2015/04/29

余剰に目を向けよう





この間、ブラジルにいる叔父と従兄が
来日した、ということで会いに行ってきました。



久しぶりでしたね、実に数年ぶりです。
お土産に叔父の会社で作っている商品を
色々と頂いてきました^^






やっぱりバナナ系が多いです。






ブラジルと言えば広大な土地で
ものすごい量の果物を栽培している食糧供給国、
農産物の輸出は世界一です。



豊かですね。
だからでしょうか、あっちは貧乏人も
金持ちも楽しくやってるそうです。




この国だって十分豊かなんですが、
そうだと思えない人が多いのはなぜでしょう。




今日はそんな所から。。。。








この間、全国で竹林の放置が
増えてきている、という話を聞きました。




「雨後の筍」と言われるくらい、
竹は非常に成長が早く、用途の幅も広い素材で、
食べるだけでなく、傘や竹炭などにも使われていますが、



安価なタケノコや竹材の輸入によって
国内産の需要が減少、それに比例して
竹林が荒廃しているんだとか。



その為、国は竹林の整備に一haあたりの
助成金まで出していると言いますが、



この国のタケノコは大半が輸入なんですよね。




つまり豊富にあるけれど貧しいという、
不思議な状態になっている。




これは我々だって同じ事、
余剰があるものに対し鈍感になり、
もっと良いものを「外部」へ求める精神とは、



実は理想に向かう高潔さではなく、
劣等感や貧しさを引き寄せる原因だと
なかなか思えないんですね。



「求めよ、さらば与えられん」。
聖書はこの「内部」の伝え方をもっと慎重にしないといけなかった。



☞ ☞



ずいぶん前から就職難だと言われているので
この間、ネットで調べたんですが、
僕の年齢でも、かなりの件数がありました。



つまり僕が食えなくなって餓死する
可能性は(今のところ)ないわけです。



生きるだけなら何の問題もない。
だからこうして、好きな事をやっていますが、



これが「もっと、もっと」ってなると、
途端に僕の精神は貧しくなってしまう。



「衣食住足りて、礼節を知る」と
言いますが、



逆を言えばこの「足りる」を知らない限り、
礼節なんて分かりっこない。




☞ ☞



「もったいない」という言葉があるように、
日本は余剰を循環させるのが上手な国です。



また、余剰を大事にする美徳もあった。
米一粒にも神が宿ってる、と。



この精神は諸外国よりも一つ高い。
故に、だからこそです。



今後、今あるもの、余ったものに
目を向けたビジネスは増えるでしょう。
最近は賞味期限近い食品を売るサイトだってあります。



unreveの低コスト運営型のFCだって
様々な余剰に対応できる仕様となってます。



例えば、地方にある家電量販店は
どこでも大型駐車場がありますが、



仮にそれが「余剰」となった場合、
新規事業として飲食のFCに加盟し、
駐車場内に作ることも可能です。




そこを入口として集客が期待できますし、
リストラしなくても、新しい部署ができる。
独立支援として導入することだってできます。
(ちなみにこの案件は実証済みです)



自社の経営資源に目を向けてみましょう。
必ず「ヒント」が隠されています。



自社にFC導入をご希望の方はこちらから。






2015/04/27

書評



この間、本屋で新刊を見てたら
篠田桃紅さんの本が出てました。




「103歳になってわかったこと」。
芸術家から見た人生観がやわらかく、
そして鋭く書かれています。









第一章 
100歳になってわかったこと
・百歳はこの世の治外法権
・古代の「人」は一人で立っていた
・いい加減はすばらしい

第二章 
何歳からでも始められる
・頼らずに、自分の目で見る
・規則正しい毎日から自分を解放する
・1+1が10になる生き方

第三章 
自分の心のままに生きる
・自分が一切である
・危険やトラブルを察知、上手に避ける
・あらゆる人に平等で美しい

第四章 
昔も今も生かされている
・よき友は、自分のなかで生きている
・悩み苦しむ心を救った日本の文学
・唯我独尊に生きる


~幻冬舎 紹介ページより~




良いですねえ、実に良書。
最近の新刊は滅多に読まないけれど、
こういった本は精神衛生上とても良い。



加減、適当、規則正しいからの解放。
うん、揺らぎ、遊びながらも志向性の働きがある。




精神が望んでいるものとの
上手な付き合い方が書かれていると
(僕は)思ってます。



☞ ☞




抽象画は、観る人によっていろんな
空間が無限に拡がるけれど、 

字を書いたときは、ひとつの世界、
ひとつの空間を楽しむという、また違う世界。 

わたしのなかには、ふたつあるの。





この言葉、痺れるじゃないですか。
なんかもう、惚れちゃいます。



「抽象的」というものは曖昧ではない、
自由な想像を働かせ、訴えるものであって



それは精神の働きを助ける力であり、
言挙げすることで限定されたものではない。



イマジネーションというものは排除せず、
やわらかく大きな志向性だけを作り上げるもの。




彼女はこの印象と抽象の「あいだ」を
黒ではない「玄」によって表現しているのでしょう。



☞ ☞



〜年を取るごとに、日常に
「無の境地」が生まれてくる〜




やはり、彼女も池田晶子氏や西田氏のように
絶対無絶対不可知の境地を感じている。



個人の限定された体験である以上、
語る事は難しいのですが、




幽玄の美というものの境地は
なんというか、魂が欲しているのかもしれませんね。




知識に加えて、感覚も磨けば物事の真価に近づく。




必要なのは統合の術だと、
改めて感じました。





2015/04/26

唯我独尊と教育論


(一般論で語るのもどうかと思うが)
教育機関は無意識的に自分の欲望や 不安を投影し、
それが「躾や教育」だと思っているようだ。



「ゆとり」と「詰め込み」の間で、
子供は本当に何を学ぶべきなのか。



学歴のない僕が書くのも恐縮だが、
今日は教育についての小噺。









教育の定義は文字通り
「教え育てること」であって、



端的に言えば心身を「望ましい状態」へと
第三者が働きかけることであるが、
そもそもこの「望ましい状態」とは一体なんだろう。



自分にとってか、
それとも他人にとってか。



ここを一緒くたにしてしまっているから
今の教育機関は指示命令しかできないのだろう。



☞ ☞



「これをせよ・するな」というものは
自己欲求の満足以外、何ものでもない。



「心配だから言ってるんだ」というのも同じ事、
その欲求を突き詰めれば当人の「不安の解消」である。



もちろん、幼児はいきなり道路に飛び出す
猫のようなものなので、現実生活内での
「せよ・するな」は当然しなければいけないが、



精神面の場合、その不安を押しつけるのは
「余計」というものだ。


☞ ☞



教育の本質は自前で
「考え、理解し、知る事」であって、
何かを覚える事ではない。僕はそう思っている。



本人が0から作り上げた事柄だけが
初めて「自前の知識」と呼べるのではないだろうか。



それに対して、「情報」とは、
外から与えられる「用意された解」である。



スッキリとするし、心地よく感じるだろうし、
役に立つ場合もある。




しかし、それはあくまでもお金と同様、悩みや迷いを解決する手段であって目的ではない。




目的は子ども自身が作るものだ。
この複雑な時代にどう生きるかを「どう考えるのか」。



教育とはこの「どのように」を自分で
決定できるように支援することだろう。あくまでも主語は「自分」、他人が代わりに理解しても意味がない。



禅や仏教ではその精神の眼を開かせることがスタートだが、教育も躾も同じだろう。



それは自ら開く場合と、様々な縁によって自ずから開く場合があり、これを啐啄同時と呼んでいるが、



実はこれが一番難しい。
難しいと言うよりも不可能に近い。



故に、歴史の賢者達は集団に語らず、
一対一の対話法を取ったのだ。





対話篇~酒の席~




人は見た目が9割だとよく言われる。
初対面では第一印象が重要だ、と。



そして、その見た目は
わずか3秒程度で決まるらしい。



メラビアンだかボヘミアンだか忘れたが
視覚からの情報は大事だということだろう。




さて、この間酒の席で
「どんな女性が好みか」という話になって、



昔は一目ぼれってあったけど、
なくなってきたねえ、などと言ってたら、



でも、最初から性格は分からないから
見た目から入るのは間違いないでしょう、と言う
友人H君と、




「いやいや、見た目で入るもんじゃない」
と言うM君の力説が始まった。





集まる時は必ずこの焼肉屋




「それ、よく聞くから(笑)」。




「だってそうじゃない。一目惚れみたいな
いきなりドキュンはなくなったけど、それはあるよ」。




「確かに、俺だってある」。




「この間、良いなと思った人がいてね」




「そういうことか(笑)
でも俺は違うな、それからがある」。




「また、格好つけて」。




「いやいや、待ちなさいよ」。




「君は珍しいタイプを好きになるからな」。




「好みを他人が色々いうな(笑)
相手との会話が1時間も耐えられない場合、
それでも第一印象を選ぶか、ってこと」。




「選ぶかもしれないじゃない、
最初は緊張してた可能性だってあるし」。




「もちろんそれを踏まえて。
1カ月くらいしたらある程度分かる」。




「そりゃ分かる。仮に1か月経っても
緊張してるなら、そりゃ相性の問題だ(笑)」





「だろ、フィーリングってやつだ。
その時は第一印象なんて、負けちゃうよ」。




「うーん、分からないな。
俺は惚れたらそのままだね」。




「僕は無理、冷たいかもしれないけどね」。




「そりゃ冷たいw」←ここで初めて僕参戦。




「だってノリノリの会話って、この年だと疲れるぜ?」。




「それって、ホントに年のせいかねぇ」←二回目。




「そうだよ、良いじゃない。明るいってことだ」。




「違うよ、明るいと軽いは違う」。





「で、その付き合ってる子と別れる、と」。





「いや」。





「???」




「もしそういう人と会った時は、ってこと」。





「妄想か、すげーリアルな妄想だな。
俺、その子の顔まで見えたぞ」←三回目



☞ ☞



「例えば若い時はギラギラなヤツ着ても、
千円くらいのヤツ着ても全然良くて、むしろ似合ってた」。





「ほほう」。




「でも、この年になって
そういったヤツ着たいと思わないでしょ」。




「確かに。本当に好きなら別だけどね」←四回目





「ステータスとして一緒にはいれないってことか」。




「若さはそれだけで価値だから
その他が付加価値になるけど、年を取るとそうじゃなくなる」。





「それ、俺が前言ったヤツ。パクんな」←五回目





「つーか、そのセリフ意味分からんしw」





「オープンしたばかりの店とか
日本初出店とかと一緒」←六回目





「よけい意味分からんしwww」



☞




ここから先、酔っぱらってあまり覚えてませんが、
みなさんは、どっち派ですか?







