2017/02/28

拮抗の維持



愛国心は戦争を生みだす卵という
モーパッサンの言葉は時代を貫いているなと
思う今日この頃(゜゜)


なるほど。右も左も性質こそ違えど
それぞれが国を「愛してる」のであって、
そんな相反する思想を「数の力によって」
押し付け合っているのでしょうな。


つまり自分の好きなように支配したい
という欲望を「愛国」という言葉で
誤魔化している、と。まるで母親が
子供に「あなたのためよ」と言いながら
都合よく支配するように。



歪んだ愛と所有欲。
今日はそんなところから。。。





二項の対話が起こらないのであれば
リベラル(中間層)もやがてどちらかへ
吸収されていき、完全に分裂するでしょう。


ここで言う二項とは自民と民進。
よく「野党は頼りにならない」という
理由から現政権を支持している人がいますが
短絡的な選択をしているに過ぎません。


大事なのは「拮抗の維持」です。
全ての政党を過半数割れにすることで
偏りのないバランスが生まれ、結果
どこも強行的な政策が「打てなくなる」。


以前、ソ連の保育園を例にしたのですが
均衡状態を保つにはこれが最善ということ。
我々が選挙でやることは白黒ハッキリ
するためにどこかの政党を選ぶのではなく
権力の偏りを無くすことが最大の目的であり
それによって初めて「民意を重視する状態」が作れるのです。



崇高な価値観(理念)をお互いが
共有していない以上、仕方ないんですな。
そんなわけで僕は「集団」には期待しません。


✍✍



守り、与え、解放するか。
それとも奪い、拘束し、従わせるか。


仏教は地獄と極楽の世界は
まったく同じだというものだと言いますね。
「我が我が」と長い箸を使って食い物を
奪い合う餓鬼は誰も食べることが出来ず、
極楽ではその長い箸を使ってお互いに
食べさせているので全員が飢えることなく
穏やかに過ごしている、と。



同一した世界や環境、条件の中にある
異なる在り方。これはあの世だけでなく
この世もまた、似たようなかもしれませんな(゜゜)


量子力学かぶれの言うような
「世界は認識で作られる」ではなく
もっと奥にある「在り方」で作られている、と。


さて、愛国者の「集団」はどちらの世界にいるのでしょうか。





 「後記」


この国の価値基準の根底には古来より
「情を尊ぶ」がありました。それは民族的な
先天性な性質もあるだろうが共有経験から
生まれ、成立したものでしょう。


戦国時代であったり戦後であったり。
「争いはもうたくさんだ」という全体の心の声。
ゲーム理論のような合理的連帯感ではなく
「情」によって自然派生した秩序だと個人的に思ってます。


コモンセンスに近いかもね。
ま、長くなるのでこれくらいにします。



2017/02/27



先ほどNHKで例の件を取り上げてたとのこと。


ちょっと予想外、いやかなり。
まあ今の政権が「オウンゴールの法則」に
ハマったのは間違いないですね(。-∀-)ハヤカッタネ




終わりの始まり、揺り戻し。
今まで恫喝されてたメディアさんがいたら
このタイミング、逃しちゃダメだすよ。



👀 👀 👀



この件で色々と書きたいけど
時間がないので・・・




必殺、
「似たようなことを言ってる人のツイートをスクショして繋げる」の舞い






























































時間あるじゃねーか。
(勝手に拝借して、すいません)










2017/02/26

逃げ足の速いヤツめ



週末は歌謡曲DJバルと言う
ユニークなコンセプトの
FUJIYAMA MAMA FUKUOKAで。





インテリアコーディネーターの
ヒッキーと。
最近仕事忙しそげね(´-`).。oO





んで、〆は久々の大砲ラーメン。
別腹べつばら〜🎵





二月って、ほんと
逃げ足が速いですなあ(・ω・`)


2017/02/25

種を植えて、水をやろう



ブラックなイメージがなかなか消えない
フランチャイズチェーンですが、
最近も色々とやっておりますな(゜゜)ヤレヤレ


大学生が有給消化して退職する際に
不正があったと濡れ衣を着せられ
「大学や親に言うぞ」と脅された挙句、
有給が支払われなかったり、


風邪で女子高生がアルバイトを欠勤したら
ペナルティーとして不当な減給されたり、
恵方巻のノルマを押し付けられたりと。←同じとこね。


物品だけでなく「会社のやりがい」っていう
見えないものを押し付けるところもありますが、
そういった経営者(あるいはオーナー)は多分に
政治家のようなアタマをしているんでしょう。


彼らが必要としているのは安い賃金で
体が壊れても働いてくれていくらでも
「換えがきく」労働者であって、
今の国家が求めることと同義です。




いい加減、目覚めなさい。 日本という国は、そういう特権階級の人たちが楽しく幸せに暮らせるように、あなたたち凡人が安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立っているんです。そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでるか知ってる? 今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。世の中の仕組みや不公平なんかに気づかず、テレビや漫画でもぼーっと見て何も考えず、会社に入ったら上司の言うことをおとなしく聞いて、戦争が始まったら、真っ先に危険なところへ行って戦ってくればいいの。
2005年ドラマ「女王の教室」から



重要なのは自社の利益であり
株主の利益(株価)だけだから
それ以外の概念は邪魔なんでしょう。
それがいつしか商売を戦場に、従業員を
兵士に変えてしまったわけだけど、
僕はこの年になっても抵抗してますね。
妥協できない(笑)



