してしまってますが、
「偶然性」を生涯調べても答えなんてありません。


仮にベートーベンがそんなことをしてたら
第九や月光という名曲は生まれてこなかったでしょうしね。


0 件のコメント:

コメントを投稿