結局、まあ、「どっちも」ですよね←おい









2015/04/24

ビオスとゾーエ



昨年から今年にかけて、 皆既月食が
4回も起こるようですね。



それは過去2000年の間でも8回しか
起きていない、 極めて稀な現象だとか。



まー、ネットではやばい年だとか
何かが起こるとか言われてますが、



こういった警告をされても
どうすることもできないのが現実ですよね。



ドライブ中に見る「落石注意」と同じですわ。
目の前に落ちてきたらどうしようもない。



あっ、



今日は月について書く予定だった(笑)









さて、我々日本人は月や桜を見て
酒が飲めるという、珍しい人種です。




多分、昔の人は月や桜に
生命の「不死」を見たのでしょう。




月は満ちては欠け、消えるけれどまた現れる、
桜もそうです。



無常でありながら、そこには
永続的、連続性のある「常」がある、と。



不死とは死なないことじゃない。
「死んで蘇る」、この繰り返しをしている様のことなんですね。


☞ ☞



有機体である我々生物と
無機体である物質の違いの一つに時間があります。




物質の時間が一方通行である半面、
我々生物的な時間は回帰、
つまり円環にデザインされているんですね。



もちろん、どちらもエントロピーは
増大していくのですが、



生物はその「あいだ」にエントロピーを抑え、
元ある秩序に戻している、と。



戻ると言っても逆向きではない。
僕が徐々に子供になっていく事なんて
ありませんからね(笑)



☞ ☞



古代ギリシャではそんな生命の両義性が
分かっていたらしく、



一回性の有限的な生命を「ビオス」、
そして連続性、永続性を持つ生命を「ゾーエ」と呼んでいました。




我々は一回きりの人生を生きる
ビオスでもあるけれど、



子を生み、遺伝という形態として
受け継いでいくゾーエでもあります。



言わば、死ぬけれど生きるという
矛盾した状態が僕には内在している。




まさに西田きたろー、
絶対矛盾的じこどーいつ。



☞



僕の提唱する日本流FCは、
こういった概念から作られています。



それが何の役に立つのか。
疑問に思うかもしれませんが、




答えは一つ、
有限の世界でこのような
不死のシステムを作りたいんですわ。



日本では1000年以上、
続いている企業がある。



逆を言えば、それだけ「思い」が
生き続いている証拠です。




でっかい夢だと思いませんか。
だって、あなたの「思い」が1000年続くってことは、



まさに「あなたが」1000年
生き続けるってことですから。




2015/04/23

絶対矛盾の中から





有名なパラドクス(矛盾)の話に
「クレタ人のパラドクス」というものがあります。



クレタ人が「クレタ人は嘘つきだ」と
言った場合、もしそれが正しいなら、



それを言っている当人がクレタ人なので
「クレタ人は嘘つきだ」は嘘となり、クレタ人は嘘つきでなくなってしまう。



逆に「クレタ人は嘘つきだ」というのが
正しい場合はどうか。




今度はそれを言ったクレタ人が
嘘つきでないことになり、意味が矛盾してしまいますよね。



こういった真でも偽でもないものは
世の中にたくさん存在しますが、



そこに「正しさ」というものの所在は
どこにあるのか。



今日はそんな所から。。。。









さて、先日高浜原発3、4号機の再稼働を
差し止める決定が出ました。




この裁判所の決定については賛否両論、
もちろん関電は納得できず、不服申し立ての手続きをするようです。



新聞などのメディアをざっと見た限りでは、
この決定に対し、批判的に書いている所もあれば
そうでない所もありました。



原発リスクはゼロじゃないから禁止、
という決定は非科学的であって、
科学的根拠を無視したものだと。




では自動車や飛行機もすべて禁止になるのか、と
まるで小学生のような理屈を並べる人もいるようですが、



「科学的根拠があれば絶対」っていう意見に対し、
僕はもう、嫌悪感しかないんですよね。



☞ ☞



絶対とも言える数学の世界で
世界を追求した結果、辿り着いた答えが
矛盾と不確実性だった以上、



偶然の中、我々は目に見える「フレーム」をもとに、
解釈や分析をしているだけに過ぎない。



すると当然、対象に対する理論自体が
理論として成り立たっていない可能性だってあります。



例えば月は「我々の目(網膜)を使えば」
あのように見えるのであって、



どんどん細かくすれば原子の「働き」だけになる。
この、見える「月」と見えない「原子」は同じです。



そうなると、絶対的な基準というもの自体は
人間という限定されたものの上に成り立っているのであって、




それをやれ絶対だ根拠だというのは
ちょっと無理があるんじゃないかな、と思うんです。



☞ ☞



もちろん、賛成派の言っていることが
全て間違っているとは思いません。



僕は(原発)反対派なので
どれだけ理屈を並べたとしても
肝心の心が納得しないのですが、停止のリスクは分かります。



さらに先ほどのように絶対的な安心などが
存在しないことも分かってる、



日常使ってる火も包丁も車もそう。
「リスクゼロ」はない。
故に「現実の使用方法」が優先だ、と。



でも、そのリスクに
「短期的か長期的か」という視点が入っていない。



次世代に残すものを篩にかけた場合、
果たして「それ」は残って良いものなのか。



そこに論理や数字の根拠は出てきません、
「将来の子供に対し、不安があるかどうか」であって、



国の借金と似たようなものじゃないですかね。
僕が子供だったら、そんなもの押しつけられても困ります。



☞ ☞


とまあ、個人的な意見を
つらつらと書いてみましたが、



言葉の意味が成立するのは
周りが決めるのではなく、本人の精神が決めるもの。



自分以外の意見を見れば見るほど、
このクレタ人のような命題にはまってしまうのですが、



矛盾した世界の中において、
一つの絶対的基準を挙げるとするならば、
自分自身の心だけだと思ってます。







2015/04/20

回帰論




民意が政治に反映されていないとか、
民主主義が崩壊していると言うセリフは
いつの時代も叫ばれているが、



実際、この国の政治は民衆の
意見によってきちんと機能しているのであって、
正当に反映している。



例えば、個人の欲望を実現する為に
金が必要だと「大多数」が思っていれば、
政治における民意はそんな「多数派の意見」であって
「感情量の多寡」である。



我々が無責任で個人の欲望を追求すれば、
政治家も同じ様に無責任に利己的に向かう、



まさに民意が抱く思想によって
国家もあり方を変えていっているじゃないか。










プラトンの国家を見た方は
金を無価値だとし、私心無き哲人王によって
国家を統治させよ、というかもしれない。



しかし、それは純粋精神(質)への回帰ではない。
単に教祖が哲人王にすり替えられただけであって、
社会主義の精神バージョンではないだろうか。



そんな思想統制など、北と変わらない。
必要なのは個々のあり方である。




「後記」



そもそも「国民」という人間なんて、
どこにもいやしないように、
民意と言うものも実体がないものだ。



議員のAさんの意見でもなければ、
教祖のBさんでも一般人のCさんでもない。



そんな実体のないものをさも全員の意見のように
取り扱っているのが政治なのだけれど、



そんな「特定できないもの」が「多数」集まったものに
一体、どれほどの力があるというのだ。



本来の民意は数量以前、
つまり人間の質の問題であって、



それを取り扱っている機関(学問)が
現在不在だというのが、一番の問題だろう。




個人の「質」をどうやってあげるか。
それは、自分で考えていくしかない。



2015/04/15

自分だけの世界





我々の自己充足感はマイホームや
マイカーなどでは満たされなくなった、
これは書くまでもありません。



では何をすれば満たされるのかと聞けば、
答えられる人は少ないように思えます。



理由などいらない自分の嗜好性、
つまり自己の原点に気づくということは、



大げさに書けば、魂が純粋に求めるものに
従うということでしょう、




今日はそんなお堅い小噺でも。








さて、歴史を見れば、豊かな国家であっても
目指すべき理想を持たなければ、
衰退の道を辿っているのがわかります。



古代ローマしかり、ソビエトしかり。
エネルギーが建設から破壊へと転化されているわけです。



これは我々個人でも同じこと。


理想なんて偽善であって
現実だけが正しいと言う人もいるでしょうが、



ただ赤子のようにしていても
満足するものではない。



その証拠に、我々は食って、寝て、
排泄するだけは満足せず、


何か考えたり、伝えようとする行為を
誰から教えられたわけでもなく、やってる。



そもそも、我々はなぜ考えを語るのか。
こうやって書いたり、主張したりするのか。
苦しいと分かっていながら進むのか。



それは理想が現実よりも「善いもの」だと
思っているからに他ならない。
(この善いは幸福と同義でもある)



