こんばんわ。
コタツを考えた人って神様なんじゃないかと思ってる、坂口です(゜-゜)
コタツすげー。
さて、年が明けてもう月の3分の2が過ぎようとしてますが
みなさんは一年前に何をしてたか覚えてますか?
こういった時、ブログって便利なもんで
一年前の今頃に何をしていたか
過去記事を調べるとすぐに分かります。
沖縄いました。
ちなみにこの一年前の写真は間違いなく
僕ですが(笑)今の僕とは別人なんですね。
なぜなら人間の身体は9割は
一年で入れ替わるから。
我々の身体の大半が水ですから、
ほぼすべて変わっているんです。
髪も、爪も、心臓もそう。一年前の
写真の僕は情報としては同じだけど
構成しているものは全く違う。
顔つきなんてすぐ変わります。
同窓会なんかでよくありますよね。
久しぶりに会った時、「こんな顔だったっけ?」とか。
それはボケてきたんじゃなくて(笑)
細胞が原子レベルで入れ替わっているので、
雰囲気や体型などがゴロっと変わってるんですな。
子供だったら特にそう。
男子三日会わざれば刮目して見よ
って事です。
☞☞☞
このように、ネットにある写真や
動画(情報)は何年経っても
変わらないけれど、実際の「わたし」が
常に変わっていくのであれば、
「わたし」とは、どこにあるんでしょうね。
自分らしく生きて自分を活かす。
私は何々主義で、これが好き、あれが嫌い。
こうやって情報(言葉)にすれば変わりませんが、
時間と共に重なり合わなくなってきますよね。
そんな流動的な「わたし」中に
普遍的ともいえる働きがある。
個人的にそれが個性だと思ってます。
☞☞
個性はみんな違います。
正しく個性を出してる人は「その人」から
離れることはなく、誰とも似たところがありません。
なぜなら個性は自由から生まれるから。
帰属意識(場所)に束縛された思考の中に
個性は存在できないのです。
そして、そんな誰とも似たところがないものに、
なぜか我々は共感が持てる、と。
例えば良いものって普遍的に
共感しますよね。つまり個性的で
あればあるほど共感するということでしょう。
違えば違うほど同じになる。
これって不思議ですね。
☞
ちなみにこの共感ってのは
良い意味だけじゃありません。
間違った個性は「腹が立つ」もんです(笑)
例えば精神が卑しい人間って、共通してるでしょ。
つまり多くの感情が動いている、と。
反面、本当に理解できない人のやることは共感が起こりません。
オウムの件だってそう。
ただ「恐ろしい」と思うだけです。
故に独自性や個性というものは他人に
理解できない特別な人物になって、自慢することじゃない。
いつか必ず「あたりまえ」になるもの、僕はそう思ってます。
0 件のコメント:
コメントを投稿