どうも我々は放っておくと勝手に
気が沈む生き物みたいですな(゜゜)
だから都度言葉に出し、文字を書き起こし、
言い聞かせることで心をコントロールする、と。
なるほど。多分にそんな制御と格闘を
邪魔されたくない心性から、深刻さや
思い詰めることを条件反射的に避けているのでしょう。
しかしそこから自由を求め、啓蒙しようとする
その積極性によって、自己の陰鬱さは
より強固になっているのではないかしらん。
まるで、その自らの言葉によってまた、
自らを縛りつけているように感じますね。
腑に落ちない、消化できない不合理や不条理を
頭の中で勝手に解決しようと喋り出すのが現代病理。
避け、否定し、言い聞かせ、主張してもなかなか消えないことはないでしょう。
事あるごとに囁くその声に耳を塞ぎ、
押さえ込んでいる間は逆効果。
そんなもんいちいち気にして原因を見つけ
永遠に出てこないようにするという理性の「意図」にこそ、
原因があるんじゃなかろうか。
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愚痴ってもいい。不満を吐き出しても良い。
人を責めても良いし、逃げ出しても良い。
むしろそうしない方がおかしい。
しかしその毒は肯定しながら否定するもの。
この「流れ(祓い)」が大事だと思ってます。
おかしなカウンセラーの様に、「それが私だ!」と
ただ認めるものではなく、宗教のように「それは悪だ!」と
ただ拒絶するものでもない。
(以前、花粉って書いたから分かりにくかったでしょうが)
愚痴や不満って精神の排泄物、ウン子ちゃんですよ。
自分の一部って言えば自分だけど、
「いらない」って体が判断してるから出ちゃうわけでしょう。
細胞だって日々排泄されながらも新たに作られてる。
そんな状態が「生きてる」ってことじゃないかしらん。
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とまあ、現代人は極端な「綺麗でピュアなのが私」と
「汚くて醜いのが私」という、二極化が進んでるようですが、
ぐるぐると「自然に巡ってる状態」を頭で止めたり
抑えたりしたら余計苦しいもんです。
個人的には
「なぜ私の体の中で糞尿が作られるのか」とか
「なぜ、私は我慢するようになったのか」みたいなことは考えず、
さっさと出せばいいんじゃないかな、と思います。
どうせまた出来るしね(゜-゜)自然現象ですよ。
「おわび」
食事中に見られた方スイマセン。
テーマだけに、水に流してください←
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