その判断基準は相対ではない。
まさに絶対的な内部派生「わたし基準」じゃないですか。




それは「こうしたい」という、
それ以上、それ以下のものではなく、



「こうしなさい」、「こうあるべきだ」でもない。



☞ ☞



「もっと現実を見ろ」と
野暮な人は声を荒げますが、本来は逆ですよ。



この理想という本質を知らず、
語れない人間に、現実生活の意味など分かるわけがない。



もちろん、行動や実践なくしては
全てが机上の空論になるのだけれど、




こういった理想は個人に与えられた
特権の認識であって、



「その人だけの世界」を
知ってるということでしょう。



☞


個人的に、人は生まれた時に、
それぞれの世界を与えられてると思ってます。



それを作るのも、捨てるのも自由。
影響力のある人の世界に住むのも自由だし、
科学と言う客観的(に見える)世界に住むのも自由です。




ただ、僕は個人がそれぞれ理想を追求し、
それが調和した世界を見てみたい。




今やってるFCの理想像は
そのフラクタルかもしれません。






2015/04/14

ホンネとタテマエ



僕がブログを始めたのは5年前、
アメブロからスタートでした。



当初はアクセス数アップとか、読者数アップなど、
一応の願望はありましたが、



それを完全に遮断し、ブログの目的を
「自分の考えをまとめておくもの」にしたわけです。



そして、この「自分の考え」というものは
「タテマエ」ではなく「ホンネ」の考えを書こう、と。




他のソーシャルは「ホンネ」を書けない。
つい、気を使ってしまうんですな。




なぜそこまで「ホンネ」にこだわるか。
今日はそんな所から。。。。








経験上、ホンネの抑圧によって
組織の内部はどんどん分かりにくいものになります。



一見矛盾してますが、タテマエのその美しさ、
その「分かりやすさ」こそ、その原因でしょう。



それが組織に流通し、虚偽意識が
組織の常識やイデオロギーになってる所を
いくつか知ってますが、



理念が強制的なモチベーションアップに利用され、
その反動で鬱に近い状態になってる人もいます。




そんなタテマエ論の弊害は誰もが
「薄々」分かっているけれど、



誰もが自分の本心を語れない、
これってものすごく不健康だと思うんです。



☞ ☞



美辞麗句で褒め合うのは
実に容易いものです、



けれど、いったんそれを否定し、「ホンネ」という
意識(無意識)下の私利私欲は表に出さなくては
真に理解することができない。



なぜなら「ホンネ」とは、個人的でありながら、
自己内面では真理を現しているのですから。




タテマエは簡単にホンネに屈してしまう。




組織の理念が共有できない
最大の理由がここにあります。



☞ ☞



もっと腹を割って話せる場は
ビジネスだけに限らず必要ではないでしょうか。



言葉が単なる道具となってしまうのは
とても不幸なこと。



口ではああ言ったけれど、
本当はそうは思っていない。


 
つまり言葉と自分が
一致していないわけでしょう。



だから本当の自分はどこにいるのかを、
人はあちこち探し求めるハメになる。




自分の口から出る言葉を
もっと大事にしたいですね。





2015/04/11

価値の交換から贈与へ






我々は壮絶な精子の競争の結果、
こうして誕生したと言われるが、どうも
それとは違う説があるようだ。



その説とは他の精子が協力しながら、
一つの精子を受胎させている、というもの。
※参考元リンク



(マウスやラットではあるが)細胞レベルの時から
協力と共創によって生きている、と言える。



弱肉強食も、この視点で見ると
ずいぶんと変わってくるなあ、と。



今日はそんな所から。。。




動物の世界も実は違っていた!?






さて、最近こんなサイトとか
こんなフェイスブックページを教えてもらった。

googleの創始者が、近未来の
働き方(あり方)について語っていたが、
同じ様なことを考えているのだろう。



「交換から贈与へ」。
徐々にだが、意識は確実に変容している。



僕も(断定的だが)贈与経済について
記事にしたのだけれど、これが実現できたら
若者達の未来はずいぶんと明るいものになる。





それは社会主義ではない、
なぜなら、一部の恣意的な意図のないものだ。
つまり主体的な行為が基軸となっている。




もちろん、これが可能になるには
多くの課題もあるし、人間に所有欲がある以上
完全な体系は難しいだろう。





しかし、成熟し飽和した市場において
「まだまだ、もっともっと」は限界がある。
これは間違いない。




何かがトリガーになるのか、それとも
徐々にシフトするのかは占い師がやることだが、




将来そういった可能性がある、ということと、
我々の競争欲求は刷り込まれたものではないか?
という疑問符を持つのは大事なことだと思っている。






2015/04/09

不易流行





さて、近代の発想の仕組み(根幹)は
例えるなら飛行機の様なもの、


言わば前へ前へと突き進むことによってのみ
高く飛べるという志向性なのですが
そこに絶対的な価値を置いてしまっても、
心の感覚は鈍くなるだけではないでしょうか。


現在は文字通り「新しさ」に流されていて、
子供の玩具同様、すぐに飽きる性格を持っています。
我々が「飽きやすくなった」のか、それとも
対象そのものが「浅薄」なのかはわかりませんが
消費(コモディティ)が大きく口を開けてて、
そこから逃げるようにイノベーションをやってる気がするんですね。


