2017/02/08

30キロの球



好きになることと「簡単なこと」を
一緒に考えている人がいるようですが、
本来の好きとは「困難なこと」を好きになることです。


難しいな、分かんないなと頭をひねる。
繰り返し練習し、トライする。


そしてそれが解けたときの面白さによって
ますます「好き」になるんです。








たとえばピッチャーが簡単な場所に
ゆっくりとボールを投げれば、そりゃ
誰だって簡単に打てます。


ただそれを何回も繰り返して
ああ楽しいな、と思う人はどれくらい
いるのかしらん。



もちろん、チームプレイも絡んでいるので
勝つこと自体も面白いでしょうが、
難しい球を打った瞬間、三振を重ねた時の
達成感は代替え不可の楽しさがあるはずです。


打率2割を3割にしたい、
もっと難しいボールを投げれるようにしたい、と。


それは野球だけに限りませんよね。






見れば今の教育は
難しいことが面白いという事を教えてませんね。
手っ取り早く楽に、簡単にできることを目的にしています。


なるほど。野球で言うなら
「パカスカ打てる」状態なのでしょう。


しかしそんなものちっとも面白くないし、
自信なんてものも生まれやしません。
それに慣れてしまえば難しい球が来たとき「これは嫌いだ」
「私はそれを望んでいない」と、逃げてしまうでしょう。


「今の僕」は30キロの球しか打てないけど、
この先ずっと、30キロの球だけを探したくはないですね。





既に出来上がった知識を貰う事が
学ぶ事ではなく、出来上がった知識を
与える事が教える事ではないでしょう。



孔子は相手に対し、意志の部分を敲きました。
つまり教育の方角を個人が問い、疑える意志へと
向かわせたのです。






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