🌳🌳🌳


そんな不安と不信を変えるには
誰かが武器を捨てないと始まんない。
誰かがその荒れ果てた土地にタネを蒔かないといけない。


タネからすぐ芽が出ることなんてない。
そしてミカンが欲しかったとしても
手に持っているのがリンゴのタネだったら
一生懸命リンゴを育てるしかないわけです。


そう、だから種を見つけた僕らにできることは
とにかくしっかりとした根が張るように、
大きなリンゴの木になるように、土を耕し
水をやり、お日様の力を使って成長するのを
見守ることしかできないのだ。


自然なまま成長する姿を見守ること。
そんな自然派生の力を信じ、見守ること。



それが「綺麗事」じゃなく「当たり前」に
なるといいな、と思いますね。




2017/02/24

お昼は…



珍しくお弁当🍱
結構なお味でした✨






年度末の時期って忙しすぎる。。。




申告もあるし、メンドイなあ(´-`).。oO





2017/02/23

一杯のゴボ天うどん




仕事帰りに牧のうどんへ。


福岡ではかなり有名なんですが
資さんうどん一途だったんで
行ったことなかったんですよね。




( ゚д゚)メニューなげー



基本ソバ派なんですが今日はうどん。
ただ、トッピングはソバだろうが
うどんだろうが必ずゴボウ天です笑




「ゴボ天うどん、大盛で」




資さん感覚で大盛りを頼んだんですが、
そこで店員さんの動きが一瞬止まります。






(・ω・`)





(・ω・`)こいつ、素人やな←僕の妄想






「大盛りですと麺が1.7倍ですが
よろしかったでしょうか?」





普段二倍とか食べてるんで
「?はい、大丈夫です」と答えたら






ちょっとした洗面器来た。





後で調べたら約700gだって。
スープ入れたら一キロやん。
(ここは足しスープが来るんですよね)




こんなん出たら一杯の掛け蕎麦が
普通によくある話になるよね。
ただ「多いから3人でシェアしました」って感じになるよね。






と思いつつ実食です。







 ≠( ̄-( ̄)モグモグモグ





 ≠( ̄-(  ̄)モグモグモグ





 ≠( ̄-(  ̄)モグモグモグ






 ≠( ̄Д(  ̄) 









11ラウンド戦ってタオル投げました。
これがソバなら行けてたかも。。。。







次回リベンジに行こうと思います。
(あ、味はとても美味しかったです)




2017/02/22

25溝316穣分の1




ランダムで試合結果を予想する
スポーツ宝くじの「toto・Big」で
同一番号が出たようで(゜゜)



運営側はこういった可能性はあり得る
ものであり、 システムの不具合や
不正な操作等ではなく偶然と言ってるようですが、




その確率は約25溝316穣分の1だそうな。







・・・・(。-`ω-)






いち、じゅう、ひゃくせんまん
・・・おく、ちょう、けい、がい・・・・




じょ、じょう・・・に、こう(溝)





なるほど。
10の32乗分の1の偶然ってことか。



































©ゴールデンカムイ






ファーファーファー・・・ふぁふぁー
(教育テレビっぽいオープニングBGM)








科学者であるフレッド・ ホイルは
生命が生まれる確率に対し、こう伝えたという。



最初の細胞が偶然に生じたと考えることは、
廃品置き場を通り過ぎる竜巻によって
そこにある材料からボーイング747が
出来上がることを信じるようなものだ。





ファーファーファー・・・ふぁふぁー
(教育テレビっぽいエンディングBGM)






今回の「toto・Big」の結果を見ると
いつの日か、竜巻製のボーイング747が
できるかもしれない。








2017/02/21

余は…不満足じゃ!


最近、食欲がエライことに なってまして、
毎週一人ビュッフェしてましたん。



ちなみにこの日は行きつけ
ビュッフェ(笑)の姫蛍さんへ。



もーね。 下手なホテル行くよか全然良い。
ビュッフェランキングでも毎回上位になってるのも納得です。







ちなみにこちら、月替わりの
フェアをやってまして今月は
イペリコ豚のトマト煮、
イカと明太子のクリームパスタ、
そしてティラミスが登場とのこと。



 ぜんぶ大好物やないの・:*+.\(( °ω° ))/.:+




っしゃー!イペリコったるぞ✨




🐖🐖🐖



到着したのが閉店前1時間。
まあ、それだけあれば十分!




と、早速取りに行ったんですが・・・





イカと明太子のパスタが取り尽くされてて、




イペリコブタのトマト煮が
じゃがいものトマト煮」になってました。






コップ二つあるけど一人です。




これね




まっ、しゃーないか (´・∀・`)また来るやろ



と、パクパク食べてたんですが
その途中に新しいのが来てたようで、




 食べ終わって取りに行くと









フランス料理くらいしか残ってない。





…パスタ三本て(´;ω;`)





そしてイペリコはまさかの途中退場
ティラミスだけ、ものすごい残ってました。



でも、そんなに食べれない。






(´・∀・`)








(´・ω・)








(´・ω・♯)








フガ(/゜Д゜)/┻┻










良い仕事してますね




<湖池屋>プライドポテト「松茸香る極みだし塩」も販売休止


湖池屋(東京都板橋区)は20日、今月発売した「コイケヤプライドポテト」3種類のうち、「松茸香る極みだし塩」の販売を一時休止すると発表した。同シリーズではすでに「魅惑の炙り和牛」が14日から一時休止となっている。残る「秘伝濃厚のり塩」は販売を継続する。同社によると、全国で販売を始めた今月中旬の時点で、出荷計画を大幅に上回る人気が出たため、生産が追いつかないという。3月をめどに全種類の販売再開を目指すとしている。プライドポテトは、素材や製法などで「和」にこだわった「老舗のプライドをかけた」(同社)商品として開発された。

毎日新聞より引用
























( 'ω')ŧ‹"ŧ‹"









( ゚д゚) !







