2015/03/31

夢中という環境





最近、本棚をひっくり返しては
内容を忘れた作品を
再度読み返しています。



この間は吉本隆明のカール・マルクス。
最初と比べると、解釈の度合いが変わってきている。



果たして、これは良い事なのでしょうかね笑








日々変化するネットの情報を
惰性的に追いかけている時とは違い、



読書と言うものは実に静かなもの。
僕にとって、この時間はとても重要です。



多分に、あと少ししすれば
ネットの情報収集(ブーム)は飽和し、
ある種の倦怠感を覚える人が増える気がします。



ソーシャルメディアしかり、
繋がりというものを「常に」意識すれば
息苦しさとなってしまうのは、昔も今も変わらないでしょう。



もちろん完全には離れない。
その加減や具合が変わっていくと思うのです。



そうなると繋がりに依存している人は
落ち着きのない自己と向き合ってしまうのですが、



そんな時は、良質な本と
向き合ってみることをお勧めします。



☞ ☞



真剣に読むという、この積極的な
働きには良い面がたくさんあります。



作者と親身に交えるということは
調べ物で本を開くのとは違って、
自己というものが非常に弱まる場合があります。



例えば文章を夢中で読んでいると、
ふっと「素の自分」というものが現れるでしょう。



この素の自分こそ、無私であって、
意味づけや解釈のない充実した状態です



自我が充実すれば必然的に
無私へと向かう、




満腹になれば食欲は消えるでしょう。
心の充実だって同じことです。



ただ、それは情報を詰め込むのではなく
逆に空っぽにすることで得られるという
アンチノミーなわけで、




その為に夢中という「環境」を作り出す
「素材」が必要なのだと思ってます。



0 件のコメント:

コメントを投稿