菊池寛の「極楽」はこれを
実にうまく書いています。



何の苦しみもなく寒さも暑さも感じない極楽に
二人仲良く行った老夫婦、
蓮の花の上で座ってばかりの毎日で、
やがて最高の世界「極楽」が退屈になってきた、と。


納得。
虹だって、しばらく眺めていたら
飽きてきますわな。



てなわけで前回に続き、二回目です。







さて、新しさというものだけに価値を置き、
人為的な創造を繰り返している現在は
不易流行の「流行」だけを追い求めていると言えます。


不易とはいつまでも変わらないもので、
流行とはその時代時代の新しいもの。


勘違いする人が多いのですが、
これは流行を否定し、永遠に変わらないものを
求めよ、という意味ではありません。


新しさを求め、変化する流行の中にこそ、
永遠である「不易」の本質がある、と芭蕉は主張しているのです。



俳諧は和歌と違い、聖俗が混然一体となって
成立しています。高貴さと日常、本質と刹那、
重大なものと軽少なものが組み合わされています。


つまり、流行を捨てた所に不易が
成り立つのではなく、常に流れながら
聖俗入り混じる「流行」を追求する中に「不易」は成立する、と。



ビジネスだって似たようなもんでしょう。
毎日哲学的な論考や会議をやっている
会社なんてないわけで、自由な時間を
与えられれば雑談が大半になるはず。


ただ、そんな「他愛無い雑談」の集合体が、
実は一番、和気藹々とした場を作ってるんじゃないかしらん。


この見えないものは
新しさより先にくるんじゃないでしょうか。










2015/04/08

星のように急がず、しかし休まず。





成長経済社会では「挑戦」の繰り返しによって
これだけの進歩と発展が実現できたのですが、
成熟期ではその意欲が逆に焦りとなっている気がします。



物財の増加は幸福持続性と直結するか?
どうやらそうではないようです。



だからと言って国民幸福度一位のやってる事が
常に正しいかというとそうじゃない。



例えばプータンは国民の9割以上が
幸せだと答えていたのですが、


近代文化が入ってくることによって
国民のあり方が変わってきているといいます。



つまり仏教の「教え」を身に付けていても、
「外部」は侵入してくるってことでしょう。



仏教では幸福にならないというのではなく
「内部派生」でないと、流されてしまう、と。



今日はそんな所から。。。。








現在、思想でも理論でも文化芸術でも
何でもそうですが、



多くの人が興味を持っているものは
常に新しいものです。



より新しければ価値があり、
これまでの形式や形態を崩せば
それは「イノベーション」として評価される。



まるで独創性と進歩こそが正義だと言わんばかりに、
「創造的破壊」が使われています。



確かに、新しいものが生まれ、育ってる間は
「より」進歩した世界として認識されますが、



「創造と進歩こそ正義」という、
美意識に取りつかれている可能性だってあるわけです。



☞ ☞



明治維新後も似たような状態だったようで、
あらゆる流派を破壊し、欧米の近代文明を
取り入れていました。



先人の道に習い、伝統を学ぶことは
単なるレッスンプロ的な復古論だとされたのですが、



やがて「新しいもの」は「本当に欲しいもの」では
なかった、と気付いたのです。




我々の精神だってそうでしょう。
刹那的な興奮や刺激なんてすぐに飽きてしまう。



ビジネスでもそう、表層的な技術で
消費者を喜ばしたり、驚かせるのには限度があります。




☞ ☞



そもそも破壊を伴う独創性は、増大と成長が
見込める環境がある時のみ、通用する限定的なもの。



地球資源で例えれば明らかですが、
限界の状態で技術だけ革新すれば効果は遁減する。
当たり前の話です。




芸術家や音楽家だけでなく、
新しいものを創造することが仕事の人は
このことをよく分かっています。



人々を本当に楽しませるものは限られるし、
長く楽しみが続くものなんて、さらに限られるわけです。




ん、長くなりましたな。
次回に続きます。



2015/04/07

古き良き





我々は無意識的に「有機的なもの」に
惹かれている。



これは未来や宇宙をテーマにした
施設などが、軒並み失敗していることから分かります。



我々はどんなに洗練されたデザインでも
それが無機質なものだと感じれば馴染む事はありません。




最近、イノベーションなど、常に
新しいものばかりに価値を見出していますが、



僕は長い歴史に耐えうるものには
価値があると思っているんです。





ラーメン博物館




さて、以前書いたように活気とは
聖と俗の「あいだ」によって派生すると思っています。
聖は秩序、俗は無秩序と同義です。



そのバランスがひとたび崩れると、
途端に認識が変わってしまいます。



聖の割合が強いと冒頭に書いたようなものとなり、
俗過ぎれば、ただ古臭いだけになってしまう。



☞ ☞



システマティックなFCの代名詞でもある
コンビニはチェーンというよりも、
公衆電話のようなインフラに近い。



よって僕の中ではFCとして対象外なんですが、
馴染みという視点から見ると、このバランス感覚は
とても大事だと感じています。




店舗設計にせよ、契約書にせよ、
組織構築にせよ、




こういった加減を掴みとる技術を
unreveはお伝えしています。





2015/04/06

レンガ積み






建築現場を通りかかった人がそこで作業をしている人に、
「今、何をしているのか」と質問した。




最初の作業員は「レンガを積んでいるんだ」と答え、
次の作業員は「壁を作っているんだ」と答えた。




次の三人目に聞いたところ、その作業員はこう答えた。

「神を讃える大聖堂を作っているのさ」。




これは主体性の重要さを
一番よく表しているもので、僕の好きな言葉でもあります。



レンガと書くとちょっと抵抗があったので、
僕はよくパズルに置き換えているんですが、



unreveのFC組織の「完成図」とは
経営者が描いたものを、一人一人の積み重ねによって創るプロセスです。










組織では従業員に。
フランチャイズでは加盟店に
それぞれパズルのピースが渡されます。



当然、一つのピースだけを眺めても
我々は何の意義も意味も見出せません。



しかし、その一枚のピースがなければ
一枚の絵は完成されませんよね。



個人が持つピースの重要性や、
全体の絵の「意味」を伝えるために対話は
組織には必要です。



☞ ☞



壁に掛ける経営理念というものは、
「どこそこに、こういった建物を建てます」という
結果論、設計書です。



そこには作る事の
「意味」や「思い」が欠けている。



逆を言えば、この「意味」や「思い」というものは
個人の幸福とリンクしているのではないでしょうか。




例えばこの絵の完成型が「年商1000億」とか
「一部上場」といった、特定の個人欲求だったとしたら、どうでしょう。




間違いなく、自分には関係ないと思うはず、
この「関係ない」という精神が組織を衰退させるのであって、



その状態で社外教育などでモチベーションを
上げようとするから、おかしくなるんですね。



☞ ☞



それを外部報酬として対応する
所もありますが、逆を言えばそれがないと
まとめられないということでしょう。




常に利益還元が約束される企業なら
話は別でしょうが、金の切れ目がリスクというのは
現在、最大のリスクではないかと思います。




何を作りたいのか、
また、そこにどんな「意義」があるのか。




組織のあり方を真剣に考えている方は、
一度見直してみてはいかがでしょうか。




2015/04/05

近況




こんにちわ。



花見の予定が大雨予報の為中止になり、
現在ヒマを持て余しています。





ありえない。
自他共に認める超晴れ男なのに。







多分、神レベルの雨男がいたんでしょうな。










そういや、unreveはブログの統計をなんかを
日々やってまして、



手前みそですが、移行後ちょっとずつアクセス数が
増えてます。皆様、ありがとうございます(・・。)ゞ




で、この間おもしろい所から
アクセスがありました。



















ラトビア




Wikipedia
ラトビアとは(ラトビアとは)


ラトビア共和国(ラトビアきょうわこく)、通称ラトビア(英語: Latvia、ラトビア語: Latvija)は、北ヨーロッパの共和制国家。EUそしてNATOの加盟国、通貨はユーロ、人口201.5万人、首都はリガ。 バルト海東岸に南北に並ぶバルト三国の一つである。西はバルト海に面する。北はエストニア、南はリトアニア、東はロシア、南東はベラルーシと国境を接する。面積は九州本島の1.76倍[2]。国連の分類では北欧の国である[3]。首都リガは港湾都市で、バルト海クルーズの主な寄港地の一つでもある。 公用語はラトビア語。国民の約27%がロシア系住民で、映画・テレビ・新聞・雑誌などではロシア語も広く利用される。また、世代によっては英語またはドイツ語も話せ、このマルチリンガルな国の特色は外国企業の進出の要因にもなっている。 第一次世界大戦後の1918年にロシア帝国より独立。第二次世界大戦中の1940年にソビエト連邦に占領された。翌1941年独ソ戦でドイツが占領、大戦末期1944年ソビエト連邦が再占領し併合。1991年に同連邦から独立を回復、2004年にEUそしてNATOに加盟した。







ネタ切れた。




あー。サクラが~酒が~(。´Д⊂)




2015/04/03

文楽から見るフランチャイズ



浄瑠璃とはそもそも仏教の「清浄なるもの」の意味、
よって、得意としていたのは神話・伝承の世界であって
それが歌舞伎とは大きく異なる部分です。



この人形劇(人形浄瑠璃)の一つに
文楽がありまして、



今風に例えるなら、浄瑠璃がオーケストラで、
文楽はミュージカルのようなものでしょうかね。
(ちょっと違うか?)



この文楽の伝統継承の方法を見れば、
実に奥行きが深く、ビジネスにも参考になります。



今日はそんなマニアックな小噺でも。。。







さて、この文楽は男性によって演じられ、
太夫、三味線、人形遣いを合わせた「三業」の
三位一体を演じるのが文楽の特徴です。



三業は普段、慣れ合う事はなく、
舞台では真剣勝負をしていると言います。



そんな三つ巴の白熱した演技だからこそ、
観客は感動するのでしょう。



そんな文楽は基本「丸本」と言われる原本に
沿っているのですが、それを鵜呑みにしていません。



人間が行う以上、その体得は
個別指導、そして実践の繰り返しなんですね。



弟子になったら、自分の志望がどうあれ、
まず「三業」すべての稽古をし、
そこから太夫・三味線・人形と専門へと分かれると言います。



まずは全体から、ということでしょう。
「専門性だけ磨け」というビジネス論者には耳が痛いところですね(^_^;)