(`・ω・´)✨✨








カルビーより湖池屋派です。
(カラムーチョ歴30年)



2017/02/20

絶品なり



とある場所でランチ(´・ω・)
ここの親子丼がまー、んまい。


コーチン、コーチン



一緒に来る南高梅とスープも
絶品やね(`・∀・´)✨


2017/02/19

貞観政要



以前マキャベリの君主論について少し触れたが、
日本にも統治論(帝王学)が入ってきた時代がある。


それが貞観政要。唐朝の第2代皇帝
太宗と家臣のやり取りを収めた対話編である。
太宋のテーマは「草創と守文といずれが難き」
創と守、つまり「創業と維持」はどちらが難しいか?と言う事。


唐の基盤を築いた大宗はどっちも上手だった、
きちんとした基礎を作りきちんと収めた。
(後継者問題は苦労したようだが)


そんな偉人の対話であったからか
平安時代の貴族にとって必読書であった。
調べれば北条政子から江戸の徳川家康まで
長い間愛読され、日蓮も引用したと言われる。




ちなみに僕が見たのは場の空気の研究で
紹介した、山本七平が編集したやつだが、
その引用や伝承本が非常に少ない。


なぜだろう(゜゜)マ、イッカ






この貞観政要にある「九徳」は
全10巻、40編からなる長編となっているが、
そこには「十思九徳」というものがある。




十思

1欲しいと思うものを見たら、
足ることを知って自戒することを思い、

2大事業をしようとするときは、
止まることを知って民の安楽を思い

3高ころびしそうな危ないことを
思うときには謙虚に自制することを思い、

4満ち溢れるような状態になりたいという
願望が起これば、満ち溢れる海が
すべての川より低いこと(老子)を思い、

5盤遊したいと思うときは、
限度をわきまえ、一方に逃げ道を
用意してやるのを限度とすることを思い、


6怠け心が起こりそうだと思えば、
始めを慎重にして終わりをつつしむことを思い、


7自分の耳目を塞がれているのではないかと
心配ならば、虚心、部下の言葉を聞くことを思い、


8中傷や讒言を恐れるなら、まず自らが
身を正して悪をしりぞけることを思い、


9恩恵を与えるときは喜びによって
賞を誤ることがないように思い、


10罰を加えようとするときは怒りによって
重すぎる罰にならないように思う。


これが十思、
こういった心の在り方によって
組織(国家)は統治されるのだ、と。
昔の偉い人が「えらい(大変な)人」
と言われてたように、上に立つには相応の
人格が求められていた、ということだ。


と、いうことだ(二回目)




閑話休題。
九徳は簡単に言えば「加減」である。



1寛にして栗(寛大だが、しまりがある)
2柔にして立(柔和だが、事が処理できる)
3愿にして恭(まじめだが、ていねいで、つっけんどんでない)

4礼にして敬(事を治める能力があるが、慎み深い)
5擾にして毅(おとなしいが、内が強い)
6直にして温(正直・率直だが、温和)
7簡にして廉(大まかだが、しっかりしている)
8剛にして塞(剛健だが、内も充実)
9彊(きょう)にして義(強勇だが、ただしい)



なるほど。プラトンよろしくこういった
十思九徳を持った人間が国を治めれば
確かに安泰であることは間違いない。










(゜゜)











(゜゜)できるかなぁ。。。







(゜゜)






(´・ω・`)ノシ ムリムリ



2017/02/18

今週のつぶやき




最近、何かと話題になってる森友学園。
当初は「安倍晋三記念小学院」の名で
寄付集めてたようですな(゜゜)



森友学園「国有地9割引」疑惑 
首相夫人が名誉校長の神道小学校の土地取引に次々と浮かぶ疑問点



いつものように都合が悪いことほど
報道されない、と。逆を言えば報道されない
こと自体が都合が悪い証拠でしょう。


テレ東をはじめ、報道したメディアはお見事。
少しずつですが確実に流れが変わってくる気がします。


📺 📺 📺


さてさて、その真偽はやがてハッキリするとして
問題なのは彼らがやろうとしている教育内容。
どうも日本初の「神道小学校」のようですが、
ありゃ明治の作った国家神道でしょう。


そもそも教育基本法には特定の政党を支持したり
反対するための政治教育をしちゃダメって
書いてるんですから、前提からおかしいわけです。


史実を正しく教えるのは良いでしょうが、
小さい頃から愛国心を「植えつける」となれば
どこぞの国と一緒になるんじゃないですかね。


この教育の一番恐ろしいところは
一見「素晴らしい」ことを言ってる事。


思考停止している人が見たら
「良いこと言ってんじゃない」になってしまう。
明治期はそれで騙されたわけです。






どんな詐欺師でも、悪党でも
口があればいくらだって美辞麗句は紡げます。
見るべきは「何を言ってるか」ではなく
「何をやってるか(やろうとしているか)」です。



自分の金だけの問題と言う下世話な欲望を
「理念」にすり替えて高邁な話にしたり、
「表現の自由」と言う名で相手を汚く罵ったり
「本音」と言う名で自己正当化する人はたくさんいます。


