今日は統計について(゜-゜)
さて統計の世界で一番有名な
ものである正規分布(ガウス分布)、
さまざまな社会現象や自然現象は
以下のような確率分布となる、と言われます。
例えば高血圧と低血圧。僕はすごい
低血圧なんで、早起きがとってもつらい。
最高が100いくか、いかないかです。
反面、180とか200なら高血圧。
その人が図の中央右側なら、僕は左側ですよね。
そうやって調べていくと、どれだけ分母が
増えても血圧130とか40が一番多くなる(らしい)んです。
この成否については後で話すとして、
その値(プラス数パーセント)が正常。
つまり正常と言われるのは「中央値」なんですね。
当然、そうなると疑問が出てきますわな。
「なんで平均が正常なの?」と。
例えばちょうど今センター試験が
あってますが、これもそうでしょう。
東大のエリートって言われる人たちは
1000点中980とか取っちゃう。
まあある意味正常じゃないですわな、
血圧なら200とか300あるってことだから(笑)
血圧なら200とか300あるってことだから(笑)
しかし社会はそれを歓迎します。
さて、それは一体何と
呼ばれているでしょうか?
社会はそれを「成長」と言うんです。
ビジネスでよく使われる画像
個人的にこういった単一モデル統計の
「少数」や「例外」を特別なものとして
捉えてしまうとロクな事がないと思ってます。
そもそも統計ってのは人工的な観点から
作られているので角度が狂うと台無しになっちゃう。
例えばセンター試験なんて出題者が
「意図的に」正規分布になるようにしていますわな。
確か両極端を合わせて5パーセント。
逆にそうならないと反省会がある、と。
いったい何の反省なんでしょうかね。
なるほど、以前国語の試験に
小林秀雄を出したら平均点が過去最低になった、
つまり何が起こったかと言うと、
正規分布が崩れたんです。
☞☞
で、ここからが本題。
現在、社会の制度や常識は
正規分布で言う「中心(平均値)」に
持っていこうとする働きと、限界値(右端)へ
向かわせるという二重の働きがあります。
例えば高血圧だったら下げましょう、
会社では出る杭(余計)になるな、と。
つまり「真ん中に行け」ってこと。
反面、学校の成績は違いますよね。
とにかくどんどん上がるのが優秀。
国家成長や企業経営、収入だってそうです。
さらに今は個性と言う名の「孤立主義」が
好き勝手にやることを助長している、と。
そんな「同じでいるな」と「同じでいろ」と
「上を目指せ」がごっちゃになってるのが
今の社会でしょうが、僕はそんなに器用じゃない。
従う部分もあれば従わない部分だってありますよ。
反面、「同じ場所」と「違う場所」を
区別しない人は、すごい悩みます。
自分が分からなくなりますからね。
そりゃ鬱にもなりますわ。
☞
てなわけで今後、ますます最適な
位置の発見が大事になってくると思ってます。
最適である「あいだ(間)」とは日和見でも
中立でも平均でもなく「常に正しく考える事」。
調和と迎合の違いはまさに上記の有無でしょう。
自分のことは自分で分かるので
ある意味簡単なんですが、共同体の
最適を知るのは意外に難しいんです。
高血圧でも病気せず生きていれば
「その人にとっては普通」ですが、
病院に行けば「ダメ」って言われますからね。
つまり「人」という枠内ではペケなんです。
しかし、ペケをつける理由を調べると
実に腐った動機ですよ。
今まで正常な値をさも異常値だと
判定することで健康な人を病人にしてたんです。
そして必要のない治療や投薬をして
病院や製薬会社が儲けていた、と。
人を何だと思ってるんでしょうかね。
そもそも血圧の基準値130は若者の値です。
健康なおじいちゃんは140とか、150ですよ。
その値をいじくって健康なおじいちゃんたちに
降圧剤を飲ませていたんですわ。
それを飲んだら今度は下がり過ぎる。
するとどうするかっていうと、なんと
「上げる薬」を飲ませるんです。
LDLだって悪玉と言われてたけど
実際はコレステロールを運ぶ役割があるんで
基準値を超えてた方が良いんです。
ここは長くなるので割愛しますが、
僕が基準にしているものは
「今の自分が健康(幸福)でいること」。
それが「最適」でいれるための
長くなりましたが
統計に従っちゃダメってお話しでした(゜-゜)
「後記」
(先回りして書いておきますが)
「自然」の動きは正規分布ではなく
冪(ベキ)分布になると言われてますね。