☞ ☞


閑話休題、
三味線と太夫の関係性はとても密接なもので、
昔は「盃」を交わすほど深く、「相三味線」と言われています。



今では形式こそ変わったようですが、
文楽の源流にはそんな深い信頼関係があったんですね。



それによってインフォーマルな関係性が
生まれるのでしょう、



例えば演技の際、「頭」と呼ばれる
主遣いの合図によって呼吸を合わせるという、
ピラミッド型の指示体系が基本なのですが、



全て指示通りに動くのではなく、
時として主遣いの期待以上の動きをするのだとか。



部分(右遣い・足遣い)の意思が
全体(主遣い)の意図を超える。



つまり三業は上下関係こそあれど、
美意識を共有した協働作業ができるのです。



まさに、そこにはフォーマルとインフォーマルの
融合された場の創造が起こっています。



☞ ☞



マニュアルや体系は秩序と同時に
段階的な「限界」を作ることを意味します。



名人の音だけを真似したり、
指示通りにやっても観客には響かないもの。



その人が、どう考え、どんな意気込みで弾いたのか、
文楽ではそこまで深く掘り下げているのです。



それによって初めて、
新しい演芸が生まれるのでしょう。



上っ面だけ真似すると全く違うものになる、



人間という生ものを取り扱っている以上、
それはビジネスにも該当するのは間違いありませんね。




2015/04/02

北風の限界




こんにちわ、坂口です。
いよいよ生い茂る「弥生」の季節に入りましたね^^




今週末にみんなと花見を予定しているのですが、
満開の時を見ようと、一人夜桜を見に行ってきました。





☞☞☞




さて、大変ありがたいことに、今年に入って
非常に多くの企業様からご依頼を頂いてまして、



特に最近は既存の本部様から
組織体制や運営についてのご相談が多いです。



今までの単一のベクトルに合わせれば良い、
という常識がどんどん通用しなくなっている。



これは多くの経営者が感じている部分でしょう、
北風と太陽でいう、北風の限界でもあります。



ゲーテは
「支配することは容易に学び得られるが、
治めることは学び難い」と言ってますが、



支配したり、服従したりせず、それでいて
個人がそれぞれ機能している状態こそ最上なのは
国家であれ企業であれ、変わらないのではないでしょうか。



☞ ☞



他者と自分を本当に信頼することができない、
けれど、他者と自分なしではやっていけない。
ここに我々の根源的な悩みがあります。



そしてこの自他の信頼は、道徳や規則という
外部の整備・構築だけでは充足しない、
病気で例えるならば、メスでは届かない部分です。




ここに外を整えながら、内を予定するという
統合の理があり、術があります。





何人も他の者と等しくあるな。
だが、みな最高のものに等しくあれ。


どうしたらそれができるか。
みなめいめい自己の内部で完成されてあれ。


「四季~秋の部~」より引用。




2015/03/31

夢中という環境





最近、本棚をひっくり返しては
内容を忘れた作品を
再度読み返しています。



この間は吉本隆明のカール・マルクス。
最初と比べると、解釈の度合いが変わってきている。



果たして、これは良い事なのでしょうかね笑








日々変化するネットの情報を
惰性的に追いかけている時とは違い、



読書と言うものは実に静かなもの。
僕にとって、この時間はとても重要です。



多分に、あと少ししすれば
ネットの情報収集(ブーム)は飽和し、
ある種の倦怠感を覚える人が増える気がします。



ソーシャルメディアしかり、
繋がりというものを「常に」意識すれば
息苦しさとなってしまうのは、昔も今も変わらないでしょう。



もちろん完全には離れない。
その加減や具合が変わっていくと思うのです。



そうなると繋がりに依存している人は
落ち着きのない自己と向き合ってしまうのですが、



そんな時は、良質な本と
向き合ってみることをお勧めします。



☞ ☞



真剣に読むという、この積極的な
働きには良い面がたくさんあります。



作者と親身に交えるということは
調べ物で本を開くのとは違って、
自己というものが非常に弱まる場合があります。



例えば文章を夢中で読んでいると、
ふっと「素の自分」というものが現れるでしょう。



この素の自分こそ、無私であって、
意味づけや解釈のない充実した状態です。



自我が充実すれば必然的に
無私へと向かう、




満腹になれば食欲は消えるでしょう。
心の充実だって同じことです。



ただ、それは情報を詰め込むのではなく
逆に空っぽにすることで得られるという
アンチノミーなわけで、




その為に夢中という「環境」を作り出す
「素材」が必要なのだと思ってます。



2015/03/29

調律されたピアノ


深化と拡大という、質と量に
手を加える行為を見れば、
磨くと増やすという、相反する関係になってるようですが、



僕はこの増えるものに対して、
幾分か飽きが速くなったように感じます。



新しく建った駅ビル、オシャレな店舗、
シンボリックな巨大施設、etc



無論、そこに目新しさはあるけれど、
長期的な鑑賞には耐えることができません。
一度回れば、十分だという所もあります。



その証拠に、どこもかしこも次々と
「新しさ」を必要としているわけでしょう。
まさにその対象には奥行きがないわけだ。



反面、自然派生や深化したものはそうじゃない。
芸術的な建築は、そこを目指したように思います。




我々だってそうですよ、そんな毎日毎日
目新しいことなんてできっこない。



故にこれからのビジネスは
深化した「ヒト」へ向かい、そこから作られた
「モノ」によって円環はいったん閉じられる。
そんな気がします。








春に飽きる人なんて、いないように
そんな自然派生には趣があり、味があり、
情緒があります。商売も然り。



もちろん、我々はそのどちらを選んでも良い。
要はその時々の具合に応じるわけでしょうが、
営為においてはそうじゃないでしょう。



芸人よろしく、僕という人間性に
飽きられるのが一番怖いですわな。




☞ ☞


現在、まるで発作的に情報やスキルを
身に付けようとしている人がいますが、



それは「増やす」という行為であって、
さらに増やしているものを見れば問いではない。



それは予め答えが用意されたものを、
ただ「探している」状態であって、



探しているうちは思考なんて働きません。
逆を言えば、思考が働かなくなっているからこそ、
明確な答えを出す教祖がこれだけ増えたのでしょう。



☞ ☞



個人的に、我々の生物学的構造は
ある意味「完成」されていると思ってます。



例えるなら、生まれた時から
すでに完全に調律されたピアノのようなもの。



そこに「進化」というものは必要ない。
逆に下手にいじくり回せば、音階自体が壊れてしまう。




我々はピアノを改造するのではなく
「ピアニスト」として、表現するだけで良い。



そんな内部表現が真の個性であり、
独自性だと思うんですね。









2015/03/27

多様な直感の声2





前回に引き続き
多様な直感の声、二回目です。




能率的技術という概念は色々ありますが、
僕はそこにはっきりとライン引きしています。


それは我々の精神的な問題に干渉できる
性質を持ったものではなく、もっと浅いもの。



例えば物質的な生活を整えることを
目的としている手段的目的にすぎません。



能率的技術というものはそれだけです、
それ以上になるということはない。



中にはびっくりするほど反省好きな人もいて、
論理をそれ以上に理解しようとしますが、



これをはっきりと断言できれば、
ずいぶんと楽になるような気がします。




前置きが長くなりましたが、
本題へと移りますか。



☞ ☞



さて、前回は抽象的な空間に理想的なものは
作れっこない、と書きました。



マニュアルやシステムの理論は
同じだけれども、どの現場でもそれが
通用するか、というとそうじゃありません。



例えばラーメンなんか見ると同じ素材、同じ火力、
同じタイミングであっても、味が変わってしまいます。



大まかな所は同じ、だけれど
微妙な所は感覚に頼ってるわけです。




黄金の福ワンタンまくりさんはセンスを覚えさせる




そんな二度とは繰り返さないものに
対するもてなしの心が一期一会の精神であって、
まさに形式にはできない心の持ち方でしょう。



我々はそんな「質」を感受しているのであって、
それは計算すれば出てくるものじゃありません。



計算できるものは「量」でしょう、
量を操作して質に接近しようと試みてるのが
今のマネジメントやシステムやマニュアルですが、



やり方(形式知)とあり方(暗黙知)は
僕にとって届く領域が違うんですね。



☞ ☞ ☞



顧客の来店動機は何か。
購買動機は何か。



端的に言えば消費者は
「楽しみにしている」と思うんですね。



苦や不を取り除くビジネスも
当然あるけれど、それが消えた後
消費の向かう先はやはり「喜や幸」ですよ。



「ただ楽しい」という理屈抜きの感覚、
それはリアルな場で起こってるわけでしょう。
端的に言えば「生きている場所」です。




遊園地が楽しいのはアトラクションじゃない。
そこに集まる人の活気や、予想外の出来事や
一緒にいる相手との生の体験がアトラクションを
通じることで「楽しく」感じてるのであって、



個人が共鳴し、発見し、創造している。
そんな自分の態度が表れていると言えます。




☞ ☞



メカニズムの観念というものが
思想に居座るのは、なるべく避けた方が良い。




「聞こえる音に神経質になりすぎれば
音楽が逃げていく」、と言ったのは誰だか忘れましたが、




多分に、それは音楽だけの
話ではない気がしますからね。





2015/03/26

多様な直感の声




最近、他のコンサルタントの方々と
共同でやっていく案件がひとつふたつありましたが、



数値メインの構築は僕には合わないようです。
そういう意味で、僕は完全にコンサル失格ですな。




端的に言えばメカニズムとオーガニズムの違いでしょう。



こちらが期待した「理想像」を
そのどちらにもっていくか。





さて、今日はそんなところから。。。。。







厳密なシステム(メカニズム)というものは、
一見安定した状態のようですが、
個人的にそれは空理空論だと感じています。



そもそも人と言うオーガニズムが
システムというメカニズムにいつも
順応するとは限らない、



もちろん、大まかなで簡単なところでは
順応するかもしれないけれど、
これがちょっと微妙になると、そうじゃない。



とういうか全然服従はしていないでしょう、
人時生産性がどーだこーだ言ったところで、
それをやるかどうかはこっちの勝手ですわ。



そんな現場はまさに生きてるわけで、
大げさに言えば、その空間のみ限定的に対応している。



これを経済学をしっかり学ばれたコンサルや
知識人に言わせれば、科学的な空間じゃないと、
頭から角が3本くらい出てくるでしょうが、



生きた僕の感じる現場というものは、まさに
オーガニズムが作り出した空間に他ならない。



☞ ☞


そんな現場に科学的な空間や認識を
持てと言われたって、持てるわけがありません。



先ほど書いたように、人間は物理的な
構造を(ある程度)持っているので
それに従うことは(ある程度)可能でしょうが、



人間がやる仕事は、その先に
微妙な感受性と言う精神があって、
その主導権は常に自分が握っています。



気分が乗れば仕事ははかどるし、
そうでなければ、生産性はガクンと落ちる。



それって本来、当り前のことです。
そんなどうしようもない現実を
分析して従うようにするのは一種のノイローゼであって、



「これが理想的な状態」というものなんてものは、
錯覚以外、あり得ない。西洋のコーチングは
ここを間違えてるわけです。




ん。
長くなったので、続きます。





2015/03/25

見えない「しくみ」




unreveは「見えないしくみ」を
根幹として、活性化・持続性可能性のある
組織を構築するという、珍しいことをやってます。




「見えない」と書くと、なんだか曖昧で
特殊な感じがするかもしれませんが、
それが本来の価値を決定していると思うんですね。



例えば無色に見える太陽の光は
実は虹の七色を含んでいるように、



こうやってパソコンが動いているのも
半導体チップの中にある「ソフト」という
見えない仕組みであるように。



多分に、現実の世界を構成している
「目に見えるしくみ」は1割以下なものでしょう、



現在、宇宙で見えている割合は
約3%ですが、それと同じことだと思ってます。



それを厳密な原理証明ではなく、
また形而上学でも空想のスピリチュアルでもなく、



「個」の経験則として捉える事で、
多少は感じる事ができるのではないか。




とまあ、そう思ってます。







現在、基本的なしくみとして
(ほぼほぼ)間違いないもの、
それを「円環、回帰」と定義しています。



「それは一体何故か」。



なぜなら、マクロの惑星からミクロの
原子(電子)まで、その運動は全て円環周期だからです。




水は循環(雨→土→雲)し、
大気も回る事で、季節が変化していきます。
太陽だって、常に円環運動です。




故に、「見えないしくみ」とは
円環(回帰)であり、それは
生存上必須のシステムだと仮定したんですね。





☞ ☞



調べて見ると、この円環(回帰)によって
五行思想でいう相生が起こっています。



相生は相乗効果を生む創造のサイクル、
反面、相克はお互いを弱め合う破壊のサイクルです。




自然の「しくみ」には「相克」がありません。
太陽が回るのも、水が循環するのも
動植物を活かすことに限定されています。



つまり、大ざっぱな捉え方とすれば、
見えないしくみとは「他」と「調和し」、「活かしあう」ことでしょう。




そして、そんな「調和の精神性」は
この国から昔から根付いていた、と。



和して同ぜす、
迎合ではない合わせの方法こそ、
これからの組織には必要ではないかと思ってます。





2015/03/23

バカのすゞめ




養老孟子のバカの壁とは、自分の理解範囲内に
留まることで思考停止になったことを指すのでしょうが、



この「バカ」という状態、なかなかどうして、
深いものだな、と思ってるんです(笑)