てなわけで
綺麗な言葉を見たらまず「棘」があるか
探してみてはいかがでしょうか🌹




「つぶやき」


権威だとか、地位だとか、そんな看板を
全部捨てて裸一貫になったとき、何が言えるだろう。


自分一人で世間に問い、
それに対して責任を取る。
僕はそんな清々しい人生を生きたいですね。


いたずらに歳ばかり食うだけで
一人で立つことができないまま
生涯を閉じる人間は多いもんですから。



2017/02/17

パンドラの箱



こんばんわ、坂口です。
最近色々とおかしな感じですな(゜゜)



50℃に迫る熱波が襲うオーストラリア。
逆に強烈な寒波で死者が100名を超えた台湾。
異常先進国(?)のアメリカなんて、
下の図のような状態だとツイッターで呟かれてました。
(ホンマかいな)


まるで混沌が常態化しているような。
世界中に厄災が広がっているような。



誰かがパンドラの箱を空けたのかしらん。




小林の言葉を借りるならば、我々は
いつもパンドラの箱を空けてしまい
その「取り返しのつかない過去」を惜しむといいます。


歴史は決して繰返しはしない。
たゞどうにかして歴史から科学を
作り上げようとする人間の一種の欲望が
歴史が繰返して呉れたらどんなに
好都合だらうかと望むに過ぎぬ。
そして望むところを得たと信ずるのは人間の常である。

「ドストエフスキイの生活」より


歴史とは繰り返される精神によって
取り返しのつかないことをやってしまうことだ、と。


つまり因果ではなく愛惜と言えるでしょう。
まあ中原中也から長谷川泰子を奪った
お前が言うなって感じですが、僕を含め、
経験主義者はやらないと分からないんです。


反面バカはやっても分かりません。
だから反省もせず、あれほどの事故が
起こっても原発を推進したりするわけです。


想像力の欠如した楽観的未来予想は
こういった愚行をいつも冒してしまいますね。


✍✍


閑話休題。
アインシュタインは晩年、自分の人生の
大半を費やした研究によって原爆が作られて
しまったことを非常に後悔しました。


自分が「愛した」相対性理論によって
パンドラの箱を空けてしまった、と。
遡ればアダムとイブも同じことをしてますね。


我々は何か大切なものが失なわれた時、
初めてその「大切さ」に気がつくのです。
そして、「愛」は見方を変えれば強引で
強力な人間の習慣であって、抗うことが困難なものです。


故に、だからこそ我々は愛(希望)によって
その大切なものを破滅(絶望)させてしまう、と。


そう考えると最後に残った希望とは、
最大の厄災かもしれませんね




イワンはバカなのか?



今日のテーマはトルストイの作品「イワンのバカ」。


「幸せとは何か」という永遠のテーマを
取り扱っていながらその内容はとても
読みやすく、絵本にもなってますね。






金とは何か?力とは何か?
成功とは何か?競争に勝つとは何か?
そんな相対的な幸福に対するアンチテーゼが
この作品のイワンとするところでしょう←おやぢギャグ


なるほどね。確かにイワンを見ると
容易にバカとは呼べないものがある(゜゜)ね



ただ、登場する悪魔たちって
(ある意味)良い奴じゃないかしらん・・・・(笑)


まあ詳細は割愛しますが興味ある方は一度
読んでみてはいかがでしょうか。




ちなみに最初この作品を見た時、正直
一辺倒な教義や清貧の倫理の押しつけだと
思ってました。


イワンはいわゆる「隣人愛」ではないか、と。
ただ、読み進めていくと彼が描いているのが
キリスト教が根源的に抱える矛盾だと分かったんですね。


なるほど、つまり彼は不正と虚偽の
蔓延した教会が許せなかったわけだ。
後の「トルストイ運動」が平和主義的な
アナーキズムを目指していたのも納得です。


多分に彼は「やり方」ではなく
「在り方」、つまり個人的な実践を重視したのでしょう。


まあ、あくまでも個人的な主観なので
皆さんの解釈とは違うかもしれませんが、
こういった対立を描く作品の中でも
トルストイの作品はずば抜けてると思いますね。



「後記」


余談ですが僕はそこからアンナ・カレーリナや
復活、そして戦争と平和などに挑戦したんですが
開いては閉じるの繰り返し。この人の作品って
とにかく登場人物が多いんですよね(。-∀-)オボエラレナイ


アンナ・カレーリナに至っては
読み終わるのに一年以上かかるという(笑)
あれほど集中力が必要な本ってなかなかない。


だからこの作品を書き終わった後、
あんな感じになっちゃったんでしょうな。
ずば抜けた感受性って危険なもんです。


そんなトルストイの中で僕が好きなのは
「戦争と平和」。ピエールとアンドレイの対比を
読むと。まるで「あいだ」の位置にいるかのよう。


この作品についてはいつか記事にしましょうかね(゜-゜)


2017/02/15

なん…だと…



仕事の帰り、コンビニによって
ベビスターを買ったのだが








この新キャラのクオリティ…










ベビスターファン、舐めとんか( ゚Д゚)クワッ







横浜中華街はどうなるのだろう。。。。




2017/02/14

本当の個性とは



下の甥っ子が好きなポケモンには
能力値として「こせい(個性)」があるそうな(゜゜)


