2016/08/31

まちがいは、「間」違い。「あいだ」が抜けてるから「間抜け」



人心之不同也、如其面焉
(人のこころの同じからざるは、そのおもてのごとし)




春秋左氏伝、古言。
我々の容姿がそれぞれ違う様に、
人の心もまた同じじゃないぞ、という教えです。




感じ方や受け取り方、好き嫌いの判断基準が
それぞれ違う以上、自分の考え方が相手と
合わないという理由でいちいち落ち込んだり
怒ったりしていても身が持ちませんよね(゜゜)




「共感」と「同化」は同じじゃないってこと。
今日はそんなところから。。。。









さて、(滅多にありませんが)
僕は好き嫌いをキチンと伝える方です。



嫌いなもんはどうしても嫌い。
これはもう、理屈じゃない(笑)



だから、相手が好きであっても問題ありません。
「嫌い=間違ってる」じゃないですからね。





犬が好き、猫が嫌い。
肉が好き、トマトが嫌い。
甘いのが好き、辛いのは嫌い。




これなら相手も不快にはなりませんよね。
ただ、問題は「トマト嫌いは間違い」と思う人がいるってこと。




例えば「イルカを食うのは間違いだ」って具合に
価値観や文化を押し付けてしまうわけだ。



そこに相手が正当な理由でも語ろうものなら、
あっという間に「正義」と「悪」が作られちゃいますよね。




後は古今東西、やること一緒ですよ。






「ちがうちがう、そうじゃない合戦」です。



これ好き





僕は似非カウンセラーや下衆な精神の持ち主や
上から目線のインテリ(コンサル)が嫌いなんですが、
「万人にとって間違い(悪)」とは思ってないので
アメリカみたいに他人の領域に土足で踏み込んで
喧嘩をふっかけたりはしません。





否定するのはそれをイデオロギー化している時。
そう思ってない人を排除しようとしている時。




なぜって、彼らは自分と他人が重なった場所である
「あいだ」の領域にまで、自分を押し通しているから。




つまり間(ま)が抜けてる、
「違う」じゃなくて、「間違ってる」わけでしょう。









例えばそれが全人的な、いわゆる
「普遍的真理」ってやつであれば良いでしょう。
むしろ、その思想を発見した人は称賛に値します。




全員もれなく該当し、いつの時代もどの国でも
変わらないんですからね。ただそれが普遍性を
持っているかどうかを説明しようとすると、
途端に分からなくなってくるじゃないですか。




常識に逆らってるだけかもしれない。
欲望がコントロールできてないだけかもしれない。



人心之不同也、如其面焉


春秋左氏伝、古言です。






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