「諸君、狂いたまえ」と言えば吉田松陰ですが、
この「狂う」だって、同じ様なもの。



端的に言えば「打算抜き」って事でしょう。
理性を使わないということではなく、
リスクを引き受けるってことです。



ビジネスではそういった行為を
ファーストペンギンといいますが、


未知に飛び込む勇気って、これからどんどん
必要になってくるんじゃないかしらん。




群れの中で最初に水に飛び込むペンギンがいる。



ペンギンの行動原理は分かりませんが、
我々の場合、自分の中にある自信とか意欲を
拠り所にするしかありません。




そんな個人の確信によって
新しいものは生まれてきたのでしょう。



☞ ☞



我々は年を重ねるとなかなかバカにはなれない。
世間や他人や地位や肩書を気にする
もう一人の「じぶん」が出てきますからね。




大人と言うのは様々な矛盾や世知辛さを
割合知ってしまった状態でもあるわけですから、
傍若無人には振る舞うことができません。



そうなると全体が矛盾しないようなものでないと
危なくて取り上げることができなくなってしまいます。



その点、若さというものは知識というか
歯止めとなる経験があまりない、



故に、自分の知らない事と抵触するかどうか
なんて、(良い意味で)意識せず考えずにできる。
だからこそ強く、夢中で入っていくことができるのでしょう。



そうすると、今まで人がやっていない所に
ふっと到達することが、ままあります。



大人が行けない所をさっと行く。



この理屈抜きの潔さこそ、若さの特権でしょう。
理性の監獄がまだ完成されていないのです。



ただ、それは年齢の若さによるものではない。
多分に、深く入り込むことで得た「ナニカ」に従っている。



そういう意味で、自分の中にある種の「愚かさ」は
保っておきたいな、と思います。





2015/03/21

近況とか




こんにちわ、坂口です( ´ ▽ ` )ノ



先日、フランチャイズの総合サイト
フランチャイズWEBリポート内にコラムが掲載されました^^




コラム「独立する時に知っておきたい資金調達の方法」





リアル店舗で独立を考えている方は必見ですよ~★




☞ ☞ 





さて、ここ九州では開花宣言したようで、
来週くらいから花見のシーズンになりそうです。






昨年とうってかわって、
今年は久しぶりに大勢で花見を楽しむことになりました^^
多分、60人くらいになるのかな。




一人で夜桜を眺めるもの粋ですが、
昼からお酒飲みながら大勢でワイワイやるのも良いもんです。








ちなみに桜と言えば
こちらにとても素晴らしい焼酎があります。




お水を入れると桜色に変わる、
その名も焼酎リキュール「さくら咲く」です( ´ ▽ ` )ノ







詳しく書いた記事にリンクしようと思ったら、
ブログの記事が消えてるという・・・(社長、すんません)







これ持参して、今年の花見は楽しむぞ~♪






2015/03/20

近況とか


こんにちわ、坂口です。
この間、HPのリニューアルがようやく終わりました。



さっそくgoogleの「モバイルフレンドリーテスト」で
確認したのですが、無事友達になれたようです(笑)




一安心




ネットの環境はリアルと比べ
すごいスピードで変わっていきますね(;・∀・)ハエー



しかも拡散や共有機能によって
遠く離れたところでも、知らない人のことでも
すぐに分かってしまいます。




昔と比べ、世界はとても狭くなったと言われますが、




認識できる「領域そのもの」が広がったのでしょう。



☞ ☞




最近特に思うんですが、
もうビジネスでは「誤魔化し」が通用しなくなってますよね。



関わる商品だけでなく、企業そのものですら
正確な情報収集が可能になってますから、
消費者の「見る目」が厳しくなっていくのは
ある意味、当然の結果かもしれません。



変化する市場に変に慣れてしまい、
飽きが早くなったことも要因でしょう。
まさに豊かさゆえの問題が起きているわけです。




そんな飽和・細分化された成熟期において
潜在している欲求とは何か。




成長原理から離れて市場を眺めると、
多分、僅かなものだけしか残らないでしょう。



そこにこそ、統制経済や経済学とは違った
経済の語源があるんじゃないですかね。



☞



そんなわけでunreveは
「理念はしっかり持ちましょうね」と
お伝えしています、綺麗ごとではなく。




まあ、加減を超えると宗教的になるんですが、
上っ面じゃなく、本気の心を込めてやる仕事っていうのは、
(形こそかわれど)多分、なくならないはずです。









2015/03/19

そもそも自由論2



前回に引き続き
「そもそも自由論」、二回目です。





さて、他人を侵害してしまう行為は
自由ではない、と書きました。



こう書くと
「じゃあずっと我慢しないといけないのか」とか
「そんなもの、ただの妥協だろ」とか思うかもしれません。



しかし、そこには前提として自由がある。
それは「自分で決定できる」ということですよね。








例えば結婚なんて、まさに
自らの決定によって束縛を受け容れることです。



「束縛は嫌だ」と独身を選ぶのは
「自らに由る」結果でしょうし、



「孤独は嫌だ」と結婚しているのも
まさに自らに由るものでしょう。



仮に、そこで結婚生活が原因で
苦しい思いをしたとしても、



自らの意志で選び、別れなければ
それも自由の一つなのは間違いありません。
逆もまたしかり。



これを多くの人が嫌がるか
避けようとしてるわけです。
(もしくは都合良い人(環境)を求める)




小林秀雄は「無責任な人が非常に増えた」と
講演で言ってましたが、まさにそういうことでしょう。



自分で自由に決めているのに
我慢もしないし、責任も取りたくない。



だからこれだけハウツーが溢れているんです。
「どうしたらいいですか?」と。



☞ ☞


ちょっと厳しいモノ言いですが、
本来、世界は自由で溢れまくっています。



ただ、自分軸がない人からすれば
「不自由で不条理な世界」に見えるんですね。



自からに由るための「自ら」がない以上、
「不自由」なのは、当然と言えば当然です。




正解・不正解を決めるのは自分、
それを見極めるのも自分、




そして(もっとも重要なのは)
それは「自分の決定意思の結果」に過ぎない。



自由は内部派生であり自己中心的な
決定意思の開放と肯定にすぎませんから、



やってる事を正しいと「思うこと」は良いでしょうが、
やってる事を「これこそ、普遍的な真理だ」というのは
単なる独善的な価値観の押しつけなんですね。



だから個としての他人を認め、
個としての自分を認める為の「場の形成」が必須なんです。




☞ ☞ ☞ 



つい、unreveの理念や自立と自律の
教育研修の一部をご紹介したんですが(笑)、



自由意思というものはすなわち
自己中心(内部)の規律に沿った意志の確立のこと。




故に、加盟店がFCにおいて自由になるには、
そんな自己の内面性の規律が問われるのです。



つまり自由な関係性には前提として
自らを律する規律が存在するのであって、
それは外部から強制することはできません。



現在、やれ道徳やらコンプライアンス(法令遵守)やら
言われてますが、外部派生である以上、あまり効果はないでしょう。



集団、ことさら組織においては
この内部規律によってようやく(自由が)始まるのです。




そして、その根幹にあるのは
精神に他ならないんですね。




2015/03/18

そもそも自由論




さて、office unreveは
加盟店による「自立と自律」をコンセプトにした
フランチャイズ構築を提案しているのですが、



これらの目的は(大げさですが)全て「自由」の為、
フランチャイズの語源のごとく、まさに「解放」を目指しています。




ちなみにみなさんは「自由」とか「解放」と聞いて
どんなイメージを思われるでしょうか^^?



たぶん、多くの人が
「ポジティブ」な意味で捉えてますよね。



「現代のストレスから自由になる!」なんて、
まさにモヤモヤ感を一刀両断したような感覚です。




ただ、「自由」が持つ本来の意味を明らかにせず
やれ自由だ解放だと振りかざす人達に対し、
僕はちょっとした怖さを感じてしまいます。




近代、よく言論の自由や表現の自由など、
その解放を声高に叫んでいるのを目にしますが、




まずはその意味自体を理解し、
その上で語ることが本来ではないでしょうか。




ということで、今回は壮大なテーマである
「そもそも自由論」について書いてみようと思うのですが、



もしかすると僕の定義する自由と
みなさんの定義する自由は違うかもしれません。



そこは一つ、ご了承のほど。。。。







さて、自由とは「勝手気まま」ではない、
ここは明確にラインを引く必要があります。



自由や解放という言葉を使えば、
全ての行為は正当化される、と。
さも免罪符のようになっていますが、それは間違いです。



「俺は束縛されたくない、だから自由になりたい」。


「好きなことだけやりたい、だから自由になりたい」。



それは僕の定義する
自由や解放とは言いません。



それは単なる「欲望の解放」に過ぎないのです。



☞ ☞



こういった個人の欲望には
「対他者」の感情はありません。



そこにあるのは、超のつく
「個人的な満足」。それだけです。




現在、西洋から輸入してきた自由が
さも本来の自由だと言われているのですが、
その前提にあるのは西洋の個人主義であって、



個人主義とは上記のように
他者を視野にいれないものです。
(故に「隣人愛」が必要だったのでしょう)



つまり近代自我の自由は、相手への
心配りや配慮を無視し、
自分だけの欲望を満たそうとする行為なんですが、



それを解放とか自由とか言われた日には
たまったもんじゃないですわな。



それを僕は自由とは言わず、
無責任な「暴力」と呼びます。



個人の欲望の解放というのは
暴力的なエゴイズムと紙一重ですからね。 




個人の欲望=暴力的支配≠自由



ここまではオッケーですか。
では、次へ進みましょう。




☞ ☞


じゃあ自由とは何か。



本来の自由は欲望の解放なんてものじゃありません。
逆に欲望自体から解放されることもあるでしょう。



HP内でも少し触れているのですが、それは
平等や解放を叫ぶヒステリックな主張はなく、
批判精神も存在しないもの。



僕の定義する自由とは「自らに由る」こと、
「自在な自分」になることに他ならないわけです。



だからこそ自己の確立が必要なんですね。
自分軸とは「ブレない欲望を知る事」じゃありません。





ん、長くなりましたな。
次回に続きます。


2015/03/17

個人の拍子、揺らぐリズム



こんにちわ、坂口です(´・ω・)ノ




有機体であるものには呼吸や心臓の鼓動など、
短期的なリズムと、睡眠などのような長期的なリズムがありますよね。



よく「規則正しい生活リズムを」とか言いますが、
そんな生体リズムを意識的に整える、ということでしょう。



今日はそんな我々を作り出し、
維持させている「拍子」について。









さて、一般的にこのリズムが崩れると
身体に不調を起こすと言われます。



だから運動や食事や睡眠など、
「規則正しく取りなさい!」と言われ続けてきたのですが、



実はこの「リズム」というものは
若く、健康的なものほど「ゆらぎ」が起こってるようです。



f分の1である「不規則性」があればあるほど、
生体内部は何かが「再生(創発)」している、と。



さらに言えば「ゆらぎ」が起こらないもの、
つまり秩序正しいものほど、老化していると言います。



これは面白いですね。
厳密性や秩序が、別の側面でデメリットになってる。



そう考えると「ゆらぎ」とは無秩序ではなく、
我々生命の「もう一つの秩序」と言えるのではないでしょうか。



例えば子供を産むときなんて、まさに
「呼吸のリズム」が変わりますよね。



☞ ☞



睡眠や食事もそうだと思ってます。
取る量も大事ですが、質やバランスこそ大事です。



それは栄養学的なものではなく
身体が欲している時、欲しているものを取る。
(ちなみに僕の健康法はたったこれだけです)