「このポケモンの個性は?」って聞くと
「こいつ、のんびするのが好き」だって(笑)



てなわけで、今日のテーマは
ポケ・・・個性についてです。





さて、このブログでは個性について
「自分の色を出すことだ」と言ってますが、
「凸も凹も個性です」とはちょっと違います。


「青と赤も個性だろ」と言われそうですが
自分で作ったかどうかということ。


つまり個性とは主体的に獲得しようとする
精神態度(意思)そのものなんですね。


僕が説明すると長くなるんで
いつもの小林さんに登場してもらいますか(笑)
長い引用ですけど、彼は個性についてこう語ってます。



普通に我々が個性なんて言ってるものは、
個性なんかじゃないんです。あんなものは
ただ人と変わってる、って言うんです。


だから芸術家のいう個性というのは
我々がいう個性とは違うんです。
少なくともゴッホにとってはそうじゃなかった。  


私の鼻が尖がってるってなんて何ですか。
しょうがないじゃないですかこんなもの。


だから人間ていうのはそういった意味の
個性はその人のオリジナリティではないんです。
それはむしろスペシャリティ、特殊性です。


こんなものは誰にだってあるんです。
だれにだって個性なんてあるんです。
どんなバカにだって個性くらいあるんです。
みんな人の顔に個性的なものがあるように。  


ただそれは強制されたもんです。
だからそれは克服しなきゃならんのです。


芸術家の個性ってもんは必ず努力の結果、
強制された個性を克服したもんなんです。


こういう風なものを乗り越える精神が本物の個性です。  


だから優れた芸術家っていうのは
こんなとんがった鼻を自慢したやつなんていないんです。


俺はこんなとんがった鼻で
生まれてきたにも関わらず、
こんな普遍的なことが言えるぞっていうのが芸術家でしょう。


~小林秀雄の講演より~


彼は全然自分が関与していない
ものは個性ではないと言ってます。
そんなもの「私の個性はO型蟹座、
次男です」と言ってるに過ぎない、と。


そして本当の個性とはそういった
自分が生まれた時に強制的に
与えられたものではなく、
それを乗り越え、獲得したときに
現れるものだと言ってるんですね(゜-゜)



ベートーベンは耳硬化症を乗り越え、
ゴッホは人格障害を乗り越えることで
あのような作品を作り出した、と。


乗り越えるとは受け入れること、
昇華したと言ってもいい。


強制的に与えられた家庭環境やら
気質やら強み弱みを引き受けながら
「ナニカ」に進む行為です。
以前書いた北斎もまた、そうでしょう。


それは外因的偶然性に理由を見つけず、
自然に志向する必然的な意思に従うこと。


環境なんてクソくらえです(笑)
みなさんも環境を超えていきましょうぜ( ・∀・)=b



「後記」


自分の個性を引き受けられず、
親や時代を原因にし過ぎているのが現代かもしれません。
(もちろん環境も影響されるけど)


行き過ぎた人は星のせい、過去世のせい、
カルマのせいだと分析してしまってますが、
「偶然性」を生涯調べても答えなんてありません。


仮にベートーベンがそんなことをしてたら
第九や月光という名曲は生まれてこなかったでしょうしね。


2017/02/13

グッサンとゆかいな仲間とのカンバセーション



※カンバセーションとは・・・・
対話によって心の中にある一枚の絵を
一致させる行為。これを代表は「真の対話」と呼ぶ。



対話篇~深夜にて~

対話篇~一番大事なもの~

対話篇~天国と地獄①~

対話篇~天国と地獄②~

対話篇~天国と地獄③~

対話篇~自由自在①~

対話篇~自由自在②~

対話篇~自由自在③~

対話篇~強要された理想~

対話篇~絶対矛盾~

対話篇~回帰~

対話篇~嘘と依存~

対話篇~ペア・陰陽・漢意・真心①~

対話篇~ペア・陰陽・漢意・真心②~

対話篇~ペア・陰陽・漢意・真心③~

対話篇~ペア・陰陽・漢意・真心④~

対話篇~根拠と自信①~

対話篇~根拠と自信②~

対話篇~漫画道!?~

☞対話篇~大和心①

☞対話篇~大和心②

✍対話篇~同じ過ちを繰り返す

☞対話篇~「同じ」は頭が作り出す




2017/02/12

批判に「勝つ」ってどうだろね。




先日の日米首脳会議において
トランプ氏は日米同盟の重要性を
再確認したようですが、そこに至るには
以下のような伏線があったみたいですね(゜゜)



安倍晋三首相「私は朝日新聞に勝った」 
トランプ大統領「俺も勝った!」 
ゴルフ会談で日米同盟はより強固になるか?

