2021/04/27

きれいはきれい、汚いは汚い。








Fair is foul, and foul is fair。
上記は戯曲マクベスの有名なセリフですが神道の思想は清明正直に価値を置きます。汚れていることや汚いことを「穢れ」と呼び、忌み嫌うのです。


なぜなら神道はすべての人間は本来「清浄(綺麗)」が原点だから。人間は生きていく中で穢れが溜まっていくのでその穢れを祓いながら清浄へ回復しましょうね、と言うわけです。大祓や、禊払い、悪態祭りもその一種です。


この徹底した「本来美」は生まれながらにして人間は罪人(原罪)だと説くキリスト教とは正反対の思想です。また、ドストエフスキーよろしく哲学的でもありません。近いところで言えばヒンズー教(バガヴァッド・ギーター)でしょうが、宗教的な教義を押し付けることはない、そう思うと面白いですね。


まるで事実なんだからいちいち説得する必要もないと言ってるようです。






閑話休題、
さて汚い状態とは何か。本居さんは穢れとは病気や災禍、人としての醜い態度だと言います。それによって神さまが産んだ素晴らしい本来の姿を包み隠してしまう、と。穢れは生命力(氣)を減退させるため、古代日本人は気が枯れた(穢れた)ときに、さまざまな間違いを犯すと考えました。



では、逆だとどうなるか?と。
空気が良い、軽いと感じた人ならわかりますよね。今日も1日、清明正直に過ごしましょう✨

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