2021/04/03

シーシュポスだよ人生は。



今年、相方の家族さん達と伊勢神宮に行く予定を立ててます。あの凛とした空気をチビに味合わってもらいたいな、と。


私はご両親とおかげ横丁で飲み歩きでもしようかと🍶今の時代、いつどうなるか分からないので楽しみを先延ばしにしないよう心がけてます。









早いもので今年の6月で小生45になります。年齢的にちょうど折り返し、山から降りる時期とか言われますが頂上なんて見えやしない、多分に下山すると言うか転がり落ちるてるでしょう(笑)








閑話休題、変化と成長と死は同一線上にあるので歳を重ねれば面倒な諸問題に折り合いが付くだろうと思ってましたが光明はいつか自然に見えるもんじゃありませんね。生生生生暗生始、死死死死冥死終です。釈迦はその空海さんの暗さ(無明)を晴らす輪廻脱出を「発明」したのだろうけど、個人的にプロセスを否定して結果だけ欲しいみたいな不自然さを感じます。宗教批判ではなく個人的な感覚としてね。



反面、出雲大社や伊勢神宮の遷宮は「甦り」の信仰がある。脱却でも復活でもなく再生に近い。種によって新しい生命が芽生るように自然派性のサイクル、「巡り」を信じてます。



これは発明でも概念でもないれっきとした事実でしょう。春夏秋冬、呼と吸、食物の連鎖、みんなそう。現代は(古今東西)事実から離れスピリチュアルな空想の世界へ耽ってますが、裏を返せば頂上に留まりたいのかもしれません。



僕は嫌だなぁ。景色は良さそうだけど飽きてしまいそうで。



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