2017/02/12

批判に「勝つ」ってどうだろね。




先日の日米首脳会議において
トランプ氏は日米同盟の重要性を
再確認したようですが、そこに至るには
以下のような伏線があったみたいですね(゜゜)



安倍晋三首相「私は朝日新聞に勝った」 
トランプ大統領「俺も勝った!」 
ゴルフ会談で日米同盟はより強固になるか?

~産経ニュースより引用~



郷に入ってはなんとやら。
確かに文化や思想が違う相手と信頼を
築くのは非常に困難、ましてや
国家間であればなおさらでしょう。


そんな中お互いの共通点を探した、と。
なるほど、今の偏向メディアに
「勝った」という共通意識はゴルフよりも
強烈なものであったのは言うまでもありません。


ただ本来の民主主義で考えれば
それは大変、危険な考えではないでしょうか。


今日はそんな「お政治」な小噺。





さて、各メディアの「本来の」役割は
いうまでもなく「正確な情報を伝える」こと、
すなわち権力者を監視することにあります。


時の権力者が間違いを起こした場合
メディアから厳しく批判され、それに対し
説明する義務が生まれる、と。
つまり批判とは「調整」の合図です。


その報道を通じ、国民もまた権力者を
監視する。それが民主主義の基本概念でしょう。


人間が人間を統治する以上、必ず
間違いはあります。それは権力者も
そうですし、メディアもそう。
さらに言えば我々国民だって間違えます。


そこで大切なのは「間違いをしない」
ではなく、間違いが起こった時の「在り方」、
思想対立なんてものは白黒ハッキリ
できないいことばかりですから
自由に批判し、議論(対話)できる
場は大前提として崩してはいけないものです。


しかし今回の対談ではその前提に対し、
「俺は勝った」と権力者同士が発言している、と。


繰り返しになりますがそれは
「今のメディア」だから通用するだけで
民主主義の精神ではない。


それ以外やってるのは「宗教」か
北のような独裁国家くらいです。



✍✍✍


自分の意見だけで進んでいいのは
責任を取れる範疇、すなわち自分事だけ。
それが他人に及ぶのであれば、それは単なる
独善的な権力者の発想にすぎません。


たった二人の男女であってもそう。
そんな矛盾との葛藤はあらゆる
共同体が抱えるテーマですが、


矛盾はその本質において「新しい何かがある」証拠です。
人は矛盾と葛藤し、迷ってる間に
その何かを求めているのです。



それを認識しない限り、
こういった「俺の勝ち」は消えないでしょう。
個人的に「全員勝ちの道」を迷いながら模索したい、
今日この頃です。



「後記」


草木が茂っている森を見れば、
非常に厳しくも優しい共生原理が起こってますね。


隣の木に巻き付いたり、分かれたり。
中には折れた枝同士が支え合って
成長しているものだってあります。


誰が指南しているわけでもないし、
誰かが一人で独占しているわけでもない。
しかしその結果、とても複雑かつ最適な
ネットワークが築かれているのです。





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