~産経ニュースより引用~



郷に入ってはなんとやら。
確かに文化や思想が違う相手と信頼を
築くのは非常に困難、ましてや
国家間であればなおさらでしょう。


そんな中お互いの共通点を探した、と。
なるほど、今の偏向メディアに
「勝った」という共通意識はゴルフよりも
強烈なものであったのは言うまでもありません。


ただ本来の民主主義で考えれば
それは大変、危険な考えではないでしょうか。


今日はそんな「お政治」な小噺。





さて、各メディアの「本来の」役割は
いうまでもなく「正確な情報を伝える」こと、
すなわち権力者を監視することにあります。


時の権力者が間違いを起こした場合
メディアから厳しく批判され、それに対し
説明する義務が生まれる、と。
つまり批判とは「調整」の合図です。


その報道を通じ、国民もまた権力者を
監視する。それが民主主義の基本概念でしょう。


人間が人間を統治する以上、必ず
間違いはあります。それは権力者も
そうですし、メディアもそう。
さらに言えば我々国民だって間違えます。


そこで大切なのは「間違いをしない」
ではなく、間違いが起こった時の「在り方」、
思想対立なんてものは白黒ハッキリ
できないいことばかりですから
自由に批判し、議論(対話)できる
場は大前提として崩してはいけないものです。


しかし今回の対談ではその前提に対し、
「俺は勝った」と権力者同士が発言している、と。


繰り返しになりますがそれは
「今のメディア」だから通用するだけで
民主主義の精神ではない。


それ以外やってるのは「宗教」か
北のような独裁国家くらいです。



✍✍✍


自分の意見だけで進んでいいのは
責任を取れる範疇、すなわち自分事だけ。
それが他人に及ぶのであれば、それは単なる
独善的な権力者の発想にすぎません。


たった二人の男女であってもそう。
そんな矛盾との葛藤はあらゆる
共同体が抱えるテーマですが、


矛盾はその本質において「新しい何かがある」証拠です。
人は矛盾と葛藤し、迷ってる間に
その何かを求めているのです。



それを認識しない限り、
こういった「俺の勝ち」は消えないでしょう。
個人的に「全員勝ちの道」を迷いながら模索したい、
今日この頃です。



「後記」


草木が茂っている森を見れば、
非常に厳しくも優しい共生原理が起こってますね。


隣の木に巻き付いたり、分かれたり。
中には折れた枝同士が支え合って
成長しているものだってあります。


誰が指南しているわけでもないし、
誰かが一人で独占しているわけでもない。
しかしその結果、とても複雑かつ最適な
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検索エンジンも量から質の時代へ




いやー寒い寒い。


寒いを通り越してサモい。



そんな日は引きこもっちゃうので
ついネットを見る時間が長くなりますな(。-`ω-)ムー


ちなみに今日はせこせこと
ブログのストック作り。


気付けばFUJIWARAの
原西さんバリにネタが増えてました(笑)



ストック記事は「下書き」にしてます。


ちなみにブログネタは運転中や空き時間に
思い浮かんだことをスマホのメモにまとめ、
それを都度加筆しています。


たまに「よくあんな長い記事書けますね」
って言われるんですが、こういったカラクリなんですね(笑)


それも偏に「資産作り」のため。
ということで、今日はそれをテーマにしてみましょう。





さて、皆さんがネットで検索するときに
使われてる検索エンジンって、多分に
Googleやyahooがではないでしょうか。
もちろんbingやgooなどもありますが
全体的なシェアからすれば、多分その二つでしょう。


ちなみに調査によれば「純粋な検索エンジン」の
利用者数は圧倒的にGoogleで独走状態だそうです。
「日本はyahooが強いだろ」と言われるけど、
検索エンジンの中身はGoogleと同じなんですね。


つまりyahoo用にseo対策をすることは
Google用のseo対策をするってこと、


そこで(経験上)上位表示できる資産さえ
作っておけば、高額なHPを作らなくても
一定の順位は維持できるとお伝えしています。


💻💻💻


さてそんなgoogleさんですが、今月初めに
日本語検索のアルゴリズムをアップデートしたと
いう発表がありました。


その変更理由はご存じWELQ問題。
今後、ああいった上位表示を狙っただけの
中身がないページや記事は順位が下がるようですね。


反面、独自性があるオリジナルサイトや
人を惹きつけるコンテンツサイトの順位は
どんどん上がる、と。


端的に言えば「量から質へのシフト」。
これが今回のアップデートの根幹部分でしょう。


現在、被リンクはほとんど意味がありません。
まさに量の時代が完全に終わったと言えますが、
逆を言えば質の高いサイトがきちんと評価されるということです。



💻💻


集客は人によって、業種によって様々。
自社に最適な方法をやっていかないと労力ばかり増えてしまいます。


例えば最近、関係性やつながりが生まれる
snsを入口にしようと言ってる方がいますが、
新規をsnsに頼ることは危険だと思ってます。 
(あくまでも個人的な意見です)


snsの記事は都度消えていくので
更新を止めてしまえば検索で上がりません。
放っておいても上位にならないんですね。


集まる人はごく一部、例外です。
そして(見落としがちですが)
例外の人はもれなく集客できる「コンテンツ」を持っています。


それが「sns」という手段と合致した結果、
集客に結びついているのではないでしょうか。


💻


最近はネットと無縁だった人がスマホを
持つことで検索する人は増加する一方。
Googleなんて年間2兆回以上検索されています。
(しかも少なく見積もって)


99年が10億回なので恐ろしい伸び率です。
これからよほどのことがない限り
上位ベンダーが入れ替わることはないでしょう。


そんな市場において、自社をどうPRするか。
ストラテジーか、それともタクティスか。


その点においてもうちは「土台」ありき。
そこから派生させていくという流れです。


みなさんも「あなたと言えば○○」と
言われるような土台を考えてみてはいかがでしょうか?



