2016/08/09

国体観念とは




認識の幅が狭い人に天皇や日本について
語れば、やれ帝国主義だ、右だと言い出し、
神道について語れば、国家神道を持ち出されたりします。




極端だなあ(゜-゜)会話になんねーだろ。




そもそも、国はアウトで郷土愛とか地元ラブを
語るのは全然セーフなんて、おかしなもんですわ。




さらに言えば、自然や地球を守ろうって言う前に
まず自分の国が先なんじゃないかと思うんです。



まあ、押し付けても仕方ないですけどね。
今日はそんなつぶやきから。。。。








僕が(個人として)思ってるのは
国すら愛せない人間が自然とか愛せるわけないってこと。



身近なもの、例えば最小単位である
家族を大事にできるからこそ、他者(組織)も
大事にできるわけで、そこから地域や国、人類って感じに
広がっていくんじゃないかしらん。



スケールのでっかい愛を語るのは全然いいけど
一緒にいる人すら大事に出来ないなら、愛なんて語るんじゃないよ、と。





☞☞☞



閑話休題。
僕は二千年以上続く天皇制を大事にしたいと思ってます。
天皇陛下万歳じゃないけど、なくなってほしくない。



そもそも(戦時中は抜きにして)政治に一切関与せず
国民に対して大きな影響力を持っている君主なんて、
世界中探してもこの国だけしかいません。



言い方を変えれば、どんな権力者でも敵わない
権威がこの国に存在している、ってこと。



この伝統が継承されていくからこそ、
我々は全人的な象徴を見失わないでいれます。
武力や財力によって時の権力者は変わりますが、
この歴史的な正統性(というべきか)は変わることはないのです。



その大切さが今回、分かったんじゃないかしらん。
現在、この国の権力者はちと危なっかしいですからね。



☞☞


思えば、不思議なもんです。
長い歴史の中、皇室(天皇)は国民から愛され
守られてきたのだけれど、実は明確な理由なんてなかったりします。



なるほど。
そこに「なぜ愛されるのか」という問いはナンセンス。
理由付けをすること自体、無意味ということでしょう。



なぜなら伝統とは、理屈や合理的理由を必要としないもの。
言葉ではなく肌で感じるものだから。



そんな揺るがない根幹を知るのは言葉ではなく
直接的な「心」であることは言うまでもありません。



どこぞのナニエモンがこの間のお言葉を聞いて
「こういうの有難がる感覚がわからん」と言ってましたが、
ある意味正しいですよ。




だって小林秀雄でさえその観念は
説明できない、って言ってるんですから。




ただ尊いと感じる心が僕の中に確かにある。



なんだか分からないけど、居てくれてありがたいと感じる。




多分に、それだけで良いんです(゜-゜)






「国体観念というものは、かくかくのものと聞いて、
成る程そういうものかと合点するような観念ではない。
僕等の自国への歴史への愛情の裡にだけ生きている観念です。
他では死ぬばかりです」。




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