2015/10/21

言い切らないと「言い切る」




こんばんわ、坂口です(゜゜)
予約投稿で失礼しますね←いつも




さて、このブログでは自立とか主体性とか
自らに由る(自由)とか書いてますので、



まるで曖昧な状態が悪いことのように
感じるだろうなと思って、書いてみました。




無理な気合いが抜ければ幸いです。
ではでは。











さて、「結果にコミットします」は
ご存じライザップのCMですが(笑)
最近よく使われるようですね。




宣言やら強い決意といった意味でしょうが、
これも「言い切る」と言ってもいいでしょう。





「言い 切る」





強い自信があるから言い切る。
自信がなくとも、言い切れる力。




自らリスクを負い、
ハッキリと主張しているということは
信頼の証でもありますが、




僕はなんでも「言い切るの」が嫌いです。




嫌いというよりも「言い切れるもの」なんて
「数えるくらいしかない」という方が正しい。




なぜって言葉にした時点ですでに
「意味が割れてる」から。




本来の精神は割らない(割れない)ものです。
それを言挙げした時点で、「NOT A」ができる。




前回書いたように、それは「分ける」こと。
その2つ、3つに分けたものを見て、僕らは
「分かる」と思っているんですが、




それは洗練されたシンプルさではなく、
単に分かりやすく分別しただけの「単純さ」でしょう。




例えば、僕は謙虚になるときもあれば
傲慢になるときもあるし、明るい面もあれば
暗い面だってある。




神経質と言われるくらいこだわるときもあれば、
飽きれるくらい、大ざっぱなときもあります。
(大半が後者ですが)




僕は自分の性格を言い切れない。
それができるのはキャラ設定が必要な
漫画くらいですわ。





☞☞☞




優秀な経営者は決断が早いと言います。
多分、こういった情報から「コミット」なんてもんが
広がりだしたんでしょうが、




言い切れることって、実は
ものすごく少なく、数えるくらいしかない。



例えばこれが「好き嫌い」だったら
簡単に言い切れます。




「僕はトマトが嫌い」。
嫌いなもんは嫌い、それだけです。




ただ、「起業しろ!」などの
主張は、それとはまったく違います。




それは個人(あなた)の主張です。
万人に説くもんじゃない。





だから「曖昧な意見や考え」を
持っている人は、普通なんです。




むしろ、そうじゃない人が特別だと言っていい。




多分に、頭の中が優秀な演算機械の人か、
自分や他者のことを全く理解していないか、




どれをやっても受け止める
覚悟のある人だけでしょう。




あと例外で「今月中に借金返済」的な
状況に追い込まれた人とか。





そんな人は「曖昧」とか「悩む」とか、
考える暇なんてありませんわな。



☞☞


悩んで当然、迷って当たり前。



それは別に曖昧でも、中途半端でも
意思の欠如でも決断力のなさでもありません。




もし、そう言われたら
「言い切らないと、言い切ってるじゃないか」と言えば良い。




あー、言葉のマジック(笑)
もとい、言語そのものの矛盾と不完全さ。




言葉はどうにでもなる。
そんなもんですよ。









僕の内部は言葉に出さなくとも
確実に目指す方へと向かっている。




それは僕だけが知っています。





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