「後記」


余談ですがフランチャイズ業界は
市場規模が20兆円を超えている反面、
「FC展開支援」となると非常に対象企業が限定されます。


当たり前の話ですが普通のお店が
「明日からフランチャイズでもするか」
なんて考えないわけです。


まず必須条件として「成功」がある。
しかし日本は約7割が赤字ですから
この時点で約3割、


そこからFC化できる業態を選べば
また少なくなり、その企業の中で検索し、
HPを見る人となるとさらに少なくなります。



こういったことからうちのブログは
直接的な集客の入口ではなく、
あくまでも検索の間口を広げるためのものなんですね。





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2017/02/10

堕落には限界がある



こんばんわ、坂口です(゜-゜)
今週はめっさ寒くなるみたいですね💦


ただ、あちこちには春の訪れが。
僕の好きな春、青春の季節ですわ(笑)



すぐ傍にあるものを「待ち遠しく」感じるって、悪くないですね。






さて、今日はブログに何度も登場している
坂口安吾について。探せばもっとあるでしょうが
小林秀雄と同じくらい登場してますな(゜゜)



過去記事①
過去記事②
過去記事③
過去記事④
※他にもあったけどアメブロから移転する際
消えてるようです・・



彼のテーマは時代を超えたもの。
特に小林との対比はある種の宿命すら感じます。



今もまた、似たようなことをやって
似たようなことで悩み、似たような結末に
向かっているのを見ると、


人間の元来は何も変わることはなく、
変わったのは世間の方だな、と感じますね。


戦争に負けたから堕ちるのではない。人間だから堕ちるのだ。



氏は堕落について「分析」をしてるわけじゃありません。


心理学や哲学のような考え方ではなく
嘘偽りのない自分の心が人間の本質を
堕落だと直感しているんですね。
こういった近代のアンチテーゼを唱えた
人はやがて「無頼派」と呼ばれ、安吾を始め
太宰や石川淳、織田作之助などがいます。


今なら中村うさぎさんが近いかも(゜゜)
中島義道しかり。ニヒリズムを根幹とした
「今を生きる」思想です。


消費した結果を原稿にして金を得る。
その金を消費して、さらにそれを原稿にと、
不可思議(というか破天荒)な循環を
彼女(彼)は繰り返していってますが、


それは「やりたいことをやっているだけ」
であって、そんな自分のしたい事を見出し
実行している人を「他人は」堕落と呼んでるだけだ、と。


なるほど。
悪意がない分救いがない。
まあ、それ(救いがないこと)が
彼(彼女ら)の答えだったようですけどね。



「どうせすべては無に還るのだから」と。



でも「どうせいつかは死ぬのだから」と
いう理由で、自殺する人なんているのかしらん。


ここに僕は論理の破綻を見るのですが、
みなさんはどう思われるでしょうか(゜゜)




閑話休題。
安吾もそれがわかってたようで、
堕落しながらもその実、堕落と決着を付けていました。


人間の堕落の限界も実は案外、
その程度でしか有り得ない。   
人は無限に墜ちきれるほど堅牢な精神にめぐまれていない。


誠実に堕落(?)したからこそ
この言葉に厚みがありますね。


つまり人は完璧に落ちきることはできない。


あらゆる自由が許された時に初めて、
人は自らの限界とその不自由さに気づくと
いう、顛倒の真。


その位置から逆説的に「真善美」という
欺瞞に溺れやすい人間の性質や
それに迎合して自らは何も考えない
という日本人の「悪習」を暴いたんですね。


✍✍✍


美も醜も極点というのは同じ輪の中、
妙な悲しみが付きまとうもの。
多分にそこには揺り戻しの運命が
内包されているからかもしれません。


どちらも極へ傾けば不幸になる。
故に本来の学問はその「限度の発見」、
個人的にそう思ってます。



「後記」


ちなみに限度や加減と書くと
「幸福への志向性にも限界があるのか」
と疑問に思う人もいるかもしれません。
まっとうな欲望を秩序の犠牲にしているだけじゃないか、と。


結論から言えばそれは「NO」。


ここは長くなるのでまたの機会にしますが、
僕が好きな岡本太郎さんは幸福を嫌い、
以下のように定義してますよ(゜-゜)



僕は「幸福反対論者」だ。
幸福というのは、自分につらいことや
心配なことが何もなくて、ぬくぬくと、
安全な状態をいうんだ。


ニブイ人間だけが「しあわせ」なんだ。
僕は幸福という言葉は大嫌いだ。


僕はその代わりに「歓喜」という言葉を使う。


危険なこと、つらいこと、
つまり死と対決するとき、人間は燃え上がる。


それは生きがいであり、そのとき
湧き起こるのが幸せではなくて「歓喜」なんだ。





仕事に創造と歓喜を。





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アイ、ファイン、センキュー。



はいどーも!
みなさん元気ですか ( ・∀・)=b



ん、どーした?
全然元気ないじゃないか。





よし、とりあえず走ろ




ε=ε=ε=ε=┏(  ̄▽ ̄)┛ あははは




んははは┗( ̄▽ ̄ )┓=3=3=3=3






orz










・・・・冒頭から失礼しました(゜-゜)
ちなみに皆さんの周りにいつも上機嫌な人っていますか?