考えたら当然のことですよね。
満腹なのに食べさせられたり、
眠くないのに寝かされたくないですから。




そして、この「空腹感」や「睡眠」のタイミングは
個人によってバラバラであって、客観的視点では
そのタイミングを測ることは不可能です。



組織も同様、秩序やマネジメントとは一見
安定した状態を維持するための価値あることですが、



本来の秩序とは、その「流動性」の中にこそあって、
それが生命を生命たらしめている所以でしょう。







「後記」


ちなみに僕自身、一日一食の時もあれば、
一日四食の時もあります。



ありえないくらいの量を取ることもあれば、
シマリスくらい小食な時も。




まあ、あくまでも個人的なものです。
くれぐれも真似しないように^^

2015/03/16

「市場のきっかけ」



「よく行かれるコーヒーショップは?」と聞けば、
多くの人がスターバックスと答えるでしょう。



世界一とも言えるカフェチェーン「スターバックス」は
1971年にシアトルで開業し、日本には1996年に第一号店が出来ました。



コーヒーのテイクアウト式の販売(シアトルスタイル)として
日本でのカフェブームのきっかけでもありますね。




今でこそ絶大な知名度があるのですが、
実は創業当時はこのように世界中に広がる(広げる)
と言うビジョンはありませんでした。




共同経営者であるジェリー・ボールドウィン、
ゴードン・バウカー、ゼブ・シーゲルが考えていたのは
コーヒーの豆を販売するだけのもの、



もちろん、そのコーヒー豆に対する
こだわりは持ってはいたんですが、
あくまでも職人的なままのビジネスだったんですね。




ではそのアイデアはなぜ実現したのでしょうか。
今日はそんな小噺でも。








さて、上記のアイデアを提案した人物こそ、
現在のスターバックス会長兼CEOであるハワード・シュルツ氏です。



当時の創業者達は
「コーヒーは自分の家で作って飲むものだ」と
シュルツ氏の提案を一蹴したと言います。



今や常識になっているシアトルスタイル、
(カップに入れて販売する商売)は成り立たない、と。
いつの時代も職人気質は保守的です^^



そこでシュルツ氏は会社を離れ、
独立の道を進んだのが、スターバックスの始まりなんですね。



☞ ☞



さて、こういった「●●は●●するものだ」という
常識のフィルターを外すことはとても大事ではないでしょうか。




ちなみに天の邪鬼な僕は、日常慣れ親しんだものに
つい「●●は●●するものなのか?」と思ってしまう癖がありまして、



会社員時代はこれが原因でよく怒られました(笑)
そりゃそうです、秩序を壊す張本人ですからね。




ただ、一人の寛大な上司から
「やって間違ったら、間違ったという経験になるよ」と
とてもありがたい言葉をかけてもらったおかげで
こうやって「フランチャイズは中小企業でもできるんだ」と
自信を持ってやっていけてます。




ホント、良い上司だったなぁ。。。



☞ ☞



ビジネスにおいてのアイデアの源泉は
それを欲しがる人がいるかどうかの「度合い」だと言われます。



自己中心的なものはあくまでも芸術の枠内、
市場と言うものは自分と他人の「境界線」にあるのでしょう。



よって、自分だけのこだわりを追求すれば、
それは単なる自己満足の作品だと批判されるかもしれません。





でもね。




強烈に欲しい商品(コンテンツ)を
作るには、やっぱり作り手の「強烈な情熱」が必要ですよ。



我々はつい欲張って「万人受け」というものを
狙ってしまいがちなんですが、



それをやればやるほどエッジは丸くなり、
コンセプトはぼやけてしまいます。



以前ならそれで良いかもしれません。
でも、現在の飽和した市場では
多分、支持は得られないんじゃないかな、と思うんです。




そういやビルゲイツは成功の秘訣は知らないけれど、
失敗の秘訣は「全ての人を喜ばせること」って言ってます。



理念という「幸福」へ向かう志向性がある以上、
商品やコンテンツまで万人受けを狙わなくていいんじゃないでしょうかね。




部分と全体。
うーん、やっぱここらへんの説明は難しいです(笑)



「後記」



ちなみに最近思ってるのが
「第一印象とは直感のことじゃないのか?」というもの。



そう考えるとフォーマルな定型モデルが第一印象ではなく、
その人らしいイメージを作れるかどうかですよね。



似合ってれば髭を生やそうが、髪が長かろうが、
染めていようが問題ないんじゃないかしらん。



そのうち「センス面接」とかあったりして。



2015/03/15

もうすぐ完成します~




こんにちわ、坂口です(。・ω・)ノ


この間yahooニュースを見てたら
こんな記事が載ってました。


睡眠:そろそろ限界?眠らない日本人





皆さん睡眠不足なんですね(・_・;)
以前、睡眠カフェ(バー)を作ろうと思ってたのを思い出しました。



■睡眠カフェ(バー)とは・・・・
上質なベッドとリラックスできる個室を作り、
短時間で極上の睡眠を提供するお店。



他にも「ストレス発散バー」とか
面白いよな~とか思ってたんですが、
企画の段階でボツになりました(笑)




まあ、資金に(めちゃくちゃ)余裕ができたら
やってみたいビジネスですね。



☞ ☞ ☞




さて、ノーテンキな僕は寝ようと思えば
いつでもどこでも寝れますし、
半日睡眠なんて日常茶飯事です←ヤバイ




ただ、最近ちょっと睡眠不足でして。。。。
なんでかっていうとホームページをリニューアルしてるんです。





ちなみにスマホ用サイトはこんな感じ↓
完成したら、こちらでもご案内させて頂きます。







googleでスマホ対応サイトが検索結果で
優遇されると聞いたのがはじまりでして、
2週間くらい前からセコセコ作ってます。




検索トップだからといって、いち個人事業主。
あぐらをかくわけにはいきませんからね( ー`дー´)キリッ



それにスマホ用サイトは前々から
作らないといけないなと思ってましたので
ちょうどよかったです^^



流行りのワードプレスでブログを書こうとも
思ったんですが、とりあえずこちらへ引っ越したばかりなので
検索の結果を見て、判断しようと思ってます。





普段何も考えてないように見えるでしょうが、
一応、考えてるんですよ(笑)





2015/03/11

所感




長いようで短い、
そんな4年目の3月11日を迎えました。




あれから4年も経ったのかという思いと、
4年も経っているのになぜ・・・・というやり切れない思い。




ちょうと一年前、東北へ伺ったのですが、
あの時はまだ、震災の傷跡が生々しく残ってたのを覚えています。




今なお、12万人が避難している福島。



過去の出来事ではなく、現在進行形だということを
我々はつい、忘れてしまいがちです。




「平凡・平常な日」というのは
とても有り難いことなんですよね。



☞ ☞


私事で恐縮ですが、
僕の事業はあれから大きく変わりました。




あれだけの状態でほとんど起こらない暴動や、
他人の痛みを心から分かってるようなご支援。



(誤解があるかもしれませんが)、
それに感動したんです。



そこには自我がない。
「自分が自分が!」がない。



そんなことできる国なんて、他にないですよ。



そこからやってるフランチャイズを、
通常の構築支援から日本流に変えたんですね。



☞ ☞ 




近代、アメリカの文化によって
理性(自我)中心の社会となってたのですが、
震災を境に、徐々にですが変わっているように思えます。



長い歳月によって作られたアイデンティティは
やはり、消えてなかったのでしょう。



身近な所で言えば、化粧が変わったと言います。
昔みたいな派手さがなくなっている、と。



それは飾り立ててない「ほんとうの自分」ってやつを
見てもらいたいという無意識の現れじゃないでしょうか。



心の奥にある安心感と信頼。
それがこの国を支える根幹なんだと思います。



ビジネスでも、どんどんその輪が広がっている・・・




故に、だからこそ、希望が持てる。





「後記」




そもそもアメリカは珍しい国なんです。
特異的だと言ってもいい。



世界で最初に出来た「人工国家」ですから、
形式によって管理しないといけなかった。
暗黙の了解なんて、ありえないわけです。



民族も文化も宗教もバラバラからのスタート、
さらに「自分」という自我からのアイデンティティ。



それを「どうやってまとめるか」というのが
国家の最大のテーマだったんですね。



その結果、連邦制度が生まれた、と。
あれは個別化を尊重するための制度とも言えます。



宗教と国家の統一が必要なのも、
逆を言えばそれ(イデオロギー)がないと
民主主義として成立しなかったのでしょう。



故に、バラバラな価値観を持っているけれど、
大半が一つの宗教(キリスト教)に属しているのです。




我々には、そんなもの必要ないですよね。



2015/03/09

音階と秩序




構造とはなにも建造物やシステム
だけに限ったものではありません。



例えば音楽はそれぞれの音符が織りなす
見えない構造であって、それは楽譜によって見る事ができます。




「建築とは凍った音楽だ」というセリフはまさに
音と建築の秩序の違いを言い表しているのでしょうね。




生命は何かを形成することを目的としますが、
それは人工(科学)的な派生と感性からのものがある。



そしてこの国はどちらかと言えば
音楽的な文化や秩序を形成していったと言えます。




今日はそんな「ラララ~」な小噺でも(笑)








