2026/09/06

AIの先にあるもの

大飯喰らいが問題になっているが、それを解決するのもAIかもしれないと思っている今日此の頃。正解とスキルのコモディティ化、すごい時代になったものだ。便利と言う言葉の枠には収まらない。


文章を書く、絵を描く、音楽を作る。情報を分析し、問いに対して正確に答える。我々が長い時間をかけて習得したスキルは特別なものではなくなりつつある。



ただ、ルンバの(AI)能力はまだ甘いが。隅のホコリは君には攻略できない。






閑話休題。
個人のスキルに差がなくなり、誰もが(既知の)正解を出せるようになったら、その先に価値があるものは何だろう。個人的にアウトプット、AIに依頼する我々の個性や感性だと思っている。





どんな経験を積んだか。どう感じているか、何を問うか。そんな派生元のアイデンティティや暗黙知が価値になってくるだろう。


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漢意と大和心。この葛藤は古来より続いていたが、AIによって円環螺旋が閉じ、揺り戻しが来るかもしれない。産業革命⇒情報革命⇒精神革命?

2026/09/03

善良な不平家

SNSやニュースでは毎日のように、自分と違う意見を否定したり責めている。かくいう私も傷ついても怒ってもいないのに、つい、批判的なブログを書いてしまう事がある。一億総評論家の現代、論評とは一種の阿片なのだろう。ちなみに小林秀雄は善良な不平家が一番嫌いだった。一番救われない様な印象を常に受けるのだ、と。不平家にならず自己と向き合い打ち勝つ精神や赦すことを涵養していきたい。





許せない相手がいる、あるいは自分自身を許せずにいる。これ自体は別に悪いことじゃない。寧ろ人間としてごく自然で真っ当な精神である。しかし、そこから派生する怒りや恨み、執着みたいなものに長い間囚われていることは精神衛生上、どうだろうか。赦すとは弱さではなくそのような囚われた自己を解放させようとする積極的な態度ではないだろうか。



相手の非を何でも見逃せ、と言う単純な話ではない。間違いは正す必要があるし、声を挙げないといけない時もある。試練と取るか災難と取るか。希望を語るか不満を語るか。端的にその志向性の違いではないかと。