2017/01/12

ネズミを捕まえたネコは、どんなネコでも正しい!?




あぁ・・・、善悪の判断が分からなくなった、
今やってることに価値はあるのだろうか。


一体どこに拠り所を持てばいいのだろうか。
何を信じたらいいのだろうか。


本を読んで、いくら知識を得ても
ますます混乱するばかり。


神はいるのか、いないのか。
いるならなぜ、こんな世界になったのか・・・・





と、正解を求めている人ほど
こういったことで悩んでしまいます。



ちなみにこの「価値の不在」で悩む人は
豊かな国ほど多いと言われます。
つまり社会が高度になるほど、人は
相対主義へ向かうということでしょう。



判断を外部に委ねてしまう原理主義か、
あらゆるものに価値を見いだせなくなる
虚無主義か。



はたして、そこに正解はあるのでしょうか。
今日はそんな「主義」の小話でも(゜゜)








さて、現在の思想の主流と言えば
直感主義、心霊主義、自然主義、
虚無主義、道具主義、原理主義など
たくさんありますが、端的に言えば「一元論」ってこと。



例えば直感主義者は理論で
説明出来ないもの「だけ」を信じますよね。



理屈じゃない、私の体(魂の声)だけが知っているんだ、と。




そんな自分の体験から全てを
判断基準にしているのですが、
実際それが全て正しいかどうかは別問題でしょう。




原理主義や道具主義は論外(笑)
ありゃ人間の大前提であるオーガニズムを
否定したもの、単なるメカニズムです。



そんな原理主義の人って
「自分が変われば世界は変わる!」とか
断言したがる癖があるんですが、



もしその原理が正しければ
世界は変わらなくても良い」ってわけでしょう。



しかし実際は変わらなくては
いけない部分だってありますよね。
(変わることを否定しているのではなく)



☞☞



そんなわけで僕は即興や良いとこどりの
日本流(超克)に注目しているんですが、
これは「実用性」を最優先にしているのではありません。




上記のような思想はプラグマティズム
と呼ばれます。アメリカで19世紀頃に
生まれた思想でクワインやパースが有名ですね。



これがまー、なんともアメリカらしい
発想なんですよ。「役に立ったものが真理」と、
逆説的に真理を定義したわけです。



つまり「ニワトリが先かタマゴが先か」
ではなく「いかにニワトリにタマゴを産ませるか」
と、実際の成果に目的を合わせたんですね。










当然、これにも欠点はあります。



個人的にパースの仮謬主義はかなり
ラディカルなものだと思ってますし、
疑念から信念へ到達させる行為(探究)は、
実際やってることでもあるんですが、



こういった人間社会限定の「ご都合的真理」は
快楽主義や独裁主義を受け入れてしまうんですね。




それじゃ「ネズミを捕まえたネコは
どんなネコでも正しい」と、結果良ければ
全て良しの考えになってしまうじゃないですか。



ヒトラーと同じですよね。
「汚く儲けて綺麗に使う」という
儒教だって似たようなもんです。
(まあ、ヒトラーはニーチェの影響ですが)




じゃあ、結局なんなんだって
なりそうですが(笑)個人的には
場当たり的な理で良いんじゃないかと思ってます。



真理じゃなくて理ね。
そもそも真理を追究する人ってのは
結論を急ぎすぎてるわけでしょう。




でも変わる世界に正解なんてありません。 
とりあえずの答え(解)があるだけです 




この「とりあえず」って立場(境界線)に
いる自覚が大事なんじゃないかなと思うんです。



やがて確信が生まれる日が来る、ってね。





※この記事は2012年に書いた記事を
再編集したものです。





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