僕は残念ながら幸い、そういったパリピな
友人が一人いまして、会う時は結構気合いが必要です(笑)



もちろん上機嫌ってステキなことですが、
常にそのステキさが続くと僕の方が参っちゃうんですよね。



今日はそんな陽気な小噺でもしますか。



トラボルタ様www




さて、「ウェブ進化論」で有名な
経営コンサルタントの梅田望夫さんは
シリコンバレーに在住していた際、
アメリカの「上機嫌文化」を感じていたようです。



道で会ったら「Hi」と言うとか
「とりあえず、まずはそういうふうにしよう」と
いう約束があるということはありますね。
最低限そういうルールは作っておこうと。


もともと宗教が違う、バックグラウンドの
違う人たちが集まっているから、社会でみんなで
何かやっていくときの「プロトコル」として
やっている面ですね。


僕はよく例として挙げるのですが
「How are you?」って言われたら
必ず「FINE」でしょう?


これはいろんなことを表していて
「How are you?」と言ったときに
日本的感覚だと「いやあ、腰が痛いんですよ」
とか答えたくなる(笑)


とにかくどんなことがあっても「FINE」
なんですね。「FINE」という人のところにしか
人がやってこない。機会が巡ってこない。

「私塾のすすめ」より引用





なるほど、確かにあちらさんは
テンションが常に高く、準備できている
状態ではないといけない空気がある、と。


つまり「ボチボチでんな」が通用しない(笑)
それをアメリカで言えば「だったら結構です」
って言われちゃうみないなんですね。
(もちろん全部じゃないだろうけど)



うー・・ん。
それって、逆に厳しくないかしらん。



悪いとかじゃなくて



この国もつい最近まで
「ポジティブシンキング」が流行ってて、
似たようなことが起こりましたね。


そういった関連の本がたくさん出て、
ネットにはサウナみたいな場所がたくさんあった。


みなさんも感じていたんじゃないでしょうか。
ワクワクしてキラキラ「しないといけない」
帰属意識を。


つまり「弱音を吐くこと」が受け入れられない空気。


僕はそれが精神的にしんどいから
ソッコー離れてたんですが、
予想以上に早く終焉しましたね(゜゜)



✍✍


もちろん弱音ばかり、不安ばかりの
「淀んだ空気」を持ってくる人も
同じ輪の中、やってることは一緒です。



加減って難しいね。誰だって
「どんな自分でも認めろ」と言いたいけど、
逆を言えば「どんな他人でも認めないといけない」ことですから。



それって無理でしょ。
仏さんだって3回しか許しませんもんね(笑)



最適な距離感や最適な気分は
やっぱり「いい加減」が良いな、
と思う今日この頃です(゜゜)






2017/02/09

正義の扱い方、難しい~





この間、クリエイターさんが集まるサイト
「note」を見ているとこんな漫画を発見💡




正義の扱い方をどう伝えればいいんだろう
(クリックすると作品ページに飛びます)





作者の茉莉花堂さんが「言葉を失う」ところに
すごく共感。真摯さが伝わってきました(゜-゜)




世間には答えがたくさんある「ようだけど」
こういった命題って簡単に言い切れませんよね。




✍✍




人は簡単に「言い切って」
ハッキリさせたくなっちゃう。



人が集まり、理屈が集まり、
それだけが正しいと強く思ってしまう。



そして強く思ってしまうから「押し付けちゃう」。



だから争いは絶えないんでしょうね。







日々、漫画のようなことは
たくさん起こっているけれど
基本的には同質(同根)じゃないかしらん。
外からの見え方が違ってるだけで。



だから「土台」を理解し合う場や
対話を用意することって、とても大事だと思います。



それはハンナ・アーレントが言うように
どのように他人と「違うか」と同時に、
どのように他人と「同じか」を自覚する行為。



違いばかり出してもダメだな、と
改めて反省した次第です(゜-゜)


「追記」


※茉莉花堂さんの「note」はこちらから
(掲載許可、ありがとうございました♪)




2017/02/08

30キロの球



好きになることと「簡単なこと」を
一緒に考えている人がいるようですが、
本来の好きとは「困難なこと」を好きになることです。


難しいな、分かんないなと頭をひねる。
繰り返し練習し、トライする。


そしてそれが解けたときの面白さによって
ますます「好き」になるんです。








たとえばピッチャーが簡単な場所に
ゆっくりとボールを投げれば、そりゃ
誰だって簡単に打てます。


ただそれを何回も繰り返して
ああ楽しいな、と思う人はどれくらい
いるのかしらん。



もちろん、チームプレイも絡んでいるので
勝つこと自体も面白いでしょうが、
難しい球を打った瞬間、三振を重ねた時の
達成感は代替え不可の楽しさがあるはずです。


打率2割を3割にしたい、
もっと難しいボールを投げれるようにしたい、と。


それは野球だけに限りませんよね。






見れば今の教育は
難しいことが面白いという事を教えてませんね。
手っ取り早く楽に、簡単にできることを目的にしています。


なるほど。野球で言うなら
「パカスカ打てる」状態なのでしょう。


しかしそんなものちっとも面白くないし、
自信なんてものも生まれやしません。
それに慣れてしまえば難しい球が来たとき「これは嫌いだ」
「私はそれを望んでいない」と、逃げてしまうでしょう。


「今の僕」は30キロの球しか打てないけど、
この先ずっと、30キロの球だけを探したくはないですね。





既に出来上がった知識を貰う事が
学ぶ事ではなく、出来上がった知識を
与える事が教える事ではないでしょう。



孔子は相手に対し、意志の部分を敲きました。
つまり教育の方角を個人が問い、疑える意志へと
向かわせたのです。