2015/07/03

対話編 ~天国と地獄②~





「zzzzzz........」





「おいっ、おーい」




「zzzz.......ん、呼んだか」




「呼んだか、じゃないよ。前回の続きでしょ」





「・・・・・何だったっけ」




「あんたの記憶力は政治家以下か。
仕事を楽しくするにはどうしたらいいかって話」




「あー、あれね。
そのうち楽しくなるんじゃない」





「あんた、無責任な人は嫌いだって
散々ブログに書いてるじゃないか!」





「あはは。実はこのことに対してね、
未だにハッキリと語れないんだ」





「だからこうして対話するんじゃない」





「もちろん。ただハッキリと語っても
それは答えじゃない」




「答えはない、ってこと?」




「そう。だから問い続ける自分に
僕は興味があるんだな」




「(こりゃ脱線するな)」




「ちょっと脱線するけど、いいかな」



「(やっぱり)」




☞☞




「いいかい、主体性とは自分で考え、
自分の意志によって選択・決定することを指すよね」




「当たり前じゃないか」



「故に、その判断は自らに由るという
自由の元である以上、「間違い」はないわけだ」




「結果を覚悟してるからね」




「ならば、それが継続して積み上がったものは
いわゆる「思い通りの人生」ってことになるよね」





「結果を抜きにすれば、そうだね」




「そこで引っかかるのが脳科学や心理学だ」




「ん、どゆこと?」




「我々の行動原理は意思や理性によるものではなく、
全くもって知ることのできない無意識層の世界だという説がある」




「あーね、引き寄せの法則にある
潜在意識ってやつだ」




「違う、あんな意識できる無意識なんてものはない。
理性では制御不可能な次元、これが本来の無意識だ」




「ん?そんな制御できないものに
僕らの判断とか行動はすでに決定されてるってこと?」




「実験した結果によると、無意識ってやつは
もう人間性とか価値観という人為的なものが 一切なく、
不条理で非主体的な世界だったらしい」




「精神の井戸を掘り続けたらカオスが出てきた、と」




「そう、そんな混沌の中から出てきた「ナニカ」によって
僕は判断し、語り、行動しているらしいんだな」




「自由にやってるようで、実は決定されてるってこと?
それって・・・・・僕らに決定権がない証拠じゃない」




「脳科学では意思判断する数秒前に
脳がそれを決定してるというのが分かったよね」




「あったね、「果たして、人間に自由意思はあるのか」」




「そう。我々がやってる判断や決定は後追いだ、と。
そうなると、自ら決定している主体というものが分からなくなる」




「それが君の言う他力(自ずから)ってやつ?」




「日本にはこの主客未分の精神が根幹にあると思っている」




「じゃあ、この間のセミナーの言葉に
流されてる僕は正しいってことになるじゃん」




「それは違う」




意味が分かんないよ。結局どうなの」




「例えば「なるようになる」というのは
主体性がないことになるか?」




「なるんじゃないの、さっきの話からすると」




「いいや、それは主体性がないんじゃない。
なるようになるというのは、主体性が必要だ」



「?」



「だってそうだろ、それは人生の放棄ではない。
むしろ積極的な態度じゃないか」




「?」





「諦めなんかも勘違いされやすいので
腑に落としてもらいたいのだが、本来のそれは
主体的な「必然性への信頼」なのだ」



「他力とか、縁とか?」



「そう、自力では届かない所、
見えない自然への信頼だ」



「前も言ってたね「信仰は難しい」って」




「意識というものは移ろいやすく、
不安定なのでコロコロ変わってしまうからね」




「逆に出来る人なら、イワシの頭でも良い、と」




「そう。ただね、そうなるとイデオロギーに向かってしまうわけだ」




「素直に信じるって、難しいね」




「だからとことん回帰して、
余計な理性を黙らせないといけない」



「だから信じる前に疑うんだ」



「そう、殺仏殺祖だ」



「日本流はイデオロギーじゃないの?」




「バカタレ(笑)」




「違いは何?」




「良いのか?長くなるぞ」




「・・・・・・じゃあ、次回に」



0 件のコメント:

コメントを投稿