2015/04/24

ビオスとゾーエ



昨年から今年にかけて、 皆既月食が
4回も起こるようですね。



それは過去2000年の間でも8回しか
起きていない、 極めて稀な現象だとか。



まー、ネットではやばい年だとか
何かが起こるとか言われてますが、



こういった警告をされても
どうすることもできないのが現実ですよね。



ドライブ中に見る「落石注意」と同じですわ。
目の前に落ちてきたらどうしようもない。



あっ、



今日は月について書く予定だった(笑)









さて、我々日本人は月や桜を見て
酒が飲めるという、珍しい人種です。




多分、昔の人は月や桜に
生命の「不死」を見たのでしょう。




月は満ちては欠け、消えるけれどまた現れる、
桜もそうです。



無常でありながら、そこには
永続的、連続性のある「常」がある、と。



不死とは死なないことじゃない。
「死んで蘇る」、この繰り返しをしている様のことなんですね。


☞ ☞



有機体である我々生物と
無機体である物質の違いの一つに時間があります。




物質の時間が一方通行である半面、
我々生物的な時間は回帰、
つまり円環にデザインされているんですね。



もちろん、どちらもエントロピーは
増大していくのですが、



生物はその「あいだ」にエントロピーを抑え、
元ある秩序に戻している、と。



戻ると言っても逆向きではない。
僕が徐々に子供になっていく事なんて
ありませんからね(笑)



☞ ☞



古代ギリシャではそんな生命の両義性が
分かっていたらしく、



一回性の有限的な生命を「ビオス」、
そして連続性、永続性を持つ生命を「ゾーエ」と呼んでいました。




我々は一回きりの人生を生きる
ビオスでもあるけれど、



子を生み、遺伝という形態として
受け継いでいくゾーエでもあります。



言わば、死ぬけれど生きるという
矛盾した状態が僕には内在している。




まさに西田きたろー、
絶対矛盾的じこどーいつ。







僕の提唱する日本流FCは、
こういった概念から作られています。



それが何の役に立つのか。
疑問に思うかもしれませんが、




答えは一つ、
有限の世界でこのような
不死のシステムを作りたいんですわ。



日本では1000年以上、
続いている企業がある。



逆を言えば、それだけ「思い」が
生き続いている証拠です。




でっかい夢だと思いませんか。
だって、あなたの「思い」が1000年続くってことは、



まさに「あなたが」1000年
生き続けるってことですから。




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