2017/01/18

変わることで同じになる




こんばんわ。


コタツを考えた人って神様なんじゃないかと思ってる、坂口です(゜-゜)






コタツすげー。






さて、年が明けてもう月の3分の2が過ぎようとしてますが
みなさんは一年前に何をしてたか覚えてますか?



こういった時、ブログって便利なもんで
一年前の今頃に何をしていたか
過去記事を調べるとすぐに分かります。





沖縄いました。





ちなみにこの一年前の写真は間違いなく
僕ですが(笑)今の僕とは別人なんですね。



なぜなら人間の身体は9割は
一年で入れ替わるから。
我々の身体の大半が水ですから、
ほぼすべて変わっているんです。



髪も、爪も、心臓もそう。一年前の
写真の僕は情報としては同じだけど
構成しているものは全く違う。
顔つきなんてすぐ変わります。



同窓会なんかでよくありますよね。
久しぶりに会った時、「こんな顔だったっけ?」とか。



それはボケてきたんじゃなくて(笑)
細胞が原子レベルで入れ替わっているので、
雰囲気や体型などがゴロっと変わってるんですな。




子供だったら特にそう。
男子三日会わざれば刮目して見よ
って事です。



☞☞☞



このように、ネットにある写真や
動画(情報)は何年経っても
変わらないけれど、実際の「わたし」が
常に変わっていくのであれば、



「わたし」とは、どこにあるんでしょうね。
まさか写真の中とは言わないでしょう(笑)



自分らしく生きて自分を活かす。
私は何々主義で、これが好き、あれが嫌い。



こうやって情報(言葉)にすれば変わりませんが、
時間と共に重なり合わなくなってきますよね。



そんな流動的な「わたし」中に
普遍的ともいえる働きがある。
個人的にそれが個性だと思ってます。



☞☞





個性はみんな違います。
正しく個性を出してる人は「その人」から
離れることはなく、誰とも似たところがありません。



なぜなら個性は自由から生まれるから。
帰属意識(場所)に束縛された思考の中に
個性は存在できないのです。



そして、そんな誰とも似たところがないものに、
なぜか我々は共感が持てる、と。




例えば良いものって普遍的に
共感しますよね。つまり個性的で
あればあるほど共感するということでしょう。




違えば違うほど同じになる。
これって不思議ですね。








ちなみにこの共感ってのは
良い意味だけじゃありません。



間違った個性は「腹が立つ」もんです(笑)
例えば精神が卑しい人間って、共通してるでしょ。



つまり多くの感情が動いている、と。
反面、本当に理解できない人のやることは共感が起こりません。



オウムの件だってそう。
ただ「恐ろしい」と思うだけです。




故に独自性や個性というものは他人に
理解できない特別な人物になって、自慢することじゃない。




いつか必ず「あたりまえ」になるもの、僕はそう思ってます。







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