高所大所に立てば現場が見えず、
かといって現場にこだわると大局が、理念が見えない、
そんなトレードオフはどこの組織も抱えているものですね。
当事務所はここに「あいだ」を持つことを提唱しています。
今日はそんな「統合知」の小噺。
Nでもないし、Sでもない。
近代は分業制の時代、
従業員は本来は一つである仕事を割り当てられ、
それだけに専念することを求められています。
自分の長所や強みを活かすという意味(専業化)では
適材適所な時代だと言えるけれど、
それによって事業全体への理解は損なわれますよね。
我々にしてもそう、人生が個人(部分)の追究となれば、
全人的な幸福など生まれることはないのです。
個人主義へ傾倒した近代が幸福から遠いのは
まさにこの部分と全体のどちらかを「真」としているのではないでしょうか。
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そこでこの国は二項を対立させることなく、
二重性といった「重ね」の方法をとっていたようです。
二刀流である宮本武蔵も五輪書において
「観」と「見」の二重性(観見)の重要性を説いていますね。
立ち合いの際、相手方に目を付ける場合
観の目強く、見の目弱く見るべし。
多分にそれは理性を使い分析的に相手を「見る」ことと、
場という全体性の存在を直覚的に「観る事」でしょう。
木だけを見ていても全体が分からないし、
森だけ見ていれば、一本の木が見えることはない。
よって同時に捉えるには二項が貫通するまで
「見抜く」という行為がなくてはいけない、と。
☞
見抜きには天体望遠鏡や顕微鏡は必要ない。
個人的にはそう思ってます。
例えば木と森を見抜けば、
根を張ってる「土」に起点と終点があるように。
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