人間の腕の動きや経済の動き。
つまり「人間の行動」はこのパターンだと
言われてますが、それだって疑問ですわ。
確かに人生は有限という「単一モデル」
から見れば、期待値に従って行動
「するだろう」という前提になるでしょう。
当然、手っ取り早く利益に飛びついたり
極端に損失を嫌う「合理的」な行動になりますわな。
しかし、全員がそうなるわけじゃないですよね。
ガウス同様、「従わない」ものを例外にするなってことです。
社会はそれを「成長」と言うんです。
ビジネスでよく使われる画像
個人的にこういった単一モデル統計の
「少数」や「例外」を特別なものとして
捉えてしまうとロクな事がないと思ってます。
そもそも統計ってのは人工的な観点から
作られているので角度が狂うと台無しになっちゃう。
例えばセンター試験なんて出題者が
「意図的に」正規分布になるようにしていますわな。
確か両極端を合わせて5パーセント。
そんなグラフありきで作られた問題が
「良い試験」と呼ばれるんです。逆にそうならないと反省会がある、と。
いったい何の反省なんでしょうかね。
なるほど、以前国語の試験に
小林秀雄を出したら平均点が過去最低になった、
つまり何が起こったかと言うと、
正規分布が崩れたんです。
☞☞
で、ここからが本題。
現在、社会の制度や常識は
正規分布で言う「中心(平均値)」に
持っていこうとする働きと、限界値(右端)へ
向かわせるという二重の働きがあります。
例えば高血圧だったら下げましょう、
会社では出る杭(余計)になるな、と。
つまり「真ん中に行け」ってこと。
反面、学校の成績は違いますよね。
とにかくどんどん上がるのが優秀。
国家成長や企業経営、収入だってそうです。
さらに今は個性と言う名の「孤立主義」が
好き勝手にやることを助長している、と。
そんな「同じでいるな」と「同じでいろ」と
「上を目指せ」がごっちゃになってるのが
今の社会でしょうが、僕はそんなに器用じゃない。
従う部分もあれば従わない部分だってありますよ。
反面、「同じ場所」と「違う場所」を
区別しない人は、すごい悩みます。
自分が分からなくなりますからね。
そりゃ鬱にもなりますわ。
☞
てなわけで今後、ますます最適な
位置の発見が大事になってくると思ってます。
最適である「あいだ(間)」とは日和見でも
中立でも平均でもなく「常に正しく考える事」。
調和と迎合の違いはまさに上記の有無でしょう。
自分のことは自分で分かるので
ある意味簡単なんですが、共同体の
最適を知るのは意外に難しいんです。
高血圧でも病気せず生きていれば
「その人にとっては普通」ですが、
病院に行けば「ダメ」って言われますからね。
つまり「人」という枠内ではペケなんです。
しかし、ペケをつける理由を調べると
実に腐った動機ですよ。
今まで正常な値をさも異常値だと
判定することで健康な人を病人にしてたんです。
そして必要のない治療や投薬をして
病院や製薬会社が儲けていた、と。
人を何だと思ってるんでしょうかね。
そもそも血圧の基準値130は若者の値です。
健康なおじいちゃんは140とか、150ですよ。
その値をいじくって健康なおじいちゃんたちに
降圧剤を飲ませていたんですわ。
それを飲んだら今度は下がり過ぎる。
するとどうするかっていうと、なんと
「上げる薬」を飲ませるんです。
LDLだって悪玉と言われてたけど
実際はコレステロールを運ぶ役割があるんで
基準値を超えてた方が良いんです。
ここは長くなるので割愛しますが、
僕が基準にしているものは
「今の自分が健康(幸福)でいること」。
それが「最適」でいれるための
最大のキーワードなんじゃないかしらん。
長くなりましたが
統計に従っちゃダメってお話しでした(゜-゜)
(先回りして書いておきますが)
「自然」の動きは正規分布ではなく
冪(ベキ)分布になると言われてますね。
人間の腕の動きや経済の動き。
つまり「人間の行動」はこのパターンだと
言われてますが、それだって疑問ですわ。
確かに人生は有限という「単一モデル」
から見れば、期待値に従って行動
「するだろう」という前提になるでしょう。
当然、手っ取り早く利益に飛びついたり
極端に損失を嫌う「合理的」な行動になりますわな。
しかし、全員がそうなるわけじゃないですよね。
ガウス同様、「従わない」ものを例外にするなってことです。
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