さて、我々が耳を持って生きている限り、
間違いなく音楽がなくなることはないでしょう。



思えば、音楽とは不思議な力を持っています。
言葉よりも心に沁み入りやすいのです。



争いをやめろ、と何度も言葉にするよりも
平和の歌をみんなで歌った方が何倍も良いというのは、



歌によって、自然と不毛なことをやるのは
馬鹿らしいと思えてくるからでしょう。



まるで空気のように世界を包み、
我々の心を繋げていく、



僕はそこに音楽という見えない秩序が
確かに働いているのだと思うのです。



☞ ☞



音楽は建造物と違い、「ゆらぎ」があります。
規則性と不規則性が同時に内包されているのです。



これは音楽だけに限らず、 この世界にある
自然派生なものは全部が波となって躍動しています。



そしてそれらは全くの無秩序ではなく、
独特のリズムを持っている。



例えば波や風も常に強弱が変化していますよね。
神経の電気信号や(心臓の)鼓動だって、ゆらぎがあるんです。



組織ではこれを「ノイズ」だとしてしまったのが
近代経済の大きな失敗でしょう、




組織に必要なのはこういった「ゆらぎ」や
「あそび」にこそある。




一見、感性という曖昧なものは把握不可能だと
思われそうですが、僕はそうではないと思ってます。



なぜなら、我々は「心地よいメロディー」と
単なる「雑音」の違いが分かるじゃないですか。



それは誰から教えられたものでもなく、
下手すれば子供にだって理解できますよね。



☞ ☞


現在、ビジネス環境は大量に生産したら
大量に消費するような単純なものではなくなりました。



つまり今は複雑で散逸である経済の本質が
露わになっているのではないでしょうか。



システム論で有名なアシュビーの法則は
別名「必要多様度の法則」と呼ばれていますが、



それは複雑な環境の中でシステムが存続するには
そのシステムは環境と同程度の多様度が必要だ、というものです。




つまり多様で複雑な時代には
多様で複雑な組織を生み出す必要があり、
それは音楽的な秩序(リズム)の形成にある、と思ってます。




環境の波(拍子)の変化に合わせる方法、
それが暗黙知であり、場であり、それを支える
間、拍子、あそび、揺らぎといったものです。




次回、そんな「リゾーム派生式」を
ちょっと具体的に書いてみようと思います^^




2015/03/08

撓る(しなる)組織



こんにちわ( ´ ▽ ` )ノ


この間LinkedInを見ていたら
自己組織のチームの作り方がアップされてました。



株式会社レベルファイブ
自己組織的なScrumチームの目指し方




自立と自律(セルフマネジメント)は
今後の組織の重要なテーマになるのは間違いないでしょうね。



剛柔兼ね備えたハイブリッドへの移行、
まさに有機的な構造への第一歩だと言えます。






硬直化した企業を柔らかくすれば、
見えない「強さ」が内包されます。




「秩序が崩れ、統率ができない弱い体質になる」と
思っているかもしれませんが、そうではありません。




例えば、しなる枝は雪が積もっても
容易に折れることはありませんよね、
むしろ固い木の枝の方が、折れることが多いでしょう。




つまり「強度が弱い枝」であることが
その枝にとっての生存力の証であり、



その弱さは「軽快さ」でもあるんですね。




☞ ☞



これは我々の身体にも置き換えられます。




例えば、僕が立ち上がろうとした瞬間、
体にある何百という筋肉が一斉に働くのですが、
普段、その筋肉は柔らかい状態を保っています。



それがひとつの目的を達成する時に
初めて、統合的に働いているんですね。




つまり全体を統一しているのではなく、
全体が最適に働くような「状態」の構築です。




理念もそう、価値観の共有ではなく、
多様な価値観でありながら、一つの意識(志向性)を共有することが必要です。





2015/03/07

最近思う事




こんにちわ(。・ω・)ノ



東北はまだ雪が降るところもあるでしょうが、
ここ九州は、だいぶ温かくなりました。
なごり雪が降ることもなさそうです。



大人になるにつれ、我々にとっての雪は
ただ「寒い証拠」みたいになってるのですが、
子どもたちって、雪が大好きですよね。



まるで、花びらが降っているかのように、
嬉しそうに追いかけたりしています。




雪の研究家である中谷宇吉郎氏は
「雪は天から送られた手紙である」と
素敵な言葉を残していますが、




子供たちには
そう見えているのかもしれませんね。



☞ ☞



雪は同じ形がひとつもないけれど、
その全てが、キレイな六角形になっています。




それぞれが多様でありながらも、
美しいフォルムを共有しているのです。



そんな自然が作り出したアートの寿命はとても短い。



地上に舞い降りたかと思うと、
やがて解けて消えてしまいます。




まるで人間のようです。






2015/03/06

女性にもお勧め、フランチャイズ。





こんばんわ、坂口です(´・ω・)ノ




さて先日、フランチャイズの総合サイト
フランチャイズWEBリポート内のコラムが掲載されました^^



コラム「フランチャイズの歴史について」





今回から五葉コンサルティング株式会社の
代表さんも参加されていまして、
編集担当さんから「すごく素敵な方ですよ!」と
言われ、さっそく拝見させて頂きました。



自己紹介にあるフランチャイズの思いを見て、
「ホントだ~」と納得、そして共感。



こちらに書いているように、フランチャイズって
まだ女性には馴染みがうすい業界なんですけど、
実はすごくお勧めできる起業形態でもあるんです。



それに女性のFC組織観って、これから必要だと思います。
男性はつい、ガチガチのフォーマルに作っちゃいますから(笑)



女性は男性と比べて、横の繋がりが派生しやすい。



女性経営者が作ったFCが増えれば
業界もまた変わってくるでしょうね。



あと関節役の設定さえできれば、
止揚までのルートが整備される気がします。





2015/03/04

馴染みの仕組み




こんにちわ、坂口です(´・ω・)ノ
三寒四温の季節ですが、みなさんお元気ですか。




さて、ご来店いただいたお客様と
長くおつき合いしたいと考えている経営者の方が
以前よりかなり増えてきたように思います。




昔は顧客を「数」として見ている傾向がありましたので、
新規顧客をいかに捕まえるか、という発想でしたが、
そんな「狩人型」では顧客が再来店しないことが分かったのでしょう。



例えば服を見ようとショップに入った時、
不要な接客されたら、次回から入りにくくなりますよね。



景気の良いときにはそれなりに効果があったのでしょうが
これからは逆、専門的に言えばプッシュではなくプル、
アウトバウンドではなくインバウンドです。



よって以前書いたように「コンテンツの質」を
高めることをお伝えしています。



現在、需要がモノからコト、そしてヒトになってますが、
関係性はあくまで結果論、入口は「ヒトが作ったモノ」ではないでしょうか。




商品は自己を映す鏡だと思ってるんです。



何事も足すよりも削る方が難しいが、日本刀はギリギリまで削り落している。





閑話休題。
数年前まで主流だった「西洋式マーケティング」が
なぜ、通用しなくなっているかというと、
日本人には独善や善意の押し売りを嫌う傾向があるからでしょう。




米国は商品(自分も)がいかに素晴らしいかを
プレゼンによってアピールすることに長けていますが、
我々は基本、決め付けや独断を好みません。



だからこそ、一神教は広がらなかったし、
過激な独裁者はすぐに批判の的になっていたわけです。



それは「価値を伝えるな」ではなく、
恣意的な圧力や本質を見抜く「審美眼」がある。



個人的に、それはこの国のアイデンティティが
感性派生によるものだからだと思ってます。



「これ良い!」と思ったら「ピン」ときませんか^^?



☞ ☞



話がそれちゃいましたね。
今日は馴染みの仕組みについてでした(笑)




馴染みとは売り手と買い手の垣根(敷居)が
ほぼ無くなったフラットな状態だと思ってます。




つまり消費という概念があまりない、と。
生活の中に組み込まれた「一部」みたいな感じです。




よって一部になる為の「自己存在感」をいかに
作り上げるかが重要だと思ってます^^



ツールはそこに至るまでの「きっかけ」にすぎませんが、
僕が以前作ったコワーキング・スペース(兼事務所)では
「お馴染みさん」になってもらうため、会員カードを3パターン作ってたんです。




裏にはシリアルナンバー。



最初は「シルバー会員」、二年目から「ゴールド」、
そしてここで法人成りした方や本業のクライアントさんは「ブラック」。




段階を設けて、だんだんお馴染みさんに
なってもらおうと思ったんですわ。




また、持ってることがステータスになれるように
カード自体にもかなり経費かけたんですが・・・・






うそつき不動産め(笑)



まっ、良い勉強代でした。







2015/03/01

おヒマな一日



どーも坂口です( ´ ▽ ` )ノ


2月は逃げるように終わっちゃいましたが、
皆様、いかがお過ごしでしょうか。






さて、unreveは名刺を毎年
モデルチェンジしておりまして、




この度、2015年バージョンができました。








ざ・クリア素材!




今回はデザインを変えると言うよりも、
素材そのものを変えてみようと思い、
こんな感じで作ってみたんですが、結構気に入ってます(笑)




☞ ☞


そういや最近ラインを始めてるんですが、
ラインの「スタンプ」ってj自分でも作れるんですね。
この間、知りました(・。・)





unreveのシンボルと言えばご存知パズルのピース(笑)









これは・・・・やってみるか★








ということで、パズルピースのスタンプを
こんな感じで作ってみました↓


































パズルを繋げれば、
複雑な感情を表せる、とか面白いかも。





そして隠れキャラ的な「激アツ!」。



パチンコでヒョウ柄は鉄板です(笑)


















うー・・・・・・・ん。




ただ・・・・ね。













クオリティが低いわ(`・Д・)っ





まあ、遊び心は必要ですよね。