否定と肯定が入り混じった人も多いでしょう。
マルクスがこれを目指したかどうかは分かりませんが、結局資本を持たないとこうなってしまいますよね。
個人的に、これって資本主義の労働を皮肉っているんじゃないかと思ってます。我々は本当は学ぶのが好き、働くのが好き。
そしてそういった人達はビジネスはできず「商売(商い)」しかできない。そうじゃないですかね。
神道では労働はとても尊く神聖なものとして捉えています。古事記では神様が一生懸命働いて物事を産み出し、育ててます。
「創る」、ここに商売の本質があるんじゃないかしらん。
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