2015/07/05

対話編 ~天国と地獄③~





「スススス........」



 「おいっ、おーい」




「ススッ、よし。.......ん、呼んだか」




「呼んだか、じゃないよ。前回の続きでしょ」





「今忙しいからあとにして」




「何やってんの?」




「パズル&ドラゴンズ。いやー、
初めてスマホでゲームしたんだけど、
おもしろいね、これ」




「・・・・・・・日本流とイデオロギーの
違いを話せ。はよ」




「よっしゃ、7コンボ!」



☞☞☞




「まずイデオロギーってやつは
特定個人の恣意的な意見によって創造された観念体系だ」




「贅沢は敵、とかだよね」



「そう、本来は敵でも味方でもないし、
 敵にも味方にもなるという認識でないといけない」



「出た、君の好きな間(ま)だ」



 「何事も過ぎれば毒になる。
そのバランス加減を身に付けることが自律だ」




 「正直、ちょっとメンドクサイな。
いっそ、誰かが決めてくれたほうが楽じゃない?」




「それって、自由を求めながらも
実際は自由を拒絶しているということだね」




「まあ・・・そんなに大げさな
ことでもないと思うけど」



「エーリッヒ・フロムはそれを
自由からの逃走と言っている」




 「えーっと、確か心理的な支えを失って
創造することのできない人間は社会に不満があって、
それを破壊しようとするリーダーを支持するんだったよね」




「一時期、この国でもそういった傾向があったね。
多分に、半ば強制された自由と折り合いがつかなかったのだ。」




「そんな自由より、なんか指示くれ、と」




「そう、つまりファシズムは自由の対極ではなく、
同じ環の中にあった、ということだ。」




「人って、支えがないと脆いもんだね。」




「支えがないから足元を掬われるのだ」





 「その支えはどうやって作るの?」




 「良心や善意というものは盲目的になりがちで
騙されやすい性質がある。それを前提にするなら、
一旦疑わなくてはいけない」




「なんで?頭より感じる心が大事って言ってなかった?」




「だからこそ、だ。 信じるということは、
疑うことで成立するのだ」




 「頭と心、どっちも使え、ってことだ」




「そしてそれは個人の主観を超えることはない。
独善は命令形にしかならないのだ」




「じゃあ、普遍性を追求する哲学も主観ってこと?」




「例えば、ニーチェを一つの工場とした場合、
そこで作られる部品は、ニーチェという
自動車を組み立てることができるだけだ」




「それが君の言う個性、ってことか」



「そう。それで出来た車を走らせることが
できるのは、ニーチェしかいない」



「見た目は同じ車なんだけどね」




「これをマルクスあたりが運転したら動かない、
もしくは逆走することもあるだろうね」



「共感って思想とは違うんだ」



「これを昔から分かってた人がいた。
本居宣長だ。」




「あーね、漢意(かなごころ)」





「ある特定個人の世界観などに基づいた
意図のある意見は全て漢意だと言ってる」




「ってことは、僕が行った
セミナーも漢意になるよね」




「当たり前だ、そんなもの
どこに実態とか実物なんてあるんだ」




「じゃあ大和心っていうのは何?」




「その国の歴史の中で、自然に形成されたもの。
自然派生なものは特定個人の意見など存在しないだろ」




「そうだね、誰かが言い出したんじゃなくて、
歴史の集積による慣習だもんね」




「文化、伝統など、歴史の中に自然と息づくもの。
それを思い出せと小林秀雄も言ってる」




「イギリスのコモンローみたいなもの?」




「近いね、歴史に耐えたものを守ってるんだから。
しかも、それ自体一定の自律性や規則性を持ってる」



「それってFCとか、組織にも通用するの?」




「もちろん。どんな会社だって
最初のひな形があったはずなんだ。
ただ、それが大きくなるにつれ、計画主義によって
どんどんヒエラルキー、ツリー型になってくるんだ。」




「だから最初のリゾームを思い出せ、と」




☞☞




「上から一元的な価値を押し付ければ、
我々の多様性や自由は抑圧されてしまう。
これだけは間違いないね」




「ビジネスでも同じことなんだね」




「ビジネスも市場もそうだと思うよ。
拡大が唯一の目的じゃない、そもそも目的ですらない」




「不特定多数の手段、ってことだ」




「そう、本来は多様な目的を達成する為の
共通手段として仕事がある以上、
市場もまた、同じような性質があるんじゃないかな」




「そしてその多様な目的は幸福という
絶対的な一つの志向性を持ってる、と」




「その目的の発見が理念だと思ってる。
どうだ、日本流はイデオロギーみたいに押し付けてないだろ」




「根幹があって初めて、自由になれるんだ」




「そう、無秩序が自由と呼べないのは
程度の問題じゃなく、まさに土台の有無の問題なのだ」






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