2015/03/11

所感




長いようで短い、
そんな4年目の3月11日を迎えました。




あれから4年も経ったのかという思いと、
4年も経っているのになぜ・・・・というやり切れない思い。




ちょうと一年前、東北へ伺ったのですが、
あの時はまだ、震災の傷跡が生々しく残ってたのを覚えています。




今なお、12万人が避難している福島。



過去の出来事ではなく、現在進行形だということを
我々はつい、忘れてしまいがちです。




「平凡・平常な日」というのは
とても有り難いことなんですよね。



☞ ☞


私事で恐縮ですが、
僕の事業はあれから大きく変わりました。




あれだけの状態でほとんど起こらない暴動や、
他人の痛みを心から分かってるようなご支援。



(誤解があるかもしれませんが)、
それに感動したんです。



そこには自我がない。
「自分が自分が!」がない。



そんなことできる国なんて、他にないですよ。



そこからやってるフランチャイズを、
通常の構築支援から日本流に変えたんですね。



☞ ☞ 




近代、アメリカの文化によって
理性(自我)中心の社会となってたのですが、
震災を境に、徐々にですが変わっているように思えます。



長い歳月によって作られたアイデンティティは
やはり、消えてなかったのでしょう。



身近な所で言えば、化粧が変わったと言います。
昔みたいな派手さがなくなっている、と。



それは飾り立ててない「ほんとうの自分」ってやつを
見てもらいたいという無意識の現れじゃないでしょうか。



心の奥にある安心感と信頼。
それがこの国を支える根幹なんだと思います。



ビジネスでも、どんどんその輪が広がっている・・・




故に、だからこそ、希望が持てる。





「後記」




そもそもアメリカは珍しい国なんです。
特異的だと言ってもいい。



世界で最初に出来た「人工国家」ですから、
形式によって管理しないといけなかった。
暗黙の了解なんて、ありえないわけです。



民族も文化も宗教もバラバラからのスタート、
さらに「自分」という自我からのアイデンティティ。



それを「どうやってまとめるか」というのが
国家の最大のテーマだったんですね。



その結果、連邦制度が生まれた、と。
あれは個別化を尊重するための制度とも言えます。



宗教と国家の統一が必要なのも、
逆を言えばそれ(イデオロギー)がないと
民主主義として成立しなかったのでしょう。



故に、バラバラな価値観を持っているけれど、
大半が一つの宗教(キリスト教)に属しているのです。




我々には、そんなもの必要ないですよね。



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